日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
三人が亡くなった。
山間部で発生したダンジョンブレイクについて、翌日の発表で確認された死者数だった。負傷した人もいる。避難した住民がいつ帰れるかも、まだ分からない。
御厨アキラは避難先の休憩室で、同じ記事をもう三度読んでいた。何度読んでもその数字は変わらない。
集会所にいた人たちは橋を渡り、家に残っていた住民や迎えに行った人も、無事が確認されたという。アキラはゴブリンを何体か倒し、地元の人たちと協力して避難の時間も稼いだ。大きな魔物が来たときには、専門班へ引き継いで下がった。あの場でやるべきことは、たぶんやった。
病院では大きな怪我はないと言われたが、腕に残った擦り傷が服に擦れるたびに痛んだ。初日にゴブリン一体と戦った頃とは違う。自分が以前より強いことは、昨日の戦いで嫌というほど実感した。それでも。
記事を閉じても、目を逸らしても、『三人』の文字だけが頭に残った。
スマートフォンで地図を開く。
昨日いた集会所と、被害が大きかった別の集落。直線なら近い。指先で測ってみたあと、実際に車で通れる道を表示すると、線が大きく谷を迂回した。
「……行ける時間は、なかった」
誰に言うでもなく呟いた。
昨日は群れを相手にして、次々と動く魔物を追うだけで精いっぱいだった。目の前の住民を置いて別の谷へ行けば、集会所で誰かが死んだかもしれない。強くなっても、自分一人が二か所にいることはできない。
それは分かる。分かるのに、どうしてこんなに悔しいのだろう。
画面には、かつて自分で『公開確認記録なし』と付けた山間部があった。
入口があるとはわからなかった。情報がなかったから。だから危険だと断定せず、知らないものは知らないままにしておいた。
その判断は、今でも正しいと思う。記録がないだけで「魔物が出る」と書いたら、今度は違う混乱を引き起こしてしまう。
だとしても──アキラは画面の空白を指でなぞった。
何も書かれていなかった場所で、三人が死んだ。
* * *
帰路に就く前、アキラは避難所で、昨日一緒に戦った地元の男性と会った。
男性は缶コーヒーを両手で持っていた。片手には包帯が巻かれている。避難を誘導し、棒で魔物を押し戻しているうちに痛めたらしい。
「あんたがいてくれて助かった。本当に」
「……俺一人じゃ、あの人数は逃がせませんでした。そっちを守ってもらわなかったら、たぶん」
「うん。お互い様だな」
男性は笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
アキラも「よかったですね」と言いかけて、口を閉じた。集会所から逃げられたことは、よかった。そこは間違いない。でも、ニュースの数字が頭から離れない。
「向こうの集落は……」
「みんな知り合いよ。毎日会うほど近くはないけど、あの辺、狭いからさ」
男性はそこまで言って、缶の飲み口を見つめた。
何を言っても、慰めにはならない気がした。
* * *
帰宅すると、アキラは鞄も片づけずにパソコンを立ち上げた。
調べたいことは山ほどあった。入口がいつから存在したのか。公開記録が途切れていた理由は何か。どの時点なら何に気づけたのか。同じような空白は、ほかにもあるのか。
メモ帳の見出しを入力したところで、手が止まった。
画面が滲む。疲れているだけだと思って目をこすったが、文字は元に戻らなかった。
「……何なんだよ」
ぽつりと呟いた途端、腹の底が熱くなった。
日本で最初にダンジョンが現れる前は、こんなもの存在しなかった。それが突然、家の庭にも駅前にも山奥にも現れて、化け物を吐き出すようになった。倒せばLEVELが上がる。なのに、どうすれば上がるのかも、自分たちで一つずつ調べるしかない。
魔物を倒さずにいると、増えて外へ出てくるのかもしれない。でも、そうなのだとして、どこまで溜まれば危ない? 入口が見つかっていない場所はどうする? そもそも何を基準に調べればいい?
