日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
実験は、翌日から始まることになった。
ただし、その前に一つだけ交渉があった。
「配信、ですか?」
オンライン会議の向こうで、研究主任が聞き返した。
「はい。全部とは言わないです。場所とか部隊名とか、公開できない情報はもちろん出さないので」
アキラは少し考えてから続けた。
「このWiki、俺一人でここまで作ったわけじゃないんです。配信で『こういう条件じゃないか』って言うと、全国から検証結果が返ってきて、それをまた整理して……っていうのを五か月ずっとやってきたので。今回も公開できる範囲だけでも見せてもらえたら、その人たちと一緒にまた分析して……結果を返せるかなと」
研究主任はすぐには答えなかった。軍が関わる実験である。善意の配信者が「みんなにも見せたいです」と言ったくらいで、はいどうぞとなる話ではないし、アキラ自身もそれくらいは分かっている。
「実験手順は事前に固定します」
後ろを振り返って何やら相談していた主任が言った。
「配信コメントを見て、その場で条件を変えることは禁止。施設名、部隊名、参加者の氏名や所属、正確な位置情報も非公開です。映像はこちらで許可したものだけを使用してください」
「はい」
「生データも、公開可能と判断した項目だけです」
「はい」
「こちらが止めたら、その時点で配信も止める」
「分かりました」
そこで主任は、ほんの少し笑った。
「それでよければ、公開検証として許可します」
アキラの返事より先に、同席していた補佐官が呟いた。
「欧州合同研究センター承認の非公式Wiki、ですか」
「公認なのか非公式なのかどっちかにしてください」
アキラは即座に返した。
この肩書きは、その日のうちにコメント欄へ定着することになる。
* * *
配信開始から十分後。
画面には、研究機関側が公開用に作った実験概要が表示されていた。
『検証仮説A:戦闘へ有意に寄与していても、討伐時に一定距離を超えていると経験値を獲得できない』
『検証仮説B:経験値を獲得できる距離は、LEVEL上昇に伴って広がる』
どちらも、前日の時点でアキラたちが立てていた仮説である。
今日は思いつきを試す日ではない。思いつきが本当に再現するのかを、条件を揃えて潰していく日だった。
『国家機関が※要検証を回収しにきた』
『規模がでかい検証班』
『公認非公式Wikiさんこんにちは』
「その呼び方やめろ」
コメント欄は無視した。その呼び名はもうすっかり定着していた。
最初に試すのは、距離そのものだった。対象は危険度の低い小型魔物で、参加者は低LEVEL帯の隊員に揃える。武器、役割、参加方法も可能な限り統一し、魔物が倒れる瞬間の位置だけを変える。
「条件が綺麗……」
アキラが思わずうっとりと呟く。
『戦闘データみて興奮する変態』
「だって見て。比較したいもの以外、ほぼ全部揃ってる」
『嬉しそう』
「これは嬉しいだろ」
五か月前、自己申告の『たぶん二回くらい殴った』を表計算ソフトへ入れていた男である。統制された実験計画を見て喜ぶ程度には、苦労を知っていた。
一回目では、二人の隊員が同じ小型魔物の討伐に参加した。一人が盾役として注意を引き、もう一人が射撃を担当する。どちらも戦闘への寄与は明確だが、討伐時には一人だけが後方へ下がった。
近くに残った隊員はLEVEL上昇を確認し、離れていた隊員には変化がなかった。役割を入れ替えても結果は変わらず、個体や部隊、国まで変えて試しても、完全に同じ数字にはならないものの傾向は崩れなかった。
さらに、戦闘の大半を近距離でこなしたあと、討伐直前だけ後方へ下がった隊員には経験値が入らなかった。逆に、序盤は遠くから援護していても、魔物が倒れる瞬間に前方へ移動していた隊員には上昇が確認された。
アキラは椅子の背もたれから身体を起こした。
「……かなり濃いな」
『距離?』
「距離。それもたぶん、戦ってた場所じゃなくて倒した瞬間の位置」
研究主任からも同じ結論が返ってきた。戦闘へ有意に寄与したうえで、討伐時に一定の範囲内にいる必要があるらしい。
日本では、魔物を倒すとレベル上昇につながる何かを得ていると考え、ゲームになぞらえて「経験値」と呼んできた。未知のエネルギーという意味で「魔素」と呼ぶ人もいるが、その正体も、実際に何かを吸収しているのかも分かっていない。
研究チームは、討伐時にその「何か」を受け取れる距離があると仮定し、暫定的に『魔素吸収範囲』と名付けた。
『名前ついた』
