魔法少女リリカルなのは 風車の騎士   作:暮易

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EP11:禁断の家宝

 

 

 

 

 

 週末の安息日に、ヴェスタが寮に遊びにやってきた。

 ヴェスタに頼んで書いてもらった『寂しいので兄様に会わせてください。私はまだ幼いです』という直筆の手紙は、目論見通りにおじいちゃん寮長にクリティカルヒットし、おそらくだが我が妹サマはあっというまにココにはフリーパス状態になったと思われる。

 

 ブラザー・レムケにも会って貰い、我が妹の愛らしさを堪能して欲しかったのだが、都合が合わなかった。まあいいさ。まだいくらでもチャンスはやってくる。フフ…。

 

 ヴェスタに学校や家の近況を聞きたかったのだが、部屋に来て一緒におやつを食べるなり、妹サマは熱心に次期当主の"継承誓約式"の様子を説明し始めた。

 妹サマの中では、それが最近で『イチバンのイチ大事です』とのこと。

 ハブられた俺にせめて説明できるところは説明してあげたいという健気な思いやりだと思う。

 

 

「それで、宝物庫(シャッツカマー)はダミーだったって?」

 

「はいっ。ホントウは祈祷室の壁に秘密の部屋(ゲハイムラウム)があって、そこで"継承せいやく式"をしたのです」

 

「そうかぁ…あそこにそんな部屋があったのか…すごいな!」

 

「はいっ! あとあと、家宝も臨検されてもらいましたぞ!」

 

 (※臨検[りんけん]とは、行政機関や調査官が、法令の遵守状況や事件の調査を行ったりするために、事業場や船舶などの現場へ立ち入って検査や尋問を行うこと)

 

「ええ? なんだ、何があった? 管理局が今更うちのロストロギアに難癖つけてきたのかッ?」

 

「え、ちがいます。トウサマに、家宝を近くで見せてもらっただけです」

 

「…拝見させてもらったって言いたかったのか?」

 

「それです。でもでも、私とトウサマとベル兄サマしかいなかったっていいましたよね?」

 

 "An Heir and a Spare"(1人の跡取りと、1人の控え)という言葉がある。

 我が家もそれに漏れず、"継承誓約式"は、現当主と、後継者とその控えの3名が立ち会わなければならないし、その3名しか立ち合えないのですぞ、とはヴェスタの言である。

 

「……はい。兄が悪かったよ」

 

「そしてそこに、イチバン大事な家宝の、"不壊の円盤(ウンブレヒ・シャイベ)"というバックラーと、"霧虹(ネーベルボーゲン)"という曲刀がアンチされているのですっ」

 

「し、しーっ、それ、小声でな?」

 

「はぁい…むっ、ニイサマこそ、これはキミツ情報ですぞ。アン兄様だから教えたのですからねっ」

 

「承知」

 

「良き」

 

「しかし、"霧虹"はまさかの曲刀だったのか。こっちは名前ではまったく形状が予想つかなかったからなぁ。ウチの流派に会わせて、両刃両手剣か?」

 

「いいえ、片手で持つ、片刃の剣でした。サーベルみたいな」

 

「ほんとか? へえ、スコダ流ができる前からあったんだよな。一族を興した"スネクマ・スコダ"の愛剣か…」

 

「でもでも、ものすっごく、綺麗な剣でしたよ。"霧虹"の名前のとおり、透き通っていてうっすら虹色に輝いていました!」

 

「透き通っていた?」

 

「はい」

 

(金属ですらないのか? ロストロギアだもんな。どんな素材なんだろう…ちっ。見てみたくなっちゃうぜ)

 

「見た目より軽かった? 金属光沢はあったか? 触ったり指ではじいたりしたら、どんな音がした?」

 

「わ、わかりません。とおくから見せてもらっただけです…」

 

「そっかぁ」

 

 デバイスマイスター魂がふつふつと湧き上がる。

 しかし、ヴェスタの談によると、その秘密の間に入れるのは、今回登録されたヴェスタ、ベルグの他には、当主である父上と、その弟であるブランドン叔父上の合計4名しかいない。

 その4人以外は、原則、近しい親族であっても、立ち入りすら許可されないのだという。

 

 前から父上に言われていたとおりだ。俺には一生拝めないのが確定しているのである。

 気にしても無駄無駄。早いところ忘れようっと。

 

 

「しかしまぁ、その儀式が終わったってことは、ベルグがもうデカい顔をするようになるってことだろ? イジワルされてないか?」

 

「そんなには、まだ、されてません」

 

 まあ、アイツも15歳だ。そこそこ忙しいか。

 

「でも、そんなには、だろ? ちょっとでもイジワルされたら俺に言うんだぞ」

 

「大丈夫です。この間、うししッ! ベル兄には"ブルストバインカム"をくらわせてやりましたぞっ!」

 

「な、なんぞ? ソレ…また学校で流行ってるイタズラ魔法か?」

 

「はい! アン兄様も見ますかっ?!」

 

 我が妹サマは完全にやんちゃモードの顔つきになっている。

 これは嫌だって言ってもダダをこねて食らわされそうだな…。

 

「はいはい、大人しく喰らいますよ」

 

「いきますよー。ロンデルっ!」

『Yes,mom. "Brustbeinkamm.(竜骨突起)"』

 

 きゅぅ~んっ、と奇っ怪に滑るように動いて、ダガーを構えたヴェスタが俺の背後に回る。

 そして、臀部にゴツン、と衝撃。

 

「のわっ!」

 

 お尻の中でも、特に尾骨あたりに衝撃が走り、若干の振動を感じる。

 そして尻の隙間にズボンが挟まってくい込んだ。

 でもまあ、発生した現象は、ただ単にそれだけである。

 

「うげぇっ、気味が悪いっ」

 

「これが"ブルストバインカム"ですっ」

 

「…なんの意味があるの、コレ?」

 

「……」

 

「先生に当てるの?」

 

「先生にも当てます」

 

「……こんなお下品な魔法、使っちゃダメです」

 

「はぁ~い…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修道士としての生活は順調だった。

 俺のせいで相部屋の先輩が指導力不足に苛まれ、3人ほど自信を喪失して部屋から去っていたが、俺は平気だ。

 別に力で追い出したわけじゃない。むしろ極めて平和的だったと胸を張れる。

 毎度毎度繰り返される"教え"に、毎回毎回心からの質問攻めと口答えを送り返してしまっただけだ。

 だからといって、俺はこの生活に何も思わないわけではない。

 

 様々な奉仕活動に従事した。

 その度に、初めて会う人がいた。

 驚く程に、新しい気づきと発見に満ちていた。

 

 この日々で思い知ったことがある。

 新しい概念や知らなかった世界の一面に直面し、その実態を学び取るのにはしばしば時間がかかるものだ。

 だが、それを成す最短の方法を、俺は知った。

 それはきっと、新しい人と知り合うことだ。

 

 俺たち人間は、きっとそういう風にできている。

 何かを知りたければ、それに詳しい人に付き従って学ぶのが、もっとも近い道なのだ。

 

 つまりは、人との出会いの数だけ、世界が一気に広がる。

 

 グエン砂漠で、聖地へと巡礼紀行に臨む人々をエスコートした。

 

 かと思えば、教会騎士団との合同演習でテロ対策の要領を学び。

 

 地元ハイデン市のあちこちの教会で炊き出し等の福祉活動に駆り出された。

 

 

 いろんな人に感謝された。直接お礼を言われることも、差し入れを貰うことも。

 

 疲れが吹き飛ぶだなんて調子のいいことは言わない。

 でも、己の努力が無意味じゃないんだって実感が湧いた。

 

 

 数々の奉仕活動のなかで、もっともキツいのは、やはりこれだろう。

 

 修道騎士でもある俺は少なくとも週に1度は、警邏職員と一緒に危険区域のパトロールに同行する。

 

