ゴロー先生はアイアンチ 作:作者さん
「ふふーん♪」
陽光が差し込む教室の窓際。ルビーは自分の席に座りながら、朝から隠しきれない上機嫌なオーラを周囲に振り撒いていた。
「なんやルビー、今日はえらいご機嫌やねぇ。どうしたん?」
前の席から振り返った寿みなみが、面白そうに小首を傾げる。
「えへへ、実はね……先輩とのユニット、新生B小町のポスターが完成したんだ!」
「おおー! おめでとう!」
みなみはルビーの机の横に立てかけられている、図面を入れるような細長い丸筒を見て納得の声を上げた。
芸能科という土地柄、仕事の荷物を学校に持ち込むこと自体は珍しくないが、ルビーのそれは宝物のように大切に扱われていた。
「実物は大きいから広げられないけど、データならスマホで見れるよ! ほら!」
ルビーは嬉々としてスマホを取り出し、画面をみなみに向ける。
そこに映し出されていたのは、鮮やかな色彩で彩られた一枚のポスター画像だった。
ルビーとかなの二人が、互いの手の平をぴったりと合わせ、顔を寄せ合ってカメラを見つめている。ルビーの瑞々しいエネルギーと、かなの洗練された女優としてのオーラが奇跡的なバランスで融合し、カッコよくもあり、綺麗でもあり、そして何より最高に可愛らしい、強烈な引力を持った一枚に仕上がっていた。
「わぁ……! これ、めっちゃええやん! プロの仕事って感じやねぇ」
「そうなんだよ! 先輩もものすごくキリっとしててかっこいいでしょ!」
「うんうん。可愛いとカッコええが両立しとる。ええもん作ってもらったんやなぁ」
みなみが自分のことのように嬉しそうに微笑む。
「そんで? その完成したポスター、わざわざ学校に持ってきたんはどうしてなん?」
「えっ?」
「たぶんその丸筒の中が現物やろ? ウチらに見せるためだけならスマホのデータだけでええやん? 芸能科や言うても、流石に学校の壁に貼るわけにもいかんしなぁ」
的を射たみなみの指摘に、ルビーは手元の丸筒をそっと撫でながら、どこか意味深な、それでいて温かい笑みを浮かべた。
「これはね……。今日、放課後にちょっと渡したい人が居るんだ」
――
薄暗い室内。
都内にある五反田のプライベートスタジオでは、幾つものモニターの光だけが部屋を照らしていた。
カチ、カチ、と小気味良いマウスのクリック音と、キーボードを叩く音だけが響く。
編集ソフトが立ち上がったメインモニター。そこに映し出されているのは、眩しいほどの笑顔でカメラに向かってピースサインを作る、一人の少女の姿だった。
――伝説のアイドル、星野アイ。
それはかつて、旧『B小町』のドキュメンタリー映画として五反田が進めていたプロジェクトの未公開映像だった。
撮影は順調に進んでいた。だが、あの凄惨な事件によってアイ本人が死亡したことで、企画は完全に頓挫した。世に出るはずだった数多の映像素材は、行き場を失ったまま五反田の手元に封印されていた。
しかし今、五反田は途切れたはずのタイムラインを再び繋ぎ合わせ、少しずつ、形のない『映画』の編集を進めていた。
その理由は、一つではない。
アイという人間の本質と、アクアとルビーという二人の子供との『本当の関係』を知る、この世界で数少ない人間だからか。
それとも、あの時、アイに手を差し伸べることのできる立場にありながら、大人の事情と距離感でそれをしなかった、後悔と負い目からか。
「…………」
モニターの中で、アイが何かを語りかけている。
音声を切り、無音のまま流れるその映像を見つめる五反田の瞳には、プロの映像監督としての冷徹さと、一人の大人としての拭い去れない感情が混ざり合っていた。
理由がなんであれ、五反田には分かっていた。この映像はただのドキュメンタリーではない。星野アイが、この世界に遺した『遺書』なのだ。
だが、この映像をかつてアクアに見せた時のことを思い出すと、五反田の胸中には今でも鈍い痛みが走る。
アイの遺した言葉を彼に伝えることは、アイの真意を知る大人として『やらなければならないこと』だと信じていた。しかし同時に、それは五反田自身にとって、ひどく後悔する結果を招いた出来事でもあったのだ。
『どうして俺みたいな間違った存在が、アイの子供に収まったんだ』
映像を見終えたアクアは、その場に蹲り、ありとあらゆる呪詛を吐き出すような苦悶の表情でそう言い放った。
アイの子供という立場であるならば、決して『考えてはいけなかったこと』。アイの語った言葉に対して考えてしまったことは、アクアにとってアクア自身の存在を根底から責め立てる残酷な咎めとなってしまったのだ。
深い自己否定に陥り、今にも自ら命を絶ってしまいそうなほど危うく脆い状態になったアクアに対して、あの夜、五反田自身がやったことは――まぁ、あまり思い出したくないというのが五反田の正直な感想だ。
荒療治とはいえ、大人として到底褒められたやり方ではない。