「なんなんだよ、これ……」
アキラは机を叩こうとして、擦り傷のある腕をかばった。その情けない動きに、ますます腹が立った。
「どこのクソゲーだよ。仕様書くらい寄越せよ……!」
画面のWikiには、何百回も使った注意書きがある。
『※要検証』
知っている。未確認のことを確定情報として書くわけにはいかない。それが正しい。
「……くそがよ」
その文字が歪んだ。涙を拭っても、次から次へと出てきた。
おばあさんに刃が届く前に間に合ったことも、集会所の人たちが橋を渡れたことも、嬉しかった。自分が生きて帰れたことにもほっとしている。あれだけ戦えるようになったのに、別の谷では三人が死んだ。その事実だけが、どうしても飲み込めなかった。
何もできなかったわけじゃない。現に助けられた人がいる。それなのに、自分が強ければもっと救えたはずだという考えが、頭から離れなかった。
空白地帯という情報は持っている。それはつまり、そこに今日あったようなリスクがある。
アキラは袖で目元を拭った。
メモ帳に『昨日足りなかったもの』と打ち込む。いつもの癖だった。状況が分からないときは、まず項目に分ける。
入口の位置。最終確認日。避難経路。通れる道路。近くで応援に来られる探索経験者。
書いてみると、必要な情報は一人のスマートフォンに収まる量ではない。なのに、必要なときには、ほんの数分で探し出せなければいけないのだ。
もう一つ、どうしても消せない項目があった。自分の戦闘能力と、他人を守りながら動く技術だ。
昨日、ゴブリンは倒せた。だが、一体を追えば別の一体が住民へ向かう。大きな魔物が来たときは、専門班へ任せるしかなかった。倒すことだけ考えていたら、避難の列を見失っていたかもしれない。
一対一で勝てることと、何人もの人を守りながら戦えることは、同じじゃない。
アキラはその項目を、一番上に移した。
「……もっと、強くなろう」
全員を自分一人で守れるとは思わない。それでも、悔しかった。次に目の前で誰かが危ないとき、昨日より一つでも多く選べる手が欲しかった。
アキラは安全講習と訓練施設を調べ始めた。大江山を含む候補の受講条件、指導員の体制、費用、訓練区画を比べていく。
無謀な突入をしたいわけではない。自分まで死んだら、それこそ何も残せない。ただし、講習の説明ばかり読んでいるうちに、いつもの調子で比較表の列が増えていった。
「……何してんだ、俺」
LEVELを上げるための下調べが、いつの間にか立派な検証作業になっていた。
その中で、一つの施設が目に留まった。
大江山。
古くから鬼の伝説が残る山に、巨大なダンジョンの入口がある。内部の危険度が高く、一般の無制限探索は認められていない。一方、入口近くの安全確認済み区画では、経験者の指導による限定的な訓練も行われていた。
危険度の高いダンジョンでも、管理された区画だけを使えば、初心者を含む訓練が成立する。もちろん、無制限に入れるわけではない。
そこまで読んでようやく、アキラは少しだけ息を整えた。学ぶ方法は、ある。
アキラは募集要項を最後まで読み、予約状況を確かめた。
* * *
数日後。
京都の山あいにある巨大な入口の前で、御厨アキラは足を止めていた。
人間の建造物とは思えない、石組みの門が山肌に食い込むようにそびえている。
入口の先は暗く、奥行きが見えない。周囲には警備員が立ち、立入可能な区画を示す掲示が並んでいた。
大江山ダンジョン。
鬼の伝説が残る土地にこの入口が現れたのは、偶然なのか。それとも何か意味があるのか。
今のアキラには、まだ分からない。
石の門を見上げると、あの山道で聞いた音が頭をよぎった。足が少しだけ止まる。
魔物と戦うのは初めてじゃない。怖いのは、自分が一体を相手にしている間に、誰かが倒れることだ。
だからこそ、ここへ来た。
「……まずは、できることから」
アキラは訓練参加者の受付へ向かった。