ゴロー先生はアイアンチ 作:作者さん
グラスの触れ合う音と、華やかな笑い声が交錯する広間。
『今日あま』の打ち上げパーティの喧騒から少し離れた壁際で、鏑木プロデューサーは手元のグラスを軽く揺らしながら、面白そうに目を細めた。
「なるほど、君の言っていることが本当だとするのなら、投資対象としては魅力的だ。……どうやら色々やっているようだね、プロデューサーにも興味があったりするのかな」
探るような視線に対し、アクアは真っ直ぐに鏑木を見返して答える。
「そうですね、色々勉強させていただいています」
「そいつは重畳。将来的には手ごわいライバルになりそうだ」
鏑木は軽口を叩き、それから少しだけ仕事の顔を覗かせた。
「ただ……さっき君に言った話は、あくまでも『努力目標』としておこうかな。他の面子も気にしなければならない、Pの愚痴みたいなものだからね」
「それでかまいません。ですが――」
アクアが念を押すように言葉を続けようとしたのを、鏑木は片手で軽く制した。
「分かっているよ。正直、君がやろうと思えば自力でできそうだとは思うが……まぁ、リスクを排したいというのなら理解はできる。約束は守るさ」
そう言って、鏑木は口元の笑みをさらに深めた。
――ふと。
大人の狡猾さと余裕を滲ませたあの日の鏑木の顔を、アクアは脳裏に蘇らせていた。
『今ガチ』の第三回収録が無事に終わった直後のこと。
カメラのランプが消え、スタッフたちが撤収作業を始める中、控室へ向かう廊下でノブユキが気さくに声をかけてきた。
「なぁアッくん、この後あがったら一緒に飯行こうぜ」
「いや……」
アクアは歩みを止めず、即座に首を横に振った。
「家に飯があるから遠慮しとく。ありがとな」
「えー、そんなこと言わないで行こーよアクア君」
横からひょっこりと顔を出したゆきが、引き留めにかかる。
「そうそう。それに今日は、メっさんが焼肉おごってくれるって言ってるしさ」
「言ってないよぉ!?」
ケンゴがニヤリと笑いながら、とんでもない発言を放り込み、少し後ろを歩いていたMEMちょが、素っ頓狂な悲鳴を上げて首を横に振る。
わちゃわちゃと騒ぎ立てる三人。そのやり取りを背中で聞いていたアクアは、ピタッと足を止めた。そして、少しの間だけ虚空を見つめ、深く考え込むように沈黙する。
「焼肉か……行く」
「決まりだなっ」
あっさりと回答を翻したアクアに対し、ノブユキがにこやかな笑顔でサムズアップを決めた。
――そんなこともあって、現在は焼肉屋でテーブルを囲んでいる。
ジュージューと網の上で脂が跳ねる音と、香ばしい匂いが充満する賑やかな個室。
その中心で、ジュース入りのジョッキを片手に立ち上がったMEMちょが、もはやヤケクソ気味な声を張り上げていた。
「おらーっ! 極上肉追加ァ!! 感謝して食いやがれってんでぇガキども!!」
「うおーっ! メっさんマジ太っ腹!」
「一生ついていきます、MEMおねーちゃん!」
「やったー、美味しそう!」
ノブユキとケンゴが大仰に拝むふりをして場を盛り上げ、ゆきもキャッキャと手を叩いて喜んでいる。
フォロワー数十万のYouTuberとしての意地と、最年長としての見栄。それらを最大限に利用され、見事に財布係へと祭り上げられたMEMちょの涙ぐましい(そして少し楽しげな)振る舞いに、一同は大いに盛り上がっていた。
「はい、アクア君。カイノミ焼けたよ」
そんな騒がしい空間の隅っこで。
スッ、とアクアの取り皿に、絶妙な焼き色のついた肉が追加される。隣の席では、あかねがトングを片手に控えめな笑みを浮かべていた。
「ああ、ありがとう。……自分の分は自分で焼くから、そんなに気を遣わなくてもいいぞ」
申し訳なさそうに言うアクアに対し、あかねはふるふると首を横に振る。
「ううん。私、まだまだ精進の身だから、こういう時はトングを手放さないって決めてるんだ」
真面目な顔で、あかねはきっぱりとそう宣言した。自己主張こそ苦手なものの、こうした裏方のような気配りや役割には真摯に徹しようとする、いかにも彼女らしい生真面目なスタンスだった。
