憂鬱だ。アンスとの決闘があった日は、絶対にこうなる。
シグナムは八神家の食卓で、定期的に立たされる針のムシロの上で、もがいていた。
「よっ! シグナム。怪我は平気か? 昼間は誰かさんにめちゃくちゃ綺麗に一本取られたらしいなっ!」
ポツン、と何かに身構えるように1人孤独にテーブルに付いていたシグナムの目の前に、ゴスン、と大きなサラダボウルを置いたヴィータは、八重歯をのぞかせた軽快な笑顔だった。
「チッ。見ていたのか?」
「ふんぎぎ、ふぅ。リインもみましたよー!」
小さな体で家族全員分のお箸を輸送したリインフォースⅡが、ひと仕事終えてなお快活そうに、シグナムの頭上でくるくると浮遊した。
「シャマルに聞いた。っか~! 生で見たかったなぁ、なんでアタシだけ隣の敷地なんだよ。オマエらだけズリーぞ、楽しそうで」
「いい加減、その満面の笑みをやめろ」
「ログ見たかぎりじゃまた強くなってるなー。どーすんだよ、アイツまだまだ伸び盛りだぞ?」
「たしかにねー。実戦想定NLO(Non-Lethal Only)ならいざ知らず、お稽古の延長の道場剣術比べだと、そのうち2本とられちゃう日も来るんじゃないかしら」
コト、コト、コトン、とホカホカの湯気をあげるお椀に盛られたご飯をならべ、シャマルが会話に首を突っ込んできた。
「NLOもなー。アイツ空戦だともっと"はしっこく"なるし、アタシなら地上がいい」
「そうなの。となるとじゃあ……アンス君が諦めない限りは?」
「いずれ勝ち越さる運命からは逃れらないだろうな。やれやれ、覚悟しといたほうがいいぜー?」
「かくごの・・・…はっ! "覚悟の準備"をしておくのです!」
何に触発されたのかわからないが、ドヤ顔をし始めたリインが不愉快だったため、シグナムはデコピンで弾く。「ひぇゃ~っ……」
「懲りずにもう……2か月? あれだけ恥を掻いても全く勢いが衰えないのは、愛ってやつなんじゃないかしらっ? キャーッ!!」
シグナムはシャマルからプイ、と顔をそむけた。
「結婚セイカツってやつも、今のウチらにはそんなに悪くないんじゃないか? ホラ、アレだよ。"じょーそーきょーいく"ってやつ?」
「情操教育は婚前に済ませるものだッ! 断じて結婚生活で養うものではないっ!」
「悪かったって、シグナム。そんな大声だすなよぉ」
余裕たっぷりに笑うヴィータは、1ミリも悪びれていない。
ダメだ。この話題では鉄槌娘にすら勝てない。シグナムは救いを求めて、その人を待った。
「……主も笑ってないで、対策を考えてください。どうせ聞いていらしたのでしょう?」
メインディッシュのアクアパッツァを食卓に運んできた八神はやての登場で、一家は勢揃いした。
青犬? テーブルの下に最初からいたようだ。
「えー、対策もなにも。シグナムの素直な気持ちにしたがって、答えをだせばええんよ。私たちはどんな結果でも受け入れるから」
「そーだそーだ」「そうよそうよ」「そうですそうです」「うむ」
「いえ、これは家と家の契約。つまり八神家全体の問題です。私一人に責任を押し付けるのは如何なものかと!」
「じゃあ問答無用で断る?」
「……騎士が一度交わした約束を。無断で……破棄する……わけには」
「いっそお付き合いしてみて、こっぴどくふっちゃえばいいのよ」
ほんわかのシャマル。
「一度だけデートするっつって、散々ヤラかして逃げちまう!」
にやにやのヴィータ。
「リインはリインは、"けっこん式"が見てみたいですぅ。"けっこん式"を~やりましょ~う! ……そういえば"りこん式"はやらないのですか?」
ノリノリのリイン。
「うんうん。みんながアンス君に良くないイメージ持ってるのが再確認できたわ。あのお調子者、ウチには全く見向きもせえへんし、ちょっと腹立つわー。ウチのシグナムのおっぱいばっかり見てからに、ちょっと腹立つわー」
イライラのはやて。
「シャマルの乳もチラチラ見てたよな~」
「えー? そーですかー? いやーん」
シグナムは起死回生の共通点を見出した。
「皆の意見は一致したか。是非もなし。やはり断ろう。
あの小僧は好色で、己の利益と御家の都合しか考えず、私が子を成せないことを利点だと、仮にも将来の伴侶にと望む相手に、歯に衣着せずに言い切る始末。
さらには私が人と異なり、さながら生きながらえる魔導プログラムであることを研究材料に適しているだのと馬鹿正直に評して、肝心の慕っている等のセリフは無し。
あげくに私の胸ばかりみている。今日だって決闘中に私の胸をみていたっ! 決闘中にだぞッ! ほんとだぞ! 記録に残っているはずだっ!