その結果、翌日には同居している自分の母親からボコボコに殴られ、アクアの保護者である斉藤ミヤコからも乗り込まれてボコボコに殴られ、さらには事情を察したルビーからは、まるで生ゴミでも見るかのような絶対零度の視線を向けられる羽目になった。
「……たっく、お前のガキのせいでえらい目に遭ってるぞ」
五反田は誰に聞かせるわけでもなく、画面の向こうで微笑むアイに向かって一人ごちた。
物理的にも社会的にも散々な目に遭わされたが、その荒療治を経た後のアクアは、憑き物が落ちたとまでは言わないものの、以前よりもいくらかマシな顔つきを取り戻していた。あの不器用な底なし沼から引っ張り上げられ、アクア自身が『これから自分が何をすべきか』を再び冷徹に再定義したのなら、意味はあったのだと思いたかった。
そんなことを思いながらマウスを握っていた、その時だった。
「泰志! ルビーちゃんとそのお友達が来たわよ! 二人とも上がってもらうからね!」
「うわっ!? 待て、待ってくれって!」
ノックもなしに勢いよく扉を開け放った母親の声に、五反田は弾かれたように椅子から飛び上がった。
ショートカットキーを叩きつけるようにして慌てて編集データを保存し、即座にプロジェクトを閉じて別画面へと切り替える。
当然だ。アクアをあそこまで壊すほどの強烈な影響があったアイの映像を、何の準備もなしにルビーに見せる気など、五反田には微塵もなかった。
「監督! 来たよー!」
「お、お邪魔しまーす……」
心臓をバクバクと言わせている五反田の焦りなど露知らず、ルビーが我が物顔で部屋に飛び込んできた。その後ろから、どこか落ち着かない様子で周囲を見回しながら、有馬かながおずおずと足を踏み入れる。
「お、おう。呼んでねぇからようこそとは言わんが……」
五反田は咳払いをして動揺を誤魔化しつつ、ルビーの後ろに立つ小柄な少女へと視線を向けた。
「それにお前、有馬か? しばらく見ないうちにでかくなったな」
「うっ……」
悪気のない五反田の言葉に、かなは露骨に顔をしかめた。
子役時代に面識があって以来、ドラマや映画の第一線から遠ざかり、知名度が下がり続けていたかなにとって、しばらく見ないうちに、つまりメディアに出ていない間に、という響きは本人が意図していなくともチクチクと胸に刺さる嫌な言葉だった。
「ご、ご無沙汰しています……」
「へへっ、今日は監督にプレゼントを持ってきたんだよ!」
気まずそうに挨拶を返すかなの横で、ルビーはえっへんと胸を張り、背中に隠していた丸筒から一枚のポスターを勢いよく広げてみせた。
「へぇ……」
そこには、完璧な笑顔とポージングを決めるルビーとかなの姿が鮮やかに写し出されていた。五反田はふっと口角を上げ、純粋な感心の声を漏らす。
「なんだよ二人とも、きっちりアイドルをやってるみたいじゃねぇか」
「これ先行品の数点モノなんだよ! 大事にしてね!」
「はいよ。さて、どこに張るかな……」
五反田は機材と資料で埋め尽くされた雑然とした自室を見渡し、少しでも綺麗で目立つ壁のスペースを探し始める。
そんな五反田の背中を見ながら、かなはルビーの袖を軽く引き、ひそひそ声で耳打ちをした。
「その……あんたと五反田監督って、結局どういう関係なの? 前に聞いた時は、ちょっとレッスンの先生役をやったぐらいって聞いたけど……」
「んー、なんだろ」
ルビーは少しだけ視線を天井に向けた。
(アクアはたぶん、お父さんみたいに思ってる節があるけど……)
胸の内に浮かんだそんな身内としての推測はあえて口に出さず、ルビーは無邪気な笑みを浮かべて答えた。
「近所の一番仲の良いおじさん?」
「それなら、年頃の女の子が男の部屋までズカズカ入り込むのはまずいでしょ」
かなが常識人として呆れ顔でツッコミを入れた瞬間、壁のポスターの位置を調整していた五反田が振り返り、心外だとばかりに鼻を鳴らした。
「馬鹿言え。幼稚園の年齢から頻繁に顔見せに来てるようなガキ相手に変なこと思うかよ。それに、家に俺しかいない時は流石に上がらせない。そこら辺の常識は弁えてるつもりだ」
「ああ、お母さんが一緒にいますものね……」
ルビーが扉を開いたままにしているのも五反田は気にしていない様子だ。やりとりが外に聞こえるようにしているのだろう。
納得したように頷くかなだったが、その引きつった顔には『四十を超えたいい大人の男が、実家暮らしの子供部屋おじさんなのか』という、若干引いている本音が如実に表れていた。
「そういうこった。ウチの母ちゃんは強いからな。俺が下手に間違いでも起こそうもんなら、速攻でボコボコにされて路頭を迷う羽目になるんだよ」
五反田はかなの視線に気づきながらも、悪びれる様子もなく投げやりに鼻を鳴らした。
四十路の実家暮らしというステータスが世間的にどう思われるかなど、五反田自身が一番よく分かっている。
だが、都心の一軒家でこれだけの機材を広げ、音出しや作業時間に気を遣うこともない。クリエイターとしてはあまりにも恵まれたこの環境を手放してまで、くだらない世間体を気にして家を出るつもりなど毛頭なかった。
