ゴロー先生はアイアンチ 作:作者さん
平日の放課後。苺プロダクションの事務所には、パソコンの前に陣取る三人の高校生の姿があった。
中央のソファに座るアクアを、右からルビーが、左からかながぴったりと挟み込むような陣形である。少し離れた場所にある社長デスクでは、ミヤコがノートパソコンに向かってカタカタと仕事をしているが、その視線がチラチラとこちらを窺っているのはバレバレだった。
(……家族と一緒に自分の出ている恋愛リアリティショーを観るなんて、一種の拷問じゃないか?)
ソファの真ん中で身動きが取れないアクアは、誰に届くわけでもない深い溜息を吐き出した。
今日はいよいよ、アクアが出演する恋愛リアリティショー『今からガチ恋始めます』――通称『今ガチ』の第一話の放送日である。
一人でひっそりと結果だけを確認するつもりだったのだが、放課後になるや否や、物珍しさに目を輝かせたプレデター二匹に捕獲され、こうして強制鑑賞会が開かれる運びとなってしまったのだ。
「ちょっと、そんなお葬式みたいな顔しないでよ。あんたが番組で変な炎上をしてないか、私たちの完璧な『プロデュース』がちゃんと上手くいってるかの反省会も兼ねてるんだからね」
左隣に座るかなが腕を組み、さも敏腕プロデューサーのような偉そうな顔つきで言い放つ。
「そうだよ! 私はお兄ちゃんがテレビの中で女の子にデレデレしてるところを見て、思う存分笑ってやるんだから!」
右隣のルビーは隠す気すらない満面の笑みで、抱きかかえたクッションに顔を埋めながら身を乗り出してきた。
その清々しいまでのエンタメ消費に、アクアはジト目で妹を見返す。
「……お前、せめて有馬のように名目ぐらいは取り繕ってくれ」
「そうそう、私の動機は『純粋な業務』の一環だからね」
アクアの呆れ果てた一言に、かながニヤニヤと応える。
そんな騒がしいやり取りを遠目に聞きながら、ミヤコは仕事をする手を止めずに「はいはい、もうすぐ始まるわよ」と呆れ声で注意を入れた。
画面の中で、軽快なBGMと共に番組のロゴが踊り、『今ガチ』の第一話がスタートした。
画面には、教室のようなスタジオに集められた男女のキャストたちが、初対面の挨拶を交わす様子が映し出されている。
『初めまして、星野アクアです。よろしくお願いします』
映像の中のアクアは、事前の打ち合わせ通り『落ち着いた大人びた少年』の演技で、穏やかに頭を下げていた。
そんな彼に対し、ダンサーのノブユキが親しげに笑いかけ、軽い調子で肩に手を回してくる。
『なんだよー、そんなに固くなるなよアクア』
『……まぁ。でも、みんな俺よりは年上だろう?』
『ああ、そういうのはいいよ。こういう機会なんだからさ、年齢の上下とか一切なしで、タメ口で仲良くやろう』
バンドマンのケンゴも、笑顔でそう提案する。
その言葉を聞いた瞬間、映像の中のアクアは少しだけ目を伏せ、ふっと肩の力を抜いたように微笑んだ。
『なら、よろしく。ノブユキ、ケンゴ』
先ほどまでの「少し壁のある大人びた態度」から一転、少しだけ年相応の気さくさを滲ませたその表情に、スタジオのカメラの向こう側からでも好意的な空気が伝わってくるようだった。
「あれ?」
パソコンの画面を食い入るように見つめていたルビーが、不思議そうに小首を傾げた。
「お兄ちゃん、もうあの『草臥れた大人』みたいな演技、やめちゃったの?」
「いや、やめてはない」
画面から目を逸らしたまま、アクアは淡々と解説を入れた。
「……男ってのは、馬鹿になろうと思えばいくらでも馬鹿になれる生き物なんだよ。相手が同性の『相応にノリが良い奴ら』だと分かれば、色々と枷を外して考える。そうすると、ああやって適度に砕けた態度になるのが一番自然なんだ」
