日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
翌朝。御厨アキラは朝食より先に、昨夜も眺めていた世界ダンジョンマップを開いた。
日本を拡大すると、入口や探索の公開記録を確認できた地点には色が付いている。山の多い地域には白い部分がいくつも残り、その一つが数日前からどうにも気になっていた。
こういう空白を見つけると、アキラは気持ち悪くなる。誰も困っていないのかもしれないが、少なくとも作った本人は困っている。
「別に、そこにダンジョンがあるって話じゃないんだけど……」
気になる。アキラは画面を見つめながら独り言をこぼした。
今の表示は『公開確認記録なし』。『ダンジョンなし』とは違う。自治体の発表が見当たらないのか、見落としたか、そもそも確認されていないのか、どれも分からない。
分からないなら調べればいい。いつもならそれで済むが、今回は机に座ったままでは限界がありそうだった。
自治体の公開資料や過去の報道を遡り、撮影時期を確認できる写真も見た。それでも、その山間部について新しい事実は増えない。Wikiで現地を知る人に公開情報の提供を呼びかけてみても、届いたのは「田舎だからネットがないのでは」という心配と「山はあるぞ」という報告ばかりだった。
山があることは地図で知っている。わざわざ教えてくれた相手には悪いが、そこまでは検証済みだ。
『現地民いないの?』
『人が少なすぎる』
『クマ情報ならある』
『まず人類のスポーン地点を探せ』
「人類のスポーン地点……スポーン条件とかあんの?」
配信でぼやくと、コメント欄は面白がった。
『人類はスポーンしない』
『現地凸すれば』
『前は行かないって言ってたじゃん』
「前に言ったのは、入口の位置も分からないのにダンジョン探しなんかしない、って話。現地で確かめたいのは、道路から見える立入案内とか、公開情報に載ってる標識が今もあるかとか、本当にダンジョンがないのかとか、そういうこと」
『現地で入口見つけたら?』
「近づかずに通報」
『絶対入るやつw』
『その違い、普通の人には分からん』
「俺にとっては大違いなの。『公開記録が見つからない』と『存在しない』を一緒にしたら、地図が嘘つくことになるから」
『つまり地図オタク?』
「今だけね」
もっとも、道路標識を見に何時間もかけて山へ行くという発想も、普通の人にはあまり理解されないだろう。
アキラ自身も、費用対効果には疑問があった。
それでも、よく知らない土地に住む人へ「ちょっと山を見てきてください」と頼むのは違う気がした。危険な調査の募集にしたくもない。現地の公道と案内板だけなら、自分で確かめられる範囲がある。
結局、数日後の予定表に『山間部・公開情報の現地照合』という項目を追加した。観光の欄には、何も書かなかった。
温泉くらい調べておけばよかった、と後から思うことになる。
* * *
「景色はいいんだけどなあ」
山間部へ着いてから、すでに三時間が経っていた。
鉄道とバスを乗り継ぎ、駅の近くで借りた小型車で公道を回る。地図上では近く見える地点も、実際に走ると急な坂と細いカーブばかりで、予定の半分ほどしか進んでいない。
配信を始めたのは、車を駐車可能な場所へ止めてからだ。運転中はカメラを触らないし、細かな現在地が分かる地図も表示しない。私有地や住宅、車のナンバーを映さないよう画角を選んで、道路脇の景色だけを見せた。
誰かに「ここへ来い」と言うための配信ではない。今日は、見えるものと公開資料が一致するか確かめるだけだ。
『本日の配信:山』
『草もあります』
『電波が死にそう』
『管理人の旅行配信珍しい』
「旅行じゃなくて現地確認ね。ダンジョンの入口は探さないし、見つけても近づかない」
『分かってます』
『前振り乙』
『でも山で配信って珍しい』
「俺もこんな配信するとは思ってなかったよ」
道路脇の掲示板には、落石注意と通行止めの案内があった。どちらもダンジョンと関係があるかは分からない。アキラは日付と管理者を確認し、公開されている道路情報と照らし合わせた。
古い案内が残っている場所もあれば、新しく補修された路面もある。
見つかったものは、ごく普通の山道の情報ばかりだった。
『収穫は?』
「通行できる道路が分かったのと、資料の記載が古い場所が一つ」
『地味』
『観光に切り替えろ』
『温泉とかないの?』
「寄れたらね」
つい先ほどまで、アキラは同じことを考えていた。
これ以上進めば、帰りの運転が遅くなる。山道で日が落ちるのは避けたい。未舗装の脇道へ入る理由もない。
安全第一で引き返す。合理的な結論だった。
アキラは車を道路脇の駐車可能なスペースへ止め、配信を続けながら記録を整理した。
「結局、分かったのは公開資料が古い箇所と、通れる道の一部だけ。だからって『何もない山』にはできないよなあ」
アキラはメモに『道路沿いの確認のみ・未調査区画多数』と追記した。空白を埋めたい気持ちは変わらないが、嘘の色を塗る方がよほど嫌だった。
『観光お疲れ』
『成果:山がある』
『今日の晩飯決めよう』
「帰るまでが調査だぞ」
そんなことを言いながら、アキラは車のドアへ手を伸ばした。
そのときだった。
山の向こうで、低い音が響いた。
最初は遠くで雷が鳴ったのかと思った。空は明るいが、それだけで雷ではないとも言えない。続けて、何か巨大なものが地面へぶつかったような、腹の底まで響く衝撃が来た。
アキラは反射的に肩をすくめた。斜面の木々が揺れ、山腹から鳥の群れが一斉に飛び立つ。
さっきまで静かだった山が、いきなり別の場所になってしまったように感じた。
『何の音?』
『工事?』
『地震じゃね』
『おい大丈夫か』
アキラは返事をしなかった。
工事の発破か、落石か、土砂崩れか。まず音がした方向と道路状況を確かめなければ。そう思ったのに、スマートフォンを持つ手がしばらく動かなかった。
頭の中では可能性がいくつも並んでいる。なのに、身体はそれどころではないらしい。冷たい汗が背中を伝い、心臓の音ばかりやけに大きく聞こえた。
ここから何が起きたのかは見えない。ダンジョンと関係があるかどうかさえ、まだ分からない。
それでも、第6感というべきか、身体中を嫌な予感が覆っていた。
「……やばい、かも」
声にした途端、自分でも驚くほど喉が乾いていることに気づいた。