日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
警報が鳴ったとき、最初に動いたのは軍人ではなかった。
「避難路を空けて! そちらの建物には戻らないでください!」
米国東部のある都市近郊。認定民間探索班の隊員が、工場の裏口から出てきた従業員を誘導している。
ダンジョンの警戒区域から、小型人型種が数体流出した。
数週間前なら、探索班が現場にいること自体が珍しかった。今は、定期討伐を請け負う企業が近くに拠点を持ち、警察と避難訓練を重ねている。
『こちら民間第一班。外周に三体確認。住民の退避を優先する。追跡はしない』
『警察から了解。東側道路を封鎖します。州兵到着まで建物側の退路を確保してください』
班長は隊員に合図した。盾役が角を押さえ、後衛が周囲に人がいないことを確認する。魔物が追ってきても、工場側へは通さない。
壁の向こうで何かが倒れる音がして、従業員の一人が振り返った。
「俺の車がまだ中に――」
「車はあとで取りに戻れます。あなたは今、こちらへ」
誘導役の声は落ち着いていた。初めての訓練では魔物を前に足をすくませていた男だったが、今日は避難する人の背中を見ている。
州兵が到着する頃には、従業員は全員、安全区域へ出ていた。残る魔物は警戒班と民間班が分担して制圧し、現場の安全が確認される。
住民の死傷者は、出なかった。
* * *
「よくやった」
現場報告を受けたウォーカー大尉は、訓練時に見知った隊員の顔を確かめた。
「あんた、最初の訓練で盾が重いって文句を言ってただろ」
「今でも重いですよ」
「そりゃよかった。軽く感じるようになってたら装備を疑うところだ」
隊員が笑った。
隊員は盾を脇に抱え直した。何度も訓練で確認した避難路が、今日は本当に役に立ったのだ。
「帰ったら腕が上がらなくなりそうですけどね」
「今日は胸を張って文句を言え」
ウォーカーは笑って答えた。
無線が鳴ったのは、その直後だった。
『別の管理地点から魔物流出。こちらは遠隔地です。警察が住民の避難を開始しました』
ウォーカーは送られてきた地図を開いた。
直線で見れば、それほど離れていない。だが、幹線道路を外れると細い道が続き、途中には長い峠道がある。
「近くの認定班は?」
『ありません。訓練希望者は集まり始めていますが、指導員が次に来るのは来月です』
「来月か。……救護は?」
『郡の救急隊が出ています。ただ、病院までは距離があります』
ウォーカーは地図を拡大した。先ほどの現場から応援を回しても、到着する頃には避難が終わっているかもしれない。
「現地の警察に伝えてくれ。魔物を追うより住民の退避だ。こちらからも応援を出す」
『了解』
朝の成功が嘘になったわけではない。あの民間班がいてくれたことには、心底感謝している。
ただ、今日に限っては、もう一班欲しかった。
遠隔地の警察は、現場への進入を制限し、近隣の住民を避難させていた。
消防も出動していたが、隊員を無理に魔物へ近づけることはしない。建物の中に残った人の所在を確認し、外周の安全な場所に救護拠点を設けた。
その間に、小型種の一体が道路脇の物置を壊して外へ出た。
避難しようとした住民二人が転倒し、うち一人は足を負傷した。駆けつけた警察官が遮蔽物の後ろへ誘導し、後続の魔物が近づけない位置を確保する。
増援が着いたとき、住民の避難はほぼ終わっていた。魔物もその後まもなく制圧された。
救急隊が到着すると、警察官は負傷した住民を担架へ乗せるのを手伝った。足を押さえていたその人は、ほっとしたように息を吐いた。
避難できた人々が建物の外で家族に電話をかける傍ら、救急車が病院へ向けて走り出した。
「モデル地域の初動は良かった。だから成功だと言っていい」
合同の確認会議で、ウォーカーは最初にそう言った。
サラが頷く。
「遠隔地も対応を誤ったわけではありません。警察と消防の避難誘導で、被害の拡大を防いでいます」
「分かってる。今日の問題は、誰かの判断じゃない」
画面には二つの地点が並んでいた。
一方には、認定企業の拠点、訓練済みの民間探索者、救護班、そして短い移動経路がある。もう一方にも避難計画はあるが、訓練を受けるには遠方へ通う必要があり、指導員も病院も限られていた。
「訓練生が集まったからって、明日いきなり現場に出せるわけじゃない。資格を発行するだけでも駄目だ」
「ええ。継続して活動できる拠点が必要です」
サラはモデル地域での訓練費用と、遠隔地へ同じ体制を置くための見積もりを比べていた。指導員を派遣するだけでは足りない。装備の保管場所、継続的な訓練の費用、緊急時に動ける人員も必要になる。
「最初の一班ができるまでが長いですね」
「できたあとも、辞めずに続けてもらわないとな」
ウォーカーは、さっき盾を抱えて笑っていた隊員を思い出した。
「あいつら、ここまで来るのに結構苦労したんだよ。今度会ったら、もう少し褒めてやるか」
「これ、最終討伐記録も重ねた方がいいか」
御厨アキラは配信画面の端で世界ダンジョンマップを操作しながら、各地で公開された活動記録を確認していた。
『またマップ改造してる』
『配信タイトル「ちょっとだけ地図修正」』
『もう二時間経ってるぞ』
「いや、途中で資料見つけたからさ」
『いつもの』
『管理人、今日飯食った?』
『画面の文字ちっさ』
「あ、ごめん。拡大するわ」
アキラは表示倍率を上げ、地図に新しいレイヤーを重ねた。入口の確認日、最終討伐の公開記録、民間探索者の活動報告。それぞれのデータは出典を分けて保存してある。
『おお、見やすい』
『都市部めっちゃ色ついてる』
『地方スカスカじゃね?』
『うちの地元なんもないんだが』
「報告がないだけかもしれないから、そこは注意な。地域によって公表の仕方も違うし、色だけで活動量の差とは決められない」
『こういう地図って見るだけで楽しい』
『わかる』
『色がカレーみたい』
『お前のカレーどうなってんだよ』
「あれ?」
ふと日本の表示へ戻したところで、アキラの手が止まった。
『どうした?』
『カレー食いたくなった?』
「違う。この辺、公開記録がほとんどないな」
画面には山間部が映っていた。近隣の自治体では入口の確認情報や探索記録が公開されているのに、その一帯だけはほぼ空白になっている。
『山しかないじゃん』
『人住んでるの?』
『ダンジョンもないんじゃね』
「それはまだ分からない。入口がないのか、あっても確認されてないのか、単純に記録が公開されてないのか」
『じゃあ現地凸?』
『やめとけw』
「行かないよ。場所も分からないのに何を探すんだよ」
アキラは過去の報道記事と自治体の公開資料を検索した。古い資料には近隣の調査記録があったが、肝心の一帯については確かな情報が見つからない。
『管理人の好きな空白埋めゲーム』
『収集率99%で止まるやつ』
「その例えはやめろ。めっちゃ気になるだろ」
『すでに気になってて草』
「とりあえず『公開確認記録なし』にしておくか」
アキラは地図の凡例を一つ増やした。存在するかどうかも分からないダンジョンに、勝手に危険地点の印を付けるわけにはいかない。
『地図の穴、増えたな』
「データがないって分かっただけでも進歩だろ」
『ポジティブ』
『ところで夕飯は?』
「……あ」
『食ってなくて草』