ゴロー先生はアイアンチ 作:作者さん
苺プロの事務所に、ポップコーンを咀嚼する軽快な音が響いていた。
パソコンが置かれた机の前の特等席に陣取るルビーとかなは、映画館で売られているような巨大なポップコーンのバケツを間に挟んで抱え込んでいる。
もはや『プロデュースの反省会』という建前は完全に消え失せ、純度百パーセントの観客(オーディエンス)と化していた。
今日、アクア本人は別の仕事で事務所を空けている。だからこそプレデターの二匹は、当人の冷ややかなツッコミを気にすることもなく、画面の中で繰り広げられるアクアの様子を心ゆくまで品評できるというわけだ。
映像の中では部屋の机で、アクアと鷲見ゆきが隣り合って座り、談笑している。
ふと、アクアがゆきの手元――正確には、その指先に視線を向けた。
『あれ。それって……』
アクアの視線に気づいたゆきが、パッと顔を輝かせる。
『あ、気が付いてくれた? 今日の撮影のために、ネイル新しくしてきたんだ。どうかな?』
ゆきは両手を顔の前にかざし、可愛らしく首を傾げてアピールする。淡いピンク色を基調とした、派手すぎないが上品なデザインだ。
普通の男子高校生であれば、「可愛いね」「似合ってるよ」と無難に返す場面だろう。
『見ていいかな』
『ん。いいよ?』
ゆきが差し出した両手を、アクアはごく自然な動作で、そっと下から支えるように取った。
まるで、診察室で患者の指先の血色を確認するような、躊躇いのない、それでいて丁寧な手つき。
『すごく綺麗だね』
落ち着いた大人のトーンで、アクアが静かに褒める。
ここまでは普通のやり取りだが、アクアの視線はデザインそのものよりも、爪の生え際や指先の状態に向けられていた。
『……これ、ジェルだろ? うちの妹がよくやってるから知ってるんだけど、ジェルネイルって、綺麗な状態を保つのはすごく手間がかかるし、自爪のケアや指先の保湿も大変だって聞いた。ゆきはマメで、見えないところの努力家なんだな』
『えっ……』
予想外の角度からの褒め言葉に、ゆきが目をぱちぱちと瞬かせる。
『……ふふっ。ネイル褒めてくれる男の子はいるけど、絵柄とかデザインじゃなくて、「ケアが大変なこと」を褒められたのは初めてで、ちょっとびっくりしたかも』
『実のところ、ネイルのデザインの良し悪しについては、俺にはさっぱり分からなくてさ。ただ、そういう細部にまで気を使って手入れをしている姿勢はすごいと思うよ』
真っ直ぐなアクアの言葉に、ゆきは小さく笑みを浮かべ、少しだけ悪戯っぽく目を細めた。
『まったく、アクア君はそういうところは素直すぎるかなー』
『そうか?』
『うん。でも、次に見せるときはもっとデザインとかも褒めてほしいから……ちょっと拘ったところとか、自慢してもいい?』
上目遣いで尋ねるゆきに、アクアは穏やかに微笑み返す。
『ああ。ぜひとも聞かせてほしいな』
『えへへ、実はね。この色なんだけど……』
ゆきが嬉しそうに身を乗り出し、二人はそのまま自然な流れで和やかな会話へと入っていった。
「……けっ」
パソコンの前。
画面の中で繰り広げられる甘酸っぱいやり取りを、かなが忌々しげな声で一蹴した。
「なーーーーーにが『ぜひとも』よ。どうせ腹の中じゃ、微塵も興味なんてないくせに。MEMちょに延々とペットの写真を見せられてた時の顔を考えたら、内心じゃ『めんどくせぇ』としか思ってないじゃない、あの男」
バリボリと親の仇のようにポップコーンを噛み砕きながら、かなが毒づく。
相手の気分を良くするために完璧な傾聴の姿勢を作っているアクアだが、本質的に『中身のない世間話』や『共感だけの会話』を嫌う彼にとって、ネイルのこだわりの話など苦行でしかないはずなのだ。
「でもさ」
そんなかなの隣で、ルビーが画面の中の兄を見つめながらポツリとこぼした。
「アクアって、ただ『可愛い』とか『すごい』って言うんじゃなくて、ああやって『こういう事実や努力の痕跡があるから凄いよ』って言い方で褒めたりするから、言われた方は本気でその気になっちゃうんだよね」