五反田泰志は、己のちっぽけなプライドや世間体よりも、自分の映画作りを最優先する男なのだ。
「よし、こんなもんだろ」
壁の空きスペースにポスターを貼り終え、五反田は満足げに一歩下がって腕を組んだ。改めて色鮮やかなポスターと目の前の二人を交互に見比べ、感心したように息を吐く。
「しっかし、お前ら……すっかり表舞台の人間としてキラキラしやがって。アクアの普段の暗え顔とは大違いだな」
「えへへ、お兄ちゃん、ストーカーの役もばっちりこなしてたしね!」
「お前の演技も一因かもしれないが、確かにバッチリ似合っていたな」
以前アクアが演じた不気味なストーカー役を思い出し、五反田は少しだけ意地悪く笑って鼻を鳴らした。それから、隣に立つかなへと視線を移す。
「有馬には……、あの程度の演技で『凄い』って言うのも違うか?」
「当然です」
かなはピンと背筋を伸ばし、役者としてのプライドを滲ませた真っ直ぐな瞳で五反田を見返した。
「今はたまたまアイドルの活動もしてますけど、役者を辞めたつもりは一切ありませんから」
「そうかい、ならまだまだこれからだな」
五反田は頼もしそうに口角を上げ、かなの矜持をあっさりと肯定した。子役時代から数々の酸いも甘いも噛み分けてきた彼女にとって、あれしきの芝居で満足するはずがないと分かっていたからだ。
そんな少しだけ真面目な空気が流れる中、ルビーがふと何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「そういえば監督、お兄ちゃんが今やってる新しい仕事のこと、知ってる?」
「ん? 新しい仕事?」
「うん。実は『恋愛リアリティーショー』に出てるんだけどね……」
「最近忙しそうにしていたことは知ってたが、あいつからは聞いてなかったな」
五反田は少しだけ意外そうに眉を上げた。
だが、すぐに得心がいったように一人で密かに頷く。無理もない。多感な時期の男子高校生にとって、自分が同年代の女子たちと恋愛模様を繰り広げるリアリティーショーなど、知り合いに進んで見てほしい企画とは言い難い。意図的に内緒にされていたのも当然の心理だろう。
「じゃあ一緒に見ようよ! そろそろ最新話の配信時間なんだ!」
ルビーが無邪気に提案してくる。
「そりゃ、見れる環境ではあるが……」
五反田は顎をさすり、少しだけ渋い顔をした。
実はこの後、アクアがこのスタジオへ手伝いに来る予定になっていたのだ。自分が恋愛リアリティーショーで立ち回っている様を、よりにもよって身内や知人たちに並んで鑑賞されるなど、アクアからすればとんだ羞恥プレイである。そこまで鬼畜な真似をするのは流石に気が引ける程度の気遣いは、五反田の中にもきちんとあった。
(あとでアクアに、少し遅れて来るようメッセージを入れておくか……)
内心でそう結論付けると、五反田はため息まじりにパソコンのマウスを操作し始めた。
マルチモニターの一つを配信サイトへと切り替え、ルビーが言っていた『今からガチ恋始めます』――通称『今ガチ』のページへとアクセスする。
――
パソコンの画面の中でメインとして映し出されているのは、ゆき、ノブユキ、ケンゴの三人による三角関係の模様だった。
映像の構成は明確だ。ゆきが中心となって関係性をリードし、視聴者から最も注目を集めているノブユキとのカップリングが成立しそうな、甘くもどかしい雰囲気を演出する。そして、その様子を画面の端から少し切なげに見つめるケンゴの姿をカメラで抜くことで、物語に絶妙なスパイスを与えている。
「う〜っ、このゆきちゃんとノブユキくんの雰囲気、すっごくいいよね!」
ルビーが目を輝かせて、モニターへとぐっと身を乗り出した。
「ゆきちゃんの素直な好意に、真っすぐでカラッとしたノブユキくんって、相性がばっちりなんだ!」
「……恋愛リアリティーショーじゃなければねぇ」
純度百パーセントの視聴者として盛り上がるルビーの隣で、かなは腕を組んだまま冷めた相槌を打つ。
「へぇ……たしかに、このゆきって子はいいな」
画面をじっと見つめていた五反田が、顎をさすりながら感心したようにポツリと漏らした。
「だよね!?」
ルビーは我が意を得たりとばかりにパッと顔を輝かせる。自分と同じような意見が大人の口から出てきたことが嬉しいらしい。
しかし逆にかなは、半眼になって五反田をジロリと睨んだ。
「あー……監督って、案外ミーハーなところがあるんですね」
「馬鹿言え、そういう意味じゃねぇよ」
辛辣なかなの言葉を鼻で笑い飛ばし、五反田はプロの映像監督としての冷徹な視線で画面の中の鷲見ゆきを指差した。
「こういう『どっちに転ぶか分からない』って状態を、きっちりキープして番組を引っ張れるのはいいなって話だ」
「えっ?」
