日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
欧州合同研究センターの研究主任が御厨アキラとの打ち合わせを終えたのは、現地時間で夕方だった。
日本の発生初期と海外部隊の記録を突き合わせた結果、経験値の入り方には敵との距離が関係しているかもしれない。さらに、その有効距離はLEVELによって変わる可能性があるという。
どちらも筋は通っている。ただし、筋が通っていることと事実であるかどうかは別だ。翌日から比較試験を行うため、主任はアメリカ側の協力窓口へ連絡を入れた。
画面に現れたネイサン・ウォーカー大尉は、資料を読み終えると露骨に嫌そうな顔をした。
「確認するぞ。今まで近づくなと言っていた相手に、今度は近づけと?」
「近づいた方が経験値を得られる、という仮説です。現時点ではまだ」
「その違いは大事だな。で、何をやればいい?」
主任は試験計画を画面に表示した。対象は危険度の低い小型魔物。低LEVELの隊員を中心に、武器、役割、参加人数をそろえ、討伐時の位置だけを変える。高LEVELの参加者についても別の試験群を設ける予定だった。
「現場の安全管理は、そちらの指揮系統で承認を取ってください。距離を変えるために、負傷の危険まで増やすつもりはありません」
「そこは任せろ。敵が一体増えたら即中止、退路も確保する」
ウォーカーは資料をもう一度眺めた。自動小銃で安全な場所から倒せる相手に、わざわざ近づく。軍人としては気の進まない手順だが、確認する価値はある。
「ちなみに、俺もLEVEL 2なんだが」
「試験の対象帯ですね」
「俺も出る。部下にだけ妙な仕事を押しつけるのもな」
「ありがとうございます。それと朗報です、大尉。スコップは必要ありません」
「そいつは助かる。できれば今後も支給しないでくれ」
以前の会議で交わした冗談を、主任はまだ覚えていたらしい。
* * *
翌日。
ウォーカーが入ったのは、封鎖区域内の試験区画だった。
防護盾を持った隊員、後方の援護班、救護要員。監視用のカメラは複数設置され、そのうち公開を許可された映像だけが研究側へ送られている。
試験の前半は、別の班が担当した。盾役と射撃役の二人で同種の魔物に対処し、討伐の瞬間に一人だけ後方へ下がる。役割を入れ替えて同じ条件を繰り返す、ひどく地味な試験である。
「結果は?」
「近くにいた隊で2名のLEVEL上昇を確認。現在、2名ともにレベル2になっています。後退した方は変化なしです。ただ、まだ試行数が足りません」
記録係の報告に、ウォーカーは頷くだけした。
LEVELは経験値の残量まで表示してくれない。たまたま上がる直前だった可能性もある以上、一体倒して変化があったかどうかだけで結論を出せる話ではなかった。
次にウォーカーたちの班が呼ばれた。
ここからは射撃担当をウォーカーに固定し、距離を変えて繰り返す。使用武器も弾薬も、試験中は同じものを使う。防護盾を担当する二人は両側で隊列を維持し、射線を確保する役割だった。
最初の組では、ウォーカーは後方から射撃した。魔物がこちらへ接近する前に倒れ、隊員に怪我はない。これまで通りの、安全で退屈なくらい手堅い戦闘である。
次の組では、射撃位置を前へ移す。
「対象一体。ほかの反応なし。後退経路、確保」
「了解。盾はそのまま、俺の前には出るな」
ウォーカーはショットガンを構え、二枚の盾の間から慎重に歩み出た。魔物は隊員の足元ほどの高さしかなかったが、動きが読めるわけではない。牙がこちらを向いた瞬間、彼の肩には自然と力が入った。強く握ったグリップの中に手汗を感じる。
銃を持っている人間が、わざわざ敵に近づいている。
未知の経験値仕様を調べるためとはいえ、説明すればするほど妙な作戦だった。
「大尉、射線クリア!」
ウォーカーは銃床を肩へ押しつけ、照準を定めた。