「だから、焼き加減が丁度いい感じにできるんだな」
アクアは皿の上の肉を口に運びながら、納得したように呟いた。
本人が明確な意志を持ってやりたいと思っているのなら、ここで無理に止めたり過剰に遠慮したりするのも、かえって余計なお世話というものだろう。そう判断したアクアは、すぐに合理的な思考へと切り替えた。
「そこのカルビとハラミも、もらっていいか?」
「うん、いいよー」
すっかり遠慮をなくしたアクアの率直な要求に、あかねはふわりと嬉しそうに微笑む。そして、トングを器用に操りながら、手際よく次の肉を網の上へと並べ始めるのだった。
トングを器用に操るあかねから、焼けた肉を次々と受け取って平らげていくアクア。そんなアクアの少し砕けた様子を見ていたノブユキが、ふと思い出したように口を開いた。
「なんだかアっくんって、今ガチの収録のときと、今みたいなプライベートの時だとテンションが違うよな」
その指摘に、隣に座っていたケンゴが不思議そうに首を傾げる。
「そうか? 俺たちと話しているときは、カメラが回ってても大体こんな感じじゃなかったか?」
「男どもに丁寧に話してどうするんだよ」
アクアが淡々とツッコミを入れると、ノブユキとケンゴが「たしかに」「違いない」と笑い合った。
ウーロン茶のグラスを傾け、アクアは小さく息を吐く。
「まぁ、言いたいことは分かる。収録中はなるべく丁寧だったり、温和なイメージになるようにしているつもりだ。普段の延長線上の範囲でな」
あくまで『番組上のキャラクター』としての演技であることを、アクアは隠すことなくあっさりと認めた。
「あ、そっか。だからアクア君、お医者さんみたいな感じだったんだね」
ふと、網の上の肉をひっくり返していたあかねが、ぽつりと納得したように呟いた。
「……え?」
「なんていうか、落ち着いてて、こちらのことをよく見てくれて……でも、どこか問診されてるみたいで、少し緊張しちゃったんだ」
トングを持ったまま、あかねは何気ない感想としてそれを口にした。
だが、言われたアクアの方は、思わずピタリと動きを止め、少しだけ目を丸くして彼女を見つめてしまった。
(そこまで分かるのか)
『雨宮吾郎』としての振る舞いをベースに演技を組み立てているとはいえ、そこからズバリ『医者』という具体的なイメージまで持たれるとは、アクアも全く予想していなかった。
黒川あかねという役者の、対象の本質を無意識にすくい取る鋭い観察眼に、アクアは密かに舌を巻く。
「あー、そういう見方もあるんだ!」
アクアの内心の驚きを知る由もなく、MEMちょがジョッキを片手にカラカラと笑いながら会話に割り込んできた。
「私はねぇ、アクたんは実はホストで働いていたんじゃないかと思ったよ! あの聞き上手な感じと距離感、ハマっちゃう女の子の気持ち分かるなぁ」
「ちょっと分かるかも。不思議な感じだよね」
MEMちょのニシシと悪戯っぽい笑みに、ゆきもクスクス笑って同意する。
「……それは散々家族に茶化されたんだ。勘弁してくれ」
第一回の上映時に、とんでもないものを見てしまったかのようなルビーたちの記憶が蘇り、アクアは心底うんざりしたような顔で天を仰いだ。
――それから、しばし時間が経ち。
網の上の肉もすっかりなくなり、そろそろ宴もたけなわといった空気が漂い始めた頃。アクアは周囲の喧騒に紛れるようにして、こっそりと隣のあかねに声をかけた。
「あかね。少しいいか?」
「えっ? うん、どうしたの?」
不意に名前を呼ばれ、あかねがグラスを置いて振り返る。
「ちょっと仕事の話になるんだが、この後に少し時間が欲しい。……いいか?」
「それは良いんだけれど……仕事って、今ガチのこと?」
「ああ」
アクアは短く肯定し、周囲に聞かれないよう少しだけ声を潜めた。
「とはいえ、わざわざ残ってもらう必要はない。帰った後、ビデオ通話で構わないんだが。ディスコードのアカウントとか持ってるか?」
