冥宮会長は後ろから刺されそうな独裁者ムーブばかりしている 作:PON太郎
今回は難産+仕事が忙しく……次はもっと早く投稿できるように頑張ります!
風紀委員会室の扉の前で、雨野雫は立ち止まっていた。
今日から自分も、正式な風紀委員会の一員になる。
加入を決めたことに後悔はない。
ただ、これからお世話になる委員長については、少々気になることがあった。
速水雷。
風紀委員会を率いる三年生で、篠崎先輩が以前所属していた頃からの委員長だ。
一度だけ顔を合わせたことがあるが、その時の印象は強烈だった。
小柄なのに、妙な迫力がある。
……大丈夫。
別に怒られに来たわけじゃない。
雫は制服の襟元を整えると、扉をノックした。
「入れ」
短い返事が聞こえた。
「失礼します」
室内には数人の生徒がいた。
壁には校内の見取り図や巡回予定表が掲示され、机の上には書類が積まれている。
その奥で、小柄な少女が椅子に腰掛けていた。
「来たな、雨野。待ってたぜ」
速水雷は雫の顔を見るなり、にやりと笑った。
「今日からよろしくお願いします」
「堅苦しい挨拶はいいから、こっち座れ」
促されるまま、向かいの椅子へ腰を下ろす。
雷は机に置かれた書類を一枚持ち上げた。
「刃から話は聞いてる。あいつ、お前のこと随分買ってるみてえじゃねえか」
「篠崎先輩が、ですか?」
「風紀に向いてるから、一度話を聞いてやってくれってな」
そんなことを話してくれていたのか。
膝の上で重ねた指に、少しだけ力を込めた。
「ただ、危なっかしいところもあるって話だ」
「危なっかしい……」
「例のバス事故だよ。能力の反動でぶっ倒れたんだろ?」
「はい。あの時は無理をしてしまって」
雷は上から下までなぞるように雫を眺め、鼻を鳴らす。
「ったく。お前、刃に似てんなあ」
「篠崎先輩に、ですか?」
「あいつも去年の校外実習で、似たようなことをやらかしてな。あの時はあたしがバディだったんだよ」
「そうだったんですか?」
「ああ。当時の刃はまだ風紀委員でも何でもなかったんだが、その一件で気に入ってあたしが風紀へ誘ったんだ」
「一体去年の校外実習で何が……」
雷は椅子に深く座り直し、にやりと笑った。
「それは刃に直接聞いたほうがいいかもな。あいつも後輩ができた実感が湧くだろ」
「……きっと苦虫を噛み潰したような顔になると思いますけど」
横から静かな声が聞こえてきた。
顔を向けると、長い黒髪に目元が完全に隠れるぐらい前髪が長い女子生徒が書類を抱えて立っていた。
安堂怜。
校外実習のバス事故でも顔を合わせた、風紀委員会の副委員長だ。
「安堂先輩。お久しぶりです」
「ひ、久しぶり、雨野さん」
怜は雫の顔を確認すると、少し表情を和らげた。
「この前は……大変だったね。その後、体は大丈夫?」
「はい。もうすっかり元気です」
「よかった。能力の反動って、後から症状が出ることもあるから、少し心配してたんだ」
「ありがとうございます。もう問題ないと思います」
「それなら安心かな」
怜は小さく頷くと、雷の隣に立った。
「それで、篠崎くんの話をしてたんですか?」
「ああ。雨野があいつに似てるって話だ」
「……それは心配ですね」
「何がだよ」
「篠崎くん、昔から面倒事に巻き込まれることが多かったので」
怜は書類を胸元へ抱え直した。
「本人は平気そうな顔をしてるんですけど、いつか本当に帰ってこなくなるんじゃないかって……」
「お前は昔から心配しすぎなんだよ」
「でも……万が一に備えて、篠崎くんがいなくなった時用の引き継ぎ資料を作っておいてよかったですよね。まさかあんな形で使うとは思いませんでしたけど」
「縁起でもねえ資料だと思ってたんだがな」
雷は苦笑した。
雫は二人の会話を聞きながら、暴走するバスを前にした刃の姿を思い浮かべていた。
あの時、先輩は落ち着いていた。
どうすれば被害を抑えられるか、何ができるか。
自分が飛び出してしまった後も、最後まで状況を見て動いてくれた。
「篠崎先輩って、風紀委員だった頃はどんな人だったんですか?」
「普段はあんまり喋らねえくせに、誰かが困ってると放っておけねえ奴だったな。頼まれてもねえ仕事まで、いつの間にか引き受けてやがる」
「それは分かる気がします」
「ただ、意見が食い違うと厄介だった。こっちが委員長だろうと食い下がってきやがる」
