日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
米国で初めて認定民間探索企業がダンジョンへ出動する日、現場責任者が最初に確認したのは、弾薬でも防護盾でもなかった。
「全員、保険の加入確認は?」
「済んでます」
「救急班は?」
「入口の外で待機中です」
「経理は?」
「なぜ私まで点呼するんですか」
最後に返事をした女性は、会計担当だった。現場に出る予定はないのだが、会社の代表に「初陣なんだから見に来てくれ」と連れてこられている。
「何かあったとき、費用が分からないと困るだろ」
「ダンジョンの中のものの値段も勘定科目も私にはわかりかねますが」
正論だった。
民間探索事業を立ち上げたのは、もともと危険区域での警備や設備点検を請け負っていた企業だ。経験者を集め、軍の公開手順と州の認定基準に合わせて訓練を重ね、ようやく限定的な討伐業務の許可を取った。
今回の現場は、郊外の小型ダンジョン。最近の調査で小型人型種の存在が確認されており、危険度の低い区画だけを対象にした掃討契約である。
「予定外の大型種がいたら?」
「撤退。任務中止を報告」
「調子がよくて奥へ進めそうなら?」
「撤退。契約範囲外です」
「いい答えだ」
班長は満足した。契約書を読まない警備員に、会社の命運を任せるわけにはいかない。
* * *
入口の前にはウォーカー大尉が立ち会っていた。州兵が作戦を指揮するわけではない。今回は民間側の認定手順と現場連携を確認する役目である。
「気分はどうだ?」
彼に尋ねられた班長は、防護面を下ろしながら答えた。
「実戦は初めてじゃありません。ただ、相手が契約違反を起こしても訴えられないのが困りますね」
「俺も何回か苦情を出したが、まだ一体も返事をくれない」
軽口はそこで終わり、班長は部下へ合図した。
先頭の盾役が通路へ入り、後方の隊員は射線と退路を確認する。小型無人機で確認できた区画を越えず、二人一組の配置も崩さない。
最初の接敵は曲がり角だった。
『小型人型種、三。右側の岩陰に一体』
「了解。二班は後ろへ回るな。正面で受ける」
班長の指示と同時に、一体が通路から飛び出した。盾にぶつかった衝撃が通信越しに聞こえ、後方から短い射撃音が続く。
現れた魔物は三体とも倒れた。
「負傷は?」
『なし』
「前方確認。奥は追うな」
少し先で、もう二体を確認した。片方は警戒するように岩陰へ隠れ、もう片方は仲間の死体へ向かって走り出す。
予定外の動きだったが、班長は焦らなかった。
「待て。追い込むな。こちらの退路は確保できてる」
日本の初期映像では、人間が魔物を追いかけて奥へ入り、そのまま迷う事故が何件も起きていた。今回は追いかける必要がない。指定区画で討伐し、記録を残して帰れば契約を果たせる。
結局、五体目を倒したところで部隊は予定どおり引き返した。
ほかに未確認の個体がいる可能性は残る。だから翌日の監視も、次回の巡回もなくならない。
それでも今日、認められた区画の掃討を、認定された民間チームだけで完了できた。
* * *
「全員帰還。負傷者なし。予定区画の掃討完了」
報告を聞いた会社の代表は、拳を握った。
「よしっ!」
その声に班長までつられて笑った。顔を見合わせた隊員たちも、ようやく肩の力を抜く。
横で確認していたウォーカーも頷いた。
「いい仕事だった。明日から俺たちの担当が一つ減るなら、なおいい」
「完全になくなるわけじゃありませんよ」
班長が言った。
「分かってる。それでも減る。そこが重要だ」
軍だけで抱え込まなくても、同じ安全手順で魔物を処理できる人間がいる。
少し前までなら、その事実だけで報告書が何ページにもなっただろう。今日は一枚の完了報告に、ちゃんとした実績として書ける。
なお、喜びのあまり二回目の出動を提案した代表は、会計担当にその場で止められた。
「今日の追加出動は許可されていません」
「分かってる。気持ちの話だよ」
「気持ちは決算書に入りません」
「なあ、もうちょっと喜んでくれてもいいだろ」
「私も嬉しいです。だから次も成功してほしいんです」
彼女はそう言って、初めて笑った。
* * *
帰社後、代表の机には次の契約案が置かれていた。
今回の収入は、州との掃討契約と回収が認められた魔石・素材の売却分。そこから訓練費、装備の維持費、救護体制、保険、輸送費を引いても、見込んだ範囲の利益が残る。
「やったじゃないか。これなら増やせる」
「この地点なら、です」
会計担当が画面を切り替えた。
会社の拠点から近い。救急搬送先がある。魔石の買取先も車で運べる距離。今回の成功には、戦闘以外の条件も揃っていた。
「別の州から依頼が来ましたよ。同じ条件でお願いしたいそうです」
「いい話だろ?」
「片道六時間です」
「……」
「現地に隊員を泊めますか? 救護車両も運びますか? 契約金は今回と同額だそうです」
代表は椅子に沈み込んだ。
「安く請けて喜ばれるのも、ほどほどにしないとな」
「そこは私も同意します」
目の前のダンジョンでは、民間参加は確かに成功した。
ただし、ダンジョンの方から会社の近所へ引っ越してきてくれるわけではない。