初対面の壁を取り払う男同士のノリ。それを適度に取り入れることで、「ただ暗くて浮いている最年少」ではなく、「大人びているけれど、心を許した相手には気さくな顔を見せる少年」という絶妙なポジションにスライドさせていたのだ。
「まぁ、男女問わず、この年代の生き物は一番愚かになれる時期だものね……」
かなが腕を組み、さも人生を悟った老人のような遠い目をして、しみじみと呟いた。
(……前世の記憶を引き継いでる俺やルビーはともかく、なんで現役女子高生のお前からそんな達観した台詞が出るんだ)
アクアは内心で静かにツッコミを入れつつ、ジト目で左隣の元天才子役を見下ろした。
画面の中では全体での自己紹介もひと段落し、各々が気になる相手と談笑するフリータイムへと移行していた。
そんな中、カメラは部屋の隅で言葉を交わすアクアと、人気YouTuberであるMEMちょの姿を捉えた。
『へぇ〜、かっこいいねぇ。役者さんってあこがれるなぁ』
MEMちょが小悪魔的な笑みを浮かべ、興味津々といった様子でアクアを覗き込む。
それに対して、アクアは落ち着いた、それでいて嫌味のない態度のまま言葉を返した。
『ありがとう。そういうMEMちょも、YouTuberだろう? 画面越しじゃない本物を見られて、こっちもちょっと感激しそうだな』
『ふーん? どうかな、生MEMちょさんは』
MEMちょは意地悪そうに目を細め、上目遣いで自分の顔をアクアに近づけた。普通ならドギマギしてしまいそうな距離感だが、アクアは全く動じることなく、さらりと返す。
『すごく可愛いよ』
『ありがと。アクア君が言うなら、本当のことだろうねぇ』
さらりと落ちた甘い言葉にも、MEMちょは照れるどころか余裕の笑みで受け流してみせた。
『……さては言われ慣れてるね、MEMちょ』
『なにしろ、YouTuberですからっ!』
MEMちょはえっへんと胸を張り、カメラに向かって得意げなポーズを決める。アクアもそれに合わせて、ふっと自然な笑みを漏らした。
「「…………」」
パソコンの前。
画面の中で繰り広げられた、あまりにもスムーズで手慣れた男女のやり取りを前に、ルビーとかなは揃って無言になり、ジト目で中央のアクアを挟み撃ちにした。
「……ねぇ、アクア」
「なんだよ」
「『すごく可愛いよ』? さすが、息を吸うように女の子を口説く星野アクアは格が違うね」
ルビーが、信じられないものを見るような目で兄をねめつける。
「あんなの、挨拶代わりのリップサービスだろうが。相手はあれでフォロワー数十万を抱えるインフルエンサーだぞ。向こうだって完全にバラエティのノリで返してきてるんだ、あの流れで変に照れたり口ごもったりする方がテレビ的に面倒なことになる」
「まぁ、言いたいことは分かるわよ」
かなも納得いかないように唇を尖らせる。
「あんた、ああいう『ちょっと影のある落ち着いた男の子が、ふとした瞬間にストレートな褒め言葉を落としてくる』っていうのが、一番タチの悪い沼だって自覚はあるの? 案の定、SNSの実況でも『アクアきゅんイケメンすぎ』『生MEMちょのくだり尊い』って騒がれてるわよ」
かながスマートフォンのタイムラインを見せつけてくるが、アクアは「勝手に騒がせておけ」とばかりに肩をすくめた。
良くも悪くも、番組の滑り出しとしては、狙い通りの「無害でそこそこ好感の持てるキャラクター」として着地できている手応えがあった。
画面の中では、MEMちょがスマートフォンを取り出し、過去に飼っていたペットの写真をアクアに見せているシーンへと切り替わっていた。
『可愛いでしょ? うちで飼ってる子なんだけどね』
『へぇ……。……うん、可愛いな』
はにかむMEMちょに対し、アクアは画面を覗き込みながら、相槌を打ちつつ興味津々な様子で頷いている。
傍から見れば、動物の写真をきっかけに距離を縮める、高校生らしい微笑ましいワンシーンだ。
