「合格おめでとうッ!」
「Yeah!」「Foooo!」
オスターマン先生がシャンパンらしきビンのコルクを吹っ飛ばした。
大学のキャンパス内のちょっと開けたエリアで、みんなが食べ物を持参して、小さなパーティが開かれている。
俺の修士の卒業における最後の難関、発表試験が無事に終わったのだ。
先生、研究室のメンバー、ケイマン、ミューズ。
そして、研究テーマ発表の説明パートで実際に器具を実演しにきてくれたローデン兄妹。
関わってくれた人たちが、集まってくれた。
発表試験は研究室の同期のメンバーも受けている。
皆、無事に合格できたので明るいムードだ。
芝生の上に、テーブルやベンチが準備され、ちょっとした会食気分が楽しめる。
ベルカ文化圏では、お酒は知る限りどこの文化よりも早く飲める。
14歳からは、保護者監督者が同席していれば飲めるし、16歳からは完全に自由だ。
ミッドのヤツらは、そこだけは羨ましいと言ってくる。ほかにはないんかい。
「アンスくん、求婚してるヒトってどんな人?」
「ゴホッ。え、知ってるんじゃないの?」
知らない人はいないんじゃないかってくらい、最近の俺に関する話題はとにかくソレ一色だった。
無理もないけど。
バレバレ過ぎでもはや隠す気力もないので、笑ってくれとばかりに自分からネタにしている状況にある。
しかし、ルノアちゃんは映像が見えないからか、情報不足でご不満な様子だ。
「聞く聞く、アタシも聞くぅ~♪」
んだよミューズ。ニコニコしてルノアちゃんの肩に手を置いて。
「スパークス、シグナムさんとの会話や戦闘音のログをまとめて、編集して、聞かせてあげて」
『Yes,sir』
掛けていたアイガード型のスパークスを、ルノアちゃんの手に渡してあげる。
彼女はそれを掛けて、音声を聴き始めた。
「…ひっ。え…?」
デートかなにかの会話が聞けるかと予想していたのかな。はは。
そんな甘い雰囲気の会話は一切ないんだな、コレが。
『大人しく腹骨を差し出せぇっ!』『どうした、臆したかっ!』『馬鹿者! 試合中に隠れおって……文字通り炙り出してやるっ! 陣風烈火ッ!(ぐやぁああ~ッ熱ッ、熱ッ、ぅぁああッ!)』
スパークスのチョイスがひどい。つい昨日、ここ最近で一番シグナムさんをブチキレさせた試合での、熱のこもった罵倒ばかりじゃないか。ところどころ俺の悲鳴付きである。
後ろからガッと首に手を回され、酒臭い息が首筋を通り抜けてくる。
ケイマン以外にこんなことする奴はいない。
「スゲーよお前ぇ。彼女も作らずにいきなり求婚ってのぁ。大人しい奴ほど盛大にやらかす、って聞くけど、典型だな!」
「ぐぅ、くそう。ケイマンに論破されるなんて屈辱だ…言い返せない」
「だはははっ! まあ、安心したぜ。女にキョーミないのかと若干疑ってた。若干、な!」
「ほんとに若干だったか?」
「ほんとだって。まあ、真性のシスコンじゃなかったほうがもっと安心したがな」
「いや、俺は完璧で神聖なるシスコンだ。ヴェスタのためならなんでもする」
「少しは否定しろよ…怖いんだよぉ…」
「シスコンをいい言葉だと思ってるのカナ…?」
ヒソヒソと怯えるケイマンとミューズは無視だ。ただの兄妹愛なので。
「カザル君ならわかってくれるよな!」
「えっ…うーん…」
兄妹愛だぞ。
彼はいつも俺が一方的に寄せる親近感に、なぜか戸惑うのだ。もっと自分に正直になってほしい。
「もういいや…コレ、うまくいってるの?」
「ぜんぜん。正直もう今はヤケクソだね」
「そうっぽいね」
俺がボコボコにされる音声に飽きたのだろうか。
いつもどおりにクールなルノアちゃんが、スパークスを返してくれる。
「サンドイッチ食べたい、とって」
「何味がいい?」
「何がある?」
「アタシが作ってきたのあるよ!」
「どれ?」「これ~」
パンに魚の酢漬けがまるごと挟んであった。豪快な見た目すぎる。
「地元のサカナ~~」
匂いを嗅いでみる。腐ったのを通り越した、えげつないニオイだった。ありし日のヴェスタが使っていたオナラ魔法みたいなものより20倍くらいエグい。
「ヴッ」
我慢するつもりだったが、どうしても耐え切れず喉から息が漏れていた。
危険信号を察知しているはずのルノアちゃんだったが、口に入れる意外は結局は匂いで確かめるほかなく、俺の皿に顔を近づけた。
「う゛ぉえっ」
聞いたことない声が聞こえた。
「食べたら美味しいんだよ! 玉ねぎのスライスと…」
「お兄ちゃんが作ったのが食べたい」