『英語わからん、なんて言ってる』
『魔素吸収範囲』
『急に研究っぽい』
「最初から研究だよ」
ここまでは、前日に立てた一つ目の仮説がかなり強くなっただけだった。
問題は、二つ目である。
日本には、明らかに遠距離から魔法を撃っているのにLEVELを上げ続けている探索者がいる。距離だけが固定条件なら、その事例と矛盾する。
そこで研究側は、最初からLEVEL差を組み込んだ第二試験を用意していた。低LEVEL、中LEVEL、それより高いLEVELの参加者で役割や攻撃方法をできるだけ揃え、討伐時の距離を段階的に変えていく。
アキラは結果が出るたび、昨日自分が口にした「同じ距離でも、LEVEL 1とLEVEL 10では判定範囲が違うのではないか」という仮説を思い返していた。
あの時点では、根拠はほとんどなかった。ただ、日本初期の近接中心のデータと、育った探索者による遠距離攻撃の両方を説明するなら、その可能性が一番安く試せた。
そして数時間後。
結果が揃った。
アキラは表を上から下まで見たあと、もう一度上へ戻した。
「……やっぱり伸びてる」
『何が?』
「入る距離」
低LEVELの隊員では変化がなかった位置でも、中LEVELの隊員には経験値が入っている。さらにLEVELの高い隊員では、もう少し離れた位置からでも上昇が確認された。
もちろん、LEVELごとに何メートルと断言できるほど単純ではない。個体差らしきばらつきもあり、戦闘条件による揺れも残っている。それでも複数国の結果を重ねると、傾向は消えなかった。
LEVELが上がるほど、魔素を吸収できる範囲も広がる。
昨日の仮説が、ようやく仮説だけではなくなった。
『※要検証、取れる?』
「まだ取らない」
『厳しい』
「再現数が足りない」
『欧州合同研究センター承認でも?』
「関係ない」
当の研究主任は、その配信を別画面でしっかり見ていた。
「関係ないそうですよ」
補佐官に言われ、主任は少しだけ口元を緩めた。
「その方が信用できます」
* * *
研究側から、暫定報告書の文章が送られてきた。
『低LEVEL帯における安全距離戦闘は、経験値獲得効率を著しく低下させる可能性がある』
アキラはそこまで読み上げて、海外部隊の初期映像を開いた。
長い通路の向こうに小型魔物がいる。訓練された隊員たちは遮蔽物を使い、相手が近づく前に正確な射撃で倒していく。
安全で、合理的で、戦術としては何も間違っていない。
『つまり?』
『なにをいってるのかわからねえと思うが、何を言ってるのかわからねえ』
コメントに聞かれ、アキラは少し考えた。
「つまり、銃が悪いんじゃなかった」
映像の中では、魔物がこちらへ辿り着くよりずっと前に倒れていた。
「遠いんだ」
『それ銃の長所では?』
「そうなんだよ」
そこが一番面倒だった。
安全に戦うなら、距離を取るのが正しい。だが低LEVELのうちは、その安全距離がそのまま魔素吸収範囲の外になりやすい。
一方、日本の発生初期には銃がなく、一般人はスコップや角材、農具を持って、嫌でも魔物の近くまで行かなければ戦えなかった。危険だったし事故も多かったので、安全面だけを比べれば海外方式の方が明らかに優れている。
ただ、その危険な戦い方のせいで、日本の初期探索者は低LEVEL帯から魔素を吸収できる距離に居続けた。数か月後に魔法や弓などの遠距離攻撃が普及した頃には、使う側の吸収範囲もすでに広がっていたため、日本では距離条件そのものが見えにくかった。
海外が初めて大量に作った『遠距離から安全に戦うLEVEL 1』という条件によって、隠れていた仕様が表へ出てきたのである。
アキラはWikiの経験値ページを開いた。
五か月前からタイトルは変わっていない。
『経験値入る条件たぶんこれ ※要検証』
その下へ、新しい項目を追記する。
『・戦闘への有意な寄与に加え、討伐時に一定範囲内にいる必要がある可能性が高い』
『・有効範囲はLEVEL上昇に伴って拡大する傾向あり』
『・距離には個体差、条件差の可能性あり。現時点で固定値化しないこと』
保存すると、コメント欄が一斉に流れた。
『欧州合同研究センター承認きた』
『公認非公式情報』
『公式なのか非公式なのか』
「だから非公式だって」
その数時間後、軍の暫定運用指針にも新しい一文が追加された。
『低LEVEL隊員の育成時は、安全確保を前提として経験値獲得圏内で討伐へ参加させること』
現場から返ってきたコメントは、もっと簡潔だった。
『銃の利点と喧嘩してませんか?』
研究側も、それについては否定できなかった。