冥宮会長は後ろから刺されそうな独裁者ムーブばかりしている 作:PON太郎
寒くなってきたので体調に気をつけて更新していきたいでしゅ・・・
*
「なぜいる?」
刃の第一声は、それだった。
雫は思わず刃を見る。
先ほどまで能力事故のど真ん中に立っていたときでさえ、ほとんど表情を崩さなかった男が、額にうっすらと汗を浮かべている。
まさか緊張している?
雫は刃の視線を追った。
実習室の入口に立っていたのは、一人の少女だった。
腰近くまで伸びた黒髪に、細められた目元。そこには柔らかな笑みが浮かんでいる。
冥宮遙、生徒会長。
雫だって名前くらいは知っている。むしろ、この学校で彼女を知らない生徒の方が珍しい。
「空きコマやから」
遙は悪びれた様子もなく答えた。
二年生からは必修を除き、ほとんどの科目が選択制になる。だから時間割に空きがあること自体は、何もおかしくない。
「答えになってない」
「細かいなぁ」
遙はくすりと笑うと、刃ではなく雫へ視線を向けた。
「君が」
不意に話を振られ、雫は背筋を伸ばす。
「え?」
「刃くんのバディ?」
「あ……そうです」
「ふぅん」
遙が雫を上から下まで眺める。
露骨というほどではない。けれど、何かを測られているような感覚があった。
「雨野雫ちゃん、やったっけ」
「なんで名前を……」
「一年生の成績上位者くらい覚えてます」
にこり、と遙が笑う。
「生徒会長やもん。当然やん?」
「……そういうものなんですか?」
「そういうものです」
即答だった。
絶対違う。
そう雫は思ったが、口には出さなかった。
――それにしても、妙な喋り方をする人だ。
京都の言葉に似ている気もするが、ところどころ違う。独特な訛りだった。
遙はさらに一歩近づく。
「で、どうでした?」
「どう、とは?」
「刃くん」
質問の意味が分からず、雫は刃を見る。
「……すごい人だと思います」
「へぇ」
遙の笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
なぜだろう。答えを間違えたような気がした。
「能力事故が起きたときも、すぐ対応してくれましたし。それに、私を――」
庇った。
雫はそう言おうとしたが、その前に刃が横から口を挟んだ。
「そんなことより、何をしにきた」
遙は楽しそうに笑いながら、今度こそ刃の方へ歩いていく。
「初日やし、刃くんの様子見に来ただけです」
「まさかとは思うが、俺の時間割を把握しているのか?」
「勿論」
遙は当たり前のように答える。
「会長として、とーぜんやん」
刃は絶句し、片手で顔を覆った。
そのやり取りには慣れた空気があった。
仲が良い。
少なくとも雫にはそう見える。
遙が刃のすぐ横まで来たところで、ようやく彼女の視線が刃の腕へ落ちる。
制服の袖は裂け、その下から覗く皮膚には傷が走っていた。血はまだ止まり切っておらず、指先を伝った一滴が床へ落ちる。
遙の笑顔が消えた。
「……刃くん」
「これくらいなら問題ない」
刃は制止しようとするが、それを意に介さず、遙はずいずいと距離を詰めて腕を掴んだ。
「おい」
傷口から血が滲む。
雫は思わず声を上げた。
「ちょ、ちょっと! 怪我してるんですよ!」
「そんなん、見ればわかる」
「だったらそんな掴み方――」
止めようと手を伸ばした、その瞬間。
何かが変わった。
空気、とでも言えばいいのだろうか。遙を中心に、目には見えない何かが広がったような感覚があり、それと同時に、刃の腕から滴っていた血が重力に逆らうように停止する。
