冥宮会長は後ろから刺されそうな独裁者ムーブばかりしている 作:PON太郎
読んでくださって今回もありがとうございます。
風紀委員会に加入して三日目。
雨野雫は、副委員長の安堂怜とともに校内を巡回していた。
風紀委員会と聞いて、最初に想像していたのは、能力を悪用する生徒の取り締まりや、突発的な事件への対応だった。
もちろん、それも仕事の一つだ。
しかし、実際に活動してみると、それ以外にも随分とやることが多い。
校内設備の安全確認に、能力使用に関する規則違反の注意。巡回が終われば、記録の整理や報告書の作成も待っている。
正直なところ、想像していたよりずっと地味だった。
「雨野さん、そっちは大丈夫?」
「あ、はい。特に異常はありません」
「そっか。じゃあ、次は実技棟の方を見て回ろうか」
怜は手元の端末を操作し、巡回済みの区画に印をつけた。
その手際に迷いはない。
初日に見せてもらった、三百項目を超える緊急対応マニュアル。
あれを作った人物だと思うと、少し不思議な気持ちになる。
「安堂先輩って、こういうお仕事は長いんですか?」
「えっ? うん。一年生の春からだから、もう丸一年になるかな」
「じゃあ、篠崎先輩とも一緒に?」
「そうだね。篠崎くんは途中から入ってきたんだけど」
怜は懐かしそうに笑った。
「実はね、今の副委員長も、本当は篠崎くんがなるんじゃないかって言われてたんだよ」
「えっ、そうだったんですか?」
「うん。委員長が随分気に入ってたから。去年の秋に生徒会へ行っちゃったけど……」
「それで、安堂先輩が?」
「そういうことになるのかな……」
怜は前髪を指先で整えた。
「委員長に頼まれた時は、私なんかでいいのかなって思ったんだけど……」
「でも、安堂先輩のお仕事って、すごく丁寧ですよね」
「そ、そんなことないよ。細かいことが気になるだけで……」
そう言いながら、怜はふと足を止めた。
「あ、雨野さん。ちょっといいかな」
「どうしました?」
「そこの非常口、見てみて」
言われた方へ目を向ける。
実技棟の廊下には、授業で使用するらしい大型の機材ケースがいくつか置かれていた。
その一つが、非常口の扉の前に張り出している。
「あっ、これですか?」
「うん。あれ、移動してもらった方がいいかな」
怜は近くで片付けをしていた生徒に声をかけた。
「す、すみません。そのケース、向こうの壁際に移してもらってもいいですか? 非常口の前なので……」
「ああ、すみません。すぐ動かします」
生徒は友人を呼び、ケースを持ち上げた。
雫も手伝おうとしたが、怜に呼び止められる。
「雨野さんは、通行する人の案内をお願いできる?」
「分かりました」
雫は廊下を歩いてきた生徒たちを誘導した。
移動が終わると、怜は非常口の扉を開け、通行に問題がないことを確認する。
「ありがとうございます。お手数をかけてすみません」
「いえ、こっちこそ気づかなくてすみませんでした」
生徒たちが去っていく。
怜は端末に記録を残した。
「安堂先輩、よく気づきましたね」
「ここの非常口、すぐ先が階段でしょう? 人が集中する場所だから、なるべく物を置かないようにしてるんだ」
「ああ、なるほど……」
雫は非常口から続く階段を覗き込んだ。
確かに、何人もの生徒が一度に押し寄せれば、あの程度の荷物でも邪魔になるだろう。
「私、全然気づきませんでした」
「最初は仕方ないよ。確認する場所を決めておくと、見落としも減るから」
怜は端末に表示された巡回項目を見せてくれた。
非常口、消火設備、通路の障害物。
それぞれに細かな確認事項が記されている。
「これ、安堂先輩が作ったんですか?」
「うん。前の記録を参考に、少し直しただけなんだけど……」
少しだけ、というには随分と手が込んでいた。
「私も、次からこれを見ながら確認してみます」
「うん。分からないことがあったら聞いてね」
怜は端末をしまい、歩き始めた。
雫もその隣に並ぶ。
普段は気弱で、自信のなさそうな先輩。
けれど、こうして一緒に仕事をしていると、速水雷が彼女を副委員長に選んだ理由も分かる気がした。
*
実技棟の巡回を終え、二人は管理棟へ戻っていた。
窓から差し込む西日が、廊下を橙色に染めている。
「次は東側の廊下だね。そこが終われば、今日の巡回は一通り完了かな」
「分かりました」
「それじゃあ、報告書の書き方も説明しておこうか」
怜が端末の画面を開いた時だった。