カザル君が作ってきたというサンドイッチは、リキッド感のあるソースでびしょびしょに浸してあったが、なんとも良い香りだった。
「濡れたやつ」
「これか? おお…肉がたっぷりで、マッチしたソースがひたひたで食いでがあって、チーズと…」
旨すぎるので、もう喋るのをやめて食べることに集中したい。
「それ。それ。フランセジーニャ」
ルノアちゃんがお探しのものも、コレだったか。
少し離れたところにいるカザルくんは、女子大生のお姉様方に囲まれて、なんだか幸せそうだ。
よくよく考えれば、主賓は俺たちといえども、2人はゲストだ。
俺が世話を焼いてやらねばなるまい。
手で触るとべたべたするので、ナイフで小さく切って、フォークに刺したのを手渡す。
少女はもぐもぐしだすと、機嫌が良くなっていった。
「カザルくんがこんな料理がうまいなんて知らなかったな」
「お兄ちゃんは料理人になるよ」
「そうだったんだ」
「アンスくんは、やりたいことないみたいだね?」
「実は、そうなんだ。しかもそれに気づいたのはわりと最近だ」
「あたま悪いの?」
「うぐ。うん、そうだったっぽいよ…」
俺たちの会話を聞いていたケイマンも、濡れたサンドイッチを拝借しにやってきた。
「悪いな嬢ちゃん、俺もひとつ頂きますぜ」
「…どうぞ」
「おお、美味いな」
「料理長を思い出すよ」
「はは。俺らは騎士団の教練でシゴかれてっからな。お前も早くこいよ」
「うーん」
悩んでいる姿を見せると、ケイマンは言った。
「好きなだけ悩んでいいんじゃねーの。これまでお前は頑張って先に先に、って進めてきたんだろうけど、こっから先は自分の人生設計ってやつがなくちゃたぶん進めねーんだ。就活はあんまりやれてねーんだろ?」
「うん。でも、家は出てかなきゃならない。それは確定だ」
「ほーん。じゃ、困ったらミッドの武装隊に行けよ。住む場所の心配はしなくていいし、いつ受けても100%受かるぜ、お前なら」
「…うーん」
「考えてることわかるぞ、オイ。お前だと間違いなく"海(次元航行部隊)"に配属されるだろうからな。わけのわからん辺境に飛ばされたら、妹ちゃんと頻繁に会えなくなるぅ~ってコトだろ?」
「そいつは絶対に困るんだよな」
「だめだこりゃ。ま、天才サマはよりどりみどりで困りはしないだろーけど、さ」
「地元に残りたいよねぇ。アタシも同じよ。管理局の武装隊だと、配置替えが自由に効かないし。ハイデンの地場の企業もイイトコは激戦区だしね。普通の会社で働くなら、ミッドに出ざるを得ないだろうなぁ~。フェディキアに残りたいなら、やっぱ教会騎士団がカタいよねぇ」
他人事ではないためか、ケイマンまで萎び始めていた。
ぐびっ、と酒をあおったヤツは、おもむろに叫んだ。
「…はい、やめやめ! 今日くらい真面目なハナシはやめて、パーっといこうぜ!」
「だよねッ! パーっといくぅ~! はいアンスくんもっ!」
「カンパーイ!」「乾杯」
ぐびぐびとビールを飲まされる。
最近、この味にも慣れてきた。
隣にいるルノアちゃんがくんくんと匂いを嗅いでくる。ジョッキを近づけると、眉をへならせた。
「そういや、シャッハ先生は元気か?」
「久しぶりにハナシしたかったね~。呼べばよかったねぇ」
ケイマンもミューズも騎士見習い教練(リッターレーレ)を卒業してからは、あまりシャッハ先生には会えていないらしい。
「一応、修道女だぜシャッハ先生。酒の席に呼んでいいのか?」
「あれ? でも、騎士団のパーティでは飲んでたような…?」
ミューズの疑問に、アンスが答えた。
「そうそう。暴飲しなければいいって言って、飲んでるよ。わりとあの人」
そうか、シャッハ先生は修道騎士だから、修道女でもあったんだ。
…修道院、か。
大学を卒業した。となれば、すぐに次の年度がやってくる。
タイムリミットが迫っていた。
だがしかし、迫っていたのは、終わりかけていたのは、時間的なものではない。
俺の気力のほうだった。
心のどこかに黴のように蔓延った小さな諦めは、どう拭っても取り除くことができなくなっていた。
シグナムさんがスコダ家に嫁入りし、家族の一員になる。
叶えばいいという願望のまま、変わらなかった。
そんな未来が到来するのを、俺の心は実感として、ついに宿しきれなかったのだと思う。
己が信じ切っていないというのに、一体どうやって実現できるというのか。
仮に、シグナムさんに勝てたとしても、俺は、彼女にその続きを。
この諦めが混じった失礼な心持ちで、口にすることができるのか?