しかし、当のアクア本人は、画面を見ながらげっそりとした顔で呟いた。
「これ、実際には十分近く、延々と画像を見せられ続けてたんだよな……」
「十分も?」
ルビーが目を丸くする。
「ああ。『可愛いね』『そうだね』『癒されるね』……ただそれだけで、中身も生産性もない『共感し合うだけの会話』をひたすら続けるのは……なかなか、辛いものがあったな」
「あー……。アクア、そういう中身のない世間話とか一番苦手そうだもんね」
ルビーが気の毒そうに、しかしどこか面白がって笑う。
アクアのベースにあるのは、合理的で理屈っぽい『雨宮吾郎』の精神だ。結論のない、ただ感情を共有するだけのコミュニケーションは、彼にとって苦行以外の何物でもない。
「どうして『可愛いねぇ』『そうだねぇ』の反復横跳びだけで、あれだけの時間を潰せるんだ? 理解に苦しむ」
心底疲れたように眉間を揉むアクアに、かながやれやれと肩をすくめてみせた。
「男が『マジで?』と『スゲェ!』の二語だけで時間を潰せるのと同じよ。そういう風にできてるの、人間は」
「……理屈として理解はできるが、納得はしたくないな」
アクアは深いため息を吐き出し、ソファの背もたれに深く体重を預けた。
恋リアという特殊な環境下で、「共感」をベースとした若者たちのコミュニケーション文化に適応することは、演技の技術とはまた別の精神的なカロリーを彼から容赦なく奪っていくようだった。
画面の中では、MEMちょがスマートフォンのアルバムをスワイプし続けていた。その一枚に目が留まり、アクアがふと呟く。
『へぇ、これいいな』
『ん? どれのこと?』
MEMちょが不思議そうに指を戻し、先ほどの写真を表示する。
そこに写っていたのは、MEMちょがペットをぎゅっと抱きしめながら、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべている写真だった。
『これ? うーん……ちょっと私が大きく映りすぎちゃってるんだよねぇ』
主役であるはずのペットより自分が目立ってしまっているのが気になったのか、MEMちょは少し不満げに眉を下げる。
しかし、アクアは画面からMEMちょの顔へと視線を移し、極めて真面目なトーンで――先ほどの演技練習の時と同じ、深みのある『大人の声色』で言葉を紡いだ。
『そんなことないさ。こういう、「大好きだ」っていう感情が溢れているような写真や姿は、俺は好きだな』
『え……』
『何かに夢中になっている姿っていうのは、やっぱり魅力的だよ』
それは、ルビーやかなの前で見せた「一生懸命頑張っている子を応援したくなる」というキャラクター設定を見事に踏襲した、完璧な一言だった。
計算された演技と、前世の医者時代から培われた妙な説得力。その二つが合わさった言葉の破壊力は凄まじかった。
『あー……えっと……』
いつもは余裕たっぷりの小悪魔的な振る舞いを見せるMEMちょが、パチパチと瞬きを繰り返し、少しだけ頬を赤く染める。
『……そういわれると、流石のMEMちょさんも照れるね……』
ぽりぽりと指先で頬を掻きながら、視線を泳がせるMEMちょ。その初々しいリアクションが画面いっぱいに映し出された直後――。
「「…………」」
パソコンの前の苺プロ事務所に、重く冷たい沈黙が下りた。
ルビーとかなは、画面に釘付けになったままピクリとも動かない。
やがて、ルビーがゆっくりと首を回し、横のアクアを見据えた。
「……ねぇアクア。どうして息をするように女の子を口説いてるの?」
「口説いてないだろ」
アクアは心外だと言わんばかりに眉をひそめた。
「俺は事前に決めた設定通り、『一生懸命な姿が魅力的だ』とただの感想を述べただけだ。あそこに他意は一切ない」
「なにが『俺は好きだな』よ!あんたがその顔と声で下手に大げさに褒めると、相手は『口説かれてる』って勘違いするのよ!!」