「接近戦には、こいつだ」
引き金を引く直前、昔の映画の台詞が頭をよぎった。ちょうどショットガンだったような気もする。
「これでも食らえ!」
銃声が閉鎖区画に響き、魔物が倒れた。
「対象停止! 周辺異常なし!」
「よし、後退する。記録を続けろ」
盾の内側へ戻ると、若い隊員がちらりとこちらを見た。
「大尉、今のは実験に必要な掛け声ですか?」
「射撃のタイミングを知らせた」
「『これでも食らえ』で?」
「よく聞こえたなら問題ないだろ」
隊員はそれ以上何も言わなかった。無線に笑い声が混じったので、聞き間違いということにしておく。
ウォーカーは端末を受け取り、自分のLEVELを確認した。表示は相変わらず2のままだった。
「上がらないな」
「一回で上がるとは限りません、大尉」
「分かってる。だが、結果がすぐ出ない行動が、性に合わん」
その後もウォーカーは、同じ武器と役割のまま、討伐時の距離だけを変えて試験を重ねた。盾の間から前へ出て撃つことを何度か繰り返したところで、とうとう表示が変わった。
「……LEVEL 3」
ウォーカーは自分の目を疑い、もう一度表示を確認した。
あれだけ魔物を倒しても上がらなかったLEVELが、距離を変えただけの実験で上がったのだ。
「どうやら、距離が原因って線は当たりらしいな」
もっとも、経験値がどのくらい蓄積していたかは分からない。今回たまたま上昇のタイミングが重なった可能性はあるし、彼一人の結果で証明したことにはならない。それでも、ウォーカーにとっては十分な手応えだった。
翌日以降も、役割を変えた試験や別の部隊での再現が続いた。距離だけでなくLEVEL帯も分けて結果を集める。アキラが配信越しに興奮していた綺麗な比較表は、こうした現場の地味な記録で埋まっていったのである。
* * *
複数国の再現結果がそろったころ、ウォーカーは再び研究主任と画面を挟んで向き合っていた。
「要するに、戦闘へちゃんと参加したうえで、倒す瞬間に近くへいればいいんだな」
「現時点では、それが最も説明力の高い条件です。LEVELが上がると有効距離も広がる傾向があります」
「原因が分かれば手順を変えられる。やっと仕事が進むな」
ウォーカーは研究主任から共有された育成手順の試案を開いた。研究チームが検証結果をもとに、低LEVELの隊員を経験値獲得圏内へ置く方法をまとめたものだ。ただし、理論上の配置がそのまま現場で安全に使えるとは限らない。
「理屈は分かった。ここからはうちの仕事だな」
ウォーカーは部下たちと、射線の確保、盾の配置、退路、試験を中止する条件を詰めていった。研究側には距離条件と測定方法を確認し、軍側では実際に動ける手順へ落とし込む。
そうしてできた育成手順は、距離を縮める代わりに、それ以外の危険をできるだけ削る方向で作られていた。まず無人機で危険度の低い小型魔物を確認し、移動式の防護盾と遮蔽物で安全な射線を作る。必要に応じて網や拘束具で動きを制限し、低LEVELの隊員は研究側が『魔素吸収範囲』と仮称した距離の内側から討伐に参加する。後方には従来通り援護要員と医療班を置き、想定外の個体が現れたら訓練を中止して退避する。
近づくのは根性を試すためではない。経験値が入ると推定される位置へ、必要な時間だけ配置するためだった。
「ショットガンは標準装備にするか?」
「武器種を固定する必要はありません。安全に射撃できる装備を選んでください」
「夢がないな」
「安全な育成手順ですから」
主任は真顔だった。
実際、その方がありがたい。日本の初期探索者が近距離で戦っていたのは、勇敢だったからではない。銃がなく、スコップや角材を持って近づくしかなかったからだ。たまたま正しい条件を踏んだことと、安全に再現できることは別である。
部隊への説明で、若い隊員が手順書を見ながら言った。
「これ、訓練というより配置確認ですね」
「その通りだ」