希望を失った男に寄り添う女などいない。
だから、そんな弱音を一生懸命に考えないようにする。
しかし、このネガティブな思考を凌駕するほどの自信は、これまで何をしても湧かすことができなかった。
自分が始めたことだ。
意地でも、シグナムさんに幕引きをさせるわけにはいかない。
それは俺がやらなくては。
「気力は十分か?」
「はい。昨日は武器をフルメンテして、珈琲を一滴も飲まずに、たっぷりと寝てきました。あの戦技披露会の日よりも、充実してます」
「それは羨ましいかぎりだ。私は…主に仕事の手伝いを容赦してもらった。まもなく私も管理局に籍を置くことになろう。本格的に忙しくなるだろうな」
お互いに、これが最後の勝負になるかもしれないということを、十分に察している。
俺たちは戦闘固定の魔法が展開される、実戦仕様のフィールドにひっそりと足を運んでいた。
教会騎士団の練兵場ではなく、わざわざ修道騎士団の修練場を借りたのだ。
観客はいない。これで気は散らない。
今日は互いに全力でやる。お互いの魔法に非殺傷設定は付けるが、それ以外はなにも気にしない。 当たり所が悪くて大怪我をすることになっても、覚悟の上だった。
その旨を伝えたところ、シグナムさんからは『望むところだ。散々待たせてくれたな』という返事をもらっていた。
『Alles ist bereit.(準備完了)』
互いのデバイスに闘技場のシステムからアナウンスが届いた。しかし、言葉は生まれなかった。
双方共にピリつくほど集中が高まっているのが、手に取るようにわかる。
『"Schlange Form.(連結刃)"』
この状況で、無粋な開始の合図などいらない。
蛇腹剣と化したレヴァンティンのけたたましい擦過音は、彼女からの催促だ。
こちらも応える。
『"T.A.G."!(Throttle control. Air sprint. Gale step.)』
いつもの試合であれば剣と剣を交えて切りつけ合う。
通常の空間だと思い切り魔法をぶっぱなせないし、そもそもの目的を考えれば、遠距離からひたすらアウトボックスして競り勝った後で、
「ハイこっちが勝ったから結婚ねッ!」
なんて言い出せるわけもなし。
だが、今回はそういった余計な考えは一切捨てると決めていた。
純粋な勝負だ。
相手の不得手な分野を強制し、こちらの得意な土俵に引きずり込んで仕留める。
だから遠慮はない。
距離を取って、遠距離戦を仕掛ける。
『"Regen Stille Wurfpfeil."』
取り出したウォーダート4本を手に、魔法を発動。
角度を付けてシグナムさんに降らせる。
「"空牙"ッ!」
彼女は剣の蛇を唸らせ、風の刃をいくつも飛ばしてくる。同時に、距離を詰めてもいる。
「"空牙"!」
後出しでも俺の空牙のほうがスピードがある。
横に動けば相手の接近を許す。どんな攻撃であろうと、ほぼ真後ろに退がって対応する。
直撃コースの攻撃は同じ技をぶつけて相殺できる。
「いいだろう、いつまで逃げ続けられるか試してやる!」
余裕そうなシグナムさんの表情とは裏腹に、声にはいささか気色ばみもあるような、そんな直感があって。これも付き合いの長さのおかげだろうか。
『"PanzerSchild.(パンツァーシルト)"』
飛来したダート群を盾を展開して防がれる。
それらを回収するまで壊されないように、攻撃の手は絶やさない。
ぐぐっと剣を引き、こちらも溜めていた魔法を続けざまに放った。
「"ヴィルベルカノーネ"!」
『"Wirbelkanone.(渦輪砲)"』
刀身の周りを激しく渦巻かせていた気流を、全身を使ってライフル弾のようなイメージで射ち出す。
速射はできないが、遠距離技ではスピードも威力も悪くない。
シグナムさんは気流のライフル弾を、もう一度その場で踏ん張ってパンツァーシルトで受けた。
(今だっ!)
『"Spaltgang.(空洞走破)"』
更に移動魔法で距離を開き、大技に持ち込む。
得意技のアレだ。
魔力を込めたカートリッジを2発連続で炸裂させる。
「ぉあああああッ!」
気が乗っているのか声が漏れる。
瞬く間に、身体の周囲には巨木すら飲み込み、なぎ倒しそうな竜巻が出来上がっていく。
彼女の手元が燃えている。あんな距離からレヴァンティンに炎をまとわせて、何をする気だろうか。だが、まったくもってその場から動く気配はない。
(詰めてこない…? 受けきる気か?)
炎熱の魔法の威力と比べれば、風はやや劣るとされているが、これは舐めすぎではないだろうか。
頭に多少の血が昇る。やってやる。ぶちかましてやる。
勝負が始まって以降、シグナムさんと比べたらこちらの魔力消費が大きい。
それだけの犠牲を払って得た間合いだ。
これほど距離が離れていれば、シグナムさんの使える攻撃は全て捌ける自信がある。
『"Bogenform."』
遠くの音を耳が拾った。
(ん? なんだ今の…?)
聞いたことがないような…。
聞き間違いか?
にわかに焦る。マズイ。怒りも後押ししたが、油断して空気の渦を溜めすぎた。
うっすらと嫌な予感が湧く。
攻撃は捨てて防御か回避に全振りすべきか??
冗談じゃない。悩むな、撃て。今すぐ撃つ!
竜巻をウォーダートに収束させる。
「翔けよーー」
シグナムさんは、いきなり弓を構えた。
どっから出しやがった、そんなもん。
初めて見た。そうか、今日は観客がいないからかッ?!
「隼!」
『"Sturmfalken.(烈風の隼)"』
タイミングを見計らわれた。
シグナムさんは、最初から弓射でこちらを仕留める気だったのだと、そこで悟った。
この女! 打つ手がないふりをして、身体にまとわせていた竜巻(防護壁でもある)を攻撃用に転換する隙を、狙っていやがった!