「視聴者に『次もまた観たくなる』と思わせるポイントを、こいつはしっかりと押さえている。自分がカメラにどんな風に撮られ、視聴者からどう見られるのかを完璧に想定して動けてるんだよ。随分としたたかな奴だな」
学生たちの等身大の恋愛という、本来の番組の趣旨や観点を一切気にしない、ただの「被写体としての評価」。
その身も蓋もない言動に、かなは少しだけ呆れつつも、妙な納得感を覚えていた。
(……そういえばこの男、アクアの師匠だったわね)
画面の向こう側の意図を正確に読み取り、一切のロマンを排してロジックで語る。アクアのあの可愛げのないひねくれた視点は、間違いなくこの目の前のおっさんから受け継がれたものだ。
「こういう子は一気に伸びるぞ。セルフプロデュースが上手い奴は、現場で使い勝手がいいからな」
恋愛リアリティーショーという甘いパッケージを完全に剥ぎ取り、骨組みや演出のロジックばかりを淡々と語る五反田。
そんな夢のない裏方気質の会話を横で聞いていたルビーは、心底呆れたようにプクッと唇を尖らせた。
「……監督さぁ。もっとこう、二人の関係にドキドキしたりとか! そういう風に素直に見なよ!」
「おお、すまんすまん……」
ルビーに本気で拗ねられそうになり、五反田はたじたじといった様子でバツの悪そうに頭を掻いた。プロとしての理屈は一旦脇に片付け、ルビーの視点に合わせるようにわざとらしく咳払いをする。
「まあ、なんだ。実際このゆきって子は普通に可愛いしな。男二人との三角関係ってのも……こう、見ていてハラハラして中々いい展開なんじゃないか?」
「そうでしょ、そうでしょ!」
自分の楽しみ方を肯定してもらい、ルビーはうんうんと満足げに頷いた。
その、どう見ても無理をして十代の女の子の目線に合わせにいっている四十路のおっさんと、無邪気に喜ぶ少女のやり取り。
少し離れたところから横目で眺めていたかなには、その光景がなんだか『娘が嬉しそうに勧めてくる流行りのものを、必死になって読み取って理解しようと歩み寄る不器用な父親』の姿そのものに見えていた。
(……微笑ましいって言えばいいのか、何ていうか)
血の繋がりなどないはずなのに、妙にしっくりときているその空気感。
かなは呆れたように心の中で息を吐きながらも、どこか温かい目で二人の様子を眺めていた。
シーンが移り変わり、三人の恋愛模様の「一方その頃」といった感じの構成で、MEMちょとアクアが向かい合って座る姿が映し出された。
「でたわね」
その映像に切り替わった瞬間、かなが腕を組んでジト目を向ける。
「なんだ、なんで二人ともそんな臨戦態勢なんだ?」
かなだけでなく、隣のルビーまでもが少し身構えたような姿勢になったのを見て、五反田は不思議そうに首を傾げた。
「アクアはねぇ……変な風に女の子を口説いてるから、見ていて複雑なんだよね」
「……アイツが?」
ルビーの言葉に、五反田は少しだけ目を丸くした。
(口説く程度の元気があるなら、それはそれで悪くない傾向だが……)
あの鬱屈としていたアクアが年相応に恋愛模様(らしきもの)を楽しめているのなら御の字だ。そんなことを思いながら、五反田はモニターへと視線を戻した。
映像の中では、MEMちょが頬杖をつきながら、少しだけ真面目な顔つきになって口を開いていた。
『YouTuberの宿命なんだけどさ』
『うん』
『人気が出るためにはどうすればいいか、から派生して、結局最後は「面白い動画を作りたい」って思うんだよね。でもさ、そういうことをずっと考えてると、ゲシュタルト崩壊っていうか……「面白いとは……?」ってなっちゃうんだよ』
MEMちょは少しだけ悩ましげに眉を寄せ、テーブル越しにアクアを見つめた。
『アクたんは、「面白い」ってなんだと思う?』
唐突な、それでいてクリエイターとしての根源的な問い。
画面の中のアクアは、顎に手を当てて少しだけ考える素振りを見せた。
『そうだな……』
ぽつりとこぼれたその声は、番組を盛り上げるための演技でも計算でもない。彼が前世から今日に至るまで、幾つものコンテンツを作り、あるいは消費してきた一人の人間として導き出した、純粋な実感だった。
『期待を感じるドキドキ感とか、ありきたりだけど笑えるオチの安心感だとか……色々思いつくけれど。やっぱり、「感動すること」じゃないかな』
『感動……?』
『ああ。所謂、心が動くってことだ』
アクアの理路整然とした、それでいて本質を突いた真っ直ぐな回答。
それを聞いたMEMちょは、ほんの数秒だけ目を瞬かせた後、わざとらしく大きくのけぞった。
『ええー! それじゃあ、ホラーゲームの実況で私が散々泣かされてる動画も、私は面白いって思ってるってこと!?』
『いや、それは客観的に見て普通に面白そうだろ』
『えぇー……』
不本意そうなMEMちょのリアクションを意に介さず、アクアは真面目なトーンのまま言葉を続ける。
『そんな動画があるんだな。後でチャンネルを見に行ってみようかな……』
『やめっ、やめぃ! 私の黒歴史を掘り返すのはナシ!』