「なんだその理不尽……。あのな、俺だってテレビの尺や見栄えを考えて、少しは気の利いたことを言おうと努力しているんだ。見栄えの問題で、そういうシーンが意図的にピックアップされているからこうなるだけだ」
アクアは腕を組み、あくまで自分は番組の要請に応えただけだと主張する。
「そうかなぁ? 他の男の子たち……ノブユキくんやケンゴくんも、そこまでグイグイ行ってない気がするけど?」
ルビーが画面の中の他のキャストたちを指差しながら反論する。
確かに、彼らは気さくに話してはいるものの、アクアのようにピンポイントで相手の心臓を撃ち抜くような甘い台詞は吐いていない。
「この恋愛リアリティーショーっていうのは、本当に台本が無いんだ」
アクアは少しだけ声を落とし、現場の空気を思い出しながら語った。
「ディレクターからの言葉も、あくまで『こういう画が欲しい』というアドバイスなのか、それとも『こう動け』という指示なのか、捉え方は本人次第といった感じだった。明確な目的をもって出ないと、カメラの前でやるべきことが分からなくなって迷走する」
「……ちなみに、アクアの今回の目的は何だったの?」
ルビーの質問に、アクアは事もなげに答える。
「初回だからな。なるべく相手に好印象を持ってもらう、ということに努めたつもりだ」
その言葉を受け、ルビーとかなは画面の中のやり取りへと視線を向けた。
画面の中ではアクアが所々で相手の言葉を肯定し、会話を促す相槌を打ち、楽しそうに笑い、相手のペースに完璧に合わせる。言われてみれば、映像の中のMEMちょは心なしか、他のキャストと話している時よりも楽しげに、リラックスしてアクアと会話をしているように見えた。
「ああ、なるほどね……」
ふと、背後から重々しい声が響いた。
いつの間にかパソコンの後ろに立ち、一緒に映像を見ていたミヤコが、片手で顔を押さえて深くため息をついていた。
「ど、どうしたのミヤコさん?」
ルビーがビクッと肩を揺らす。
ミヤコはどこか遠い目をして、虚空を見つめたままポツリと呟いた。
「……どこかで見たと思ったら……私が昔入れ込んでたホストが、こんな感じだったわね……」
「うわ…………」
苺プロの事務所にアクアの所業にどん引くルビーの声が響く。
「…………」
ミヤコの一言で引いている女子二人の横で、アクアは一人、少しだけバツの悪そうな顔をして視線を逸らした。
アクアとしては、これはあくまで『雨宮吾郎』であった頃の、外来診察におけるコミュニケーションの延長線上のつもりだったのだ。
産婦人科という、女性にとって極めてデリケートな領域を扱う以上、男性医師である吾郎にとって「まずは安心してもらい、信頼関係を築く」ことは診察の絶対的な前段階だった。相手のペースに合わせ、肯定し、不安を取り除いて本音を聞き出す。それは医療従事者として必須のスキルであり、長年の経験で培われた傾聴の技術である。
(そうか……『患者』という前提条件を消して、同年代の男女という枠組みにそのままスライドさせると、こうなるのか……)
ミヤコの『ホスト』という的確すぎる表現に、アクアは内心で妙に納得してしまった。
言われてみれば、相手を気持ちよくさせて話を引き出すあの手腕は、夜の街のそれに通ずるものがあるかもしれない。
改めてパソコンの画面に目を向ける。
そこには、落ち着いた大人の声色で息をするように甘い言葉を吐き、見事に女の子の懐に入り込んでいる自分の姿があった。
(……何言ってんだこいつ)
完全に『雨宮吾郎』という別人の所業として切り離しているせいか、アクアは画面の中の自分に対し、ひどく他人事のような、ひえた感想を抱くのだった。
画面の中では、アクアとMEMちょの会話がさらに続いていた。