俺より早く攻撃を繰り出そうとすれば、こっちは防御か回避に行動を切り替えていただろうからな。
「"ツュクロトロン・ブラツァー"!」
『"Zyklotron Blazar(旋環烈閃)"』
わずかに俺は遅れて発射した。というよりは、こちらよりもわずかに先んじて放つつもりで、シグナムさんが調整したのだ。
「ぐぁッ!」
大技を放ったばかりだ。さすがにショートジャンプは間に合わなかった。
思い切り体をひねって剣でガードしたが、燃え盛る矢は腰部にヒットしてしまった。
一方で、シグナムさんは俺よりも体勢を整える時間的な猶予と、さらには行動を予測していたという精神的な猶予もあってか、レヴァンティンをかざして衝撃を受け止め、余波はバリアジャケットがもっとも厚い肩口のところで受けていた。
先にヒットしたのは俺。ダメージがデカいのも俺。
負けた。一本取られた、どう考えても。これを認めなければ騎士ではない。
「ま、負けました」
「ぅアンスゥッ!」
ゴアァァァァッとシグナムさんがぶっ飛んでくる。
「は、はい」
目を吊り上げたシグナムさんのお顔が見える。
近づいてきて、そのおデコが、俺の額にぶつけられた。
「いっ、たッ!」
最悪だ。これたぶん、説教モードだ…。
「油断しすぎだッ! 相手に遠距離の手管がないと決めつけおって! 慣れた相手だからといって舐めてかかるなッ! 実戦であれば命を失っていたぞッ!」
(その通りだ、手加減された…敢えて、急所から躱せるように狙ってもらってた。くそ、クソ…)
「おっしゃる通りですッ」
(まさか、これまで戦ってきて今の今まで使わずに、今回のこの一回のために? いや、それが実戦だ。何の言い訳も通用しない。ああ、畜生、これは認めなくては…)
「自分が愚かでした。猛省しますッ!」
「ダメだッ、この戦いで見返してみせろ!」
「ヤー(Ja)!」
シグナムさんはレヴァンティンをシュヴェルトフォーム(通常剣)に収納した。
適切な距離を取って、もう一度、仕切り直しだ。
フィールドのアナウンスシステムに2本目の開始を任せる。
『始め』
シグナムさんは足裏から火を放って、飛びかかってきた。
間合いを取りたいが、隙がない。
引かせるためには、こちらが一手打ち込むか、ためらわせる攻勢を作るしかない。
「まったく、会うたびにデカくなるなッ!」
「そうですかっ?」
「気づいてないのかっ」
教えてやるとばかりに、鍔迫り合いに持ち込んでこようとするシグナムさんに、俺は逆らわなかった。
不意をつくバックステップなどをもらって虚を取られないように、柔軟なシフトウェイトを維持して、乗しかかるように顔を近づける。
「いくつになった?」
「そういや半年前に170超えてましたねっ」
「声もグレゴリオ殿に似てきたなっ」
「逆ですよ、アイツが俺に似てるんですよッ!」
「反応が似ているな。あやつにはお前に似てきたと言ってやったよ。嫌がっていたぞっ」
「そりゃそうでしょう、ねっ!」
(たしかに。初めて会ったときと比べれば、シグナムさんの圧は軽い。軽くなった)
体格、体重、腕力。それは今では、こちらが優っている。
小さくない気づきだった。
だからこそシグナムさんとのチカラ比べは避けてきた俺だが、その事実が逆転している可能性を捨てていた。
まいった。それを教える気だったのか、この人は。
上下のコンビネーションで、シグナムさんに上段の攻撃を意識させて、太ももを蹴る。
この蹴りは、相手の体を吹き飛ばすための前蹴りだった。
これまで描いてきたイメージよりも、もっと激しく彼女は弾かれていった。
(よし…)
それをきっかけとして、思いついた。
ひとつの可能性が、脳裏に浮かんだ。所謂"ひらめき"というやつだ。
追撃を喰らう前に、ショートジャンプでもう少しだけ間合いを取って。それから。
煙幕を張る。
「貴様ッ! バカのひとつ覚えはやめろっ!」
嫌がってる嫌がってる。
ダートを3本取り出して。
「"アクスティッシュ・ズィルエッテ"」
『"Akustisch Silhouette.(奏でる影)"』
その全てに音と風圧、映像をデコレートして、放つ。
口では強がっていても、シグナムさんは俺の幻影魔法は苦手なのだ。
「そう言って食らったら情けないっすよ」
幻影の数は3つ。俺を含めると4つ。4点の影。
幾何的に考えれば、特殊な曲面でもないかぎり、面は3点で決まる。
シグナムさんのレヴァンティンの連結刃は、面制圧はひとふりで行えるので、つまりは3点の影をひと薙ぎに打ち払うことは容易い。
だが、その面に沿わない4点目があると、どうしても2連擊目が必要となる。
だから、フェイクは3つ。俺を含めてターゲットを4つに分散させた。
これまでの方向性とは違って、フェイクの数を逆に減らして、それぞれの完成度をあげる。
ダートを核に放たれたデコイは、囮と同時に本命級の威力をもつ。
クロノ・ハラオウンとの戦いで学んだのだ。
フェイクの数は多ければいいというものでもない。
どれだけたくさんのデコイがあろうと、簡単に見分けられて楽に対処されるのであれば、意味がない。
だから、これは対シグナムさん用の技として研ぎ上げたものになるのだろう。
(かかった!)
『Schlangebeißen Angriff』
炎を纏った蛇がその鱗の刃を叩きつけたのは、2つのデコイと本体である俺だった。
口元がニヤつくのを我慢する。
これはむしろ好機なのだ。
"トライシールド"を展開しつつ、連結刃をミッテルメッサーで受ける。
ダート投擲であればこその、撃ちっぱなし機能。
俺はシールド魔法の展開にしっかりと意識を割ける。
それに。
「バインドだとッ!?」
そうだ。3つのダートの内、2つにはバインドを仕込んでいた。
シグナムさんが4つのターゲットの内、3つを叩き落すのならば、かならず1つはバインド入りのダートに連結刃が命中する。
狙いはこの連結刃にこそある。
風のバインドが、連結刃にダートを接着させる。これなら、いつものようには操れまい。
(絡め取る!)