傷そのものが塞がったわけではない。ただ、出血だけがぴたりと止まっている。
その不自然な様子に雫は目を見開いた。
「能力……?」
「そう」
遙はあっさり答えると、刃の腕を離した。
「血はこれでえーけど、傷口はちゃんと見てもらわな」
「分かってる」
「分かってる人は、こんななるまで放っとかへんの」
「実習中だったんだから仕方ないだろ」
「仕方ない?」
遙は首を傾げ、それから雫へ視線を向けた。
「雨野ちゃん」
「は、はい」
「この人、こんなんやから」
こんなん、とは随分な言い方だ。
「また無茶しそうになったら止めてな」
「俺のバディに何を吹き込んでる」
「事実やん」
遙は再び笑うと、ごく自然に刃の腕へ自分の腕を絡めた。
「それに」
雫を見る。
笑顔なのに、妙な圧がある。
「うちの所有物やもん」
「誰がお前の所有物だ」
刃は即座に否定した。
雫は数秒遅れて反応する。
「……所有物?」
「昔からやから」
「昔から!?」
「信じるな」
「でも本人が」
「こいつの発言をいちいち真に受けるな」
「ひどいなぁ。幼馴染に向かって」
遙は刃の肩へ頭を預ける。
刃は露骨に嫌そうな顔をしたものの、振りほどこうとはしなかった。
雫は二人を見比べる。
幼馴染。
その言葉から想像していた関係とは、どうにも少し違う気がする。
「それで?」
遙が刃を見る。
「また庇ったん?」
「庇ったわけじゃない」
「ほな、その怪我は?」
「周りに被害を出したくなかっただけだ」
「それを世間では庇った言うんとちゃう?」
「違う」
「何が違うん?」
「結果的にそう見えるだけだ」
遙の笑みが薄れる。
「そーいうの、刃くんの悪い癖やね」
「……」
「昔から、全然変わらん」
その言葉だけは妙に静かで、刃もすぐには返さなかった。
ほんの一瞬、二人の間に雫の知らない何かが通り過ぎたように感じる。
「それは――」
刃が何かを言いかける。
「それは、何?」
「いや……なんでもない」
刃は視線を逸らした。
「そんなことより、今は事態の収拾を――」
そのとき、実習室の扉が勢いよく開いた。
「風紀委員だ、道を開けてくれ」
声とともに、風紀委員の腕章をつけた生徒たちがぞろぞろと入ってくる。
それぞれが負傷者や壊れた設備の確認へ散っていく中、その最後尾にいた小柄な少女だけが刃を見つけるなり真っ直ぐ歩み寄った。
「刃じゃねーか! 元気そうだな!」
その背中を思い切り叩く。
ばしん、と豪快な音が響いた。
「っ……!」
刃の顔が歪む。
「い、雷先輩……」
少女の手が止まった。
「あ?」
刃の顔を見たあと、その視線が腕へ移る。
「……お前、怪我してんのか?」
「少し」
「少しじゃねえだろ!」
今度は叩かず、少女は刃の肩を掴んだ。
「先に言え」
「叩く前に見れば分かるのでは……」
「いつもならこれくらい平気な顔してんだろーが」
「今も平気です」
「顔歪んでたぞ」
「気のせいでは……?」
「嘘つけ!」
刃は露骨に面倒そうな顔をするが、嫌がっているようには見えなかった。
雫はそのやり取りを見ながら、少しだけ違和感を覚える。
先ほどまで何をされても平然としていた刃が、この少女の前では年相応に見えた。
「あ」
少女がようやく雫に気付く。
「こいつがお前のバディか?」
「はい」
刃が答えた。
「今日の実習で組んでる雨野雫です」
「へぇ」
少女が雫をじろじろ見る。
その視線に悪意はない。むしろ興味津々、といった感じだった。
「雨野雫です。よろしくお願いします」
「おう! あたしは速水雷。風紀委員長やってる」
「……風紀委員長?」
思わず聞き返してしまった。
このちっさいのが?