『今回この番組に参加するにあたって、事前に少しだけ情報収集させてもらったんだ。MEMちょはYouTuberだから、一番動画を探しやすくてさ』
『えっ、本当!? 恥ずかしいなー。どれ観たの?』
『色々観たけど……個人的に一番好きだったのは、「サインはB」を踊ってみた動画かな』
『おぉー! あれね!』
MEMちょがパッと表情を輝かせる。アクアは静かに頷き、真っ直ぐに彼女の目を見て言葉を続けた。
『俺も身内の影響で、ダンスに関しては少し目が肥えてるつもりだったんだけど……MEMちょのダンスは凄く良くてさ。ただ振りが正確なだけじゃなくて、手先の見せ方とか、カメラにどう映れば自分が一番魅力的に見えるかを完全に分かってる。本物のアイドルがそこにいるみたいで、すごく惹きつけられたよ』
『っ……〜〜〜!』
さらりと、しかし的確で重みのあるベタ褒めに、MEMちょは両手で顔を覆って照れくさそうに身悶えした。
『あ、ありがと……! そ、そんなプロ目線で褒められると流石に照れる……。でも、どうしてよりによってそのダンス動画だったの? 他にも企画モノとかいっぱいあるのに』
顔をパタパタと仰ぎながら尋ねるMEMちょに、アクアはフッと肩の力を抜いたように笑う。
『うちの妹が、あの曲のダンスがすごく好きでさ。俺も付き合わされて、昔よく一緒に踊ったりしたんだよ』
『えっ!? アクア君、踊れるの!?』
『あはは、まさか。遊び程度だよ』
アクアは少しだけ照れくさそうに笑い、首の後ろを掻きながら続けた。
『それに、ここにはノブユキっていう本職のダンサーがいるからさ。彼を前にして「ちょっとダンスができます」なんて口にするのは、流石に恥ずかしいな』
自分の特技をアピールしすぎず、同性である他のキャストを立てる謙虚な姿勢。その嫌味のない態度は、先ほどのストレートな褒め言葉とのギャップもあり、画面越しの視聴者にも「気遣いのできる気のいい好青年」という印象を決定づけるものだった。
『へぇ〜……。アクア君は妹ちゃんに優しいお兄ちゃんなんだねぇ。そんなに可愛いんだ?』
MEMちょが感心したように、しみじみと呟く。
アクアは少しだけ照れたように視線を落とし、素直に頷いた。
『まぁ、兄の贔屓目もあるけど……可愛いと思うよ。アイドルやってるしね』
『アイドルなんだ! ……じゃあ、私と比べたらどっちが可愛い?』
小悪魔的なイタズラっぽさを全開にして、MEMちょがグイッと距離を詰める。
普通の高校生ならドギマギしてしまいそうなキラーパスだが、アクアは全く動じることなく、柔らかく微笑んで躱した。
『んー……ジャンル違いだから、どうかな。ハートと星のどっちが素敵かなんて、比べられないからさ』
『っ……ふぅ。ちょーっと気障っぽいかなアクア君?』
MEMちょが一瞬言葉を詰まらせ、またしても少しだけ頬を赤くした。
『あれ、ばれたか。MEMちょの反応が良くてつい』
『アクア君は悪い子だねぇ、からかってさ』
苦笑するMEMちょに、くすりと笑うアクア。
『さてはて……もし妹さんがアイドルやってるなら、いつか私のチャンネルにお招きしちゃおうかな?』
『ははっ、流石にそれはリップサービスとして受け取っておくよ。MEMちょのチャンネルに出るには、うちの事務所じゃ規模が小さすぎる』
『そんなことないよ! ……ついでに、アクア君も呼んで一緒に踊ってもらおうかな。妹ちゃんじゃなくて、アクア君にね?』
最後にチクリと反撃のようなからかいを残し、MEMちょが楽しそうに笑う。アクアもそれに合わせて、困ったような笑みを浮かべた。
「「「…………」」」
パソコンの前。
二度目の、そして本日最悪の沈黙が、苺プロの事務所に降り注いでいた。
画面の中で完璧な笑顔を振りまく自身の姿を見つめながら、アクアは心底理解に苦しむといった様子でポツリと呟いた。
「……こいつ、なに言ってんだ?」
パーンッ!!
