日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
第十四地点で魔物を制圧してから五日。ネイサン・ウォーカー大尉が現場へ戻ると、壊れた柵よりも、道路脇に停まった配送トラックの方が目立っていた。
「……今度はトラックがブレイクしたのか?」
「いいえ。まだ入れない倉庫への納品待ちです」
隣でタブレットを操作していたサラ・ミラーが、いつもの調子で答えた。州緊急対策局から派遣された彼女とは、世界にダンジョンが現れた初日からの付き合いになる。五か月分の日本の事例を読んでいた二人も、まさか魔物を倒した後に配送業者の予定表まで確認するとは思っていなかった。
第十四地点のブレイクは、戦闘そのものなら成功だった。
警報から十一分で州兵が現着し、約三十分で流出した魔物を制圧。死者はゼロ。負傷した隊員は三名で、そのうち一名が病院へ搬送された。
公表された数字だけなら、十分に誇れる結果である。
ただし、魔物を倒したことと、周辺が安全になったことは同じではない。
現場には新しい柵と仮設の監視設備が増設され、内側では調査班が破損箇所を記録していた。問題は、あのオークがどこから現れたのか、まだ分かっていないことだ。確認済みの通路を掃討しても、未調査の奥に何がいるかまでは保証できない。
「東側の道路は今朝から再開しました。倉庫のある区画も、一部は従業員の立ち入りを認めています。ただ、入口に近い建物は引き続き待機です」
「いつまで?」
「安全確認が終わるまで、としか」
「住民には?」
「毎日十八時に状況を説明しています。解除の条件も伝えていますが、日時は約束していません」
ウォーカーは柵の向こうを見た。そこにあるのは、石造りの階段を除けば何の変哲もない郊外の物流地区だった。魔物の出現に備えて造られた街ではないのだから、当たり前である。
封鎖した道路は、もともと倉庫と幹線道路を結ぶ近道だった。迂回路はあるが、大型車両が通れる道は限られている。荷物を別の施設へ移すにも、倉庫の中へ立ち入れなければ始まらない。
「搬入できないだけなら、まだましです」
サラが指した先では、作業服の男性が警察官に何かを訴えていた。
「中の在庫を出せない会社もあります。従業員を帰宅させたところは、いつ仕事を再開できるのか分からないそうで」
その男性がウォーカーたちに気づき、こちらへ歩いてきた。
「軍の人か? ここ、もう魔物はいないんだろ?」
「柵の外へ出た個体は制圧した。だが、中の安全確認はまだだ」
「うちの会社、今週ずっと止まってるんだよ! 四十人が出勤できない。明日から給料をどうするかって話になってる」
男性の声は荒かったが、ウォーカーに掴みかかるような様子はなかった。何日も同じ説明を聞かされ、そのたびに生活の見通しが遠ざかっていけば、声の一つも大きくなるだろう。
サラが一歩前へ出た。
「会社名と倉庫番号を教えてください。区画ごとの再開順を確認します。立ち入り可能になった場所から、荷物の搬出を優先できるよう調整中です」
「いつになる?」
「まだ確約はできません。ただ、申請窓口を回るたびに説明し直す必要はなくします。こちらで担当を引き継ぎます」
男性は不満そうに口を開きかけたが、結局、胸ポケットから社員証を取り出した。
ウォーカーは何も言わなかった。オークなら撃てば止まる。納品期限は撃っても止まらない。
* * *
現場を離れる前、ウォーカーは部下の容体を確かめるため病院へ連絡を入れた。
搬送された隊員の回復は順調らしい。ただ、本人が休養の必要性をどの程度理解しているかは怪しかった。
『大尉、来週の巡回がまだ空いてますね』
「病室から勤務表を見るな」
『端末が手元にあったんで』
「使い道が間違ってる。医者がいいと言うまで、お前の担当は休むことだ」
『了解です』
返事だけは立派だった。まだ彼のアカウントはオンラインになっている。
通話を切ってから、ウォーカーはしばらく端末を見つめた。あの日の負傷は三名で済んだ。だが次も同じ人数で済む保証はないし、負傷者が復帰するまでの間、別の誰かが巡回を代わる必要がある。
昨日の対策会議では、既存の管理地点を安全側の暫定案どおりに回るだけで、必要人員がおよそ三割足りないと試算されたそうだ。
そこへ今度は、避難区域の警戒と復旧支援が加わっている。
「部隊の増員要請は?」
サラの問いに、ウォーカーは肩をすくめた。