ルビーの脳裏に、ふと幼い頃の記憶が蘇る。
まだ二人が幼稚園に通っていた頃、お遊戯会で披露するダンスを一緒に練習していたとき、健康だからお前はできる、アイの娘だからできる、と。下手な慰めもしないで、黙って一緒に練習してくれたのだ。
(……あのときも、今やってるみたいに、もうちょっと優しい感じで言ってくれればよかったのに)
昔の不器用な兄の姿を思い出し、内心で少しだけ唇を尖らせるルビー。
するとその横で、かなが忌々しげに画面を指差した。
「ていうか、いつまで手ぇ握ってんのよこの男は。ずっと触ってたら、手汗とかで気持ち悪く思われるんじゃないの?」
誰がどう見てもただの難癖をつけながら、バリボリとポップコーンを貪って毒づくかな。
画面の中では、ゆきがネイルのこだわりを楽しげに語り続けていたが、そこへ絶妙なタイミングで、部屋にケンゴがひょっこりと顔を出した。
『お、二人とも何話して……』
第三者の声にハッと我に返ったように、ゆきの顔がさっと赤く染まる。
『あ、ご、ごめんっ!』
ゆきは弾かれたように身をすくませると、慌ててアクアの手からぱっと自分の手を引き抜いた。他人が来たことで、急に男の子と手を握り合っていたという事実を自覚して恥じらった、という完璧なリアクションだ。
『……?』
一方、突然手を放されたアクアは、何が起きたのか分からないといった様子で、心底きょとんとした顔をしている。診察中に患者が急に飛びのいた時のような、純粋な戸惑いの表情だった。
「あはは、人に見られて今更恥ずかしくなっちゃったんだ。……この子、可愛いね」
その年相応の初々しい様子に、ルビーはすっかりゆきに好印象を抱き、ニコニコと微笑ましいものを見る目を向けていた。
しかし、その隣で。
「……んー?」
かなは、訝しげに目を細めていた。
画面の中のゆきの見事な照れ顔。ルビーには純粋なリアクションにしか見えなかったその振る舞いに、かなの『役者』としての嗅覚が、ほんの少しだけ引っ掛かりを覚えていたのだった。
「あれ、先輩どうしたの?」
急に黙り込み、訝しげに画面を睨むかなの様子に、ルビーが不思議そうに首を傾げた。
「んー……まぁ、気のせいね」
かなはポップコーンを一つ口に放り込み、適当にごまかすように肩をすくめた。
(今、この子が素直に番組を楽しんでるところに水を差すのも野暮よね……)
内心でそう思いながら、かなは小さく息を吐く。
本当に「人に見られて」恥ずかしかったのなら、扉を開く音が聞こえた瞬間に手を離すはずだ。しかし、画面の中の鷲見ゆきは、ケンゴが完全に部屋に入ってきて『声をかけられてから』、初めてハッとしたようにリアクションを取ったのだ。
それは、カメラの画角に三人が収まり、視聴者に最も状況が伝わりやすいタイミングを見計らったかのような、完璧に計算された「赤面」だった。
その立ち回りに気が付いたかなだったが、あえてそれを口に出すことはしなかった。
画面の中では、『今ガチ』の第二話が中盤に差し掛かっていた。
教室のような形の部屋で男子三人が談笑をしていた。女子メンバーたちが買い出しなどで一時的に外出しているタイミングらしく、アクア、ノブユキ、ケンゴの男子三人のみが残され、男同士で適当に駄弁っているシーンが映し出されていた。
『そういえばさ』
ふと、窓の外へ視線を向けたノブユキが、何かに気がついたようにニヤリと笑った。カメラの死角になっているが、どうやら外から帰ってきた女子たちが窓の近くに身を寄せているのを察知したらしい。
ノブユキはそれを逆手に取るように、わざとらしく声を張り上げた。
『ズバリ聞くけど、あの中で誰が一番好み?』
『……本当にズバリだな』
突拍子もないノブユキのフリに、ケンゴが苦笑いしながら相槌を打つ。
『こういうのは、一人だけ名前を挙げても、誰も挙げなくても角が立つ奴じゃないか』