 

 "人との出会い"は、何も良い出会いだけに限らない。その際たる例がこれだ。

 犯罪者との遭遇。これもまた出会いには違いない。

 

 この第12管理世界フェディキアは、移民の国でもある。

 当然ながら、異なる価値観を持つ人々が集まって、問題が起きないわけがない。

 

 ハイデン市の闇は、俺の目に映っていなかっただけで、ずっと昔からそこにあったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 "隊商宿(キャラバンサライ)"などと異名がついている、ハイデンのベルカ領管理区域側に存在する旧市街地区は移民が多い。

 ベルカ風に"カラヴァンゼライ"とも呼ばれてもいて、ハイデンでも一等に治安が悪いエリアだ。

 

 元々は、もっとも豊かな第1管理世界の首都クラナガンへ渡るために、ここフェディキアである程度仕事をして、キャリアを積む、という、渡航の準備する人たちが多く住んでいた。

 だが、流入する人々の種類は時代や周辺世界の情勢悪化に伴い、変化した。

 

 ベルカ自治区フェディキア領の警察組織と、在フェディキア管理局の警察組織、2つの連携の隙を突いて、犯罪者の跋扈を許してしまったのが始まりだという。

 

 今では管理外世界の少数民族や、オルセアのような内乱世界から逃れてきた難民、違法取引のために次元世界中に網を張る犯罪者集団の根城まで、なんでもござれのごった煮状態。

 

 とはいえ、先進世界ではフェディキアは豊かな世界であり、秩序の維持に従事する人員は多い方だ。

 だから、他所と比べたらまだマシな方だという"教科書で習った"イメージをこれまで俺は持ち続けていた。

 それはこの3ヶ月で、つまりは修道士としてパトロールに参加しだしてから、脆くも崩れ去っていった。

 

 

 

 

「止まれって言ってんだろ!」

 

 警告を無視して走り続ける男は、こちらに銃型デバイスから魔法弾を撃ってくる。

 威力は大したことがない。魔導師ランクには相当な開きがある。

 こちらの展開した騎士甲冑にはキズもつかない。

 なお、現在の騎士甲冑のデザインは修道騎士団から提示されたものである。

 修道士という身分がおかげでバレバレである。これは実は、けっこう痛い状況をマネいたりする。

 

「警告したからなー!」

 

『"Stille Wurfpfeil(無音の投矢)"!』

 

「"ラウンドシールド"!」

 

 逃げる犯罪者の背中に、バインドを込めたウォーダートをブチ込む。

 カートリッジが炸裂し、張られたシールドをブチ抜いてアッサリと身柄を拘束した。

 

「ひぃーっ、ひぃーっ、確保ッ!」

 

 おば…熟女局員さんが遅れて走り寄ってきて、犯人よりも圧倒的な脂肪のフィジカルでのしかかり、手に枷を付けていく。

 

 抑えられた男はパクパクと口を動かして叫んでいるが、先ほど使ったバインドには声をかき消す効果も載せてある。

 市民の皆さんが怖がるし、試しにやってみたら怯える人が減って、武装隊の局員さんにも評判が良かった。

 どうにも『クソ修道士!』と罵倒している気がする。

 

 おばさんは全力でのしかかっているので俺が代わりにやってやろう。

 思い切り犯人の足首を踏んづけて、ズボンを脱がす。

 

 ズボンのベルトや大腿部にびっしりと巻かれたホルスターには、いくつもの携行質量兵器が収納されている。

 

「あーあ。言い逃れできないね、コレは」

 

「ハイ、禁止質量兵器密売・所持・不正使用。時間は?」

 

「えーっと、19時22分です」

 

「19時22分、現行犯逮捕ねー」

 

 熟女局員さんがすぐに護送車の手配をする。

 男はしつこく暴れている。押さえつけるのにも体力を使う。しんどそうだ。

 

「行動不能化魔法使います?」

 

「お願いできる~?」

 

「了解。スパークス、スタン魔法」

 

『I'm Ready.』

 

 ミッテルメッサーの刀身の峰側に非殺傷の魔力刃が溜まっている。

 犯人の首筋にそいつを軽く叩きつける。

 衝撃をくらって、男は動かなくなった。気絶させただけである。

 

「これで本日はもうアガリですかね?」

「そうねー。今日は随分ラクができたわ。お礼にドーナツでも食べてく?」

「それ自分が食べたいだけなんじゃ…」

「あっはっは! まぁいいじゃない、オゴりよ、奢り」

 

(武装隊はドーナツがタダで貰えるお店があるんだろ、ほかの人と行ったから知ってるよ…)

 

 バストもウエストもヒップも全部100cmくらいありそうな武装隊マダム局員が、その日のパトロールの相棒(バディ)だった。

 いやはや、正義感は誠に見事なのだけれど、走るスピードはその信念に反比例しているようであり("体重に"とは言わずにいよう)、代わりに昼間っから俺が大活躍せねばならぬことになった。

 

 しばし雑談しつつ待機していると、そばの道路に犯人護送用のビークルがふよふよと着陸する。

 武装隊局員さんのおかわりも乗っているはずだ。

 

 やっと寮に帰れそうな雰囲気となり、ドーナツなんぞ遠慮したい一心だった俺の希望が、入ってきた入電で絶望に変わる。

 

 

『指令室から各局、指令室から各局。緊急配備発令。

 

 数分前、指名手配被疑者の目撃情報あり。

 

 場所は、ハーフェン・シュトラーセ通り『クローネン薬局前』の交差点付近。

 

 目撃されたのは、全国指名手配中の『マル被』オズワルド・ハーヴェイ。『ブント・シュトラーセ局員射殺事件被疑者』。

 現在はハーフェン・シュトラーセ方面へ逃走した模様。

 

 付近巡回中の車両・警ら局員は、直ちにクローネン薬局前交差点およびハーフェン・シュトラーセ通り周辺へ急行!

 路地、店舗内、交通機関等を含め、急ぎ警戒・捜索を実施せよ。

 

 特徴を伝達する。

 男、35歳、身長180センチ前後。着衣は茶色ジャケットに下衣は暗色のズボン。黒色中折れハット、茶色のドレスシューズを着用。

 魔導師ランクB相当。

 極めて危険なため、発見時は複数で対応、接触の際は十分警戒せよ。

 

 繰り返す。ハーフェン・シュトラーセ通りクローネン薬局前交差点へ急行、警戒・捜索を実施せよ。以上、指令室』

 

 

 ぐっ、と肩に腕を回される。逃がさねぇぞ、ってオバハンの圧が強い。

 

「まったく、ツイてないねぇ。でもこれでまた市民へ貢献できる。修道士の訓練の真骨頂ってなもんだよ!」

 

「…あの、もうだいぶ定時を過ぎてるっていうか、夕方からずっとそうやって俺を何度も…」

 

 何度も案件に巻き込んで一体いつ返すつもりだよコラ。

 

「あたしゃCランクのヒラ局員だよ? 相手はBランク、軍事教練を受けたエリート修道騎士様の出番じゃないかい?」

 

「いやそこ、そこに局員さん来たばっかりでしょ? 応援はそっちに頼むのがスジじゃあ」

 

 たった今護送車に乗って応援の局員がやってきてんだろうが、目の前に!

 

「驚いたっ!? あんた…"ブラザー"だろう?! 無力な子羊を守るために一生を捧げると誓ったのは嘘かい? あたしゃ悲しいよ、立派な修道服をきた坊さんが教えを破るのを見るなんて」

 

 もう何度、似たようなセリフをパトロール局員に食らったことか。

 そうやって修道士をコキ使うのが常套手段なんだ!