「うん、作ってあるから大丈夫だよ」
スマホを取り出し、手早くフレンド登録を済ませる二人。アクアは「それじゃあ、今日の〇時に連絡する」とだけ短く時間を伝え、あかねもコクリと頷いた。
その後、お開きの流れになり、一行はぞろぞろと店外へ向かう準備を始める。
アクアはそのまますっとみんなの輪から離れ、レジへ向かった。そこには、宣言通りに全員分の会計を済ませてくれたMEMちょの姿があった。
「MEMちょ、少しいいか」
「ん? どうしたのアクたん?」
財布をバッグに仕舞いながら、MEMちょが振り返る。
「少し、仕事の話をしたい。別れた後に、通話で少し時間を貰えるか?」
「……えっ?」
MEMちょは、ほんの少しだけ目を丸くした。
『仕事』という前置き。そして、恋リアの共演者として、あるいは友人として話しかけてくるときのトーンとは違う、他社の人間と事務的な交渉をするような固い響き。
普段のノリとは違うアクアの真剣な空気に、MEMちょは少しだけ考える素振りを見せた。
「……一応、何の話かは聞いていい?」
「一部は、あかねが関わることだ。本人にはもう連絡してある」
淡々と告げられたその言葉に、MEMちょの頭の中でいくつかのピースがカチリと噛み合った。
「……なるほどねぇ」
MEMちょは、それ以上の追求はせずに小さく息を吐いた。
『仕事の話』で、かつ『あかねが関わること』。その二つのキーワードが出た時点で、MEMちょにはアクアの目的がほとんど予想できていた。
自己主張ができず、器用に立ち回ることもできない不器用な役者。
おそらくアクアは、あかねの現状の立ち位置をどうにかするための打開策を、自分に相談しに来たのだろう。
「……分かった。いいよ」
MEMちょは、いつも通りの軽い調子で快諾した。
アクアから指定された時間を確認し、「じゃあ、後でね」とだけ言い残して、何事もなかったかのように他のメンバーたちの輪へと戻っていく。
その後、一行は店の前で解散し、それぞれの帰路へとついた。
――
数時間後、各自の私室。
パソコンのモニターが発する淡い光だけが部屋を照らす中、指定された時間にアプリの通話グループが立ち上がった。
画面には、ヘッドセットをつけたアクア、すっぴんに部屋着姿のあかね、そして自室の配信スペースから繋いでいるMEMちょの三人が映し出されている。
『夜遅くにすまない。集まってくれて助かる』
通話が繋がって早々、アクアが静かに本題を切り出した。
『俺から頼みたい要件があるんだが……その前に、いくつか確認しておきたいことがある。各自の番組に対するスタンスについてだ』
画面越しの真剣な眼差しに、あかねが少しだけ緊張したように背筋を伸ばす。
一方のMEMちょは、椅子の背もたれに寄りかかりながら、思い出したように口を開いた。
『スタンスって……あー、それって前にアクたんがみんなに聞いてた、「恋リアでリアルに恋するの?」ってやつ?』
カメラが回っていないところで、アクアが探りを入れるように出演者たちに投げかけた質問。その時、MEMちょは場を盛り上げるために「するよぉ!」とおどけて見せたが、そういえばあかねの答えはちゃんと聞いていなかったな、とMEMちょは思い返していた。
『いや』
だが、画面の中のアクアは短く首を横に振った。
『何を目的として『今ガチ』……恋愛リアリティーショーに出たか、ということだ』
『……目的? えっと』
『勝手な予想だが』
あかねが小首を傾げると、アクアは淡々と自分の中の分析を口にする。
『MEMちょは、自分のYouTubeチャンネルへの導線を確保するため。あかねは、舞台だけでなく映像作品への出演機会を得るため。……二人とも、基本的には『仕事のため』だと思っていたんだが、どうだ?』
ズバリと言い当てられた図星に、あかねはビクッと肩を揺らした。
『う、うん……。マネージャーさんが、顔を売るチャンスだから出てみないか、って推薦してくれて……だから、その通り、だよ』
