日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
新しいダンジョン入口が見つかった翌朝、ネイサン・ウォーカー大尉が最初に見たのは、魔物ではなく車列だった。
「……この渋滞、どこまで続いてる?」
「高速道路の入口から、少なくとも五キロ。現在も延びています」
サラ・ミラーはタブレットを差し出した。道路情報の画面には赤い線が並び、その赤い線の周囲を別の色の警戒区域が囲んでいる。
「新しい入口は封鎖したんだろ?」
「昨夜のうちに。現時点で外部への魔物流出は確認されていません」
「だったら、なんで全員逃げようとしてるんだ?」
サラが次の画面を開く。
『第十四地点の悪夢が再び!』
『州北部のダンジョン、まもなく決壊か』
『当局が大規模避難を隠しているとの情報』
最後の投稿には、警察車両と逃げる住民の映像が添えられていた。ただし警察車両は新入口への警戒配置、住民の映像は別の道路で撮られたものだった。
「避難指示は出してないんだよな?」
「新入口の直近には立入規制を出しました。周辺地区には自宅待機と情報確認を呼びかけています。自主避難を禁止してはいません」
「なのに、大規模避難を隠してることになったのか」
「隠せるほど余裕があるなら、私も少し休みたいです」
サラの声はいつも通りだったが、目の下にはうっすら隈ができていた。
五か月間、アメリカは日本の混乱を観察してきた。封鎖の手順も、避難計画も、役割分担も準備した。第十四地点の局地ブレイクだって、一般市民に死者を出さず制圧している。
それでも、目の前の車を一台ずつ動かす方法までは、マニュアルに書けなかった。
* * *
午前のうちに、状況はさらに悪くなった。
新入口が見つかった地区では、早めに逃げておこうとした家庭が一斉に車を出した。子どもを学校へ迎えに行く車、家族を乗せた車、買い物袋を後部座席へ積んだ車が、同じ二車線の道路へ集まる。
州警察は幹線道路への流入を絞り、消防と救急は緊急車両用の経路を確保した。サラの緊急対策局も、避難所を開く地区と交通規制をかける地区の連絡を取り続けている。
どれも、混乱を抑えるために必要な対応だった。
ただ、通れない道の前で何時間も待たされた人には、それが自分を閉じ込めるための規制に見えることがある。
「ここを通せ! 家族が向こうにいるんだ!」
迂回路の入口で、男性が警察官に詰め寄っていた。
「この先は緊急車両の通行を確保しています。一般車両は南側の――」
「南側も動いてないだろ! ニュースを見ろよ、あっちにも魔物が出たんだ!」
「その情報は確認されていません」
「じゃあ確認してくれ!」
その要求自体はもっともだった。
しかし後続の車がクラクションを鳴らし始めると、別の運転手が車を降り、さらに何人かが声を上げた。なかには規制用の柵を動かそうとする者もいる。
警察官が制止し、押し合いになったところでサラの端末が鳴った。
『南側の規制地点で衝突。負傷者が出る可能性あり。応援を要請』
彼女は位置情報を確かめ、州の指揮所へ連絡を回した。
「警察の増援は?」
『他の交差点と避難所対応に出ています。州兵の支援班を一つ回せるか確認中です』
州兵は本来、対魔物だけの組織ではない。州の指揮系統で災害対応や交通の支援にも投入される。だから必要な場所へ送り込む判断は、何もおかしくない。
ウォーカーの端末から、担当可能な隊員の表示が三つ消えた。
「こっちの即応班からも人を回すのか」
「州の指揮所から要請が出ています。現在の警戒配置を維持できる人数を確認してください」
「分かった。人を貸すのはいい。だがダンジョンが空気を読んでくれる保証はないぞ」
「先方にも、そのまま伝えておきます」
「いや、それは言い方を考えてくれ」
少しだけ笑いかけたウォーカーだったが、無線から割り込んだ別の声に顔を上げた。
『大尉、北の避難所で物資が不足しています。現場の警備を増やせないかと』