 残業代なんて出ないからな。使い叩けるなんて便利な人員なんだ! って顔に書いてある。

 

「みんなみんなそーやって芝居がかったセリフ吐きやがって! マニュアルでもあるんですかい?!」

 

「修練だよ、修練! 人助けが生きがいだろぉん? つべこべ言わずアタシについてくるんだよぉ!」

 

「くっそ」

 

「坊サマ、お口が汚いですわよ」

 

 

 

 フェディキアは移民の世界。

 問題は目白押しだ。

 弱い立場の移民は今も苦しんでいる。

 悲劇的なことに、そういった箇所にこそ犯罪が溢れている。

 ひっきりなしに警ら局員や警ら騎士は呼び出されて、休む暇はなさそうだ。

 つまりそれだけ、困っている人、苦しんでいる人が存在しているということだ。

 

 最初こそ、義憤に燃えた。でも、本当に終わりがない。

 いつまでもそれに自分ひとりで立ち向かっていたら、燃え尽きてしまう。

 

 へとへとに疲れ、真夜中にベッドに倒れ込んだ俺に、同室のかつての先輩が割り切れと教えてくれた。

 

 これで最後。これで最後だと言い聞かせて、俺は気力を振り絞った。

 

 

 

 

 

 

 夜の移民街をおばさんと歩く。

 ドーナツの紙袋を片手に、もう一方の手でグレーシングされたテカテカの砂糖菓子にむしゃむしゃとかぶりついている。

 

 万が一、被疑者と遭遇したら、俺に走らせる気マンマンなのですが。

 

 ハーフェン・シュトラーセは古いアパートが蜂の巣のように密集している中に一本通っている大通りだ。犯罪者がすぐに逃げ込める細い路地が数え切れないほど存在する。

 古ぼけたお店の数はそれなりにあって、夜の賑わいはなかなかのものだった。

 ベーカリー、飲食店、パブ。シーシャバー。雑貨店、骨董品店、酒場、酒場、酒場。

 

 まっ黒ずくめの男が多い。女は着飾っている人から、露出の多い人まで、男に比べたら多様で。

 でも全員に共通しているのが、ビジネスマンには見えないこと。

 いかん、だれもかれも悪そうに見える。

 

「小さい子も歩いてますね。危なくないんですか?」

「地元の子じゃないかい。見た感じ、ここには慣れてそうだねぇ。大通りならまだこの時間もギリギリ安全な方だからね」

 

 そんな中、ひとりだけ背丈の小さな例外を見つけた。目立っていたのですぐにわかった。

 ポコポコと白いステッキ型デバイスを地面に鳴らし、紙袋を抱えてえっちらおっちら歩いてくる、まだまだ成長期前の少女だった。

 

 こんな時間にひとりで出歩いたら危ないよ、とすれ違いざまに声を掛けようかと迷っていた俺の背筋が凍った。

 よく知っていた。

 大学を卒業してから会わなくなっていた、ルノアちゃんだったのだ。

 彼女はまだ、ヴェスタよりひとつ上の12歳だ。

 ハラハラする。

 

「すいません、知り合いです。声かけてきていいですか?」

「あらまぁ、あんたの? いいよ、ここで待機しとくから。送ってあげな」

 

 おばさんはそう言って、さらに紙袋からドーナツをひとつ取り出した。

 

「俺ももらっていいすか?」「そりゃあんたの分もあるさ」

 

 虚を突いて、俺はがばっと紙袋ごと奪う。

 おばさんは呆れて何かを言いかけたが、ニヤけてあっちへ行けと手をひらひらさせた。

 

 

「ルノアちゃん、アンスだよっ」

 

「え?」

 

「よく研究の手伝いで会ってたアンサルドだ。何してるの?」

 

「アンス君?」

 

 彼女のステッキ型デバイスに自分の修道士としてのネームタグ情報を送る。

 自分では気づけないが、俺の声はまだまだ低く変わっていってる最中らしい。

 ルノアちゃんも声だけじゃ俺だと確信が持てないかもしれないので、これで時間が省けるだろう。

 

「アンス君なんだ、久しぶり」

 

 それなりにニコニコされてるから嫌われてはいなかったんだろうが、こっちは笑えるような心境じゃない。

 

「家は近くなの?」

 

「うん、あと数分ってとこ」

 

「俺、今パトロールしてるから、送ってくよ」

 

「うん、わかった」

 

「にも…」

「にも?」

 

 荷物を持ってあげようとしたが、手配犯を見かけたらすぐに動かないといけない。

 

「なんでもない」

 

「アンス君、本当に修道士になったんだ?」

 

「あぁ、ほら……これが証拠」

 

 腰のベルトに着けていたデカいロザリオを渡す。

 ルノアちゃんはその形状を指で確かめていく。

 

「これは…本物っぽいね」

 

 ふむふむ、と頷いている。

 どこで納得していただけたのかはツッコまないことにして。

 

「ほら、お家まで歩こう。今、俺もパトロール中でゆっくりはできなくてね」

 

 きょろきょろと周辺を見回しつつ、ルノアちゃんをエスコートだ。

 

「まぁ、俺も一応パトロールするような立場になってしまったから、聞かざるをえないんだけどさ。けっこうギリギリの時間帯なんじゃない? この辺りのこと、そりゃあ俺よりよほど知っているんだろうけど、悪い奴らが逃げ込んできたりするかもだから、用心してほしいよ」

 

「ぶぅ。そんなこと言ったって、お店が閉まる前に食材を買わないと、お兄ちゃんが帰ってきても料理が作れないモン」

 

「料理のためにルノアちゃんが危ない目にあったら、カザル君、激悲しみだと思うんだけど」

 

「わたしだって家のこと、できる」

 

「つーか、カザル君はよくルノアちゃん一人で外に出ることを許してるね?」

 

「別に、許されてない」

 

「おぉちょい、マジかい。俺の言うことはともかく、お兄ちゃんの言うことは聞いてあげなよ」

 

「ぶぅ。でも危ない目にあったことないモン」

 

「いつもこんな時間に出歩いてるの?」

 

「今日はたまたま。食材を切らしてたから。いつもじゃないもん。大げさだよ」

 

「はぁ。やれやれ。リスク管理ってものを知らないなぁ。今まで安全だったのは運が良かっただけだと言わざるを得ないよ。悪いけどこの辺りの評判が悪いのは事実だし。それなりの根拠があってみんながそう認識してるわけ。今度、夜に見かけたら怒るからね、イチ修道士として」

 

 むすーっとして、ルノアちゃんは何も返事をしない。

 

「まあ、昼間はいいんだけどさ。面白そうなお店もちらほら見かけたから…」

 

 フォローになってんのかわからないが、この街が気に入ってそうな彼女のご機嫌を取ってみる。

 

「うん。薬局のとなりのドーナツ屋さん、美味しくて有名なんだよ」

 

「あー、これ?」

 

 この大通りに足を踏み入れた途端に、ソッコーで近くのドーナツ屋に入っていったからな、あのばばあ。

 警ら局員には店舗側が無料で提供しているらしく、調子にのって大量に店員にゆすって…ゆずってもらっていた。

 その紙袋のくちを開けて、匂いを嗅がせる。

 

「それっ。これっ」

 

「危ないことしないって約束するなら、ドーナツは進呈しよう」

 

「わかった、する」

 

「ほんとぉ?」

 

「ほんとほんと」

 

「じゃあ、約束したからね」

 

「…アンス君は約束、守らなかったくせに」

 

「はえ?」

 

「研究の続き。完成させずに、いなくなった」

 

「…あぁ。P.A.S.S.のことね。その…あれは、ほら。研究室で受け継いでいくものだから、さ。新しく入ってきた人たちが脈々と発展させていってくれるよ」

 

「……」

 

「まぁ、そのことについては謝る。ごめん」

 

「ふーんだ」

 

「…ところで、家はどの辺?」

 