「あんたでしょうが!!」
すかさず、かなが丸めた雑誌でアクアの後頭部をスパーンと容赦なくはたき、鋭いツッコミを入れる。
「理不尽だぞ有馬。俺は昔の知り合いの真似をしているだけで、今の俺のパーソナリティとは別物なんだから……」
「言い訳が苦しすぎるわよ! 自分の口から出た台詞を他人事みたいに言ってんじゃないわよ!」
頭を押さえるアクアに対し、かながキャンキャンと吠え立てる。
そんな騒がしい二人をよそに、右隣に座るルビーは両手で頬を包み込み、とろけそうな笑顔を浮かべて身悶えしていた。
「えへへ……。久しぶりに、アクアにストレートに褒められちゃったなー」
「……? そんなに褒めてなかったか?」
アクアは頭をさすりながら、不思議そうに妹を見遣る。
「俺としては、普段からお前の頑張りに対しては、それなりに口に出して評価しているつもりだったんだが……」
「それはそうなんだけど」
ルビーはバッと顔を上げ、鼻息を荒くして身を乗り出した。
「普段の死んだ魚の目をしたアクアに褒められるのも嬉しいけどさ。この、ちょっと草臥れた『大人っぽいアクア』から優しく褒められる方もけっこういいなって!」
かつて自分が熱烈に推していた『ゴロー先生』の面影と、現在の兄の姿が完全にリンクしてしまっているのだろう。ルビーの瞳は、完全に危ないフィルターのかかったそれになっていた。
「…………」
そのあまりにも手遅れなブラコンっぷりを目の当たりにして、かなはスッと真顔に戻る。
かなにとって、画面越しのアクアが纏っている『大人びた余裕』は、決して魅力的なものではない。
むしろ、十数年前の映画撮影の際、あの底知れぬ「不気味さ」の延長線上にあるものだ。いくらマイルドに調整されているとはいえ、かなからすれば、このモードのアクアはただただ「気味が悪い」の一言に尽きる。
「……うへぇ、趣味悪いわねぇ」
心底からのドン引きと、かつての悪寒を思い出したように自分の両腕をさすりながら。
かなは、心底嫌そうな顔をして呆れ声で呟いた。
番組は終盤に差し掛かり、初日のダイジェスト映像が流れ始めた。
第一話におけるアクアの出番は、主に先ほどのMEMちょとのやり取りがピックアップされて構成されていた。当然、他の出演者たちにもカメラは向けられており、それぞれの関係性が少しずつ描かれていく。
そんな中、画面の端の方で、アクアと黒川あかねが言葉を交わしている様子が遠目に映り込んだ。しかし、二人の会話の内容が拾われることはなく、ナレーションと共にさらっと次のシーンへ流されてしまった。
「あれ?」
ルビーが首を傾げる。
「アクア、あんまりあかねさんと話さなかったの?」
「いや、それなりに話したつもりだぞ」
アクアは少しだけ眉を寄せ、現場での記憶を思い返した。
「話題が、どうしても『ルビーの近況報告』になりがちだったんだよ。番組に関係のない身内の話なんか広げても面白くないから、編集で丸ごとカットされたのかもな。あとは演劇の話もしたが、マニアックで小難しい内容に寄りすぎた。……共通の話題を探ろうとすると、どうしてもその辺りに集中してしまう」
「あー……」
ルビーが納得したように頷く。あかねはルビーにとって演技の恩師のような存在であり、アクアにとっても『妹の知り合い』という間柄だ。
「そうなると、『ちょっとした知り合い』っていう微妙な距離感が、バラエティ的には逆にやりにくくなってるわね」
かながプロの目線で的確な分析を口にする。
「初対面なら出身地とか趣味とか、無難な質問から探り合えるけど。変に顔見知りだと『今さら聞くのも不自然』ってなっちゃうし。……あかねは何か、その場を回すための『会話デッキ』みたいなものは持ってきてなかったの?」
かなの問いに、アクアは静かに首を横に振った。
「……特には。向こうも探り探りというか、真面目に受け答えをしようとしているだけに見えた」
「はぁー……駄目ね、あの子は」
その報告を聞いた瞬間、かなはこれ以上ないほど深い溜息を吐き出し、やれやれと大げさに肩をすくめた。
「そういうのは、事前にいくつも話題を準備していかなきゃ、上手く回らないに決まってるでしょ。台詞を与えられる『脚本』があるわけじゃないんだから。いくら舞台でいい演技ができても、セルフプロデュースができないんじゃ素人と同じよ」
かつて芝居の世界でしのぎを削ったライバルに対する、容赦のない辛辣な評価をくだすかな。
「……となると、俺ももう少し、誰とでも広げられるような会話の種をいくつか用意しておくべきか」
アクアは顎に手を当て、真剣な顔で恋リアの「攻略法」を模索し始めた。