「委員長も人のこと言えませんけど……」
怜が小さく呟いた。
雷は眉を上げる。
「何か言ったか?」
「いえ……。二人とも、自分で決めたことはなかなか曲げませんでしたね」
「そいつは否定できねえな」
意外にもあっさり認めた。
「まあ、あいつの言い分にも筋が通ってることが多かった。だから余計に面白かったんだよ」
言葉の端々から、刃への評価の高さが伝わってくる。
それが嬉しくて、雫の口元が緩んだ。
「……なのに」
一転して、雷は面白くなさそうな顔をした。
「去年の秋、あの腹黒生徒会長に引き抜かれちまった」
「ああ、生徒会選挙の時ですね」
「そうだ。副会長にするからって、横から持っていきやがった。こっちは随分かわいがってやったのにな」
雷は頬杖をついた。
「刃も刃だぜ。あっさり生徒会に行っちまいやがって」
「し、篠崎くん、辞める時は申し訳なさそうにしてましたよね」
「だったら残りゃよかったんだ」
その口ぶりには、今でも不満が残っているらしい。
もっとも、雫には少し拗ねているようにも見えた。
「まあ、最後に決めたのはあいつだ。今さら文句言っても仕方ねえけどな」
雷はそこで話を切り上げた。
「さて、昔話はこれくらいにしとくか」
机の上の書類を揃えると、雫へ向き直る。
「仕事は少しずつ覚えりゃいい。最初から一人でやらせるつもりはねえから、安心しろよ」
「ありがとうございます」
「しばらくは怜について回れ。こいつ、こう見えて優秀なんだぜ」
「こう見えてって……」
怜は自分の前髪に触れた。
見るからに落ち込んでいた。
「安堂先輩、よろしくお願いします」
「ふふ……こちらこそ。困ったことがあったら、遠慮なく聞いてね」
控えめな笑顔を向けられ、雫も頭を下げた。
すると、怜は何か思い出したように手元の書類を探り始めた。
「そうだ。雨野さんに渡したいものがあるんだった」
「何ですか?」
「新人の子には、最初にこれを読んでもらうようにしてるんだ」
机に置かれたのは、分厚い一冊のファイルだった。
表紙には、整った文字でこう書かれている。
『風紀委員会・緊急事態対策マニュアル』
「私が作ったんだけど、何かあった時に役立つと思うから」
「ありがとうございます!」
雫は早速ページを開いた。
緊急連絡網、能力事故への対応、負傷者の搬送方法。
事故の種類ごとに手順が整理され、図解まで添えられている。
「すごいですね。これ、全部安堂先輩が?」
「うん。少しずつ書き足してたら、こんなに増えちゃって」
「これだけ詳しければ、何かあっても安心ですね」
「そうかな。まだ想定できてない事態もあると思うけど」
怜は雫の手元を指差した。
「後ろの方にも、いろいろ書いてあるよ」
言われるまま、ページをめくる。
『校舎内で重力の方向が逆転した場合』
……なるほど。
能力者の学校なのだから、そういう事故もあるかもしれない。
『校舎そのものが移動を始めた場合』
……まあ、そういう能力も考えられる。
さらにページをめくった雫は、思わず手を止めた。
『上空からサメが飛来した場合』
「…………」
見間違いだろうか。
もう一度、見出しを確認する。
サメ。
あの、海にいるサメだ。
しかも、何故か空から飛んでくるらしい。
「……安堂先輩」
「ど、どうしたの?」
「これ、絶対に何か変な影響を受けてますよね?」
怜は雫が指差したページを覗き込んだ。
「ああ……それ、サメ映画を見てた時に書いたんだ」
やっぱり。
雫は妙に納得した。
「でも、能力者同士が協力すれば、実際に起こせると思うんだよね」
「え?」
「例えば、サメを操る能力者と、竜巻を操る能力者が協力したら……」
怜は指先でページの図をなぞった。
「竜巻に巻き込まれたサメが、校舎に飛んでくるかもしれないでしょ?」
「……まあ、理屈の上では」
「だから、対策しておいた方がいいかなって」
雫は改めてページに目を落とした。
『第二百八十七項・サメの飛来に関する対応規定』
一、サメの飛来を確認した場合、速やかに屋内へ避難すること。
二、サメが空中に静止している場合、落下の可能性を考慮し、その直下を通行しないこと。
三、飛来したサメが校舎内を移動し始めた場合、水棲生物という先入観を捨てること。
四、サメが人語を話した場合、直ちに攻撃せず、意思疎通の可能性を確認すること。
……四?