さらに剣と鞘をつかって、綱引きのように全霊で引き込める体勢に。
3次元、つまり空中での踏ん張りはこちらに分がある。
それに先ほど照らし合わせたように、フィジカルでは既に俺が上だ。
シグナムさんは連結刃の回収を諦め、もう一方の手に持った鞘で、最後に残ったダートの一撃を打ち払おうとした。
読めていたとも。
「らぁっ!」
引き込む。
「チィッ!」
タイミングを外せた。彼女は最後の足掻きとして、炎を噴出した手刀で軌道を逸らした。
それでも、ウォーダートはシグナムさんの大腿部にヒットした。
衝撃でその身体が大きく揺さぶられ、回転した。
「どうだっ!」
「貰った、貰ったさ。してやられたっ」
シグナムさんは悔しそうに認めた。
幻影を交えた攻撃。そこにある程度の変化が生じることは、彼女も予想していただろうけど。
今回はこれまでのように幻影の数を増やす方向性ではなく、逆に減らしてきた。
意外性によって判断が遅れたようだ。
彼女に余計なことを考えさせるのに成功したのだ。
「判断を誤ったか。ダートなど無視して…いや、最後の1発はバインドではなかった」
「そこは運でした。たまたまです。ダートを無視してレヴァンティンにもう一発、紫電一閃でも使われてたら…とも考えましたが、今回はバインド入りのダートではなく、貫通魔法を込めたダートが残ってましたからね。どのみち、俺の攻撃が先にあなたに命中してましたよ」
「…よかろう。さあ、次だ」
しばし見つめ合う。
予感がある。
勝っても負けても、彼女との未来は、俺には、待っていない気がする。
もうすこし、もう少しだけ…。この時間を。
覚悟してきたけれども…。
「…妹に、ポット型のデバイスを借りてきまして。最後の決着の前に、糖分補給しませんか?」
「なに?」
「ホット・チョコラーダです。ふるまわせて下さい」
試合の途中に、こんなことを言い出したのはもちろん初めてだった。
怒られるかな、と思ったが、こちらの感傷をシグナムさんは受け入れてくれたようだった。
「…わかった。いただこう」
戦闘フィールドの脇にある、ベンチへと向かう。
いや、二人して息を整えながら向かっていた、その時だった。
シグナムさんの動きが、ぴたりと止まった。
「すまない、アンス。主から救援の要請だ。事故が起きて人手が足りていないらしい」
一瞬だ。俺の時間が止まったのは、一瞬だった。
「行ってください。急いで。はやく行ってあげてください」
「すまないな…」
「そんなこと良いです。大事なのはそっちでしょう。ほら急いで」
俺はシグナムさんを追い立てるように、戦闘フィールドの管理システムに、試合中止の命令を送っていた。
「アンス」
「なんですか?」
「腕を上げたら、また見せに来い」
「はい、いつか必ず勝ち切ります」
この誓いは、嘘ではない。本心からでた言葉だった。
これで婚姻騒ぎは終わりだ。
そういう空気感が流れていたが、決して居心地は悪くなかった。
遠くで、シグナムさんが一度、こちらを振り向いたのがわかった。
彼女が見せた初めての所作に、くすりと笑っていた。
おしいところまではいったが、結局、シグナムさんから2本続けて取れる日は来なかった。
これほど困惑したシスター・シャッハの姿を、俺は今までに見たことがない。
「修道騎士団に入る? 若いのにどうして? それほど熱心な信徒だという印象もありませんでしたが…」
「お叱りを受けそうですが、修道士の身分を得ることそのものが狙いなのです。生家から離れたという証を社会的に明らかにできます。ほら、相続権とか…」
「…そういうことですか」
修道士になる。つまりは僧になれば、ベルグも流石に家に出入りするな、とは言うまい。
文字通り俺は出家した身分となる。それは社会システムが保証している。
口だけで『相続は放棄する』とのたまうのとは違いがある。
もっと毅然とした覚悟を示せる。
その代わり、結婚は許されない。家庭は持てない。
フェディキアの法ではそこにストップが入る。それでも。
「まあ、いいでしょう。うだうだ言っても仕方ありません。ひとまずあなたを受け入れましょう」
「えっ?」
頼んでおいてなんだが、こんな、いきなり受け入れ許可がでるなんて。
想定外だ。
「ひとまず、と言いました。つべこべ言わず、修練を実際に積んでみるといいです」
ちょっとだけ欲求不満というか。シスター・シャッハを思い切り困らせるつもりで俺はやってきたというのに。
こうもあっさり決断されて、なんだかこっちのほうがぎくしゃくするじゃないか。
「ここでどんなに言葉を尽くしてあなたの本心を解き明かせたとしても、修道士としての生活に音を上げればそれまでですから。あなたの意志がどれほどか、その行動でおのずと明らかになるでしょう」
「…たしかに」
「逆を言えば、どれほど口下手であろうと、愚かであろうとも、その誠意を日々の生活で示すことは可能なのです」
「なるほど」
「これは私の恩師の言葉ですが、『人は習慣には勝てない』そうです。私も日々、深ぁ~く、実感していますよ…。ニワトリが鳴く前に起床して、祈りは日に5回以上。騎士団の訓練や演習への参加、勉学や宣教活動、奉仕活動、少ない自由時間。規則正しくも、厳しい、厳しい、厳し~い生活が貴方を待っています。きっちり適正と、"覚悟"を見せてもらいますからね…どうしましたアンス。顔が引きつってますよ?」