「あんたは、あんまり深堀りしすぎないように気をつければ、そのままの『ミステリアス』なキャラで番組に採用されるでしょうね」
かなが腕を組んだままアドバイスを送る。
「あかね相手にやりにくいなら、無理に共通の話題を探さないで、相手の調子を気遣うところから始めればいいのよ。『現場には慣れた?』とか聞いて、心配してあげて。で、その後に場が持つような、適当な小話や豆知識でも披露してやれば?」
「小話、豆知識か。……なるほど、それならなんとか引き出しはあるな」
アクアは少し考えてから、静かに頷いた。
前世――雨宮吾郎であった頃。専門は産婦人科であったが、当直や時間帯によっては内科の診察に回ることも珍しくなかった。そうした外来では、特に話を聞いてほしがる高齢の患者の診察をすることも多く、世間話から健康法、昔の知恵まで、様々な雑談を拾い集める機会に恵まれていた。
相手に合わせ、当たり障りのない雑学で場を持たせる技術。その手の雑知識のストックは、人一倍持っている自負がある。
「これは、あんまりよろしくないホスト業界の知識だけど……」
不意に、後ろで黙って聞いていたミヤコが、少しだけ前置きをして口を開いた。
「トップクラスに人気がある子は、当然ルックスも話術も全部揃っているような人よ。でもね、顔の良し悪しに関わらず、幅広い知識を持っていて『どんな客の会話にも合わせられる人』っていうのは、確実に一定の指名を取って安定した人気があったわね」
大人の夜の街を知るミヤコのリアルな言葉に、アクアは「なるほど」と真面目に頷いた。
相手を否定せず、どんな話題でも拾って広げ、心地よくさせる。やはりここでも、医療現場とホストの技術が妙な形でリンクしてしまうらしい。
「じゃあ、黒川の関心を引くなら、その手の豆知識から入って……」
「……って、ちょっと待ちなさいよ」
一人で納得して作戦を立てようとしているアクアの言葉を遮るように、かなが眉を吊り上げてツッコミを入れた。
「なんで自然な流れで『あかねを口説くための戦略』みたいな話になってるのよ」
「口説くなんて一言も言っていない。ただ、放送事故にならないように円滑なコミュニケーションを図ろうとしているだけで……」
「それが危ないって言ってんのよ! 余計なお世話!」
かなはバンッと自分の太ももを叩き、アクアを鋭く睨みつけた。
「あっちだってプロの演者として番組に出てるんだから、あかねの撮れ高の心配なんてしなくていいの。あんたは気遣う前に、まず自分の『炎上対策』の心配だけしていなさい!」
「……分かったよ」
かなの正論すぎる言葉に、アクアは観念したように両手を上げ、小さく息を吐いた。
「……さて、視聴者の反応はどうなってるかなーっと」
ルビーがスマートフォンを取り出し、SNSの実況タイムラインをスクロールし始めた。
「どれどれ……うん、やっぱりアクアも結構注目されてるね。あっ、見てみて! 『MEMちょ危ない、そいつストーカー!』だって!」
「……間違ってはいないな。前にやった役、という意味では」
アクアが自嘲気味に呟く。
画面を覗き込むと、先日放送されたドラマ『今日は甘口で』の最終話のスクリーンショットが、番組の実況タグと共に勝手に貼られていた。
そこには、ストーカー役のアクアが、メグル役のルビーの顔を乱暴に掴んでいる緊迫したシーンが切り取られている。
『え、このイケメンって今日あまのストーカー役の人?』
『なおクレジットを見る限り、この二人リアル兄妹の模様』
『えっ、マジ? 妹ちゃん普通に可愛いじゃん』
『この子、どっかで見たことあると思ったらトルコアイス動画の子?』
タイムラインには、恋リアをきっかけにアクアの過去の出演作や、さらにはルビーの存在にまで興味を持つ視聴者の声が次々と流れていく。
「うっ……」
自分の黒歴史を掘り起こされ、ルビーが小さく呻いてスマートフォンの画面を伏せる。
「……まぁ、宣伝効果としては十分にあるようだな。良くも悪くも」
恋リアという巨大なプラットフォームに出演した以上、過去の経歴が掘り返されるのは織り込み済みだ。B小町への注目を集めるという目的は、間違いなく果たされつつある。
「ええ。とりあえず、マネージャー冥利には尽きるわね」
その後ろで、ミヤコがパソコンの画面から視線を外し、小さくため息を吐いた。
話題になるのはありがたいが、それと同時に、心無い誹謗中傷から所属タレントを守るという事務所としての防衛線も、これから本格的に張らなければならない。
それぞれの思惑と懸念を抱えながら、苺プロの面々は『今ガチ』という名の波乱の幕開けを、静かに見守るのだった。