「なんでサメが喋るんですか?」
「変身能力者かもしれないから」
「それもうサメじゃなくないですか?」
「そ、そうとも限らないよ。サメが人間の言葉を覚える可能性もあるから」
雫は口を閉じた。
確かに、あり得ないとは言い切れない。
言い切れないのだが。
「ちなみに、サメが複数だった場合の規定もあるよ」
「まだあるんですか?」
「群れで行動する可能性もあるし……」
怜はページをめくった。
『第二百八十八項・飛来するサメが二匹以上の場合』
……もう嫌な予感しかしない。
「怜、雨野に何見せてんだ?」
いつの間にか、雷がこちらへ歩いてきていた。
「し、新人用のマニュアルです」
「そりゃいいが……またサメの項目増やしたのか?」
「前に見た映画で、新しい事例があったので」
「そうか」
雷はあっさり頷いた。
……そうか、で済ませていいんですか?
「雨野。そいつのマニュアル、前半はちゃんと役に立つからな」
「前半は……」
「後ろの方は、まあ、参考程度に読んどけ」
雷はファイルを一瞥してから、怜へ向き直った。
「それより、例の予算の件はどうなってる?」
「追加資料も含めて、申請は全部提出済みです。ただ、最終的な回答の前に、一度直接話し合う場を設けたいと連絡が来てます」
「合同会議ってやつか」
雷は面倒そうに頭をかいた。
「必要な装備くらい、さっさと認めてくれりゃいいんだけどな」
「予算そのものは、前向きに検討してくれているみたいですよ」
「だったらいいが、あの会長が何も考えてねえとは思えねえよ」
怜は手元の書類を眺めた。
「最悪の場合、風紀委員会が解散する可能性も……」
その視線が、先ほどのマニュアルへ移る。
「その場合の対応も、第三百十五項に……」
「その話は後でいい」
雷は慣れた様子で話を遮り、雫はそっとファイルを閉じた。
……第三百十五項。
一体、この人は何と戦うつもりなんだろう。
ファイルを机の端へ置いた雫は、書類を見つめる二人に、以前から気になっていたことを尋ねた。
「……あの、速水先輩」
「どうした?」
「生徒会とは、どうしてそんなに仲が悪いんですか?」
雷は書類から顔を上げた。
「刃から聞いてねえのか?」
「意見が合わないとは聞いてます。でも、詳しいことまでは……」
「ま、仲が悪いってのは否定しねえけどな」
雷は椅子に座り直す。
「生徒会そのものが嫌いなわけじゃねえよ。予算を管理するのも、各委員会をまとめるのも、必要な仕事だとは思ってる」
「そうなんですね」
「ただ、あの会長は何でも自分の管理下に置きたがる。昔からそこが気に食わねえんだ」
雷は手元の申請書を指で叩いた。
「今回の装備予算だってそうだ。こっちは必要だから申請してるんだが、随分と話が長引いてやがる」
「何か問題があるんでしょうか?」
「さあな。向こうにも都合はあるだろうし、予算が無限にあるわけじゃねえのは分かってる」
そこで雷は、机に並んだ書類へ目を落とした。
「けどよ、雨野。この防護服や通信機を使うのは、あたしの後輩たちなんだ」
先ほどまでの軽い調子が消えた。
「装備が足りねえせいで、こいつらに余計な怪我なんかさせたくねえ。あたしが申請を出してるのは、そのためだよ」
雫は申請書に目を落とした。
あのバス事故の時、自分は目の前の人を助けることしか考えられなかった。
その結果、能力の反動で倒れ、先輩たちに助けられることになったのだ。
「……私も、あの時は自分の能力を使うことしか頭にありませんでした。風紀委員会では、もっと違う助け方も覚えたいです」
「いいじゃねえか。そのためにここへ来たんだろ?」
雷は嬉しそうに笑った。
「金の使い道を確認されるのは構わねえさ。だが、現場の動きまであれこれ指図されちゃ困る」
そして、机に置かれた書類へ視線を戻す。
「自分の仲間を守るために必要な判断くらい、あたしにさせろって話だ」
篠崎先輩からは、生徒会にも風紀委員会を監督する責任があると聞いていた。
それも間違ってはいないと思う。
けれど、雷の言葉には、制度や権限とは別の切実さがあった。
「私は、できれば穏便に済ませたいんですけど……」
怜が静かに口を開いた。
「話し合いが長引けば、その間も古い装備を使い続けることになりますし」