画面の中のアクアが、やれやれと深いため息を吐いた。
男同士のノリに付き合いながらも、後々の波風を立たせないための絶妙な防衛線。少し考えてから、アクアは妥協案を提示する。
『誰か一人を挙げるんじゃなくて、全員のいいところをそれぞれ言う、って感じならいいぞ』
『お、意外と乗り気じゃんアッくん! じゃあ、一番槍はくれてやるぜ』
ノブユキが面白そうに前のめりになる。
少しの沈黙の後、アクアは静かに話し始めた。
『そうだな……。一番ドキドキするのは鷲見さんで、話していて一番楽しいのはMEMちょ。……一番綺麗なのは、黒川さんって感じか』
誰も落とさず、かつそれぞれの魅力を的確に表現した回答。
『へぇー。その心は?』
『……なんだよ。なんだか俺にばっかり言わせるな?』
ケンゴからの追及に、アクアは少しだけ居心地が悪そうに苦情を入れた。
別視点のカメラからは、女子組がアクアの言葉を待ってニヤニヤと口角を上げている。
画面の中のアクアは、観念したように息を吐き、言葉を継いだ。
『鷲見さんは、一番女の子らしさを感じてつい意識をしてしまうな。ふとした仕草に、ドキッてさせられないか?』
『あー、分かる! 鷲見ちゃん、なんか放っておけない感じあるよな』
アクアの分析に、ノブユキとケンゴが深く頷く。
『MEMちょは……やっぱり、トークが上手いな。こっちの話もすごく楽しそうに聞いてくれるし、MEMちょ自身が面白い』
前回の「延々とペットの写真を見せられた」という裏事情を微塵も感じさせない、自然なフォロー。会話の引き出し方やリアクションの良さは事実であり、アクアなりの客観的でフラットな評価が、画面越しにも誠実なものとして伝わってくるのだった。
『メっさんは、それが本職みたいなところもあるからね』
画面の中で、ケンゴが納得したように相槌を打つ。
『分かる。話に詰まるとか、何を話せばいいのかって感じること皆無だしな』
ノブユキもそれに同調し、感心したように頷く。
そんな二人に対し、アクアは自分の素直な所感を口にした。
『なんか、お姉さんって感じで安心しないか?』
『『いや、それはない』』
見事なまでに息の合った、異口同音のツッコミ。
ノブユキとケンゴに即座に否定され、アクアは本気で不思議そうにコテッと小首を傾げた。
「ぶっ……あははははっ! アクア凄く気が抜けた顔してる!」
パソコンの前で、ルビーがポップコーンを吹き出しそうになりながら腹を抱えて笑う。
彼女に対してその感想は、他の男子メンバーからすればズレて聞こえるものだった。
「……あの男、変なところで感覚がバグってるのよね」
かなも呆れたように呟きながら、サクサクとポップコーンを咀嚼した。
ひとしきり笑いが起きた後、画面の中では、話題がいよいよ最後の一人へと移っていた。
『黒川さんは――これは今ガチの外の話になるんだけど』
少しだけ前置きをして、アクアの纏う空気がわずかに変わった。
先ほどまでの、少し斜に構えたような、あるいは計算された『落ち着いた少年』の態度は鳴りを潜め、一人の役者としての真摯な顔つきになる。
『前に、演劇でキャストとして参加しているところを見たんだ』
『へぇ、舞台の?』
『ああ。……凄かった』
ただの世間話から一転、アクアの低い声音に、確かな熱がこもる。
『その場所から、黒川さんが消えたみたいに舞台に溶け込むんだ。だけど、存在感が消えたってわけじゃない。その舞台のキャラクターとして、ごく自然に居たかのようだった』
熱っぽく語るアクアの言葉に、ノブユキもケンゴも引き込まれるように静かに耳を傾けていた。
『俺も少しは芝居を齧っている身だからさ。……すごい、って感想よりも先に、「綺麗だ」って言葉が出たな』
ふと、アクアは少しだけ目を細め、視線を宙に浮かせた。
まるで、かつて見たその舞台の光景を、照明に照らされた彼女の姿を、今この場で眩しそうに思い返しているかのように。
『そういうことは……直接、本人に言ってやってもいいんじゃないか?』