 ルノアちゃんのデバイスから、住所が届く。

 目と鼻の先だ。

 

 見えてきたのは、この街の古い歴史を感じる佇まいの、大きなマンションだった。

 ただ、出入りしている人たちの人相はお世辞にも良いとは言えなかったというか…。

 

「おー。なんていうか、偉そうなことは言えないんだけどさ。でもさすがに、引っ越さないの? 住むの不便じゃないの?」

 

 ローデン兄妹は教会の信徒だ。

 聖王教会の支援で、もっと安全なエリアに住めるはずだ。

 とくにルノアちゃんは目が見えない。そういった意味でも、住みやすい住居に。

 

「ここがお父さんとお母さんと住んでたお家だもん。思い出があるの」

 

「そっか…」

 

 小さな頃から住んでた家。そこにずっと居たかった。その気持ちはこちらも身に沁みて理解ができる。

 

「今ごろ、クラナガンに居るのかな」「へ…?」

 

 二人の両親は離婚されたあと、お互いに蒸発した。ふたりを残して。

 でも、この家にはずっと家族が揃っていた時の記憶が残っている。

 そうルノアちゃんがつらつらと語ってくれた。

 そこまでの事情は知らなかった。

 それに、こうやってここに来なければ、聞き出せもしなかっただろう…。

 

 

「じゃあ、カザル君もここに居たいんだね」

 

「ううん、お兄ちゃんは引っ越したいって。もっと住みやすくて安全なところに」

 

「はあ?! じゃあ言うこと聞いてあげようよ。お兄ちゃんの言うことにはさぁ!」

 

「ぶぅ…」

 

「ぶぅ、じゃないよ! まったく…あ」

 

『おい! いつまで待たせるんだいッ!』

 

 ばばあからの念話だ。

 

「ごめん、じゃあ俺、パトロールに戻るから。はい、ドーナツ」

 

 ぽふ、と紙袋をルノアちゃんの袋の上に乗せて、その場を去る。

 

「また会えるッ?!」

 

 かなりデカい声がした。ルノアちゃんはあまり大きな声を出さない子なので、驚いて振り返った。

 

「え?」

 

「……」

 

「…俺は修道騎士だからね。さっきのタグに連絡をくれれば、いつでも助けに行くよ」

 

「呼んでいいの?」

 

「もちろん。困ったことがあったら、すぐに頼ってね」

 

「うん…じゃあね」

 

「じゃあね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 熟女局員にお叱りを受けて、その後大通りをパトロールして、目に付く酒場に片っ端から入って、犯人を探して。

 結局何も見つからず、深夜にようやく俺たちの仕事は終わった。

 

 捜査の途中、ところどころ、俺は集中を切らしていた。

 

 ずっと頭に引っかかっていたせいだ。

 

 

 

 シスコンの同志?

 一方的な親近感?

 

 俺が同意を求めるたびに困惑していたカザル君のあの態度は、至極当然だった。

 

 

 彼の言う"ルノアちゃんを守る"と。俺の言う"ヴェスタを守りたい"は。

 文字通り、次元が違っていた。

 

 

 "フェディキアの神童"。今まで誇らしく感じてきたその言葉が、急に埃に塗れて色あせていく。

 

 ちょっと強いってだけで、かっこいい呼び名で呼ばれて、俺はある程度は満足した。満足できてたんだ。

 

 でも。

 実際にこの冷たく世知辛い世界に向き合って、必死に自分のできることを成し、日々誰かを守りながら生きている人たちに対して。

 『僕、神童って呼ばれてました』と胸を張ることの情けなさに、身が縮こまる。

 いや、実際にそう自慢したことはないんだけどさ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日。俺は日々の奉仕活動で上の空になる時間が増えた。

 ブラザーやシスターから叱責を何度か受けても、直せなかった。

 そのせいで余計な仕事を作ったり、舞い込ませたり。で、部屋に帰るのは遅くなった。

 

 考えすぎて疲れきっていた。

 その日も、祈りを終えて、シャワーを浴びて、寮の自室に帰って。

 ベッドに飛び込んで。

 まだ起きていた同居人に、おもむろに声をかけてしまった。

 

「ブラザー・レムケ。人助けって難しいですね」

 

「どうしたんだ、急に?」

 

「いや、別に急にじゃないっていうか。毎日奉仕活動させられてりゃあ、考えもしますよ」

 

「…君も、とり憑かれてきたな。フフ…」

 

「ちょっと、怖いですよ。薮から棒になんですか」

 

「いい兆候だ、ってことさ。なあ、人助け。つまりは、迷える人々の救済は、我々の使命の一つでもあるし、宗教的なこととは無関係に、社会的な美徳だとされてもいる」

 

「はい」

 

「それは我々の理性の賜物にすぎないのだろうか? 要するに、社会に"人助け"を推奨する風潮を造成することで、全体をより良くしようとせん、という企てにすぎなかったのか。つまりは合理性だけで、我々はそれを美徳だと認識に組み込んだのだろうか? という問いだ」

 

「……」

 

「私の考えは違う。人を助けること。その行為そのものに、我々は幸福を感じることができる。美味しいものを食べれば幸せな気分になる。すなわち、毎日美味しいものを食べれば、幸せに生きていける。心地よい音楽を聴ければ、幸せな気分になり。友と楽しく語うことでも、幸福を感じる」

 

「美味しい物を食べるのと…同じ?」

 

「そうだ。同じだ。人を助け、感謝される。その行為そのものに、根源的に我々を幸福にしてくれる魔法が宿っている。これは実際に行動して、体験しなくては直感的に理解できぬものだ。科学的にも、それは証明されている。人の幸福度は、社会に貢献しているという実感を得ることでも大いに保たれる。我々は社会性をもって進化した際に、そのような特徴を獲得したのだと思う」

 

「そうかも…しれないですね」

 

「古の時代に、賢しげに権力者が社会システムに組み込んだ強引な思想というだけではない。きっと先人はこの魔法で恩恵が得られることを、民衆に広く伝えたかったのだと、私は信じている。きっと君も、その実感があるからこそ、そうして悩んでいるのではないかな」

 

「悩んでいます。でも、それは、修道士以外の道です…」

 

「大いに結構! 君は勘違いしているぞ。修道士とは、職業ではなく生き方だといっただろう? つまりは、修道士の適性をはかる修練期間は、生き方を吟味する期間でもあるのさ」

 

「それで、いいんですか?」

 

「アンス、修道会に入って、修道士の装いをしているから、修道士なのではない。修道士としての教えを実践して生きるものが修道士だ。つまりは、修道会になど入っていなくても、修道士のように生きることはできるということになる。むしろ君は修道士という枠に決してこだわってはいなかったように思えたが?」

 

「ブラザー・レムケは、どうして修道士に?」

 

「私は、より多くの救済を成すために、私の頭脳を活かす未来を考えた。だからこうして、大学で教鞭を執る道を目指している」

 

「なるほど」

 

「他人事ではないぞ。デバイス工学への造詣の深さは、なかなかのものだったと聞いているよ。無論、君ほど魔力の高いものは極端に少ない。それゆえに鉄火場での活躍を皆に期待されるのだろうが、道はそれだけではない。むしろ、より多くの人助けを成す道は、往々にして剣ではなく筆で造られるものだ。ホントはわかっているんだろう?」

 

「……見抜かれてますね」

 

「君と出会えたことを、嬉しく思っているよ」

 

 ベッドに横になっていた俺は、むくりと起き上がった。

 レムケ先輩は既に椅子ごとこちらへ向き直って、ロザリオを片手に、じっと見つめていた。

 

「…………ブラザー・レムケ。ここを辞めます。どうしてもやってみたいことがあるんです」

 

「ハハ! ノヴィツェ・アンス。誰に従順にならずとも良いのさ。汝がこれからも、主の御心と……己が心には従順たることを祈ろう。そして、君の前途にも。多くの祝福があらんことを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、何の話でしょうか、ブラザー・アンス」