「こんなファンタジーな現場だってのに、勇気とか、気合いとかは必要ないんですか?」
「いらん。撃つ場所と退く場所を覚えろ」
「なんか夢がないな」
ウォーカーは端末から顔を上げた。
「残念ながら我々は軍事行動をしている。軍事手順に夢を求めるな」
そういうウォーカーも十分に残念そうな顔をしていたので、隊員もクスリと笑ってもう何も言わなかった。
* * *
改訂手順の試験運用は、複数の部隊で数日間続いた。
これまでも低LEVELの隊員は安全な射撃戦へ参加し、魔物を確実に倒していた。戦果には貢献できる一方、何度交戦してもLEVEL 1のままという例が珍しくなかった。
改訂後は、同じような危険度の魔物を相手に、盾や拘束具を使って討伐時だけ前方へ配置する。射撃、盾、拘束の担当を決め、誰か一人に危険が集中しないようにした。近距離にいる時間を減らすため、討伐の順序まで細かく管理する。
初週の集計で、ようやく差が見えた。
従来手順ではLEVEL 1のまま残る隊員が多かった部隊でも、改訂後はLEVEL 2へ上がる者が増え、一部はLEVEL 3へ到達した。負傷率に目立った悪化はなく、異常が出た訓練は安全規定通り途中で中止されている。もちろん、まだ長期的な安全性まで証明されたわけではない。それでも、改善が実際の数字として現れたことは大きかった。
研究主任は報告書を見終えると、画面越しに頷いた。
「少なくとも、育成効率は改善しています」
「普通に上がったな。あんなに伸びなかったのに」
「原因が分かれば、手順にできます」
「軍隊とはそういうもの、だったか」
「覚えていたんですね」
「四十歳と十一か月の記憶力を舐めるな」
「まだそれを言いますか」
今度は主任の方が先に笑った。
公開可能な集計結果は、各国の研究機関と現場へ共有された。警察や消防でも、必要な職種から同様の訓練が始まり、一部の国では対ダンジョン要員の育成プログラムそのものが正式化されていく。
銃を捨てる必要はなかった。危険を承知で突っ込む必要もなかった。
知らなかった条件を一つ見つけ、それを安全な手順へ落とし込む。それだけで、海外の部隊はちゃんと成果を出した。
* * *
御厨アキラは、その公開資料を配信で読んでいた。
「ほら、普通にあっちでもレベルアップするんじゃん」
『ちょっと残念』
「なんでだよ」
『日本だけの裏技じゃなかったのかよ』
『ベータテスターにはせめてなんか得点くれよ』
「ベータテスターだけレベルアップするゲームとか誰が遊ぶんだよ。てか仕様なら誰でも使えた方がいい。データが増えr……ゲフンゲフン、ゲームじゃないんだからみんながレベルアップしてモンスターと対抗できるようにしないと尊い命が儚くなるだろうが!」
アキラがかなり無理のある論理展開をしたため、コメント欄では『手のひらクルックルw』『拳ドリル』等といじられている。
アキラはそんなコメント欄を無視しながら、比較表に新しい国のデータを追加した。日本側の報告だけでは曖昧だった条件が、また一つ検証しやすくなる。
「むしろこれで比較しやすくなった」
『これだから検証厨は』
『その検証厨のおかげで日本はなんとかなってんだから感謝しろ』
『やっぱり検証目線』
「他に何目線があるんだよ」
そんなんいろんな目線があるに決まっているが、アキラには検証目線しか見えていないのだった。
* * *
その日の夕方、ある国のダンジョン管理局では別の問題が見えていた。
管理画面には、地点名、危険度、最終討伐日、次回予定日、担当部隊が一行ずつ並んでいる。画面を下へ送っても終わらず、さらに送ってもまだ続いた。
「……育成は順調です」
担当官が報告する。
「問題は?」
「人は育っています。ただ、今いる部隊だけでは、既存の管理地点を必要な頻度で巡回しきれません」
上司は埋まり始めた巡回表を見つめた。
「つまり?」
「回る場所が、多すぎます」