早々に根を上げたらお仕置きしますよ、とシャッハ先生の笑顔が雄弁に語っていた。
夕暮れの中、修道騎士団の本拠地を後にする。
ちょっとした相談のつもりだった。
ジャブを打つ程度の、今後に備えての軽い様子見程度のハナシをするつもりだった。
信仰心が足りてないだの、ああだのこうだのと煙に巻かれると思っていたが、そうはならなさそうだ。
ふむ。
食後のお茶に強制的に誘われた俺は、都合がいいかと思って、母上に修道士になる旨を報告することにした。
父上はどこぞに出張で不在だ。
こういう時、ふたりの母がともに食卓に着くことはない。
ヴェスタはヴァルチラ様と一緒だ。
「アンス、どうして修道会なのですか?」
「やりたいことが見つかっていないですし、僕は…」
「だからどうしてですかと理由を訊いています。本当にやりたいことが修道士になることですか? 今までのあなたを見てきて、それを本気で信じろと? 家に囚われず自由に生きていいんですよ」
「自由にしていいなら、自由にさせてくださいよ」
母上はそう言うだろう。スコダ家も古くは、跡目争いに負けたものが修道士・修道女になったりしていた。
けれどもさすがに今の時代では、スコダ家の中でもそれはおかしな行為だ。
「この家に囚われてはいけません。スコダの宗家とは、まるで……"会社"です。一人ではとうてい抗えぬ、巨大な組織、人の集団が織りなす、小さな社会なのです。伝統のみならず、人間関係にも思わぬ歴史があって、複雑に絡み合っていて……私やノルデにも、自由にできないことだらけなのです。そんなものにあなたを巻き込まずにやってこれたのに」
「それは、すみません。僕は親の情けを理解できぬ愚図だったようです。でも、ひとまず何かに手をつけなくてはいけないじゃないですか…」
正直、あなたの意見などどうでもいい。俺は視線でそう母上に返していた。
母上が困惑することなどわかりきっていた。
だが、俺はどのみちここを去らねばならない。
あれやこれや言われても、ここにはいられないんだ。
俺の人生をそう舗装したのは他ならぬあなたたちなのに、これ以上注文を付けられても聞く気はない。
自分の中の醜い反骨心や対抗心がくっきりと視えている。
でも、それに逆らう気がないのであれば、視えていないのと同じか。
ああ、それでいいさ。
「それに、ヴェスタは誰が守るのですか? 己が貴族であったかなど関係ない。弱きものは強きものが守ります」
俺を家から追い出すのはいい。それは家憲も絡んでいるし、逆らえなかったことだと理解できる。
だが、そこから先の人生や、家族であるヴェスタに会えるかどうかまで、なぜ決められなければならないんだ。
「ヴェスタのことは、あなたが気にする必要はありませんッ!」
ヒートアップする母上と対照的に、俺の頭には冷たい血が流れていく。
俺はあなたたちに追い出された挙句、妹に会うことまで禁じられ、そしてこれから先の人生を、あなたたちの納得する道だけを選んで、進んでいけというのか?
騎士の訓練で学んだ。怒りを制することを。自分の味方を恨んでなんの得がある。
しかし、怒りという感情の熱を取り除いた俺に残ったのは、諦めだった。
母上とは分かり合えない。分かり合えなくても、それでいいじゃないか、別に。問題あるか?
ここにあるのは、空虚さと、面倒くささだった。
母上がまくし立ててくる。が、頭に入ってこない。
俺は必死に思い込もうとした。
この人は俺を愛しているんだ。家族なんだ。
大事な人なんだ。血のつながった俺の母で、俺は息子なんだ。
だが、もう俺には、喋るロボットが口から決められたセリフを唱えているようにしか感じられなくなっている。
母親が俺を大事に思っているというその熱が、俺には伝わってこない。
俺の側に問題がある。そう自覚があるのに、どうにも自分を変えられそうになかった。
良くない精神状況だとわかりきっていた。
これが自分の未熟さなのだとなんとなく思う。
けれども、きっと一息に大人にはなれないんだ。
自分の小ささがわかったとて、かといって大きくなる手段を知っているわけではない。
今の俺では、全てを受け入れられる賢者にはなれそうにない。
「誰になんと言われようと、ヴェスタは血のつながった俺がそばにいます」
ある意味では、ヴェスタに関しては母親が信用できないと発言したも同義だ。
案の定、母上は激昂した。
「私が信用できないという意味ですか?」
「そうではありません。俺はヴェスタのことを誰かに任せるつもりはないんです。母上や父上やヴァルチラ様が傍に居ようが関係ない。俺は兄としてやるべきことをやりたいんです。たとえ邪魔する人と、どんなに対立することになっても」
それは母上を傷つけまいとした嘘だった。
ああそうだとも。本心は、母上を信用していなかった。していなかったとも。
そんな俺の本当の気持ちは、母上に見抜かれていたようだ。
「……」
深く傷ついたせいで何も言い返せなかった母上の顔をみて、これ以上会話しても、もっと酷いことになるだけだと。
そう確信があった。
「アンス! 待ちなさいッ!」
「頭を冷やしてきます。また来ますから」
この話の続きをする気などなかった。俺は嘘つきだ。
でも、嘘をつかなければ、もっと関係はこじれていた。
この予感は間違っているか?
本心を言い合って、激しい喧嘩をして、でも最後には分かり合える。
そんな綺麗事を言う人もいる。でもそれって"堅実"か?