 

 相談があると告げると、シャッハの私室に呼び出された。

 立ち話程度では済まないと見抜かれている。

 恥ずかしながら、シャッハにも俺の心の機微は筒抜けだったようだ。

 

「ここを辞めます。やりたいことが見つかりました。突然ですみません」

 

「それは修道騎士を続けていてはできないことですか?」

 

「あっ。そう言われると、そうではないのかもしれませんが…」

 

「ひとつのことに集中したいと?」

 

「そうですね、そうできたら理想的だと思ってます」

 

「よろしければ、詳しく話していただいても?」

 

「僕は、研究者になりたいです。自分の研究で、もっと沢山の人を喜ばせられる可能性を突き詰めたい。まずは博士課程へ進むつもりです」

 

「……修道騎士として、大学で働くことはできますよ。どうして修道会を辞めたいのですか?」

 

「申し訳ありません。自分の心に素直に従った結果です。その道を歩くのに、修道士であることがむしろ遠回りになる…そう感じています」

 

「そうですね。誰かに強制されて在り続けるものではありませんから。よろしい。アンス、あなたの新たな門出を祝福しましょう」

 

「…ありがとうございます、でいいんですかね」

 

「ええ。おめでたい事ですから」

 

「ここから居なくなることが?」

 

「そうではありません」

 

 シスター・シャッハは耐えかねたようにクスリと笑った。

 

「ここに来たときは、感情の抜けた蝋人形のような表情をしていましたよ。今のあなたは、なんです。宝の地図を見つけた海賊のようですよ。箱に何が詰まっていようと関係ない。今すぐに冒険に飛び出したくて、ウズウズしている。そんなやんちゃな顔です」

 

「はぁ」

 

「祝うのは当然です。私の弟子がついに呪いを解いたのですから」

 

 大げさな。そう思った俺の心の内まで、シスターには悟られているようだ。

 

「あなたは他人のことにはよく気がつくのに、自分のことだとてんでダメになりますね」

 

 シスター・シャッハはデスクに座り、1枚の書類に書き込み始めた。

 俺の退会の手続き用だろう。

 

「本当に気づいていないんですか? あなた、もうご実家のことは頭にないのでは?」

 

「えっ……そんなこと……」

 

 ここ最近は、ずっと自分の将来のことを考えていた。

 たしかに、家のことはすっかり後回しだった。

 後回しに出来ていた。だって、もうそれは、自分の中で、すっかり、小さく……。

 そうだ。小さくなっていた……。

 

「よくやりました、ブラザー……いえ、もう違いますね。アンサルド、あなたなら出来ると思っていましたよ。生まれた家、家族とのしがらみ、呪われる理由は人それぞれ。それを生涯に渡って背負い続ける者もいる…でもあなたはやってのけた。祝福を贈らずにいられますか?」

 

 せわしなく手を動かすシャッハ先生の背中が見える。

 

「僕は…まだ完全に家のことを心の中から消し去れてはいないかもしれないです。でも…たしかに、シスターの言うとおりですね。ここに入ってきた頃とはちがう。なんていうか……めっちゃクサいことを言うことになるんですが」

 

「ふふ、ちゃんと言いなさい。言わないと許しませんよ。私にだけ言わせるつもりですか?」

 

「これが"希望"ってやつなんですかね。僕は、僕のこの優秀な頭脳で、どこまでたくさんの人を助けられるか、試してみたい。挑戦したいんです。何度失敗しようと構いません。ただ、やりたいんです。成功するまでやってやるだけです。ぶっちゃけると、居ても立ってもいられない。今すぐ挑戦したい。やってやりたい。この火は、ちょっとやそっとじゃ消えない気がします」

 

「あはは。どうやらそのようですね」

 

「なんででしょうね。無謀かもしれませんが、将来への、未来への期待がどんどん自分の中で膨らんでいて…なんだか、家を継げなかったことや、スコダ流を継げなかったことを、なんであんなに気にしてたんだろうって。今までの悩みが、膨らんだ期待に押しやられて、隅っこに行ってしまって…小さなことのように感じます。たった3ヶ月しか経ってないのに、修道士を辞めることになって、本当に、ご迷惑をおかけしました」

 

「そんなことありませんよ。二度と謝るのはおよしなさい。たった3ヶ月で修道士を辞めた? 違います。たった3ヶ月であなたが変われたのは、それほど真摯に向かい合ったということなのです。いいですか、誇りを持ってここから去りなさい。いいえ、これも違いますね。あなたはここからただ去るのではない。新たな人生への出立です」

 

 シスターの声は震えていた。泣いている? 顔が見えないのでわからない。

 だが、彼女は振り向かずに、書き終わった用紙を俺に回した。

 それを受け取ると、シスターはぐしぐしと顔を拭って、立って振り向いた。

 

「あなたと直に触れ合った者は、あなたが苦しんでいたことをきちんと知っています。だから誰に後ろ指を差されようと気に病むことは禁じます。ただ胸を張って、堂々と自分の道を行きなさい」

 

「はい」

 

「ほら、はやく、行きなさい。いてもたってもいられないのでしょう?」

 

「はい、シスター、ありがとうございました」

 

「こんな日が必ず来ると思ってましたよ。予想していたより早かったですけどね。ですがそれは喜ばしいのです」

 

 アンサルドは音を立てて、部屋を出て行った。

 シャッハはおもむろにワインの瓶とグラスを取り出して、ぐいっと呷った。

 

 

 

 

 

 

 修道騎士団本部の塔の階段を、駆け下りる。

 はやる気持ちを抑えず、解き放つがままに、念話をぶちかます。

 

「オスターマン先生、突然すいません!」

 

『はいはい、アンス君か。大丈夫だけど、どうしたんだい?』

 

「博士課程に進みたいんです。先生の研究室に入らせてくれませんか?」

 

『おおっ! もちろん大歓迎だとも! …あっ、それは修道騎士としてかい?』

 

「違います。修道会は辞めることになります。研究者として、やれるだけやるつもりです!」

 

『……そうか、待ってたよ。急いで準備しておいたほうがいいかい?』

 

「はいっ。すみませんが、大学にはできるだけ早く入りたいです。博士課程の入学試験を受ける準備はできてます!」

 

『君がそう言うなら、言うとおりにしておくよ。にしても随分明るいな!』

 

「修道士をやっと辞められて、嬉しいんですよっ」

 

『それだけかい? はは、そういうことにしておくよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 新たにベルグを迎えた、スコダ宗家の家に俺はやってきた。

 見た目は変わらないが、使用人さんたちの顔ぶれはけっこう変わっている。

 ベルグについてきた人たちだろう。

 

 

 父上と母上、そしてベルグには話を通してある。

 大部屋では俺が話しにくいからと気を使われたのか、3人はティールームで俺を待ってくれていた。

 

 

「お待たせしてすみません」

 

「別に構わん。久しぶりだが、元気そうだな」

 

「はい、元気ですよ」

 

「今日はあなたの分まで夕食を準備しています。泊まっていけますよね?」

 

「わかりました、母上」

 

「それで、兄上。私まで呼んで何をご説明に?」

 

 表情には出してしないが、俺の身の上話などにはまったく興味がなさそうなベルグまで、席についてくれている。

 

 

「ベルグ、俺は修道士を辞めました」

 

「それで、家にお帰りに?」

 

「いいや、家を出ていくのは変わらないよ。次期スコダ家当主がベルグであることに何の不満もない。俺はもう一度フェディキア大学に入る。博士課程へ行って、そのまま研究者になるつもりだよ。この家とは関係なく。今は未練もない」

 

「…そうですか」

 

「もちろん、軽々しく家に出入りはしないさ。混乱は招かない。ただ、だからこそ……」

 