ふと、しんみりとした空気を切り裂くように、ノブユキが意地悪くニヤニヤと笑いながら口を開いた。
『……ん?』
アクアがいぶかしげに眉を寄せると、ノブユキは楽しげに親指でクイッと窓の外を指し示した。
釣られてアクアとケンゴがそちらへ視線を向けると――窓のすぐ外に身を潜め、こっそりと中の会話を盗み聞きしていた女子メンバー三人の姿があった。
そう、最初に窓の外へ視線を向けた際、ノブユキはとっくに帰ってきていた彼女たちの存在に気が付いていたのだ。その上で、アクアにだけターゲットを絞り、わざとあの質問を投げかけて「本人のいる前で本音を語らせる」という巧妙な罠を張っていたのである。
窓の外では、面白くてたまらないといった様子で、ゆきとMEMちょがニマニマと意地悪な笑みを浮かべていた。
そしてその隣には――先ほどまでの「綺麗だ」という熱烈なベタ褒めを思い切り直接聞かされてしまい、真っ赤になっているあかねの姿があった。
『…………謀ったな、ノブユキ』
完全に退路を断たれ、見事な公開処刑を食らったアクアが、恨めしそうなジト目でノブユキを睨みつける。
『あははははっ! ごめんごめん、アッくんが真面目に語るからつい!』
『うわー、ノブえっぐ』
腹を抱えて笑うノブユキと、ドン引きしながらも面白がるケンゴ。
完全に嵌められた形となったアクアだったが、数秒だけ天井を仰ぎ見た後、すぐにいつもの落ち着いた態度を取り戻して小さく肩をすくめた。
『……まぁいいさ。聞かれて困るようなことは言ってないし、本当のことしか言ってないからな』
その堂々とした開き直りに、外で聞いていた女子たちの間から「おおー」と冷やかしの歓声が上がる。
窓を開け、率先して乗り込んできたMEMちょが、小悪魔的な笑みを全開にしてアクアをからかいにかかった。
『ほほー? じゃあ、私のこと「お姉ちゃんみたい」に思ってくれてたんだ?』
『……お姉ちゃんか。そうなのか?』
アクアは少し考えるように視線を外す。
『話していて落ち着くし、一緒にいて安心するな。ああ、なるほど。確かに、MEMちょと一緒にいる時間は新鮮な感じだ』
『えへへー。じゃあ、私のこと「MEMおねーちゃん」って呼んでみてよ!』
完全に主導権を握ったつもりのMEMちょが、身を乗り出して無茶ぶりを仕掛ける。
アクアはさらりとその言葉を流した。
『それはダメだろう? これ、一応「恋愛リアリティショー」なんだから。恋も何もない「姉扱い」じゃ、恋愛の対象にできないじゃないか』
『えっ』
『……』
アクアは何と無しにそれを口にする。周囲はアクアの言葉にしばし言葉を失った。
「姉扱いじゃない」=「MEMちょを恋愛対象として見ている、貴方を意識しています」という、遠回しなカウンター宣言。
『アハハ、そうだねー……ん?』
数秒遅れてその意味を理解したMEMちょの動きが、ピタリと止まる。
『んー? んん? ……っ!! 〜〜〜〜ッ!!』
みるみるうちに顔を限界まで赤く染め上げたMEMちょは、声にならない悲鳴を上げながら、その場にパタッと崩れ落ちて顔を覆ってしまった。
『あ、メっさんがカウンター食らって自爆した』
その光景を見ていたケンゴが、気の毒そうな、しかしどこか楽しげな声で実況を入れた。
だが、当の発言者であるアクアは、意図してMEMちょを口説きにいったわけでは全くなかった。彼はただ、『恋リアという番組の前提において、最初から相手を対象外にするような発言は不適切である』という、ごく常識的で論理的な事実を述べたつもりだったのだ。
顔を覆ってしゃがみ込むMEMちょを見下ろし、アクアは本気で不思議そうに首を傾げた。
『……ノブユキ、どうしてMEMちょは恥ずかしがっているんだ?』
一切の計算がない、純度百パーセントの真顔で放たれたその疑問に、ノブユキは深く天を仰いだ。
『すげぇ、これがイケメンってやつか……』
『庇護欲まで操作するとはな。中々やろうと思ってもできないぞ』