「出した。優先順位も付けてな」
「結果は?」
「魔物が出る前から、人間の仕事がなくなったわけじゃないそうだ」
警察も消防も、通常の任務を止めるわけにはいかない。州兵だって同じである。どこかへ人を送れば、別のどこかから人が減る。
分かっている。上層部の判断が間違っているわけでもない。
それでも、目の前の柵の内側を確認する人間が足りないのは事実だった。
* * *
日本では、御厨アキラがその第十四地点のニュースを見ていた。
画面には、壊れた柵と立ち入り規制の映像が映っている。戦闘が終わった後の映像なのに、現地の住民はまだ帰れないらしい。インタビューに答える倉庫の従業員が、再開予定を尋ねられて首を振っていた。
「……きついな、これ」
死者が出なかったのは本当によかった。それでも、事故が終わったと言える状況ではなさそうだった。
アキラはニュースの配信ページを閉じず、別のタブで州の公開発表と研究機関の資料を開いた。英語で書かれた報告書をそのまま読み込み、確認済みの数字だけを手元の表へ写していく。
魔物流出の確認時刻。討伐開始時刻。公表された討伐個体数。確認された種別。負傷者数。
そこで指が止まった。
「……で、残りは何体なんだ?」
公表映像から確認できるのは、内側の柵を越えて封鎖区画へ出た個体と、その周辺での戦闘が中心だった。奥の探索映像がないからといって、奥に魔物がいないことにはならない。
いや、あるかどうかすら分からない。
先日、研究主任たちと比較した「最後に討伐してから何日空いたか」という条件とは、別の問題である。六日間で個体が増えた可能性もあれば、未調査の奥から移動してきただけかもしれない。その区別を付ける情報が足りなかった。
アキラは表へ新しい列を足した。
『確認できた討伐数』
その右隣に、
『未調査区域の個体数──不明』
自分で入力しておいて、少し嫌な気分になった。
何しろ、この「不明」が大きいほど現地の人は帰れない。単なる空欄では済まない数字なのだ。
そのとき、母が部屋の外から声をかけた。
「アキラ、庭の管理団体から連絡来てたよ。土曜の入場枠、時間が変わるって」
「あ、了解。後で確認する」
「あと、玄関の荷物どかしといて。明日、防衛装備の点検で人が来るから」
「……うち、普通の家だったよな?」
「庭にダンジョンできる前はね」
言い返す余地がなかった。
自宅の庭では、明日の点検と週末の入場予約を予定どおり進めている。遠くの国では、一度ブレイクしたダンジョンの近くへ、まだ帰れない人がいる。
同じものを相手にしているのに、ずいぶん違う。
アキラはWikiの事故記録ページを開き、公式発表へのリンクを追記した。討伐頻度とブレイクの関係は引き続き仮説扱いのまま、別枠で「未調査区域の規模と残存個体数」を項目に追加する。
『残存個体数:不明』
『流出個体の制圧を確認。内部全域の安全確認とは別』
『※未公開情報を推測で補わないこと』
書き終えたところで、ふと国内の地域別マップが目に入った。
日本の入口については、自治体資料や探索者からの報告がずいぶん集まっている。しかし海外については、まだ国ごとの記事を追っているだけだった。
事故の場所、発見された日、最後に誰かが入った日。こういう情報は、あとから比較できる形にしておいた方がいい。
アキラは海外資料用のフォルダを作り、第十四地点の発表資料を入れた。
地図に並べるのは、もう少し情報が集まってからだ。
* * *
第十四地点の仮設指揮所では、ウォーカーが翌日の警戒配置を確認していた。
サラが入ってきたのは、ちょうどそのときだった。
「大尉。別の地区から連絡です」
「また道路の通行許可か?」
「いいえ。新しい入口が発見されました」
ウォーカーは端末から顔を上げた。
「……今あるやつの安全確認も終わってないんだが」
「現地の警察が周辺を封鎖しています。今のところ魔物流出は確認されていません」
サラが差し出した画面には、郊外の道路脇に現れた石造りの階段が映っていた。昨夜の道路管理カメラには、そこに何もないことまで確認されているという。
ウォーカーは写真と、その下に並んだ暫定警備計画を見比べた。
第十四地点の安全確認。既存地点の巡回。住民の避難支援。
どれも、まだ終わっていない。
「……おいおい、勘弁してくれ。今度はダンジョンが増えたっていうのか」
サラは頷いた。
「はい。それと、必要な人員もです」
冗談なら、もう少し笑えるものにしてほしかった。