 ヴェスタは、少なくともルノアちゃんのように、危険に晒されるような状況にはない。

 もっと苦境に立たされている人たちをたくさん見てきた。

 ヴェスタが大事なのは変わらない。

 だが、俺が自身の人生の道筋を、なんでもかんでもヴェスタのためだと言って捻じ曲げるのは、間違っている。

 ヴェスタのことはこれからも第一憂慮案件だ。

 ただ、自分の道を進むことも、おろそかにはしない。

 

「ベルグ、母上、父上、ヴェスタのことを、どうかよろしくお願いします。俺のことはどうでもいいです。家を出て自由に生きますから。ただ、ヴェスタのことだけは守ってください。それが不十分だと思ったら、俺は何を投げ捨ててでも、勝手にヴェスタを守りに来ます。誰が邪魔しようと。それだけ、宣言しに来ました」

 

 ベルグの目をまっすぐに見る。

 何も邪魔しないさ。お前の道も。

 ヴェスタだけは俺自身の力が及ぶ範囲で、助けようと思うけれども。

 

 

「…わかりましたよ。私が約束を守る以上、兄上もその誓いをお守りくださいね」

 

「もちろん」

 

 フン、とベルグは腕を組んで背もたれに身をあずけた。

 

「それで、オスターマン君のところを出たあとは、どうするつもりだ?」

 

 父上がそのあとが大事だ、とばかりに話を切り出した。

 

「まだ決めていませんが…どこかの企業に就職するでしょうね」

 

「フェディキアの、ですか?」

 

 母上が心配そうに促してくる。

 

「いいえ、ここにこだわってはいません。もっとも自分の力が活かせるようなところか、縁のあるところか、大学に残る可能性もあるでしょうし」

 

「ヴァルチラ姉さまが、あなたをヴァンデイン社の研究室に招いても良いと言っていますよ。お義母様の伝手でも、カレドヴルフ社の方に御縁がありますからね」

 

「母上、まだ早いですよ。覚えておきますけど」

 

「あの、失礼ですが、退室させていただいてもよろしいですか?」

 

 ベルグが父上の顔を見ているんだか見ていないんだか、微妙な態度で立ち上がった。

 

「ああ、すまないなベルグ。時間を取らせた」

 

「では兄上、ごきげんよう」

 

「じゃあな、ベルグ。元気でな」

 

「兄上も」

 

 一礼してベルグは出て行った。そうだよな。俺の話には興味は無いだろうさ。

 だが、俺たちは少なくとも表面上は爽やかに挨拶を交わした。

 今はこれでいいんだ。

 

「アンス、随分晴れやかになりましたね」

 

 母上がたどたどしく聞いてくる。無理もない。

 

「はい。今まですみませんでした。俺は、自分が如何に恵まれていたか気づいていませんでした。今は、自分の力でどこまで研究者としてやっていけるか、そればかり考えています。前ほど、苦しくはありません」

 

「そうですか…修道院で、よほど勉強したんですね」

 

「はい、勉強になりました…、中途半端になりましたけど、行ってよかったと思います」

 

「シスター・シャッハには感謝しないといけませんね」

 

「…父上、研究に行き詰まったら、父上に相談しに来ますよ」

 

「ああ。いいぞ。いつでもいいぞ。教えてやる」

 

 憑物が落ちたかのような俺の態度に、二人は驚いていたけれど、どう見ても喜んでくれていた。

 それから俺たちはお茶を飲みながら話をした。

 3人でこれほど会話が弾んだのは、いつごろだっただろう。思い出せない、昔だ。

 でもこれからは、山ほどできる。そんな予感がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の部屋の片付けをする。

 修道騎士見習いになるときもざっと部屋を片付けてきたが、今回はもっと本格的な荷造りだ。

 なにせ、修道院の寮には持ち込めるものが制限されていたからな。

 

 ちなみに次の住み場所は、非常に都合が良い所になった。

 ミラクルが起きて、俺はそのまま大学附属の修道院寮から、となりの棟の一般学生寮にお引越しとなる。

 思えば、シスター・シャッハはここまで見越して、この部屋の配置にしていたのかもしれない。それは考えすぎだろうか?

 

 

 今回は、正真正銘に、自分に必要なものをすべて荷造りして、持ち去っていく。

 もうここに戻ってくる必要がないように。

 

 実感が湧くな。この家を完全に出るという、寂しさ。

 ただし、それだけではなかった。

 前回には存在しなかった、未来への期待感もあった。

 シャッハ先生が言ったとおりだ。

 こっからはスコダではなく、アンサルドの人生の、新たな始まり。出発だ。

 

 

 

 一通り片が付いて、すっきりした自分の部屋を眺める。

 いつのまにか日がすっかり落ちきっていた。窓から差す光は無くなっている。

 スパークスをかけているため、暗いところでもよく見える。

 そのために今の今まで気がつかなかったが、部屋の中も相当に薄暗くなっていた。

 

 

 俺は最後の最後に、ミッテルメッサーを手にとった。

 父上から授かった、愛剣。これには色んな思い出がある。

 

 それを、机の上に静かに置いた。

 

 これは、ここに置いていこう。

 

 

 ひとまずは、研究の道を邁進したい。

 剣を振るのは、正直言うと、辛い。

 

 この辛さがなくなるまでは、ここに置いていきたい。

 

 

 スコダの家、そして武技。

 囚われまくっていた俺は、随分と剣を振ってきた。

 足掻いて、もがいて、ついにはこの片刃の片手剣に持ち替えて。

 未練がましく振ってきた。

 

 

 

 一旦、置くか。

 

 

 

 

 次にコイツを手にするときは、もっと爽やかな気分で、前向きに握ることになるはず。

 

 

 

 机に置いた愛剣の上に手を被せたまま、闇に包まれた部屋の中で、俺は随分と立ちつくした。

 

 

 

 暗いから、ちょうど良かった。

 邪魔するものはいない。別にいいじゃねーか。

 思う存分、この寂しさを味わって、何が悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アン兄様、お部屋を片付けたのですか?」

 

 

 ぽつりと部屋の入り口から、ヴェスタが声をかけてきた。

 俺は飛び上がらんばかりに驚いた。

 

「おわ! びっくりした!」

 

「ごめんなさいニイサマ」

 

「おー、こっちこそごめん。真っ暗にしてた」

 

 明かりをつける。その前にヴェスタに隠して、顔を拭ってから。

 

「お家を出て行くのですか?」

 

 出て行くって言ったら、ヴェスタは泣き出しそうだ。

 ていうか、もうほぼ泣きかけていた。

 すっきりしている部屋をみて、俺が出ていく実感が沸いてしまったらしい。

 

「出て行く。けど!」

 

「けど?」

 

「ヴェスタが来いって言ったら、絶対に会いに来る。約束する」

 

「…はい…」

 

 やっぱり元気ないな。

 

「心配するなって。次は大学の寮に住むんだ。ハイデン市内だぞ。それに、今度は好きなだけ俺の家にお泊まりに来ていいんだ」

 

「え、ホントですかっ?」

 

「ホントホント。楽しいゾ。遊びまくれるぞ」

 

「ちょっと安心しました。約束ですぞ」

 

「絶対に約束だ」

 

 

 それから俺は夕食に呼ばれるまで、ヴェスタの部屋で宿題をみてやった。

 我が妹サマはまたぞろ宿題を溜め込んでいて、なかなか本格的な学習時間になってしまった。

 

 ああ、ちょくちょく会えなくなるのが、本当に寂しくなるな。

 

 

 にしても…。

 

 俺の巷での評判って、これでこんなカンジか?