呆れ半分、感心半分のケンゴの言葉に、アクアは心外だとばかりに眉をひそめる。
『お前らの顔面偏差値だって高いだろうが』
『いや、そういう問題じゃないんだよなぁ……』
ノブユキがやれやれと肩をすくめ、ケンゴも同意するように苦笑いを浮かべていた。顔がいいだけの男なら他にもいるが、この「全く無自覚なまま相手のパーソナルスペースの最奥に踏み込んでくる」という生来の気質こそが、最も恐ろしい武器なのだと二人は悟っていた。
「「…………はぁ」」
パソコンの前。
ルビーとかなは虚無の瞳で、画面の中で首を傾げる無自覚な兄(幼馴染)の姿を静かに見下ろしている。
「……ねぇ、先輩」
「なによ」
「お兄ちゃん、あの天然のタラシっぷり、もう病気なんじゃないかな。私、流石に身内のあんなところ見たくなかったかも」
「……本人は大真面目に番組のルールに則って常識的な対応をしてるつもりだから、余計にタチが悪いのよ」
二人は、完全に感情を失った声でポツリと感想を漏らし、同時にポップコーンを一つ口に放り込んだ。サクリ、という乾いた音だけが、虚しく室内に響き渡った。
サクサクとポップコーンを食べる音がしばらく続いた後、かなが忌々しげに画面を指差した。
「それにしても、この黒川ってやつは本当にダメね!」
「……先輩、それどこ目線の台詞なの?」
ルビーが呆れたようにツッコミを入れる。
「アクアのプロデューサー目線よ。……まぁ、本人のあの無自覚なタラシっぷりだけはプロデュースのしようがないし、止められないんだけれど」
かなは忌々しげに舌打ちをしてから、さらにヒートアップする。
「問題はそこじゃなくて! せっかくアクアがあれだけの隙を作ってあげたんだから、そこで一歩踏み込めばいいのにって話よ」
かなの視線は特大のチャンスが目の前に転がっているのに食いつこうとしない、愚鈍な牛を親がわりに見るような苛立ちを含んでいた。
「あれって……何かアクア、やろうとしてたの?」
ルビーが首を傾げる。あの「綺麗だ」という発言は、てっきりアクアが無意識のうちに漏らした素の感想だと思っていたのだ。
「まぁ私視点でも五分五分だけれど、窓の外に女子たちが居たことを、ノブユキが動く前から気付いていたようには見えてたわね」
「えっ、そうなの?」
「多分。でも当たってると思うわよ。その上で、鷲見やMEMちょのことはサラッと流して、あかねのことだけ重点的に語ったのよ」
かなは腕を組み、プロの視点で映像の裏側を読み解いていく。
「自己アピールが下手なあかねが少しでもカメラの前で目立てるように、あいつがあかねのパーソナリティや『役者としての凄さ』を本人に代わって話してあげたのよ。あそこまでお膳立てしてやったんだから、あかねの方から『どうしてあんなこと言ったの?』って食いついていけば、完全に二人の会話のターンに持ち込めたはずなのに!」
同じ役者として、そしてかつてのライバルとして。
画面の中でただ真っ赤になって縮こまっているだけの黒川あかねの不器用すぎる立ち回りに、かなは歯噛みするような苛立ちを隠せないのだった。
「見事にMEMちょに横から餌を強奪されてるじゃない。芸能界で生き残りたいなら、出された自分の餌を食べるだけじゃなくて、ある程度は『隣の餌もついでに食い散らかす』ぐらいの強欲さを見せなきゃダメなのよ!」
画面の中で完璧なオチを持っていったMEMちょと、完全に蚊帳の外になってしまったあかねを対比しながら、かながバンバンと机を叩いて熱弁を振るう。
「なんか先輩、バラエティーの立ち回りとかに結構詳しいんだね」
ポップコーンを頬張りながら、ルビーが素直な感心の声を漏らした。
その言葉に、かなはふふんと得意げに鼻を鳴らし、ふんぞり返るように胸を張った。
「そりゃそうよ。私を誰だと思ってるの? これでも、いろんなテレビ番組やバラエティーに数え切れないほどの出演経験があるんだから」
「へぇー。……それって、もしかして子役時代の話?」