あかねは少し気まずそうに、しかし正直に頷いた。自分の野心を見透かされていたような気恥ずかしさがあったが、アクアの声音にはそれを非難するような響きは一切なかった。
『んー』
あかねの返答を聞いたMEMちょが、少し意地悪な笑みを浮かべて画面を覗き込む。
『「楽しそうな仕事だから、なんとなく出ただけだよー」って言ったら、アクたんはどうするの?』
それは、アクアの真意と度胸を量るための、ほんの少しの揺さぶりだった。
しかし、アクアは表情一つ変えることなく、冷静に言葉を返す。
『それならそれで構わない』
『……ふーん?』
予想外に素っ気ないアクアの返答に、MEMちょは感心したように目を細めた。
『私達だけに聞くって言うのも通らないよねぇ』
MEMちょが、モニター越しに探るような、少しだけ鋭い視線を向けてくる。
こちらの腹を割らせたのだから、そちらも腹を割るべきだ。そんな大人の交渉術の基本とも言えるMEMちょの要求は、アクアからすれば想定通りのものだった。
『そういうことを言うってことは、アクたんはなにか違う理由があるってことかな?』
『ああ』
アクアは一切のためらいもなく、短く肯定した。
『この企画のPと話がついていてな。俺はこの企画の最低限の撮れ高を確保したい』
『最低限の撮れ高……?』
あかねが不思議そうに反芻する。アクアは静かに言葉を継いだ。
『それは、俺自身が目立ちたいという意味じゃなくて、この恋リア全体の話だ。……きわめて限定的な部分だけにはなるが、俺は企画側の人間だと思ってくれていい』
その言葉が意味する事実の重さに、通話グループに一瞬、深い沈黙が落ちた。
『えっ……!? 企画側って、それ……』
あかねが目を丸くし、分かりやすく動揺をあらわにする。
無理もない。つい数時間前まで、自分たちと同じ「出演者」として焼肉をつつき合い、同じ目線でカメラの前に立っていたはずの少年が、実は番組の裏側でプロデューサーと繋がり、制作側、裏方の視点で動いていたと明かしたのだ。
『……、アクたんがどうしたいのか聞いてもいい?』
慎重に言葉を選ぶように、MEMちょがモニター越しに問いかける。
『その「最低限」って部分だけ満たせば、あとは私達と同じただの出演者なのか、それとも、がっつり企画側の人間として動いてるのか、さ』
『後者の疑問への答えになるが、俺はがっつり企画側というわけじゃない』
アクアは淡々と事実だけを述べる。
『俺がPと約束したのは、その最低限の撮れ高のことだけだ。それ以外の指示は企画側から一切聞かされていないし、現場のDですらその話は知らないと思うぞ』
『うわぁ……それはまた、随分と難しい立場にいるねぇ、アクたんは』
事情を察したMEMちょが、心底同情するような、呆れたような深いため息を吐き出した。
プロデューサー直々の特命を帯びながら、現場の責任者であるディレクターすら関知していない密命。同じ共演者としてどう接すればいいのか、少し分からなくなってしまいそうだとMEMちょは内心で頭を抱える。
『それで……』
戸惑いを見せていたあかねが、恐る恐る口を開いた。
『アクア君の考える「最低限の撮れ高」っていうのは、何なの?』
『前提の話になるんだが』
アクアは画面越しの二人を見据え、感情を排した声で説明を始める。
『恋愛リアリティーショーにおいて、視聴者が最も注目するのは「最後に誰と恋人になるか」という結末の部分だ。当然と言えば当然だがな。そして、この終わり方の違い――誰と誰がくっつくか、あるいは誰もくっつかないかで、配信動画のリピート率やリプレイ回数に大きな差が出ているらしい』
まるで、どこかの企業のマーケティング会議のような冷徹な分析。
恋や青春といった綺麗なパッケージで包まれた番組の、その奥底にある「数字」という生々しい現実を、アクアは隠すことなくテーブルの上に並べた。
『まぁ、これはPの持つデータから聞いた話だから、実際はどうなのかは分からない。ただ、番組の上の方ではそう判断されていて、事実として数字を求められている』