必ずしも"そう"はならずに、ずっと互いを呪いあっている人たちは、十分そこいらにいるじゃないか。
必要な嘘だって、あるんだ。そうだろう。
その日の朝は、ヴェスタと共に食卓についた。
いつもは俺が早く家を出るし、妹はお寝坊さんだ。
俺がせかせかとモグつく妹を見送るのは珍しい光景だった。
時間はそれほどたくさんはないというのに、ヴェスタはグレーステルをたっぷりと皿に取ってしまい、時計を見ながらあとどれほど詰め込めるか計算している。
「それ美味そうだな」
昨日の豪華なザウアーブラーテン(マリネ牛肉のスープ煮)の残りと、ベーコン、ソーセージ、玉ねぎ、じゃがいもの角切りがフライパンの上で水分を飛ばされ、仕上げに目玉焼きが乗せられている。
通常のグレーステルよりソースましましのグレイビーな一品だ。
ヴェスタが欲張ってしまったのも頷ける。
「めちゃウマです、むぐっ」
りんごジュースをぐびぐびと飲み込んで、喉のつまりを未然に防ぐ。
話しかけていいものか迷ったが、端的に報告だけすることにした。
「ヴェスタ、俺、ひとまず修道騎士団に入るよ」
「え」
「まぁ、修道騎士団に入ったらさ……。寮生活になるから、しばらく家から出るけど。ちょくちょく会いに来るよ」
「ちょくちょくってどのくらいですか? 週に何回ですか?」
「1回…あるかないか?」
「そうですかぁ……」
「はは、大学付属の修道会の寮だから、ここからけっこう近いよ。会いに来てって言うなら、20分くらいで飛んでってやるよ」
「そうなのですか!」
「ああ。もし一番近い寮に当たったら……ウチの屋上のベルヴェデーレ(物見やぐら)から見えるんじゃないか?」
「なんだ、そうですかっ」
期待を持たせすぎるのはよくない。これ以上はやめておこう。
「じゃあ、遊びに行ってもいいですか?」
「それは恐らく可能だ」
「じゃあ、お泊りもしていいですかっ?!」
「うーん、それは無理かも」
「はむはむ、そふへふかぁ…」
「長期休暇のときは…いや、よく考えたらそんなもん、ないのかな…」
「んえ~?」
「飲み込んでから喋ろう」
「…んぐ」
「まあなんにせよ、近くに居るんだからなんとでもなるさ」
「よかった! じゃあ、学校に行きます、アン兄様!」
「いってらっしゃい」
「はぁい!」
慌ただしく朝食部屋(ブレックファストルーム)から出て行くヴェスタの後ろを、待機していたお手伝いさんが追いかけていく。
(俺が居なくなって。新たにベルグがやってきた家で。ヴェスタは一族に馬鹿にされながらひとりぼっち…)
そんなことをする奴らを全員ぶち○して回れればどれだけ幸せだろう。
あと数段、強くなればやれそうか? 途中で捕まらなきゃ実行はできるんじゃないか?
集まっているところを一気に襲えば…って、ナメすぎだ。現役の軍人だってそこそこいる。
いくらランクが上でも多勢に無勢になるんじゃないか。
…アホか。こんなこと大真面目に考えてどうする。
さっさと朝ごはんを食べよう。
もう何年も前からだけど、お手伝いさんたちは俺が何をやらかしても、マジで文句ひとつ言ってこないからな。
こちらが気を使って、能動的に彼女らの仕事が回るように行動しなくてはならない。
直に修道院での生活が始まる。自由な時間に起きて、自由に朝食を選んで食べられなくなるだろう。
「…すみません、目玉焼きは3つ…いや4つでお願いします!」
ぺこりと腰を折って、お手伝いさんがキッチンに戻っていった。
これもヴェスタの近くに居るためだ。
修道士の生活くらい、ヴェスタのためにこなしてみせる。
こなしてみせる……みせる……こなして……みせ……こな……み……。
「もう辞めたあああああああああああああああああああああい! うわあああああああああああああああああああああああああ!!!」
1日に8回も行われる時課(祈りの時間)を、修練者は原則として免除されることがない。
嗜好品も摂取できる時間が決められている。
見ていい映画や書籍なども制限されている。
ずっと1日中、何かをやらされる。自由時間はちょっぴり。
「静かにしてください、ノヴィツェ(修練者)アンス」
寮の相部屋のもう片方の住人であるブラザー(兄弟)レムケが、くいっとメガネの位置を元に戻して、ベッドの上でもがくアンスを見もせずに言い放った。
「読書(しろと決められた強制)の時間をないがしろにするのは気が進まないが、君の話を聞こうじゃないか。もちろん、妹御の話以外ならだが」
「じゃあ、長期休暇にヴェスタと一緒に何をして遊ぶか書き溜めたリストがパンパンになって確実に休みが足りなくなりそうですので、取捨選択するのを手伝ってください」
「何度も言っているだろう、アンス。我々に長期休暇という世俗的な概念はない。我々の生活の全てが、主への捧げ物なのだから。修道士とは、仕事じゃなくて生き方なのだよ。一度こうと決めた生き方を、ちょくちょく辞めるなんて、おかしいじゃないか」
「あはは…だから頭おかしくなって、頭おかしくなるまで働くようになって、ついに頭がおかしくなりきって病院行きになる人がちらほら出てくるんですね…」
「その発言は感心しないな。もっとも君に説教をしてヘタに暴れられてもここには君を止められる者がいないから、放置しておくがね」
「うひひ……厄介者を引き取って下さり、感謝しています。ブラザー」
この3ヶ月で相部屋の先輩方が俺に耐えかねて次々と入れ替わっていった。
今、俺と一緒に住んでくれているレムケ先輩は、もうほとんど終生誓願間近の、若手の中では大先輩だ。
個室住まいだったのに、わざわざ俺を指導しに相部屋に舞い戻ってきてくださったのである。
ちなみに、修練者は1~2年の修練期間が終わると、修道誓願(貞潔・清貧・従順)を立てる。
最初は適正を数年間見極めて、そして終生誓願へと進んでいく。