避難所へ来る人が増えたからといって、食料が勝手に補充されるわけではない。大半の住民は順番を守っているが、乳児用のミルクや薬が足りないと聞けば、不安も募る。
魔物は一体も出ていない。
それなのに現場で必要な仕事だけが、どんどん増えていた。
* * *
同じ頃、日本では別の種類の混雑が話題になっていた。
『今週の初心者枠、全滅』
『抽選倍率おかしくない?』
『昼間に働いてる人間にも入らせてくれ』
『平日に休めばいいじゃん』
『そのために仕事辞めろってか』
御厨アキラはコメントを眺め、ため息をついた。
「だからうちの庭に枠を増やせって言われても、点検と管理側の人員が先なんだって」
『なお本人は好きなときに入れる』
『土地所有者特権』
そのコメントをみてアキラは眉間にシワを寄せた。
「いや、俺も予約してるからね!しかも抽選外れることあるからね!俺んちの庭なのに」
『草』
『厳正なる抽選の結果』
『アキラんちの庭っていうけど庭の部分どこ?』
「あるだろ。玄関から入口まで、ちゃんと土のところが」
『それは通路』
『アキラ母の元園芸場所』
『もうちょい園芸しろ』
母から聞かされた防衛装備の点検予定を確認すると、土曜の入場時間が一部変更されていた。変更通知をWikiの関連ページへ載せてから、アキラは海外のニュースに戻った。
新しく発見された入口の近くで、逃げる車が道路を埋めている。
「……こっちは出たくて渋滞、うちは入りたくて抽選か」
『日本側が変なのは分かる』
『いや海外も怖いだろ、こないだダンジョンブレイクしたばっかだし』
『てかブレイクとかあるんやな』
『車動かなかったら避難できんやん』
「そうなんだよな……」
アキラは昨夜の投稿と、州の公式発表を別々に開いた。
報道では「新たな入口」としか書いていない。SNSには座標付きの画像もあるが、入口を直接撮影したのか、単に規制線を撮っただけなのかも混ざっている。
道路標識や周囲の建物を見れば、大まかな地区は絞れる。実際、何枚かの写真を並べると、公式が示した規制地域と一致した。
「確認できたのは地区まで。中に何がいるかも不明。で、これ、撮影時刻と投稿時刻が違うんだよな」
『さすが特定厨』
『公開すんなよ』
「分かってるって。道路封鎖の内側を見物に行く奴が増えたら、余計迷惑だろ」
写真の撮影時刻が判別できるものだけを手元の表へ移し、公式の発見発表時刻と並べる。
入口が現れた時刻と、誰かが見つけた時刻は違う。
そこを混ぜると、新規発生の検証には使えない。しかも報道されるまでの遅れは、国によっても地域によっても変わるはずだった。
「ちょっとこれ、海外の地点をまとめて見た方がよさそうだな……」
『また表が増える』
『飯食ってからやれ』
いつの間にか夕食の時間が近づいていた。
それでも一行だけ、とアキラは新しいシートを作った。
その「一行だけ」が一行で終わったことは、あまりない。
* * *
現地時刻十八時過ぎ。
州警察は衝突のあった道路の交通を少しずつ整理し、避難所にも追加の物資が届き始めていた。サラはようやく一つ目の報告書を閉じたところだった。
「少なくとも、新入口から魔物は出ていないんだな?」
「はい。警戒部隊からも流出の報告はありません」
ウォーカーは胸をなで下ろした。
そのとき、別系統の無線が鳴った。
『州ダンジョン管理局から緊急連絡。第九地点、封鎖区域外への魔物流出を確認。繰り返す、第九地点で局地ブレイク発生』
「第九地点?」
ウォーカーは地図を開いた。昨夜見つかった新入口とは、まったく別の場所である。以前から管理されているダンジョンで、予定された巡回も実施していたはずだった。
ただし、そこへ向かう幹線道路の一部は、まだ避難車両で埋まっている。
「即応班を出す。今使える人数は?」
隊員名簿に目を落としたウォーカーは、返事を待たずに額を押さえた。
数時間前までは埋まっていた欄に、道路警備と避難所支援の表示が増えていた。
「……勘弁してくれ。まさか本当に、空気を読まないとはな」
魔物の方には、もちろん聞こえていない。