冥宮会長は後ろから刺されそうな独裁者ムーブばかりしている 作:PON太郎
「雨野、右」
声をかけるより早く、雫は動いていた。
飛んできた球体を半歩かわし、床へ手を伸ばす。
砕けていた訓練用の障害物が、時間を巻き戻したように元の形へ戻った。
その陰へ身体を滑り込ませる。
直後、乾いた破裂音が響き、障害物の表面に赤い塗料が飛び散った。
「……セーフ!」
物陰から雫が顔を出す。
「まだ終わってないぞ」
「え?」
刃が指を差した。
雫の背後。
二つ目の球体が、ゆっくりと浮かび上がっている。
「うそっ!?」
雫が慌てて振り返る。
遅い。
球体から放たれた塗料が、雫の頭に直撃した。
「あっ」
電子音が鳴る。
実習終了の合図だった。
雫はしばらく固まったあと、がっくりと肩を落とした。
「……今の、絶対ずるいです」
「何がだ」
「一個倒したら終わりみたいな空気出してたじゃないですか」
「そんな空気はない。終了の合図があるまでは続行だと言っただろう」
「あのぅ、もう少し手心とかあってもいいんじゃないですか?」
刃は返事をしなかった。
言い返せなかったわけではない。
面倒だっただけだ。
少なくとも、そういうことにしておく。
「うー、びしょびしょで気持ち悪い」
雫はゴーグルについた塗料を拭いながら呟くと、髪へ手を触れた。
能力が発動する。
べったりと付着していた塗料が髪から離れ、乱れていたカールがふわりと元の形へ戻っていく。
散った塗料は宙を逆向きに飛び、一点へと集まっていった。
やがてそれは、弾ける前のカラーボールへと戻る。
随分と手慣れたものだ。
あの能力事故から、しばらく経った。
その間にも何度か実習で教えているうちに、初日の頃と比べればかなり動けるようになった。
何より、失敗した理由を他人のせいにしない。
今は文句を言っているが、五分もすれば自分で反省点を洗い出しているだろう。
案の定、雫は真剣な表情で端末を覗き込んだ。
「二個目、いつ出てきたんだろ……」
「一個目を避けた直後だ。避けたことに喜びすぎて、意識が疎かになっていたな」
「……もう少しぐらい褒めてくれても」
雫はぶつぶつ言いながら、訓練場の中央へ戻っていく。
その途中、別の組が使っていた障害物の一部が欠けているのを見つけると、足を止めた。
「あれ、これ壊れちゃってる」
しゃがみ込み、障害物へ手を触れる。
一瞬だけ能力が発動し、欠けていた部分が元の形へ戻っていった。
刃はその様子を見て感心すると同時に、少しだけ不安を覚える。
雨野雫という人間は、自分にできることを見つけると、わざわざ理由を探さない。
悪いことではない。
ただ、能力者にとっては、その性質が危うさに変わることもある。
自分も似たようなことを、昔から何度も言われてきた。
正直、何をそんなに気にするのか、刃にはよく分かっていなかった。
けれど雫を見ていると、少しだけ、言っていた側の気持ちが分かる気がした。
「なんですか?」
「いや」
「また変なこと考えてました?」
「別に? というかまたってなんだ」
「怪しい……」
雫は疑わしそうにこちらを見る。
初日の彼女なら、こんな視線を向けてくることもなかった。
随分と遠慮がなくなったものだ。
「集合」
担当教員の声が響いた。
訓練場にいた生徒たちが集まっていき、刃と雫もその列へ加わる。
全員が揃ったのを確認すると、教員が端末を操作した。
前方の大型モニターに文字が表示される。
《次回実習予定 校外実地訓練》
周囲がざわめいた。
雫も画面を見上げる。
「校外実習……」
「聞いてなかったのか?」
「あるのは知ってましたけど、こんな早いとは思ってなくて」
校外実習。
文字通り、学園の敷地外で行われる実地訓練だ。
この学園がある特別区では、多くの一般市民も暮らしている。
「先輩も去年やったんですよね?」
「ああ」
「どうでした?」
「あー……」
「なんですかその返答は、全然参考にならないんですけど」
雫が呆れた顔をする。
刃は少し考えた。
「本来は、この地域がどんな風に能力と共存しているのかを再確認するための実習だ。危険なものじゃない」
「……具体的には何をするんですか?」
「散策したり、とかだな。どちらかと言えば、ガス抜きも兼ねたレクリエーションに近い」
「『本来は』って、やけに強調するのが気になりますが」
雫の表情が少しだけ固くなる。
去年は、実習中に問題が起こった。
学園の管理下にあるとはいえ、外に出れば予定通りに物事が進む保証などない。
「まあ」
刃は続ける。
「今のお前なら、校外実習で何かあっても対処できると思う」
雫が瞬きをした。
少しだけ間が空いたことに居心地が悪くなり、刃はわざとらしく咳払いをして言葉を続けた。
「……俺がサポートするってのもあるけどな」
「褒めるなら素直に褒めてくださいよ」
そう言いながら、雫が嬉しそうに肩で刃を軽くつつく。
「普段から褒めてるだろ」
「だってずっと同じ顔してるんですもん。褒められてる感じしないです」
表情筋が人より硬い自覚がある分、刃は言い返さなかった。
やがて休憩を告げるチャイムが鳴り、生徒たちは次々と実習室を出ていく。
「じゃあ私、お先に失礼します」
「あ、ああ。またな」