 

 名門スコダ家の跡取りで強くて成績もよくて飛び級もしてるけど暴力的でサイコパス気質。

 だけど実力は本物だったようで、戦技披露会で活躍してフェディキアの神童に。

 その名声でイキって、とある女騎士に強引に求婚して通い詰め、決闘三昧。

 負け続けてとうとう諦め、スネて修道院に駆け込んで坊主に。

 その修道院も数ヶ月で耐え切れずにソッコー還俗。

 

 うーむ。

 

 父上、母上。間違いなく社交界で俺のことでボロクソに笑われてるだろうけど、お許し下さい。

 自分なりにそのときそのとき真面目…に行動した結果なのです。

 犯罪に手を染めたわけではないので、どうか大目に見てください。

 

 にしても、一族の皆様方よ。

 巻き添えくらって陰口ぶっ叩かれて笑われてるだろうに。

 よく俺に直接文句を言いに来なかったなぁ。

 

 やっぱり一族で最強の魔導師ランクだからかな。

 

 やっぱ暴力。暴力が全てを解決するってことなんだろうね。

 

 俺様、まだ16ちゃいだから、少年法である程度守られてるし。

 手を出そうにも出せないだろうねぇ~。

 

 申し訳ないけど謝んないわ。

 散々俺のこと馬鹿にして冷遇してきた報いを受けよ!

 ふふふ……ファ~ッハッハッハッハッハ!

 

 ……悲しくなってきたので、もうこの事を考えるのはやめよう。

 

 

 

 

 

 

 

 晩餐では、父上が珍しいワインをわざわざ開けてくれた。

 さんざん飲まされて、俺は良い気分でベッドに倒れ込んだ。

 

 すぐに記憶がなくなって、そして。

 

 

 

 

 

 真夜中に、ヴェスタにたたき起こされた。

 

 

 

 

 

「ニイサマ、ニイサマっ」

 

「あ…ふぇ?」

 

「起きて、ニイサマ」

 

「あ、おう…起きた、起きたよ。何?」

 

 しばらく遊べなくなるからって、今から朝まで遊べって言うのだろうか。

 まあ、マジで最後だし、付き合ってやるか。

 

「しーっ。こっそり、付いてきてください。誰にもバレないように、潜入任務ですぞ」

 

「はいはい…」

 

 

 お互いに家の中であれば、真っ暗でも移動には差し支えない。

 ヴェスタの抜き足差し足はわりかし様になっていた。

 

 これ何回もやってるヤツだ。

 俺は風の魔力で音を消せるので、もっと完璧だけども。

 

 

 そうしてたどり着いたのは、我が小城の最奥に位置する、祈祷室だった。

 

 

「おい、ヴェスタ、まさか…」

 

 小声で妹にツッコミを入れる。

 

「静かに…ニイサマも、わたしの家族です。1回くらい、家宝を見てもいいのです」

 

「ヴェスタ…ありがとう…」

 

 妹の気遣いにお兄ちゃん泣きそうになってくる。

 まあ、見るくらいはいいだろう。

 もしバレたら、俺が言い出したって絶対に主張する。守る。妹、守る。

 

 

「ニイサマ、光が出るから、包んで隠して」

 

 小声でヴェスタが囁く。

 祈祷室に据えられた小さな祭壇の右横、その壁に向かって、ヴェスタが小さくつぶやき、魔力光が漏れ出す。

 俺はヴェスタが持っていた小さなケープをその体に被せて、光を隠した。

 

 スゾゾゾゾ…と小さく重い音を立てて、壁の一部がズレた。

 

 古い。臭い。

 これまじで相当に古いな。

 

 ヴェスタが気配を殺して、中にゆっくりと入っていく。

 だが俺は、後に続かず、その場に残った。

 新たに現れた部屋の入り口、そのドア淵には、びっしりと古いベルカ語で文字が刻まれていて、それを読んでいたからだ。

 

『炎の資質を持たぬ者、これより先に立ち入るべからず。炎の素質が耐えし時、スコダは滅びよ。時の頭領は、掟を弁えよ』

 

 入るなって書いてある。守っておこう。

 

「ニイサマ?」

「ここで待ってる…」

 

 ヴェスタがよちよち歩きで、1つの家宝を持ってきた。

 曲刀だ。

 "霧虹(ネーベルボーゲン)"が、目の前にある。

 

 

「おお、それが"霧虹"かっ。なあ、ヴェスタ、それ、光るの?」

 

「へ?」

 

 

 ヴェスタがドアの手前まで足を運んだその時だった。

 うっすらと、霧虹が"紺色"に輝いていた。

 

 最初は微かな煌きで、それゆえヴェスタは気付かなかったのだろうが、いまはもうはっきりとわかる。どんどん光は強まっている。

 

「どうしようアニサマ、前は光ってませんでした」

 

 強い。強い、紺色の光だ。

 嫌な予感しかしない。

 

 とにかく、もうヴェスタに持たせておくのはゴメンだ。

 なにかの危険が及ぶにしろ、それは俺が引き受ける。

 

「あっ」

 

 ヴェスタの手から、曲刀を奪い取る。

 その時…紺色の光が、俺の体にまとわりついた。

 

「ヤバ…おいまじかッ!」

 

 沁み込む。

 

 光が染み込む。

 

 こんな現象、見たことがない。

 

 離れない。霧虹を握っていた手の自由が利かない。ぐっと刀を掴んで離さない。離れてくれない。

 

「ヴェスタッ、急いで父上を呼…」

 

 体中が光りだす。俺の魔力光は新緑。だが、紺色の光に犯されて、手からどんどん"空色"に色が変わっていく。

 

 同時に、体の自由が奪われる。

 

「ニイサマッ! ニイサマッ!」

「離れろッ!」

 

 俺の体が、勝手に動いた。

 霧虹を抜き放って、右手が、勝手に、ヴェスタの首を。

 その首を跳ねようと、斬りかかった。

 

 俺は声なき声で、全霊の叫びをあげていた。

 ギリギリのところで、ヴェスタの胴を蹴る。致し方なかった。自由がまだ残っていたのは足だけだった。コントロールなどできなかった。

 

 蹴られたヴェスタは刀の一撃から逃れたが、その代わり思い切り吹っ飛んで、壁に頭をぶつけて倒れ込んだ。

 

 ああ、ああ! ヴェスタ!

 

 体が動かない。もう足も動かない!

 助けてくれ! 父上! 母上!

 

 

 

「……咯咯(クク)、呵呵(カカ)!」

 

 俺の口が、勝手に動いた。

 もう眼球すら、俺の意志では動かない。

 

 

 体がどんどん歩く。ズカズカと秘密の部屋に入っていき、そこに飾られていた、驚く程に"黒い"バックラーを、躊躇いもなく左手で掴んだ。右手には霧虹を握ったままだ。

 

 

「おお、"万物始源の一滴(トロプフェン・デア・アルヒェ"、ここにあったか!」

 

 誰だ。俺の体を動かして、勝手に使っている奴は、"誰"だ?!

 

「"鏢刀雨月(レーゲンモント)"、儂の手についに…還ってきたッ! 待たせおってッ、洲古田(すこだ)の愚物どもが!」

 

(やめろ! やめろッ!)

 

 俺の足が、倒れているヴェスタの頭をもう一度、雑に蹴り飛ばした。

 妹の体が、にぶく揺れる。

 

(ゆるさねえッ! 殺す! てめえ、殺すッ! 殺してやるッ!)

 

「それはこっちの台詞じゃ」

 

 家のあちこちから、人の動きが聞こえている。

 祈った。誰か、俺を見つけてくれ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、"アンサルド・スコダ"は失踪した。

 大学の寮にも、修道騎士団にも、実家からも。

 彼の行方を知る者は、誰一人としていなくなった。

 もしかしたら、当の本人さえも……。

 

 

 

 

 

 

 

 2日後、正式に"行方不明"の報が、大きくニュースで取り上げられた。

 かつては戦技披露会で活躍した、フェディキアの神童と謳われた少年。

 名門スコダ家の長男、アンサルド・スコダ。16歳。

 手がかりは、一切見つかっていない。

 

 

 スコダ夫妻は、少年の精神面に問題はなかったと語り、ロストロギア災害の可能性を主張している。

 しかし、調査機関の捜査情報に基づけば、親子仲は決して良くなかったとの報道もあり。

 少年はロストロギアを盗んで持ち去ったのか?