そこで一度言葉を切り、アクアは画面の向こうの二人に視線を合わせた。
『ははぁ、なるほどねぇ。要するにアクたんは、『やらせ』をしたいってことかな?』
MEMちょが、モニター越しに少しだけ声を潜めて核心を突く。
アクアは表情を変えることなく、淡々と頷いた。
『そうなるな。もし、最終回までに誰もくっつかなかった場合の保険だ。その時は俺から、まずは友達からよろしく、という程度の告白をするから、それを受け取ってくれ。その代わり、そちらがこの番組で果たしたい目的には全面的に協力する。……そういう契約だ』
そのドライな提案を聞いて、MEMちょはようやく腑に落ちた。
なぜアクアが、焼肉屋の帰り際にわざわざ『仕事の話だ』と前置きをしたのか。ああ、確かにこれは、出演者や友人同士としての相談などではない。互いの利益のための、他社の人間と交わすような純然たる『
『ん〜、そういう話なら私はパスかなぁ』
少しの思考の後、MEMちょはあっけらかんとした声でその提案を蹴った。
『確かにお仕事としてこの企画に参加しているけどさ、せっかくならリアルに楽しみたいっていう思いもあるからね。嘘の告白で終わらせちゃうのは、ちょっと勿体ないかなって』
そう言ってから、MEMちょはふふっと悪戯っぽい笑みを浮かべて画面を覗き込む。
『あっ、もちろんアクたんが本気で私を落としに来ちゃうなら、話は別で分かんないかもねぇ?』
『そうか。MEMちょがそれなら、それで構わない』
からかうようなMEMちょの言葉に対し、アクアは残念がる素振りすら見せず、あっさりと引き下がった。
『ただ、通話を切るのはもう少しだけ待ってほしい』
淡々とそう告げるアクアの姿に、MEMちょの胸の内に小さな違和感が芽生えた。
(……あれ?)
アクアの反応があまりにもあっさりとしすぎている。
まるで、最初からMEMちょに断られることを前提としていたかのような、あるいは『本命は別にある』と言わんばかりの振る舞い。
(なんで私を引き留めたんだろ……?)
MEMちょが訝しげに画面の中の少年の真意を探ろうとした、その時だった。
『その……告白を受け取るってことは、カメラが回っていないところでも、本当に恋人関係になるってことかな?』
MEMちょが沈黙する中、通話越しに、あかねが戸惑ったような声で尋ねた。
画面の中の彼女は、両手でマグカップを包み込むように持ちながら、不安げに視線を彷徨わせている。根が真面目な彼女にとって、「嘘の告白を受け取る」という行為の境界線がどこにあるのか、測りかねているようだった。
『少し違う』
アクアは、あかねの不安を打ち消すように、淡々とした声で答えた。
『もしかしたらこの先も関係が続くのかも、と視聴者に思わせられればそれで十分だ。番組が終わった後も、SNSなんかで数回の近況報告は必要になるだろうが……基本的には、時期を見て自然消滅するものと考えてくれていい』
『……自然消滅』
生々しくもリアルな芸能界の裏事情――いわゆる『ビジネスカップル』の末路を告げられ、あかねが小さく息を呑む。
アクアは、画面越しのあかねの強張った表情を見て、小さく息を吐いた。
『少し、言い方を変えるか』
一切の甘さを排した、冷徹なまでの交渉人の声。
『俺は、番組を成立させるためにあかねを利用したい。だから――あかねも、自分の仕事のために俺を利用してくれ』
『……!』
それは、恋愛リアリティーショーという番組の根幹を揺るがすような、あまりにも身も蓋もない提案だった。
好意も、恋愛感情もない。あるのはただ、互いの目的を達成するためだけの純然たる利害関係。アクアはあえて言葉を飾らず、己の冷たい本心を突きつけることで、あかねの背中を押そうとしていた。
『実際、あかねがこの恋愛リアリティーショーという場で、どう振る舞えばいいか分からずに迷っているのなら』
アクアは、あかねの瞳を真っ直ぐに見据えたまま言葉を続ける。
『「最終的に俺から告白される」というある程度の
『……それは、そうだね』
あかねの眼差しから、先ほどまでの戸惑いがすっと消え去った。
