日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
午後七時の国際ニュースは、日本の穴を「ダンジョン」と呼ばなかった。
少なくとも、最初の三十分は。
『日本各地に出現した原因不明の地下構造物について、各国政府は自国民に対し、周辺へ近づかないよう注意を呼びかけています』
画面には、駅前を封鎖する警察官と、その向こうからスマートフォンを向ける群衆が映っている。
次の映像では、空港の出発ロビーが人で埋まっていた。
『一部の国では、日本への渡航警戒レベルを引き上げる動きも出ています』
それは当然の判断だった。
理由不明の穴が全国に出て、その中から未知の生物が出てくる。しかも現時点で発生しているのは日本だけ。
仕事や家族や生活基盤がなければ、わざわざ残る理由はない。
航空会社の予約サイトでは、日本発の便が次々に満席になった。
反対に、日本行きの便は驚くほど安くなった。
SNSでは、その価格差を見た旅行好きが、
『今なら東京往復めっちゃ安い』
と書き込み、
『今行く理由が値段しかないならやめろ』
と総突っ込みを受けていた。
* * *
『英国政府、日本滞在中の自国民へ不要不急の移動を控えるよう勧告』
『複数の外資系企業、日本勤務者の一時退避を開始』
『在日大使館、臨時窓口を設置』
ニュースは淡々と続く。
空港では、小さな子どもの手を引いた家族がチェックインカウンターへ並んでいた。
記者がマイクを向ける。
「帰国を決めた理由は?」
「子どもがいるので。何が起きているか分からないし。危険だわ」
正しい。
別の男性は、帰らないと言った。
「妻が日本人ですし、家も仕事もここなので。今すぐ国外へ出る予定はありません」
それも正しい。
「ダンジョンが気になるから残る」という人までいた。
それについては、正しいかどうかはかなり怪しい。
ただし、日本人自身がすでに中へ入り始めている以上、あまり強くは言えなかった。
* * *
海外のニュース番組では、専門家が日本政府の対応を論評していた。
『まず必要なのは、危険区域への立入禁止です。未知の生物が確認されている以上、一般市民が自由に接近できる状況は好ましくありません』
もっともである。
『軍や警察など、訓練された組織による統制が必要でしょう』
それももっともである。
画面の隅では、日本の大学生らしき若者が穴の前でピースで自撮りしていた。
説得力があった。
* * *
同じころ、日本では官房長官の会見が始まっていた。
「全国で確認されております地下構造物につきましては、現在、関係省庁および地方自治体と連携し、情報収集と安全確保に努めております」
記者が手を挙げる。
「立入禁止など、全国一律の規制を行う考えはありますか」
「現時点では、それぞれの構造物の性質や危険性について不明な点が多く、専門的知見を踏まえながら、必要な対応を検討してまいります」
「自衛隊を投入する予定は?」
「それも含めまして、現在検討中です」
「海外では日本政府の初動が遅いとの批判もありますが」
「まずは国民の安全を最優先に──」
会見を見ていた誰かが、SNSへ切り抜きを上げた。
タイトルは、
『【会議は】政府、ダンジョンについて検討中【踊るよ】』
この時点ではまだ、公式にはダンジョンという呼称が正式に定められていたわけではない。
だが世間ではもう、その呼び名で定着していた。
そしてその夜。
『成田→パリ 満席』
『羽田→ロンドン 満席』
『関空→ソウル ほぼ満席』
という投稿の下に、一枚の写真が付いた。
国内線の手荷物検査場だった。
作業用ヘルメットを抱えた若者が、長い列に並んでいる。
投稿文は一行。
『実家近くにダンジョンできたらしい!行ってみたいので帰省します』
自国民を素早く退避させ、危険区域を封鎖していく海外。
対して日本は、まだ何をどこまで規制するのかさえ決まっていなかった。それどころか、めちゃくちゃ脳天気な奴らまで発生していた。
この日、両者の初動の差は誰の目にも明らかだった。
そして、その差がこの先も形を変えながら何度も繰り返されることを、この時点ではまだ誰も知らなかった。