「精が出るなぁ」
不意に声をかけられ、二人は足を止めた。
窓際に、一人の少女が立っていた。
冥宮遙。
能力一高の生徒会長だった。
「あっ、冥宮先輩」
「こんにちは、雨野ちゃん」
遙は雫の腕章に目を向けた。
「風紀に入ったんやって? おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
雫は軽く頭を下げた。
以前会った時と変わらない、穏やかな笑顔だった。
けれど、隣にいた怜は、遙の姿を見た途端に表情を硬くしていた。
「……冥宮会長」
「安堂さんも、久しぶりやなあ」
「な、何か御用でしょうか?」
「別に〜? 刃くんを待ってたら、お二人が通りかかったから」
遙は窓際に背を預けたまま、怜の持つ端末に目を向けた。
「巡回中?」
「は、はい。あと少しで終わるところです……」
「そう。お疲れ様」
遙は軽く頷いた。
「そういえば、先日の装備更新の申請書。あれ、安堂さんがまとめたん?」
「え、ええ。委員長にも確認していただきながらですが……」
「……あの、装備更新って?」
雫が尋ねると、怜は顔を上げた。
「あ、まだ説明してなかったね。風紀委員会で使う防護装備とか、通信機器の更新をお願いしてるんだ」
「そうだったんですね」
「うん。それで、今度生徒会の皆さんと話し合うことになってて……」
「そういうこと」
遙が口を挟んだ。
「安堂さんの資料、ほんま読みやすかったわ。あれだけ整理されてたら、会議もスムーズに進みそうやね」
「あ、ありがとうございます……」
怜は小さく頭を下げた。
「ところで、当日の説明は雷先輩が?」
「はい。その予定です」
「そうなんや」
遙は少し考える素振りを見せた。
「なら、安堂さんにも頑張ってもらわなあかんね」
「……え?」
「雷先輩、熱が入るとお話が長くなるでしょう? 途中で脱線してしもたら、横から助けてあげてや」
「そ、それは……」
怜は眉を下げた。
「委員長も、会議の準備はきちんとされていますので……」
「うん、分かっとるよ」
遙は涼しい顔で頷いた。
「でも、安堂さんの方がうちの話を聞いてくれるやろ?」
怜は返答に詰まった。
雫にも、意地の悪い質問だと思えた。
話を聞くかどうかで、二人を比べる必要などないはずだ。
「……委員長も、ちゃんとお話は聞いてくださいます」
怜が答えた。
声は小さかったが、今度は言い淀まなかった。
「なら、会議が楽しみやなあ」
遙は口元を緩めた。
「……か、会長」
怜は姿勢を正した。
「委員長へのご意見でしたら、会議の席で直接お伝えください。わ、私が代わりにお返事することではありませんので……」
「ふーん?」
遙は怜の顔を覗き込んだ。
「安堂さんも、随分しっかりしてきたんやねえ」
その口ぶりは、まるで幼い子供の成長を喜んでいるかのようだった。
怜は目を伏せた。
反論したいのだろう。けれど、相手は生徒会長だ。
感情に任せて言い返せば、委員会同士の関係にまで影響しかねない。
そんな怜の様子を、遙は楽しそうに眺めていた。
雫は思わず眉を寄せた。
申請書を褒めていたはずなのに、いつの間にか雷への嫌味になり、今度は怜自身を子供扱いしている。
それでも遙には、悪びれる様子がまるでなかった。
「……あの、冥宮先輩」
気づけば、雫は口を開いていた。
「あら、雨野ちゃん。どうしたん?」
「安堂先輩に、そんな言い方しなくてもいいんじゃないでしょうか」
怜が驚いたようにこちらを見た。
「雨野さん……?」
「だって、さっきから安堂先輩が困ってるのに……」
雫は一度言葉を切った。
「何か言うたびに、そんなふうに笑われたら、嫌だと思います」
相手は生徒会長で、自分は風紀委員会に入ったばかりの新人だ。
出過ぎたことを言っているのかもしれない。
けれど、これ以上は黙っていられなかった。
遙の笑みが、ふっと止まった。
「……そうですか」
その一言だけ、妙に改まっていた。
遙は雫を見つめ、意外そうに目を瞬かせる。
それから、何事もなかったように口元を緩めた。
「ああ、そんなつもりやなかったんやけど。ごめんなあ」
あまりにもあっさりした謝罪だった。
雫が返答に迷っていると、遙は怜へ視線を移した。
「安堂さんも、気ぃ悪くせんといてな」
「そ、そんな……お気になさらないでください」
怜は慌てて首を振った。
遙は頷き、再び雫へ顔を向ける。
「雨野ちゃんは、思ったことをはっきり言う子なんやね」