代わりに浮かび上がったのは、与えられた台本を読み解き、自身の役割を構築しようとする『役者』としての静かな熱を帯びた瞳だった。
『私が、最終的にアクア君のことを好きになる女の子……どんな子なのかを考えて、そこから逆算して立ち回ればいいのなら。
『ああ。だが、無理に目立った動きをする必要はない』
あかねの冷静な分析に頷き、アクアは今後の具体的な展望を口にした。
『最後にこちらからあかねに告白するってことが分かっているなら、基本的には普段通りに振舞ってくれればいい。幸い今は、ゆきとノブユキ、ケンゴの三角関係に番組のフォーカスが当たっている。画面の端っこで、俺と些細な絡みでもしていれば、後々の伏線としてある程度の画は使ってもらえるだろうからな』
画面の端で交わされる、目立たないけれど確かな交流。それが最終回の告白シーンに向けた布石として機能すれば、番組としての体裁は十分に保てる。
アクアの提示したロードマップは、自己主張が苦手なあかねにとって、これ以上ないほど現実的で負担の少ない最適解だった。
『…………』
あかねはモニターを見つめたまま、小さく唇を結んで沈黙した。
自分の置かれた状況、アクアの提案の妥当性、そして役者としての自分にできること。それらを脳内でフル回転させ、少しでも番組に貢献できる道筋を真剣に模索しているのだろう。
そんな二人のビジネスライクなやり取りを黙って聞いていたMEMちょは、堪えきれないといった様子で天を仰いだ。
『アクたんさぁ……』
深々と、心の底からのため息が通話マイクに乗る。
『どうしてそう、素直じゃないのかなぁ』
『……何がだ』
急に矛先を向けられたアクアが、いぶかしげに眉をひそめた。
MEMちょは呆れたように肩をすくめ、画面越しにアクアをジト目で睨みつける。
『どうしてそこで、「あかねちゃんが一人で埋もれて悩んでて心配だから、テコ入れしようぜ」って、素直に言ってあげられないのさ』
利害の一致だの、自分を利用しろだの。
いかにも冷徹なビジネスめいた言葉で取り繕っているが、要するにアクアがやろうとしていることは、立ち回りが分からずに孤立しかけているあかねに対する、完全な『救済措置』でしかない。
それを恩着せがましく言うどころか、あたかも自分が得をするための契約であるかのように偽悪的に振る舞うアクアの不器用すぎる優しさに、MEMちょは呆れ果てていた。
『だが、俺がPと密約を交わしているのは事実だ』
痛いところを突かれたからか、アクアは少しだけ居心地が悪そうに視線を逸らして反論した。
そんな彼の姿に、MEMちょはフッと息を吐き、画面越しの不器用な少年に向かって柔らかく微笑んだ。
『だから、そういう言い方しかできないよ、ってことでしょ?』
『……』
沈黙するアクアを見て、MEMちょは内心で密かに舌を巻いていた。
(本当に、この子は……)
もしもアクアが、本気で『番組の撮れ高』のためだけに行動しているのだとすれば、こんな面倒なビジネス契約を提案する必要すらない。恋愛リアリティーショーでの無自覚なタラシっぷりがあれば、あかねや自分をその気にさせて堕として、本物の恋人関係を作るなど、彼にとっては造作もないことなのだ。
それなのに、わざわざ好意を排除した『やらせ』を持ちかけてきた。
『番組終了後の関係清算を面倒に思ったから』という冷徹な見方をするには、星野アクアという少年の性根は、あまりにも真面目すぎた。女の子の心をもてあそぶような真似がどうしても出来ないからこそ、最初から『これはビジネスだ』と明確な線を引いてみせたのだ。
(あー。なるほどねぇ)
そこまで考えが至った瞬間。MEMちょは納得する。
なぜアクアが、提案を蹴った自分をわざわざこの通話に留まらせたのか。その『真の理由』が、ストンと胸に落ちた。
(……アクたんは、私を『あかねちゃんの味方』としてここに置いたってワケだ)
いくら指針になるとはいえ、この打算的な提案を、生真面目なあかねが一人きりで受け止めるには不安が大きすぎる。