口には出さなかった。
今日一番の判断だったかもしれない。
「あぁ? なんだその間」
口調が僅かに荒れる。
――勘が鋭い。
雫は身を震わせつつ、すぐに返答した。
「い……いえ、何でもありません」
「そうか?」
雷が首を傾げる。
その横で、遙が静かに口を開いた。
「風紀委員長」
声色が変わった。
雫は思わず遙を見る。
先ほどまで刃にまとわりついていた少女と、同じ人物とは思えない。笑みは浮かんでいるのに、そこにはまるで温度がなかった。
「一体、何してはったん?」
雷の眉が僅かに動く。
「……何がだよ」
「毎年この時期は能力事故が増える。せやから厳戒態勢で臨む」
遙はゆっくりと実習室を見回した。
壊れた備品、床に残った傷跡。そして怪我をした刃。
「そう言うてはりましたよね?」
「言ったよ。だから風紀も総出で動いてる」
「それでこれ?」
雷の表情が険しくなる。
遙は構わず続けた。
「能力事故が起きてから走ってきて、暴れた生徒を取り押さえる。それだけやったら、ただの後始末やん」
雷の目つきが変わった。
「おい」
低い声だった。
「なんです?」
「今回のことで、あたしを責めるのは構わねえ」
雷は遙を真っ直ぐ見据える。
「責任者はあたしだ。配置が悪かったなら直す、対応に問題があったなら見直す」
そこで一度言葉を切り、後ろにいる風紀委員たちへ視線を向けた。
「でもな、あいつらまで仕事してねえみたいに言うな」
遙の細い目が僅かに動く。
「朝から走り回ってる。別の実習でも事故が起きて、今も何人かそっちに行ってる」
雷は再び遙を見る。
「今回ここに間に合わなくて怪我人が出たのは、あたしの責任だ」
一拍置く。
「でも、下に落ち度はない」
二人の間に沈黙が落ちる。
雫は雷を見る。
小さいし、口も悪い。入ってくるなり怪我人の背中を叩いた。
それなのに今は、この人が風紀委員長であることに不思議と納得できた。
「……別に、風紀の皆さんが遊んでるとは言うてませんよ」
遙が口を開く。
「だったら」
「でも」
遙は雷の言葉を遮った。
「頑張ってるかどうかと、ちゃんと機能してるかは別の話や」
雷が黙る。
「今回、事故が起きた」
遙が一本、指を立てる。
「事故報告書」
二本目。
「原因分析」
三本目。
「再発防止策」
そして四本目。
「配置体制の改善案」
四本の指をそのまま雷へ向ける。
「耳揃えて、生徒会に提出してください」
雷はしばらくその手を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「ああ。必要なもんは全部出す」
そのまま遙を睨む。
「だから、文句があるならあたしに言え。委員長はあたしだ」
遙も雷を見返す。
二人とも引かない。
「会長」
刃が間に入った。
「そこまでにしよう」
「でも」
「あとは風紀委員に任せた方がいい」
遙は何も言わず、数秒ほど刃を見つめる。
やがて、ふっと表情を緩めた。
「……そうですか」
そして雷へ向き直る。
「それでは、この話の続きは今度にしましょうか」
いつもの訛りがない、妙に丁寧な口調だった。
雫の背筋に、僅かな寒気が走る。
さっきまで怒っていたときより、今の方がずっと怖い。
雷も同じことを感じたのか、露骨に顔をしかめた。
「その言い方やめろ。気色悪ぃ」
「なんのことです?」
「絶対根に持ってんだろ」
「さぁ?」
遙は楽しそうに笑った。
刃が小さくため息をつく。
その横顔を見ながら、雫はふと思う。
この人って、もしかして苦労人なのではないだろうか。
「雨野ちゃん」
突然名前を呼ばれ、雫は顔を上げた。
遙がこちらを見ている。
「は、はい」
「今日は刃くんがお世話になりました」
「え?」
「おい、保護者ヅラをするな……」
刃がすぐさま突っ込むが、遙は無視した。
「これからも、仲良うしてあげてな」
柔らかな笑顔だった。
ただの挨拶。そう聞こえるはずなのに。
「……はい」
なぜか返事をするまでに、ほんの少しだけ時間がかかった。
「ほな、刃くんは医務室行こか。雨野ちゃんも、先生の指示ちゃんと聞いて怪我せんようにな」
遙が再び刃の腕を取る。
「おい、腕を掴むな。痛いんだ」
「その仏頂面やめえ。痛いんが全然伝わって来おへんから、馬鹿力のちびっ子委員長に背中叩かれたりすんねん」
「聞こえてんぞ!」
背後から雷の怒鳴り声が飛んでくる。
「聞こえるように言うたんです」
「テメェ!」
「もう喧嘩は勘弁してくれ……」
刃はそんな言い合いにげんなりした様子でつぶやいた。
そのまま、二人は廊下へ出ていった。
残された雫は、二人が出ていった廊下を眺めていた。
遙の言葉が、まだ耳に残っている。
――これからも、仲良うしてあげてな。
頼まれただけだ。ただの挨拶だ。
それなのに。
今日あれだけ助けてもらって、まともに礼ひとつ言えていない自分が、ひどく不器用に思えた。