「……すみません」
「謝らんでええよ。ちょっと驚いただけやから」
遙は穏やかに微笑んだ。
雫は返事に迷った。
確かに、遙の言い方は意地悪だったと思う。
けれど、本人は素直に謝ってくれた。
それなら、もう何も言う必要はないはずだ。
そう考えているのに、どうにも釈然としなかった。
遙は、何も気にしていないようだった。
まるで、最初から大した話ではなかったかのように。
「……雨野?」
その時、廊下の向こうから聞き慣れた声がした。
振り返ると、篠崎刃が歩いてきていた。
片手には何枚かの書類を持っている。
「あっ、篠崎先輩!」
「もう巡回に出てるんだな。どうだ、仕事には慣れたか?」
「はい! まだ覚えることばかりですけど、安堂先輩に教えていただいてます」
「そうか」
刃は頷き、怜へ顔を向けた。
「怜も久しぶりだな」
「う、うん。久しぶり、篠崎くん」
「雨野のこと、よろしく頼むよ」
「そ、そんな。雨野さん、真面目に覚えてくれるから……」
怜は控えめに笑った。
しかし、刃はその顔を見ると、わずかに眉を寄せた。
「……会長、何してるんだ?」
その問いかけに、遙はぱっと表情を明るくした。
「何もないよ、刃くん。遅かったなあ」
雫は思わず遙を見た。
つい先ほどまでとは、声の調子まで違っていた。
「あのね、雨野ちゃんが風紀に入ったって聞いたから、ちょっとお話ししてたんよ」
「……そうか」
刃はもう一度、怜へ目を向けた。
「何かあったのか?」
「えっ? い、いや……」
怜はちらりと遙を見た。
それから、刃へ向き直って小さく首を振る。
「……大丈夫だよ、篠崎くん」
刃はその返事を聞いて、しばらく怜の顔を見つめていた。
「……分かった」
それ以上は尋ねなかった。
怜が今は話したくないのだと、察したのかもしれない。
しかし、刃の表情からは、まだ警戒の色が消えていなかった。
遙はそんな彼の袖を、指先で軽く引いた。
「刃くん、早よ行こ。めっちゃ待ったわあ」
「生徒会室で待っとけって言っただろ」
「そんなつれないこと言わんといて」
遙は笑って、その隣に並んだ。
刃は小さく息を吐き、持っていた書類を整える。
「じゃあ、二人とも。またな」
「はい。お疲れ様です」
「お、お疲れ様、篠崎くん」
遙も軽く手を振った。
「また、よろしく」
二人は並んで廊下を歩き始めた。
遙は刃の顔を覗き込みながら、何やら楽しそうに話しかけている。
それに対して刃が、呆れたように返事をする。
雫がこれまで見てきた、いつもの二人だった。
しかし、廊下の角を曲がる直前。
遙の視線が、横目でちらりとこちらへ向いた。
怜を見て、それから雫へ。
ほんの一瞬だった。
雫がその視線に気づくと、遙は何事もなかったように刃へ顔を戻した。
そして、二人の姿は廊下の向こうへ消えた。
「……雨野さん?」
怜に呼ばれ、雫は我に返った。
「あ、すみません」
「ううん。大丈夫?」
「はい。ただ……」
雫は二人が去った廊下を見つめた。
「……冥宮先輩って、篠崎先輩と一緒にいる時は、いつもあんな感じなんですか?」
「えっと……うん。そうだね」
怜は考えてから頷いた。
「篠崎くんがいると、随分楽しそうだよね」
「……そうですね」
確かに、楽しそうだった。
刃の袖を引いて、甘えた声で話しかける姿は、以前から知っている冥宮遙そのものだ。
だからこそ、つい先ほどまでのやり取りが腑に落ちなかった。
「……安堂先輩」
「な、何かな?」
「篠崎先輩は……」
そこまで言って、雫は口を閉じた。
篠崎先輩は、冥宮先輩のあんな顔を知っているのだろうか。
ふと浮かんだ疑問を、雫は飲み込んだ。
「……いえ。何でもありません」
「そっか」
怜はそれ以上尋ねなかった。
代わりに、雫へ小さく頭を下げた。
「さっきは、ありがとう」
「えっ?」
「助けてくれたでしょ?」
「ああ……」
雫は少し気恥ずかしくなった。
「すみません。勝手に口を挟んじゃって」
「ううん。嬉しかった」
怜は控えめに笑った。
「でも、あまり無茶はしないでね」
「……はい」
雫は頷いた。
怜は次の巡回場所を確認すると、東側の廊下へ歩き始めた。
雫もその隣に並ぶ。
巡回は、まだ終わっていない。
それでも、角へ差しかかった時、雫はつい後ろを振り返ってしまった。
さっきの、品定めするような目つき。
どうにも、あの会長を好きにはなれそうになかった。
人の物を取ろうとする奴は馬に蹴られて死んだほうがええよ?