「分かってる。だから直接話すんだろ」
「それで、会議に持っていく資料なんですけど」
怜は別の書類を広げた。
申請済みの装備一覧に加え、現在の配備状況や活動実績が整理されている。
先ほどのマニュアルとは打って変わって、必要な情報だけが簡潔にまとめられていた。
「生徒会に活動の状況まで伝えておけば、会議でも話が早いと思うんです」
「見せてみろ」
雷は数行目を通すと、一つの項目を指差した。
「怜、ここはいらねえな。装備の使い道や活動実績はもう提出してる。現場で下した判断の一つ一つまで審査してもらう気はねえぞ」
「で、でも……説明が足りないと言われたら、また予算が止まるかもしれません」
「その時はあたしが話す。今の段階でそこまで譲る必要はねえ」
雷が書類を差し出す。
怜は受け取るまでに一拍置いたが、それ以上は反論しなかった。
「……分かりました。ほかの項目を整えておきます」
「頼んだぜ。お前が作る資料は分かりやすいからな」
雷は満足そうに頷いた。
雫は二人のやり取りを眺めていた。
怜は副委員長として自分の考えを持っているし、雷もその仕事ぶりを信頼している。
ただ、意見が食い違った時に、どちらの判断が優先されるのか。
それだけは、はっきりしていた。
「ま、難しい話ばっか聞かせちまったな」
雷は雫へ向き直った。
「お前はまだ入ったばかりだ。今は仕事に慣れることを考えりゃいい」
「いえ、勉強になりました」
「そいつは何よりだ」
雷は椅子から立ち上がると、雫の肩を軽く叩いた。
「何か困ったことがあったら、遠慮なく頼れ。怜でも手に負えねえなら、あたしが面倒見る」
「ありがとうございます」
「うちに入った以上、お前もあたしの仲間だからな」
雫は思わず背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします、速水先輩!」
「期待してるぜ、雨野」
雷は満足そうに笑った。
その隣で、怜がマニュアルを抱え直す。
「雨野さん、さっきの本なんだけど……」
「はい?」
「よかったら、持って帰って読んでみてね」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたファイルを受け取る。
手にずしりとした重みが伝わってきた。
「一度に全部覚えなくても大丈夫だよ。分からないことがあったら聞いてね」
「ちなみに、これはどこまで読めばいいんでしょうか?」
「できれば最後まで……」
怜は少し考えた。
「でも、後半はまだ書きかけだから、無理しなくてもいいかな」
……あれで未完成なんだ。
雫は表紙へ目を落とした。
緊急事態対策マニュアル。
サメが空から飛んでくるような世界で、一体どこまで備えれば安心できるのだろう。
「それじゃ、雨野さん。そろそろ行こうか」
「どこへ行くんですか?」
「まずは校内を案内するね。普段の見回りで使う場所も覚えてほしいから」
怜は扉の方へ歩き始めた。
雫もマニュアルを鞄へしまおうとしたが、あまりの厚さにうまく収まらない。
仕方なく胸に抱え直したところで、雷から声がかかった。
「雨野」
振り返る。
「刃に会ったら、たまには顔見せろって伝えといてくれ」
「分かりました」
「まったく。風紀を辞めてから、めっきり顔を出さなくなりやがって」
「委員長、篠崎くんの話はよくしてますけどね……」
怜が横から口を挟んだ。
「怜。余計なこと言うな」
「あ、ごめんなさい……」
雫は思わず笑ってしまった。
「ちゃんと伝えておきますね」
「頼んだ」
雷は満足そうに手を振った。
「雨野さん、行こっか」
怜が扉を開ける。
雫はマニュアルを抱え直し、その後を追おうとした。
「あ、持ちにくかったら、分冊にするね」
「分冊、ですか?」
「うん。まだ追加したい項目もあるし、そろそろ三冊に分けようかなって」
「……まだ増えるんですね」
「今のままだと、持ち歩くのも大変だから……」
問題はそこなのだろうか。
雫は手元のファイルへ目を落とした。
持ち帰るには少々重すぎる、新人向けの資料が一冊。
これ全部読まなきゃダメ……?
怜に目を向けると、彼女はふにゃりと笑った。
……どうやら、本気らしい。