日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
国家ダンジョン対策本部の会議室で、大統領は一枚の表を見つめていた。
第十四地点で起きた局地的ブレイクを受け、低危険度ダンジョンも含めて巡回間隔を見直した試算である。確定した安全周期が見つかったわけではない。未調査区域も個体ごとの差も多く、研究側はまだ『討伐の空白期間が影響する可能性』を調べている段階だった。
それでも、同様の事故を減らすために安全側へ寄せた計画を組む必要はある。
「現時点の暫定案では、既存の管理地点を回るだけで必要人員が約三割不足します」
対策本部の責任者が告げた。
「……増えたのはダンジョンじゃなくて、必要な人間か」
「そのとおりです」
「それは困るな」
大統領は何度か表をスクロールした。どの行にも必要な数字があり、どの行からも人員が湧いてこない。
「軍を増員すれば?」
「一部は補えます。ただ、他の警備や任務から引き抜くことになります」
「警察は」
「同じです。通常の治安維持も止められません」
「消防は?」
「火事がなくなったわけではありません」
「……だろうな」
魔物が出る世界になったからといって、泥棒も火事も台風も、律儀に引退してくれるわけではない。
国家としては迷惑な話だった。ダンジョン側に担当省庁があれば、苦情の一通でも送りたいところである。
* * *
「日本はどうしている?」
大統領の問いに、対策本部の責任者が別の資料を表示した。
『民間探索者による日常的な入場』
『自治体ごとの予約・登録制度』
『魔石・素材の民間取引』
日本の公開資料をまとめたものだった。
「民間人も入るのか」
「はい。地域によって運用は異なりますが、一般探索者、認定業者、大学、企業などが活動しています」
「危険なのに?」
「危険です。事故も起きています」
「それを許可している?」
「許可条件や制限が地域ごとに異なります。初期の制度が統一されなかった経緯もあります」
大統領は眉間を押さえた。
日本が五か月のあいだ、世界から『悪い見本』と呼ばれてきた理由である。統一された安全基準もないまま危険区域へ一般人が入る。初めて報道で見たときは、他国の話だからと驚いて済ませられた。
「では、こちらも入場を許可すればいいのでは?」
補佐官の一人が提案した。
答えたのは、法務担当だった。
「誰に、どの条件で許可するのですか?」
「訓練を受けた希望者から……」
「訓練の基準は? 事故で負傷したら誰が補償する? 装備、年齢、武器の携行、医療体制は? 許可した人が亡くなった場合、国は何を説明する?」
補佐官は黙った。質問のどれも意地悪ではない。実際に一般市民を危険区域へ送り出すなら、決める必要のあることばかりだった。
「では、日本はどうやって決めた?」
大統領が聞く。
責任者は少し考えた。
「……最初からすべてを決めていたわけではないようです」
「なんだと?」
「自治体の対応、民間人の探索、事故、取引、保険などが先に動き、それに制度が追いつこうとしてきました」
大統領は資料の画像をもう一度見た。
ヘルメットをかぶった一般人が、入口の前で整理券を受け取っている。市役所の説明会なのか、人気店の順番待ちなのか、写真だけでは判断がつかなかった。
「これを国家政策として採用するのは無理だろう」
「私もそう思います」
写真の説明欄には『土日の初心者向け入場枠』と書いてあった。
ますます困る。
* * *
結論として、一般市民の無条件の立ち入り禁止は維持された。
一方で、認定された民間事業者や訓練済みの希望者を、危険度の低い地点から段階的に受け入れる制度の設計が始まった。軍・警察の増員、装備基準、保険、公的補償、医療支援も同時に検討する。
何も決めなかったわけではない。できることから決めていた。
ただし、人を育てるには時間がかかる。
「第十四地点のようなことが、明日起きたら?」
大統領が尋ねた。
「現有戦力で対応します。待機部隊と避難計画を重点地点へ配置し直します」
「それで全部を守れるか?」
「全部は、保証できません」
答えは誠実だった。だからこそ、会議室の空気は軽くならなかった。
研究側も、次にどの間隔で討伐すれば絶対に安全なのか、まだ示せない。ダンジョンを一度掃討しただけで安心できないことは分かっていても、どれだけ頻繁に入る必要があるのかは不明だった。
* * *
その日の記者会見で、大統領は方針を説明した。
『対ダンジョン要員の増員と、一定の訓練を受けた民間人の限定的な活動制度について、準備を進めています』
記者が手を挙げる。
『一般市民の立ち入り禁止は解除されますか?』
『現時点では、解除しません』
『日本のような方式へ転換する考えは?』
『日本の経験から学ぶ点は多い。しかし、過去の混乱まで再現する必要はありません』
まともな回答だった。
会見を見ていた日本のネット民も、だいたい同意していた。
『まあ危ないしな』
『正論』
『日本も最初からそれやればよかったのでは』
『それができてたら今ごろうちの近所にダンジョン弁当屋はない』
どこで話が弁当屋になったのかは不明だが、そういう店が存在するのが今の日本だった。
* * *
対策本部の会議室では、会見用の説明資料とは別に、翌週の巡回表が開かれていた。
民間活動制度は準備中。無許可の一般市民は、これからも入れない。それは住民の安全を守るために必要な判断だった。
しかし、制度ができるまでの間も、魔物は定期的に現れる。
管理対象のダンジョンは昨日と同じ数だ。まだ増えていない。それなのに、巡回表には今日も人が足りなかった。
入口には『立入禁止』の看板。管理局の予定表には、空欄。
どちらも、今すぐ簡単には消せなかった。