 

 

 なんども市民をゴシップで賑わせた少年は、最後にもうひとたび紙面を揺るがせて。

 

 疑惑は疑惑のまま、時だけが流れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は夢を見る。何度も見た夢だ。ああ、もういい、この夢はいいよ。知っている。

 もう、見る必要はない。ああくそ、見たくねえって……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浦吹の一党は、蒙古の軍勢と戦い、そのほとんどが討ち死にした。

 鎌倉殿は、まともな恩賞も下されなんだ。残った者どもは、悪党となるか、草の根を食むほかなくなった。

 

 日の本の内にて狼藉をなさば、たちまち召し捕られ、露と消えるが定め。

 ゆえに一党は船を駆り、高麗・唐土(もろこし)の浦々を荒らし、海賊を生業とするようになった。

 

 皆が打ち揃うて海に出る中、我ら吹石の一族だけは故郷に残り、鍛冶に励んだ。

 鉄が足りなんだ。石を吹いてばかりぞと侮られ、いつしか吹石と呼ばれるようになったという。

 

 いかに蔑まれようとも、我らの太刀や槍が、郎党を支えた。

 鉄の取れぬ日は、浦吹一党伝来の兵法を学んだ。

 矛を造る者は、その振るい方をも知るべし、と、古(いにしえ)より惣領の下知があったそうな。

 

 たとえ我らが海の藻屑となろうとも。

 吹石の一族は、鍛冶の腕と、浦吹伝来の兵法とを、後の世に伝えよ、とも。

 そうこぼしておられたという。

 中でも我が家が継ぐは太刀の術、その真髄は雨燕(うえん)の太刀。

 

 父様(ととさま)は念仏でも唱うるように、折あるごとにそう申しておられた。

 

 

 

 父様は、ある年、郎党に請われて船に乗った。

 

 生まれて初めて見る深緑の海の闇に肝を冷やし、己が臆病を恥じたという。

 

 ある夜。船上で揺られる父様は、闇夜で世間の真の姿を知った。

 天一面を、光る「はがねの船」が埋め尽くしていたという。

 

 そして、父様は同胞に売り飛ばされた。奴(やっこ※奴隷)として。

 

 日の本を離れ、天地すら離れ、有情世間(うじょうせけん)を超え、器世間(きせけん)すら超えて。

 

 連れ去られた"仙境"にて、父様は、重く厳しき苦役に苛まれ続けた。

 

 だが、神仏の世界とは。

 世に言う"アルハザード"とは。

 げに珍妙な理で動いておった。

 

 ある日、忽然と、怪しき器物(うつわもの)がことごとく力を失うたそうな。

 

 父様は、その機を逃さじと動かれた。

 

 主の一家を、家伝の太刀にてことごとく斬り伏せ、一世一代の賭けに出た。

 

 人の住む世を願って、なれぬ呪いを用いて跳躍した。

 

 そうしてたどり着いた新たな世間で、湿地を彷徨い歩き、拾われたのだ。

 戦場に落ちた武具を拾い集めて糊口をしのぐ、みすぼらしき村の一族。

 弱き、弱き、洲古田(すこだ)の一族に。

 

 たった一つ残った秘宝。

 "万物始源の一滴(トロプフェン・デア・アルヒェ)"を、その手にして。

 

 

 

 

 

 

 

 見飽きた夢だ。

 こいつが聞かされて育った、こいつの父親の物語だ。

 

 古代ベルカの乱世で、ひたすら人を殺してまわる夢よりはマシだけれども。

 自分の意思でシークバーを動かして飛ばせない動画を見続けるのは、拷問だ。

 それが見飽きたものなら、なおさらだ。

 

 ああ。

 

 ようやく、この"アヴィオ"とかいう俺の身体を乗っ取った人格が目を覚ました。

 視覚情報が俺にも流れ込む。

 

 少女の裸体が、いきなり飛び込んできた。

 知っていたとも。濃厚な異性の匂いで鼻が馬鹿になりそうだったからな。

 

 こいつは、アヴィオは、救いようのないやつだ。

 チンピラを通り越して、山賊まがいの悪党だった。

 少年兵として戦場を駆けていたこの少女を打ち据えて、アヴィオは調教した。

 

「フンフン、フンフン」

 

 ネコのようなもふもふの耳がピコピコと動き、その尻尾が"アヴィオ(俺)"の脚に巻きつく。

 やわらかな空色の毛並みがところどころを覆う、褐色の肌。悔しいが、心地よくはある。

 そうだ。この少女は獣人なのだ。

 俺と同じく、魔力変換資質:風圧をもつ、猫獣人の機敏な軽騎士である。

 アヴィオは己の扱う武術であるらしい"吹石家伝の太刀術"というのを、この娘に叩き込んでいる。

 すっかり門弟扱いだ。

 

「どこの匂いを嗅いでおる。やめよ、キータ」

 

「お腹減った、ごすじんさま」

 

「勝手に食えばよかろ」

 

「一緒に食べたいのす」

 

「ふふ、作らせる気か。何故、煮炊きの下手糞な儂に作らせようとする。おなごには勝てんよ」

 

「さかな焼きゅうよ、ごすじんさまぁ」

 

「よいが、朝稽古の後じゃ。なにかかじって、外に出るぞ、ほれ」

 

 

「うぇ~…ぴっ!」

 

 尻尾をぎゅっと握られた少女の耳がへなへなと垂れ下がった。

 今でこそ関係は良好に見えるが、ここへ連れてきたときは倉庫に何日も閉じ込めて、泣かしていた。

 

 殺してやりたい。アヴィオを殺してやりたい。心の底から首を落としてやりたいと思えた人間は初めてだった。

 だが、こいつは実体がなく、意識だけの存在だ。

 

 今の俺には、考えることしかできない。

 脳内でコイツの首と胴体がバラバラになる光景を夢想しつづけるが、そのポロリと落ちた頭についているのは、俺の顔だ。

 もともとのコイツの顔を知らないから、そうイメージするしかない。

 となると、自分の頭がぽろぽろ落ちるシーンを思い浮かべ続けるのも、なかなかしんどいわけで。

 ちくしょう。コイツ、まじで。いい加減に…。人の体で、どこまで好き勝手する気だ。

 

 

 

 

 

 アヴィオと名乗るこの人格は、勝手に憑依して俺の体を奪い取って。

 気の赴くままに、人を手にかけている。

 何人も! 何人も! コイツは、我が物顔で殺しやがるんだ!

 

 

 

 時間の感覚はない。

 体の自由を奪われて、何もかもを奪われて。

 半年以上は経ったのだろうか。

 

 

 "俺の体"は今、オルセア南部諸国・内戦地帯を拠点に活動している。

 

 そして。

 

 とある武装勢力に傭兵として雇われた"アンサルド・スコダ"は、今日も。

 

 金を稼ぐために、人を殺す。

 

 

 

 

 

 おぼろげにわかったこともある。

 アヴィオの正体は未だに謎に包まれている。

 しかし、どうやらだが。

 コイツの言動から、ひとつの推測を立てている。

 

 早世したスコダ家の始祖、スネクマ・スコダ。

 そいつと何らかの関係がある。

 

 こいつは1度だけ、こう名乗った。

 意味は分からないが、こう言った。

 

 吹石実安が嫡子。

 吹石安美雄実熊(フキイシ・アヴィオ・サネクマ)と。

 

 

 




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