日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
州ダンジョン第九地点で魔物が流出したという通報を受けて、ネイサン・ウォーカー大尉はまず道路地図を開いた。
いつもなら第十四地点から二十分ほどで着く。少なくとも、そういう前提で即応計画が作られていた。
ところが今日は、その道が真っ赤だった。
「高速の北行きが詰まってる。州道の迂回路は?」
『避難車両が集中しています。警察が緊急車線を確保中ですが、すぐに全線を空けるのは難しい状況です』
無線の向こうでサラ・ミラーが答えた。
「車両は二組に分ける。先行班は南側から現場へ。重装備と救護班は警察の誘導に従って後追いだ」
『了解。現場周辺の避難は地元警察が開始しています』
ウォーカーは残った隊員の顔を見た。
昨日までの訓練では、距離を詰めるタイミングも、射線を取る位置もずいぶん改善した。LEVELを上げるために無茶をする必要はなくなり、低LEVELの隊員も確実に育ち始めている。
だが、それは現場に到着してからの話である。
道路警備や避難所支援へ出ている隊員を、その場で消してこちらに増やすことはできない。
「いいか。敵を倒すことだけ考えるな。民間人が残っているなら、まず退路を作る。いつも通りだ」
『大尉、我々はいつも通りの人数じゃありませんが』
「知ってる。だから、いつも以上に無理はするな」
返事が揃ったところで、車両が動き出した。
* * *
第九地点は、住宅地から少し離れた小規模な工業団地にあった。
入口は二重の柵で囲まれ、監視カメラと警備員が常駐している。定期的な内部巡回も行われていた。一般人を入れない封鎖措置が、これまで無駄だったわけではない。
実際、最初に魔物が現れたときも、警備員はすぐに通報した。
地元警察も対応を始めた。周辺道路を閉鎖し、工場の従業員を敷地外へ誘導。すでに到着した消防の救急隊は、負傷者が出た場合に備えて待機していた。
問題は、出てきた魔物の数だった。
『小型人型種を確認。二体、四体……まだ続いています』
監視映像の中で、
ここまでは手順書どおりだった。
『外周柵の一部が破損。六体が警戒区域外へ移動』
「民間人の位置は?」
『工業団地の西側に数人。退避誘導中です。南の資材置場で、取り残された作業員がいるという通報が……』
ウォーカーは端末の地図を拡大した。
外へ出た魔物は、広い道路を真っすぐ歩いてくれるわけではない。建物の陰、資材の隙間、駐車場の車列。射撃の前に確認しなければならない場所が多すぎた。
そこへ、サラから連絡が入った。
『先行班の到着予想、あと七分。重装備班はさらに遅れます』
「七分か」
ウォーカーは時計を見た。
第十四地点では、最初の警報から十一分で現着した。今回はすでにそれを超えている。
あの日は運がよかった、とは思いたくなかった。
だが、十一分で着ける配置そのものが、今日も続いている保証はなかったのだ。
* * *
先行班が工業団地へ入ったとき、南側の資材置場では二人の作業員が動けなくなっていた。
一人は足を負傷し、もう一人が肩を貸している。近くには倒れた台車があり、その向こうから小型種が一体、金属を引きずる音を立てて近づいていた。
『こちら第一班。民間人二名を確認。救助へ入ります』
「前へ出すのは盾役まで。後方の道路に人がいないか確認しろ」
『確認済み。射線、取れます』
数発の銃声のあと、小型種は動かなくなった。隊員が負傷者を安全な場所へ運び、救急班へ引き渡す。
別の班も合流し、柵の周囲へ残った個体を押し戻し始めた。
戦闘は進んでいる。少なくとも、魔物を倒せることに疑いはなかった。
だからこそ、次の報告が重かった。
『西側の駐車場で民間人三名を発見。うち一名、意識なし。救急隊が確認に向かっています』
ウォーカーの手が、無線機の上で止まった。
「生存者の退避を優先しろ。建物の間にまだいる可能性がある。捜索班を単独で出すな」
命令すると、隊員たちは予定していた手順を組み替えた。負傷者のいる場所と魔物の動線を分け、残る小型種を少しずつ封じ込めていく。
途中、倉庫の裏から飛び出した個体に隊員が転倒させられたが、後方の援護が間に合った。防護盾の内側へ引き込まれ、重傷には至らない。
増援が到着した頃には、残った魔物の行動範囲はほぼ絞り込めていた。
数十分後、流出個体の制圧が確認された。
指揮所へ戻ったウォーカーは、最初に負傷者の一覧を求めた。
「民間人は?」
医療担当者が一度、言葉を選んだ。
「四名が搬送されました。三名は治療中です。駐車場で見つかった一名は、死亡が確認されました」
ウォーカーは端末を受け取った。
亡くなったのは、仕事を終えて帰ろうとしていた工場の従業員だった。流出警報のあと、他の従業員を車へ誘導していたという。
別に、魔物と戦おうとしたわけではない。
避難しようとしていたのだ。
「……そうか」
それ以上、すぐには言葉が出なかった。
第十四地点では死者が出なかった。今日も同じように守れるはずだと思っていたわけではないが、心のどこかで、あの結果を基準にしていたのかもしれない。
銃もあった。盾もあった。訓練した隊員もいた。
ただ、必要なときにそこへ届かなかった。
* * *
「事故の原因を『避難車両のせい』にはしたくない」
ウォーカーがそう言うと、サラはすぐに頷いた。
「私もです」
臨時の合同指揮所には、警察、消防、州の管理局、州兵の担当者が集まっていた。画面には第九地点の出動記録と、その時刻の道路状況が重ねられている。
サラは、州警察が道路規制を始めた時点の記録を指した。
「規制しなければ、別の地域で救急車が動けなくなっていた可能性があります。避難所も、開設を遅らせれば収容できない住民が出たでしょう」
「分かってる。誰かが怠けていたわけじゃない」
ウォーカーは第九地点の到着時刻を開いた。
「ここへ回せる即応班がもう一つあれば、初動は違ったかもしれない。だが、その一班をどこから持ってくる?」
返事はなかった。
州警察は避難路を守り、消防は住民を救い、州兵は複数のダンジョンを警戒していた。全員が自分の持ち場で必要なことをしていた。
それでも一人が死んだ。
ウォーカーが前日に提出した増員要請の欄には、まだ「調整中」と表示されている。
「昨日、中央の会議では民間人の訓練制度を作るって話をしてたな」
「はい。準備が進んでいます」
「いいことだ。急いでほしい」
サラは端末へ視線を落とした。
「ただ、訓練には時間がかかります」
「そうだな」
分かっていることばかりだった。
その日のうちに、別の州では既存ダンジョンの監視強化が発表され、さらに別の地域からは新入口の確認情報が入った。世界中の研究機関が報告を集めているが、発生日と発見日が一致しているかさえ分からない地点もある。
ウォーカーの端末には、各地の連絡が次々と並んでいく。
誰が、どのダンジョンを見張り、いつ最後に中へ入ったのか。
それを一枚にまとめた正確な表が欲しかった。
その表を作る人間にまで、今は人手が足りないのだった。