慌てて身を乗り出して阻止しようとするMEMちょと、それをからかうように淡々とした相槌を打つアクア。その微笑ましい「癒やし枠」としての雑談が一段落ついた、ちょうどその時だった。
『あの、アクア君、MEMちょ。ちょっといいかな?』
不意に、二人のいる机の横からおずおずとした声がかけられた。
『ん〜? どうしたのあかねちゃ……ん?』
振り返ったMEMちょは、そこに立っている人物の様子を見て、少しだけ目を丸くした。
そこにいたのは、いつも大人しく目立たないように振る舞っている黒川あかねだった。しかし今の彼女は、少しだけもじもじと指先を弄り、頬を微かに赤らめながら、上目遣いでアクアとMEMちょを交互に見つめている。自己主張が苦手な彼女が、自らカメラの回っている場で誰かに声をかけること自体が珍しかった。
『少しだけ、相談に乗ってほしいんだけど……』
遠慮がちに、けれど確かな意志を持って紡がれた言葉。
あかねのその思い詰めたような、それでいてどこか恥じらっている表情から「面白そうなもの」を見つけたと言わんばかりに、MEMちょはパァッと顔を輝かせた。
『へぇ、なになに? どしたの?』
『その……MEMちょ、ちょっと耳を貸して……』
あかねは周囲のカメラを気にするように声を潜め、手招きしてMEMちょの耳元へと顔を近づける。アクアはその女子同士の内緒話を静かに眺めていた。
――すると、次の瞬間。
『えっ!? 好きな人にどうやってアプローチすればいいかだって!?』
MEMちょが、わざとらしいほど大きな声を響き渡らせた。
『め、MEMちょっ……!』
内緒話をあっさりと大音量でバラされ、あかねは顔を真っ赤にして慌てふためく。
『だれだれ!? えっ、まさかアクたん!?』
ニシシと悪戯っぽく笑いながら、MEMちょが向かいの席に座るアクアを指差した。
『目の前に本人がいるのに、わざわざ相談するわけないだろ』
アクアは呆れたようにため息をつき、極めて冷静で論理的なツッコミを入れる。
だが。
『そ、それは違うんだけれど……』
あかねがふるふると首を横に振り、アクアの言葉を「事実として」真っ直ぐに肯定してしまった。
『…………』
ガクッ、と。アクアの肩が分かりやすく落ちる。
『……なんか、釈然としないな』
自分で「俺じゃないだろ」と否定しておきながら、いざ女の子から真っ向から「違います」と言い切られると、どうしても妙な敗北感と理不尽さが残る。アクアはぽつりと不満げな声を漏らした。
『ぷぷぷ、アクたん振られたー!』
その人間臭く不器用な反応を逃すはずもなく、MEMちょが満面の笑みで囃し立てる。
『……ずいぶん楽しそうだな、MEMちょ』
『なるほど、これが「心が動かされる」ってことだね!』
恨みがましいアクアのジト目に対し、MEMちょは先ほどの『面白いとは何か』という雑談のオチを見事に回収しながら、とびきり楽しそうな満面の笑顔で言い放つのだった。
パソコンのモニターから流れる楽しげなやり取りを見届けたところで、五反田はどこか安堵したように息を吐き、椅子の背もたれに深く体重を預けた。
「なんだ、お前らが言うからどんなもんかと思ったが。アクアの奴も、案外恋愛面じゃ器用にいってないみたいだな」
女の子から真っ向から好意を否定され、不服そうに肩を落とすアクアの姿。
幼い頃からあいつの屈折した姿や危うさを見続けてきた五反田にとって、画面の中に映るその等身大で少し格好悪い男子高校生然とした態度は、妙な安心感を抱かせるものだった。
「くぅ〜っ……! 何よアクアのやつ。五反田監督の前だと都合よくいい子ぶっちゃって……!」
しかし、そんな平和的な感想を抱く五反田の隣で、かなはギリッと奥歯を噛み鳴らしてモニターを睨みつけていた。
前回までの放送で、ネイルのケアを的確に褒めながら手を握ったり、無自覚にパーソナルスペースの最奥に踏み込んで女の子たちを散々ドキマギさせていたあの『天然のタラシっぷり』は一体どこへ行ったのか。
まるであの時の手口が幻だったかのように、画面の中では完全に「いじられ役」に徹し、無害な少年として立ち回っている。その落差が、かなにはどうにも腹立たしかった。
「あはは……。でも、あかねさんもちゃんと出番があるんだ。……よかったぁ」
一人苛立つかなの横で、ルビーは胸の前で両手を合わせ、ホッと胸を撫で下ろしていた。
少し前までは画面の端で所在なさげにしているだけだったあかねが、自ら声をかけ、輪の中に入ってちゃんと番組のカメラに抜かれている。その事実が、ルビーにとっては純粋に嬉しいことだったのだ。
『男の子にアプローチかぁ……。アクア君、何か良いアイディア無い?』
『どうして俺に聞くんだよ。同性であるMEMちょの方が、どうアプローチした方が良いってアドバイスはできるんじゃないのか?』
アクアがごく真っ当な正論を返すと、MEMちょの動きがピタリと止まった。
『あーんーえー、そうだねぇ……も、もちろん……できるよ?』