「従順の誓願をしたことを後悔なんてしてないよ。アボット(修道院長)に頼まれたからには快く引き受けるさ」
「建前しか言えなくなることが"従順の誓願"なんですね。でも僕みたいな初学者が勘違いしちゃうから、名前はちゃんと"建前の誓願"に直したほうがいい気がします」
「…まいったな。強烈な皮肉だね」
レムケ先輩は本を読むのを中断し、アンスに向き直った。
「で、そんな雑念塗れで忍耐の限界をとうに迎えている君が、ギブアップをせずにいるのは…どこにも行き場所がないからかい?」
行き場所がない。それはここから去らない人たちの定番の理由なんだろうか。
だが、俺は…俺の場合は違うな。
「やだなぁ。ずっと言ってるじゃないですか。妹のそばにいるためですよ…」
「通常はね、親しい人と接触を断つために僧院に入るものなんだがね。君のお家は奇妙奇怪なりだよ」
「…明日は3時前から起きて夜課の準備をします。寝てもいいですか?」
「明日は騎士団との訓練もあるんだったか?」
「うっす」
ブラザー・レムケは返事をせず、そのまま何も言わずに見逃してくれた。
翌日。
午前中はシスター・シャッハと共同で護衛任務(の付き添い)にあたっていた。
対象はカリム・グラシアという女性貴族である。
グラシア卿の幼少のみぎりからシスター・シャッハが仕えてきたと聞いていたが、こんなに若くて綺麗な方だとは思っていなかった。
"聖王教会のお偉いさん"とだけ聞いて、こんなグラマラス美女を想像できるはずもない。
先日紹介にあずかり、これでお会いするのは2回目となる。
「どうですか、修道院の生活は?」
「騎士カリム、ご機嫌麗しゅう」
「畏まった挨拶は不要です。お茶はいかがですか? それとも珈琲がよろしいですか?」
無言。グラシア卿の傍に侍るときは、シスターは極端に喋らなくなる。
それだけ任務に集中しているのだろう。
「珈琲をいただけますか」
断れ。おめー断れよ、コラ。飲むなコラ。と目で散々にシャッハから威圧されていたが、俺はこのあと教会騎士団との合同演習に出るんだ。
眠いんだよ。まじでカフェインとらせてくれ。だって自由時間じゃないと珈琲を飲むことも許可されていないんだぜ。
「どうぞお召し上がりになって」
席を促されて、座る。
あぁんお前座ったなコラ。後で覚えとけよコラ、とシャッハが目でうるさい。
「フライフラウ(男爵夫人)スコダには、平素よりご厚志を賜っております」
アウチ。それってどっちかっていうとヴァルチラ様のご実家の…。
「お心遣い感謝します。私はまだ誓願は成しておりません…が、いや、ので、グラシア卿のご好意は必ずお伝えいたします」
ヴェスタも難儀しているようだが、こういった場での振る舞いはオラも最低限の教養しか授かっていないのでやんす。
「あら、申し訳ないわ。こちらが格式張ってダメね。さあ、こちらもどうぞ。私が焼いたジンジャーブレッドです」
「いただきます」(いえ、修練中の身ですので)
おっと。まだ建前の誓願を立てていなかったので建前のほうが引っ込んでしまった。
横を見る。ナニいただいてんだコラ、と睨まれている。
ふむ、グラシア卿の前では説教はできないか。
「シャッハからも、はやてからも、シグナムたちからも、あなたの名前をお伺いしておりました。是非とも、こうしてゆっくりとお話をしてみたかったのです」
「はい、なんなりと。僕でよければ」
グラシア卿は、スコダ家との関わりや社交界での噂話や、俺と共通の知人との馴れ初めを一通り交えて、そしてなにやらもぞもぞもじもじと恥ずかしそうに切り出した。
ちょうど八神家の話題に切り替わっていたときだった。
「そういえば……シグナムは最近、あなたの名を耳にするといつも不機嫌そうにしますよ」
「そうなんですね。うーむ。まだ噂は止みませんか」
「私はご事情をそれなりにお聞きしていますが、市井の方々はそうではありませんから」
もちろん当然のことながら、アンサルド・スコダの嫁取りトライアルは修道院に撤退敗北エンドで終わってしまった。
しかしながら、その主役が僧院に引っ込んでしまったため、人々の興味関心の視線はたった一人に向けられることになってしまった。
あれからしばらくは、有象無象の風聞の全てがシグナムさんに集中砲火する事態に。
"フェディキアの神童"とまで呼ばれた貴公子の求婚を袖にした、美貌の女傑騎士シグナム・ヤガミ。
彼女のゴシップ的な名声はフェディキア界隈ではうなぎのぼりに。けれどもそれを本人がありがたがってはいないだろう。逆に、俺は恨まれて然るべきである。
「そして、実は、それだけではなく、ああ、どうお伝えしましょう。今更なお話ですが、どこか、すこし寂しそうにも…いえ…」
「本当ですか? ……今にして思えば、僕は試合という勝負にのめり込みすぎていたんですかね。本当の勝負は、相手の心を自分に向けることだったのに。戦ってばかりで、シグナムさんをもっと男女の…デート? 的な駆け引きに引きずり込むべきだったのでしょう……ふう。思い返せば、数えるくらいしかそういう瞬間は……」
「た、たとえば、どのようなことが?」
グラシア卿、前のめりすぎませんかね。
冷静に周囲の状況を見渡してみる。
て、えっ!? ちょ、近ッ!
なんだか周囲の侍女さんたち、こっちに近づいてきてないか?
興味津々なのだなぁ。シャッハ先生、ニヤニヤしすぎっすよ。
「騎士シグナムに、初めて会った時に頭突きをもらったのですが、その時にくちびる同士が触れ合いましてね。そのときのことを彼女に確認してみたら―――」
話し終えると、きゃーっ、とあちこちから黄色い声がわいた。
全員、聞いてんじゃねえかよ。
ふ。いいさ。俺の醜聞をどんどん世間にバラまいてくれ。
修道院に入ってもなお、話題に火をくべる薪があるってさ。
俺ってば火は出せないってのによく燃える素材でできてたんだな。