雫も鼻歌交じりに、軽い足取りでその流れへ加わった。
明らかに機嫌が良くなっている。
分かりやすい。
ちょっとうざい。
刃は小さく息を吐いた。
*
放課後。
生徒会室へ戻ると、遙が窓際の席で書類を眺めていた。
シェードの隙間から差し込む夕日が、机の端を橙色に染めている。
珍しく、他の生徒会役員の姿はない。
刃は自分の席につくと、積まれていた申請書へ手を伸ばした。
何枚か処理したところで、不意に遙が口を開く。
「刃くん」
「なんだ」
「最近、雨野ちゃんと上手くやってるらしいやん」
ペンを動かしていた手が止まった。
刃は顔を上げる。
遙は書類から目を離していない。
声色も、いつもと変わらない。
だからこそ、わざわざそんなことを聞いてくる理由が分からなかった。
「誰から聞いた」
「そんなん、どうでもええやろ?」
書類の陰から、少しだけ楽しそうな声が返ってくる。
こういうところは昔から変わらない。
二人きりになると、遙は時折、外では見せないような子供っぽさを覗かせる。
「んで、どーなん?」
聞く耳はまるで持っていない。
情報提供者についても吐くつもりはないようだった。
刃は諦めて、再び書類へ視線を戻す。
「最初よりはマシになった」
「へぇ」
紙をめくる音が止まる。
「雨野ちゃん、成長してるんや?」
「ああ。飲み込みも早いし、優秀だな。ただ」
「ただ?」
「性質的には、少し危ういところがあると思った」
「ふぅん」
変な間があった。
刃はもう一度顔を上げる。
遙がこちらを見ていた。
いつもの笑顔。
けれど、何かを測るようにじっとこちらを見ている。
「あの子のこと、よう見とるんやね」
「なんだ、その言い方は」
「別に〜? なんとなく思っただけ」
遙は椅子から立ち上がった。
ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
足音が、やけに静かな生徒会室へ小さく響いた。
「雨野ちゃん、ええ子やもんなぁ」
「まあな」
遙の足が止まった。
すぐには何も言わない。
机の端へ指を置いたまま、こちらの返事を確かめるように見つめてくる。
「……気に入っとるん?」
「どうしてそうなる」
遙は机に片手をつくと、そのままぐっと顔を近づけてきた。
近い。
普段なら細められている目が、今日はわずかに開いている。
「否定はせえへんねんな」
「嫌いになる要素はないからな」
「へぇ〜」
露骨に不満そうな声だった。
次の瞬間、胸元を掴まれ、ぐいと引き寄せられる。
強制的に目線を合わせさせられた。
「初めての後輩に浮かれるんはええけど、あんまり入れ込みすぎたらあかんよ」
声は優しい。
けれど、目は笑っていなかった。
本気で言っている。
「入れ込んでもないし、浮かれてもない」
まっすぐそう答えると、遙はしばらく刃の顔を見つめたあと、ぱっと手を離した。
「普通の子なんやろ?」
「ああ」
「ほんなら、あんまり懐かせん方がええんちゃう?」
「なんでだ」
「あとでしんどい思いするんは、あの子やから」
まるでペットか何かについて話しているような言い草だった。
抗議しようかとも思ったが、やめた。
今日の遙は、いつもより妙だった。
何か言いたいことがある。
それくらいは分かる。
肝心の中身が、まるで分からないだけで。
「まあ、分かってるんならええけど」
「何も分かってないんだが」
「それより」
綺麗に無視された。
遙が机の上から一枚の資料を抜き取る。
《校外実地訓練実施概要》
先ほど見たものと、ほとんど同じ内容だった。
「来週、これやろ?」
「ああ」
「雨野ちゃんと?」
「バディだからな」
「ふぅん」
またそれだ。
今度はわざとらしく頬まで膨らませている。
刃はペンを机へ置いた。
「……遙」
二人きりの時だけは、昔と同じように名前で呼ぶ。
「なに?」
「言いたいことがあるなら言え」
遙はしばらく刃を見ていた。
さっきまでの子供っぽい表情が、ほんの少しだけ薄れる。
視線が一度、手元の資料へ落ちた。
「去年みたいに、無茶せんといてな」
去年の校外実習の光景が脳裏をよぎる。
鳴り響くサイレン。
逃げ惑う人々の悲鳴。
ただ、あの時だって、無茶をするつもりはなかった。
「分かった」
「ほんまに?」
「ああ」
即答すると、遙はじっとこちらを見つめた。
「……刃くんの『分かった』、信用ないねんなぁ」
「なんでだ」
「べー、自分で考え」
そう言って、遙は小さく舌を出した。
「お前な……」
遙は何事もなかったように資料を机へ戻す。
ほんの一瞬前までの真剣な空気を、自分から壊したようにも見えた。
刃は少しだけ眉を寄せる。
何をそこまで気にしているのか、完全には分からない。
ただ、いつもの軽口だけではない。
遙は数歩離れたところで、ふと思い出したように振り返る。
「あ、あと今日は帰りにたい焼き食べ納めしたい。もう暑うなってくるから」
「……分かった」
遙は満足そうに笑った。
「駅前のとこな。うち、カスタード」
「たい焼きにカスタードは邪道だ」
「ええやん別に、美味しいねんから」
さっきまで雫について妙に探りを入れていた人物と同一人物とは思えない。
刃は小さく息を吐き、再び書類に目を通し始めた。
たい焼きは粒あんが王道なのかな