MEMちょは冷や汗をかいたような顔で、明後日の方向を見つめながらひどく歯切れ悪く頷いた。
しかし、そんな彼女の様子に全く気付いていないあかねは、パァッと尊敬の眼差しを向ける。
『本当!? やっぱり年上なだけあって、MEMちょは色々知ってるんだね!』
『も、もちろんだよぉ!?』
あかねの純粋すぎる期待を一身に浴び、MEMちょの声が変な方向に裏返った。
何かそれらしい恋愛テクニックをひねり出さなければならない。MEMちょはしばらくウンウンと唸っていたが、やがてポンッと手を叩いた。
『ドキッとさせるなら、やっぱり効果的なのはボディタッチだよ!』
『ぼでぃたっち……?』
『そうっ、隣で座ったときとか、ちょっとツッコミ入れたいときとかに、軽く肩を叩いたりとか! もしくは「一緒に行こう!」ってなったときに、ちょっと手を引いてみるとかね!』
MEMちょが身振り手振りを交えながら熱弁を振るうと、あかねは真剣な顔つきになり、どこから取り出したのか手元のメモ帳にカリカリと猛スピードでペンを走らせ始めた。
その光景を横で眺めていたアクアは、ふむ、と顎に手を当てて小さく頷いた。
『……悪くない手かもな』
『えっ?』
アクアの言葉に、MEMちょは思わず素の困惑を漏らした。ネット記事を丸呑みしただけの知ったかぶりの回答が、まさかアクアから高評価を得るとは思っていなかったからだ。
『俺たち男が不意に女性の体に触れると、場合によっては相手に警戒心や恐怖感を与えてしまうリスクがある。だが逆の場合、男は相手に対して単純に親近感を抱きやすいんだ。男女の心理差をうまく利用した、理にかなったアプローチだな。いいんじゃないか、MEMちょ』
『そっか。よく友だちの女の子たちが男の子と肩を組んだりしているのを見てたけど、男の子たちはそんなに嫌がってなかった。そういうことだったんだね、MEMちょ!』
『そ、そういうことなんだよ!』
アクアからの論理的で真面目な感心と、あかねからのキラキラとした純粋な尊敬の眼差し。
二人から同時に称賛を浴びたMEMちょの自己肯定感は、瞬く間に天元突破した。
『あとはそうだねぇ……急に接近したりするのなんかもいいかもしれないねぇ。スマホを覗き込むときに、「ちょっと近いかも?」って思わせるくらい顔を近づけるとかね。一緒に自撮りするときとかが、一番自然にできるチャンスかも』
『急接近……パーソナルスペースに一歩踏み込むのか』
アクアは少し考える素振りを見せた後、感心したように口を開いた。
『生き物にとって、自身のパーソナルスペースに他者が侵入してくる行為は、本来なら防衛本能が働いて強いストレスを感じるものなんだ』
『えっ、じゃあダメなんじゃ……』
あかねが不安げに困惑の声を漏らす。
その横で、ただネットの受け売りを適当に口にしただけのMEMちょがビクッと体を揺らし、明らかに「やばい」という顔で激しく視線を泳がせていた。
『いや、だからこそ「自撮り」という明確な目的、タスクを使うのが上手い。相手の意識が「写真を撮る」という作業に向いている隙を突いてパーソナルスペースに入り込めば、防衛本能は作動しない。そしてタスクが終わった後、距離が近かったという「事実」だけが相手の記憶に残るんだ』
理路整然と語るアクアの解説に、あかねはハッとしたように目を見開いた。
『そっか……! それなら脳が後から「どうしてこの距離を許したんだろう」って考えて、「相手に好意があるから」って思わせちゃうんだ。MEMちょすごいね、こんなことまで知ってるなんて!』
『そ、そうだよぉ!?』
純粋な尊敬の眼差しで感心して深く頷く二人に対し、MEMちょは滝のような冷や汗を流し、明後日の方向を見つめながらひどく裏返った声で答えるのだった。
『うーん、でも自撮りってどんな風にしたらいいのかな?』
『じゃ、じゃあ、ちょっとやってみよう! ほら、寄って寄って!』
いたたまれなくなったMEMちょが強引に話を進めるようにスマホを取り出し、インカメラを起動してあかねにピタリと寄り添う。
自分のスマホのカメラとはいえ、いざレンズを向けられれば調子を取り戻すのは、生粋のYouTuberであるMEMちょにとって容易いことだった。
『はいこっち見てー! 次はこのポーズね!』
カシャッ、カシャッ、と軽快なシャッター音が連続して響く。
最初は肩が触れ合う距離感に戸惑い、恥ずかしそうにしていたあかねだったが、MEMちょの明るいリードに乗せられて、次第に控えめながらも自然な笑顔を浮かべて写真に収まっていく。2枚、3枚とポーズを変えて撮影していくうちに、あかねもすっかり自撮りの空気に慣れてきたようだった。
『よーし、こんな感じ! じゃあ次は実践編ね! あかねちゃん、アクたんにやってみて!』
『おい』
勝手に実験台に指名されたアクアがジト目でツッコミを入れる。
しかし、アクアが拒絶するよりも早く、いざアクアに向き直って実践しようとしたあかねの顔が、見る見るうちに沸騰したように赤く染まっていった。