だからこそ、あかね自身が頼り、意見を聞くことのできる同性の第三者として、最年長の自分をこの場に配置したのだ。それも、アクアの側に立つ『共犯者』としてではなく、あかねの気持ちを真摯に思い、彼女に寄り添うことのできる立場の者として。
なぜ、この場に残されたのが自分だったのか。他のメンバーたちの顔を思い浮かべれば、その理由はあまりにも明白だった。
(ゆきちゃんは、カメラの前での立ち回りや企画側の意図と波長が合いすぎている。ノブユキ君は根が真っ直ぐすぎて、こういう裏表のある腹芸には絶望的に向かない。ケンゴ君なら上手く立ち回れるだろうけど……やっぱり男の子相手じゃ、あかねちゃんも同性相手のようには躊躇いなく頼れないもんね)
消去法と言ってしまえばそれまでだが、この恋リアの裏側で進行する『密約』において、あかねの精神的なストッパーとして適任なのは自分しかいなかったのだ。
どこまでも周りが見えていて、底知れないほどに過保護。すべてを計算し尽くした上で、あえて嫌われ役を被ろうとするアクアの不器用さに、MEMちょはモニターの前で小さく肩を揺らして笑った。
『えっと……つまり』
MEMちょの言葉とアクアの態度から、ようやく事の真意を理解したあかねが、マグカップを持ったままおずおずと口を開く。
『アクア君は、一人で上手くやれてない私のことを、心配してくれた……ってことで、いいのかな?』
その率直でストレートな問いかけに、アクアはピクリと眉を動かした。
『……………………心配も、しているのは事実だ』
たっぷり十秒近い沈黙の後、アクアは画面からわずかに視線を逸らし、ひねり出すようにそう答えた。
あくまで『番組のため』というビジネスの前提を崩すまいとする、往生際の悪い肯定。
『アクたん、まだあがくの?』
MEMちょが、心底楽しそうな声で追撃をかける。
『心配「も」、っていっても、その心配部分がアクたんの動機のほとんどじゃん』
『……』
図星を突かれ、画面の中のアクアはこれ以上なく苦々しい表情で黙り込んだ。
理詰めで完璧なビジネス契約の仮面を被っていたはずが、あっさりと底にある「お人好しな素顔」を引き剥がされてしまった少年の姿。
『……ふふっ』
そんなアクアのバツの悪そうな顔を見て、あかねの唇から、自然と柔らかな笑みがこぼれた。
画面の向こうにいるのは、ただ誰よりも周りを見ていて、不器用な優しさを隠しきれない、同年代の男の子なのだと分かったから。
『……ありがとう』
ふんわりと微笑んだあかねが、画面越しの不器用な少年に向かって、真っ直ぐに感謝の言葉を紡ぐ。
『アクア君は、私のプライドだとか、番組の中で色々迷子になって頑張っていたことを、大事にしてくれたんだね』
『…………』
直球すぎる感謝をぶつけられ、アクアは完全に沈黙した。
否定すればさらにいじられると分かっているのか、あるいは図星を突かれすぎて反論の言葉も見つからないのか、ただ画面から視線を逸らして無言を貫いている。
『だから、ただ助けられるだけじゃなくて、「私自身の頑張りの延長線上だ」って思えるように、ああやって色々言ってくれたんだ』
あかねは両手で持ったマグカップに少しだけ顔を近づけ、恥ずかしげにはにかんだ。
『なんだか、すごく気を遣わせちゃったね』
『………………』
アクアからの返答はない。
ただ、画面に映る彼の表情は、先ほどまでの「冷徹な交渉人」の面影など微塵もなく、同年代の女の子からの純度百パーセントの好意と感謝を真正面から浴びて、完全に居心地の悪さを極めた少年のそれだった。
(うわぁ、あれはきつい)
ミュートにしたマイクのこちら側で、MEMちょは腹を抱えて笑いをこらえていた。
自ら被っていた『打算的なビジネス』という露悪的な仮面。その意図や理由を、あかねの素直な言葉によって、一つ一つ、あまりにも丁寧に解体されているのだ。
(あかねちゃん、天然でやってるから余計に逃げ場がないんだよね。アクたん、今絶対『頼むからもうやめてくれ』って思ってるよ……!)