「うっ」
ルビーの無邪気で一切の悪意がない天然の刺突。
『元・天才子役』という自分の経歴の痛いところを的確に抉られ、かなは見事に言葉を詰まらせた。十年前の栄光を今の自分の実力のように語ってしまった気恥ずかしさに赤くなる。
「い、いいのよ! いつだろうと経験は経験なんだから!」
痛いところを誤魔化すように、かながムキになって声を張り上げる。
「少なくとも! 爪痕の一つも残せないこの黒川よりは、私の方がカメラの前で十分うまく立ち回れるわ! 私があの場にいたら、アクアのあのアシストを完璧に拾って、最高の撮れ高にしてやったんだから!」
画面の中でオロオロしているかつてのライバルに対し、全力でマウントを取るかな。
「……どれどれ、コメントの方はどうなってるかなー」
ルビーがスマートフォンを取り出し、配信画面の横に流れるリアルタイムの実況コメントをスクロールし始めた。
『MEMちょがまたアクアきゅんに悶えた!』
『限界化MEMちょの供給助かる』
『新鮮なMEMちょが見れて今ガチ最高』
『アクアくんの天然タラシっぷりがかわいいw』
『ノブケンアクの男子三人の雰囲気いいよね』
タイムラインは好意的なコメントで溢れかえっていた。
特に、アクアの無自覚なキラーパスに振り回されて普段の余裕を崩しているMEMちょや、天性の女の子らしさで男子メンバーの意識を自然と惹きつけている鷲見ゆきに対して、視聴者の人気と関心が集中しているのがはっきりと分かる。
「やっぱり、この二人は立ち回りが上手いわね」
かながプロの目線で、冷静に状況を分析する。
MEMちょは自身の武器であるリアクションの良さを最大限に活かしており、ゆきもまた、自分がどう振る舞えばカメラに愛されるのかを本能レベルで理解している動きだった。
「えっ? でも、この鷲見ちゃんって子は、計算とかじゃなくてすっごく純粋そうじゃない?」
ルビーが不思議そうに小首を傾げる。
画面の中でニコニコと笑い、誰に対しても分け隔てなく接するゆきの姿は、ルビーの目には裏表のない素直な女の子にしか見えていなかった。
「…………」
かなは、心の底から呆れたような、あるいは心配するような目で、じっとルビーの顔を見つめた。
「……先輩? なんでそんな可哀想な子を見るような目で私を見るの?」
「……あんた、本当に騙されやすいから、しばらく男とか作るんじゃないわよ。絶対に悪い男に引っかかるタイプだわ」
ゆきの振る舞いの裏にある『無意識のあざとさ』や『天性の見せ方』に全く気が付いていないルビーの素直すぎる感性に、かなは深い、深い溜息を吐き出すのだった。
実際のところ、かなは相手が演技をしているか否かを百発百中で見分けられるような特殊な目を持っているわけではない。ただ、幼い頃から芸能界という嘘にまみれた世界で生きてきた経験則と嗅覚、そして自分自身の演技の知見から、「なんとなく演じているくさいな」という気配を感じ取れる程度だ。
しかし、それは逆に言えば、「何も演じていない人間」に対する嗅覚も鋭いということでもある。
サク、と最後のポップコーンを噛み砕き、かなは冷めた瞳でパソコンの画面を見つめた。
映像の中で、周囲のペースについていけず、どこか所在なさげに縮こまっている黒川あかね。
どう見ても、彼女はカメラの前で『演技』をしていない。アクアがよく口にするような、自分を守り、魅せるための『嘘の鎧』を微塵も纏っているようには見えなかった。
素の自分をそのまま晒し、ただ真面目に、不器用に立ち回っているだけ。
視聴者の見たいものを計算して提供するMEMちょや鷲見ゆきと比べると、このエンターテインメントにおいて、その姿はあまりにも致命的で無防備だった。
「……どーすんのかしらね、この子は」
誰に言うともなく、かなはポツリと呟いた。
演劇の世界で天才と呼ばれたライバルの痛々しいほどの不器用さに、ほんの少しの呆れと、同業者としてのどうしようもない焦燥感を滲ませながら。