『えっと、えっと……っ!』
あかねは顔をリンゴのように真っ赤にしてわたわたと慌てふためき、首をぶんぶんと横に振った。
『や、やっぱり無理かも! MEMちょ、一度だけでいいから見本を見せてほしいっ……!』
『えっ』
必死にすがりつくようなあかねの哀願に、ドヤ顔をキメていたMEMちょの表情がピシッと固まった。
ノリと勢いだけで語っていた、どこかのだれかが書いたネットの恋愛コラムの受け売り。
頼られるがままに調子に乗ってあれこれと語り、意気揚々と梯子を上っていたMEMちょだったが、ここに来てようやく、いつの間にかあかねによって『自然に梯子を外された』ことに気がついた。
あかねの瞳には微塵の悪意もなく、ただただ『恋愛マスターのMEMちょ先輩』に対する純粋な尊敬だけがキラキラと輝いている。
頼りにされている以上、「実はネットの受け売りで自分じゃできません」などと今更言えるはずもなく、MEMちょにはもはや逃げ場所がどこにもなかった。
『そ、それじゃあアクたん……おじゃましまーす……』
MEMちょはおずおずと不自然な動きでアクアの隣へと近づき、肩に手を回してアクアの顔の横でピースサインを作りポーズを決めると、恐る恐るスマホを構えた。
普段の底抜けに明るいノリはどこへやら。恋愛マスターを気取ってドヤ顔を決めていた数分前の威勢は完全に消え失せ、いざ自分が異性に対して実践する側になると、顔を近づけるタイミングで見る見るうちに耳の先まで真っ赤に染まっていく。
対するアクアはといえば、ただの無機質な被写体のように、微塵の動揺もない平然とした顔でカメラに視線を向けていた。
『……さっきあかねとやってたポーズは、こんな感じじゃなかったか?』
『えっ?』
アクアはそう呟くと、先ほどMEMちょがあかねの手本で見せていた角度や立ち位置を忠実に再現しようと、自らスッと顔を近づけた。
『ひゅいっ!?』
不意打ち気味に端正な男の顔面が急接近してきたことで、許容量を完全にオーバーしたMEMちょの口から素っ頓狂な変な声が漏れる。
――カシャッ!
そしてそのビクッと肩が跳ね上がった拍子に、無情にもスマホのシャッターが切られた。
カシャッ、と気の抜けた電子音が鳴り、スマホの画面に一枚のプレビュー画像が映し出された。
そこに記録されていたのは、まるで凪いだ海のように微塵も動揺を感じさせない涼涼とした顔のアクアと、対照的に限界まで目を見開いて茹でダコのように顔を真っ赤にしているMEMちょの姿だった。
『……なに緊張してるんだよ』
自分の顔からスッと離れ、恥ずかしさのあまり両手で頬を押さえているMEMちょに対し、アクアは心底呆れたようなジト目を向ける。
『アクたんは無駄に顔が良いんだよ!』
MEMちょは涙目で抗議の声を上げた。
『考えても見なよ! 120点以上の絶世の美女が、やけに近い距離でノリノリで一緒に自撮りしてくれる感じをさ! 普通の男の子なら心臓止まっちゃうでしょ!?』
『……いや』
アクアはMEMちょの必死の抗弁に対し、どこまでも平坦で冷静なトーンで言い放った。
『俺の場合、似たような面は普段から妹で嫌というほど見慣れてるからな。そんな状況になったとしても、特別気にしないんじゃないか?』
『双子の妹ちゃんだからそりゃそうだけどさ……この、シスコンめぇ……』
唇を尖らせ恨めしそうに睨むMEMちょと、どこ吹く風で取り合わないアクア。
そして、その二人のコントのようなやり取りを間近で見ていたあかねは、きょとんとした後、ふわりと自然な笑みをこぼしたのだった。
『ううん……。せっかくMEMちょが教えてくれたけれど、やっぱり男の子と近すぎるのは、まだドキドキしちゃうかも』
『私が身を削った意味とはいったい……でもそれで証明しちゃったからねぇ……』
自分自身の赤面自撮りを思い出し、がっくりと肩を落とすMEMちょ。
あかねは少しだけ照れくさそうにはにかみながら、それでも先ほどまでの思い詰めたような空気とは打って変わった、どこかスッキリとした顔で口を開く。
『でも、ゆきちゃんと一緒に自撮りするのはやってみようかな。……二人とも、ありがとう』
そう言って、あかねは機嫌良さげに微笑みを残し、共有スペースから立ち去っていった。
アクアは立ち去っていくあかねの小さな背中を、まるで何かを推し量るような、静かで深い瞳でじっと見つめていた。
――そして、パソコンの画面に映る映像が切り替わる。
ゆきと談笑していたノブユキの背後に、あかねがそっと近づく。
『あ、あの……ノブユキくん、ゆきちゃん』
あかねは少しだけ躊躇いながらも、MEMちょに教わった「ボディタッチ」のアドバイスを実践するように、ノブユキの肩を控えめにポンと叩いて呼びかけた。
『ん? どうしたのあかねちゃん』
振り返ったノブユキと、その隣にいたゆきの二人に、あかねはほんの少しだけ頬を染めながらも、一生懸命に声を紡ぐ。