肩を震わせながら、MEMちょは最高に面白いおもちゃ――もとい、愛すべき不器用な男の子と、生真面目で素直な女の子のやり取りを、心の底から楽しんで見守っていた。
『私もね』
ふと、あかねが真剣な、それでいてどこか確かな熱を帯びた声で言葉を紡ぎ始めた。
『演劇の舞台の上では、ただ自分の役割を果たす、ってだけじゃなくて……この舞台を、作品全体を盛り上げたいって思って演じているんだ』
『……』
『だから、この番組でも、そういう思いが無いって言ったらウソになるんだ』
あかねは画面越しに、恥ずかしそうに、けれど決意を秘めたようにはにかんだ。
最初はマネージャーに勧められて、ただ流されるままに参加しただけの仕事だったかもしれない。けれど、一度カメラの前に立ち、共演者たちと共にひとつの作品を作っている以上、彼女の中には確かな『役者としての情熱』が存在していた。
『だから、うん。そうだね』
あかねは居住まいを正すと、画面の向こうのアクアと、そしてMEMちょに向けて、ぺこりと深く頭を下げた。
『私も、アクア君やMEMちょと一緒に、この番組を盛り上げたいです。だから……どうしたらいいのか、一緒に考えてください』
打算でも、冷徹なビジネスでもない。
それは同じ『今ガチ』という舞台に立つ仲間としての、純粋で真っ直ぐな共闘の申し出だった。
『勿論いいよぉ!』
その言葉を待っていましたと言わんばかりに、MEMちょがミュートを解除して勢いよく食いついた。
画面の中で満面の笑みを浮かべ、元気よくサムズアップを作って見せる。
『あかねちゃんがそう言ってくれるなら、私もお姉さんとして全力でバックアップしちゃうからね!』
そう高らかに宣言してから。
MEMちょは、ニマニマと最高に意地悪な笑みを浮かべ、画面の端で無言を貫いている少年へと視線を向けた。
『……それで、アクたんは?』
『……』
『さっきの話の続き、する?』
「俺はあかねを利用したい」だの「俺を利用してくれ」だの。
あかねのあまりにも真っ直ぐで純粋な決意表明を聞いた後で、今更あの小賢しいビジネスライクな台詞をもう一度吐けるものなら吐いてみろ、というMEMちょなりの強烈な意趣返し。
完全に退路を断たれ、まな板の上の鯉となったアクアの反応を、MEMちょとあかねの二人は画面越しにじっと待ち構えていた。
『……俺は別に、あかねの言葉を否定する理由はない』
カメラから露骨に視線を逸らしながら、アクアはボソリと、どこまでも歯切れ悪くそう呟いた。
それは、打算的なプロデューサー気取りの少年が白旗を上げた、完全な「全面降伏」の合図だった。
『ぶっ……あははははっ! もう、アクたん最高!』
『ふふっ、ふふふっ……』
ついにこらえきれず腹を抱えて吹き出してしまうMEMちょと、マグカップの後ろで口元を隠しながら、くすくすと笑い声を漏らすあかね。
冷徹なビジネス交渉の場になるはずだった深夜の通話グループは、いつの間にか、年相応の温かな笑い声に包まれていた。
『それじゃあ、やってやりましょうか! 私達の番組のテコ入れってやつをさ!』
MEMちょが力強く、とびきり楽しげな声で宣言する。
あかねが真剣な、けれど晴れやかな笑顔でコクリと頷き、アクアはやれやれと深い深いため息を吐いた。