『MEMちょに、自撮りの仕方を教わってきたから……よかったら一緒にやってみない?』
『おっ、いいね! やろやろ!』
ゆきが真っ先に食いつき、あかねの隣にぴったりと身を寄せる。あかねは少しだけはにかみながらスマホを構え、ゆきと一緒にインカメラへ向かって笑顔を見せた。
楽しげな撮影の空気に釣られ、奥にいたケンゴも『俺も混ぜてよ』と合流してくる。
場は一気に和やかな空気になり、ゆきがカメラマンとなってケンゴとノブユキの男同士で肩を組んだふざけた自撮りをするなど、画面の中には自然な笑顔が弾けていった。
そして、その流れのまま。
『じゃあ、ノブ君とあかねちゃんも! はい並んで並んで!』
ゆきのお膳立てもあり、あかねはノブユキの隣に並んで立つことになった。
MEMちょが見せたような「距離感ゼロ」のあざとい密着とまではいかない。それでも、肩と肩が触れ合いそうな確かな近さ。
あかねは極度に緊張した様子で恥ずかしそうに視線を泳がせていたが、やがて意を決したようにカメラに向かって、ぎこちなくも可愛らしい、等身大の笑顔を向けてみせた。
カシャッ、と。
ノブユキとあかねのツーショット自撮りが、見事に成功した瞬間だった。
――
画面の中で無事に自撮りを成功させ、ノブユキの隣ではにかむような笑顔を見せたあかね。
その映像を見届けたところで、五反田は腕を組み、「ふぅん……」と一人ごちた。
「構成にメリハリを利かせるって意味じゃ、アクアとこのMEMちょって子とのやり取りや、残りの四人のやりとりはいい仕事してるな」
「メリハリ、なの?」
映像監督としての視点で呟かれたプロの評価に、かなが少し納得いかないように小首を傾げる。
「なんか、少女漫画のヒリヒリしたドキドキっていうよりも、日常系ののんびりとした漫画を読んでたような気分だったけど」
「そいつが狙いだろうよ」
五反田はかなの率直な感想を肯定し、モニターの中の『今ガチ』のタイムラインを指差した。
「そりゃ、恋愛ものならドキドキしっぱなしってのも悪くはない。だがな、こういうネット配信みたいなテレビ以外の媒体だと、途中で強制的なCMが挟まれない。だから恋愛のドロドロや駆け引きばかりで密度が高すぎると、視聴者は疲れるんだよ。少なからず、『次を見るのに体力が必要だな』と続きを見るのを戸惑う程度にはな」
「あー……なるほど。テレビ放送と違って強制的なブレイクがない分、番組内で意図的に息を抜くパートを作らないと、視聴者が胃もたれを起こすってことね」
「だろ?」
業界歴の長いかなが即座に意図を汲み取ると、五反田は自らの主戦場である『映画』と比較するように言葉を続ける。
「映画なら、一発目で感情を揺さぶられっぱなしの構成でもいい。リピートする頃には客の感情もある程度落ち着くから、客足は鈍らないからな。だが、どうしても毎週更新される続きもののドラマやリアリティーショーだと、『来週もまた続きを見てもらうこと』を最優先に考えないとならないんだよ。それに、まとめて観る人も居るからな 」
「……役者の演技の熱量だけじゃなくて、配信媒体に合わせた構成の計算ってわけね」
「ああ。視聴の障壁になりそうな『重さ』や『疲労感』は、なるべく消しておきたいんだ。あの二人のコントみたいなやり取りは、番組全体の空気を中和する『清涼剤』として、機能しているってわけだ」
「なるほどね……」
五反田のプロとしての的確な解説に、かなは腕を組んで深く頷いた。
配信媒体の特性や、視聴者の心理的疲労まで計算に入れた構成のロジック。業界歴が長く、制作側の視点もある程度持ち合わせているかなにとって、それは非常に納得のいく説明だった。
しかし、ふと隣に視線を移すと、そこには真面目な業界話など一文字たりとも耳に入っていない様子のルビーがいた。
「えへへ……またアクアに褒められちゃった。絶世の美女だなんてもう……」
ルビーは両手で熱を持った頬を押さえ、身悶えするように体をくねらせながら、テレテレとだらしなく相好を崩している。
先ほどの、MEMちょとアクアのやり取りで、間接的に『ルビーの顔面は120点以上の絶世の美女と同等である』とアクアが公の電波に乗せて認めたようなものである。その事実に気が付いたルビーは、先ほどから一人で勝手に限界突破する勢いで喜びに浸っていたのだ。
「…………」
かなは半眼になり、完全に自分だけの幸せな世界に入り込んでしまっている少女を冷めた目で見つめた。
(……あの男も相当なシスコンだけど、この子も大概、重めのブラコンなのよね……)
前回までの配信で、画面の中のアクアが天然のタラシっぷりを発揮していた時には「あんなところ見たくなかった」などと言っていたくせに、いざ自分へベクトルが向いた途端にこの有様である。
「……何をやってるんだ、お前ら」
ふと、部屋の入り口からひどく冷めた声が降ってきた。
三人が弾かれたようにそちらへ視線を向けると、開いたドアの枠に寄りかかるようにして、噂の張本人であるアクアが呆れた顔で立っていた。