そしてなにより、皆があやつとの婚姻を望んでいない!」
「私は応援しているぞ」
ザフィーラの発言はスルーされた。なぜなら犬だからだ。
「ふふ、潔く断ってやるっ。詫びとして一度くらいは逢引きも覚悟しよう……ふふ」
「そこまで酷いこと言うてたかな……そこそこ真剣なカオしてたような?」
「でも……胸を見ない人類なんているのかしら?」
「よっぽど骨を折られてイラついてたんだな、シグナムっ。ほ~ら、前から言ってただろ。ウチらの中でイチバン陰険なのはシグナ」「聞き捨てならんぞヴィータ。ふふん、やけにつっかかってくるのは、本当は私とほとんど同時にあやつの面倒を見始めたのに自分だけ言い寄られなくて」「ダァホ! んなわけあるかァっ!」
「はいはい喧嘩しないのっ」「けんかはめーですよ!」
「せやでせやで、ご飯が冷めるし、楽しく食べよ?」
「よし! じゃあもう一度みんなで観るかッ! 何度見てもケッサクだからなぁ~♪」
「見るです見るです~! リインもあの動画大好きです~♪」
「貴様ァッ! 消したと言っただろうが、大嘘つきめ!」
「おーこわいこわい」「キャー、許してシグナムちゃん♪」
「あら、ザッフィーも見る? シグナムの記念すべき、初めての『娘さんをください』のシーン♪ さすがのウチもあの時ばかりは心が踊ったわ~」
「アイゼン、頼む」
『"Abspielen.(再生)"』
「ああもう、まったく。アイツめ……」
八神家の客間で、それは始まった。
アンスが八神一家と出会ったのは、ざっと2年前のことだ。
彼が数えで13歳のときだった。
凶悪なロストロギアの保持者で、元犯罪者。それが、当時のはやての評価だった。
たった10歳の少女が、鳴り物入りでフェディキアの聖王教会中央教室に顔を出すようになり、上級キャリアを目指す。
彼女の護衛騎士たちも、その後押しのために実績を積むべく、教会での宣教活動や奉仕活動、果ては軍事教練に参加するようになっていた。
教会騎士団合同演習。
管理局に倣い、次元世界の壁や"管区(コメンデ)"の枠にとらわれず、同ランク帯の騎士と訓練を積める場を教会騎士団も用意している。
志願者、推薦者を問わず、色々な世界から集まった関連組織の人間が一堂に会する、大会のようなものだ。
そしてアンスはその時の恩師シスター・シャッハことシャッハ・ヌエラに連れられ、教会騎士団ホープ(期待の若手)の一人として、"ヴォルケンリッター"との模擬戦に挑まされたのである。
「不得手な戦い方にこだわるのは、何故だ?」
「苦手なことこそ上手になりたいからですよ」
「なんだそれは。他のことが満足にできてから言う台詞だな」
戸惑いと困惑。アンサルドの顔に映っていたのはそれだけだったが、その表情の奥に、隠しきれない苛立ちが紛れているのがシグナムにはわかった。
だが、ヴィータやシャッハには決して見せず、自分にだけその視線を向ける意味が、このときのシグナムにはわからなかった。
けれども鬱陶しくはある。何十分と剣を交わせば嫌でも気づく。
この少年の織りなす剣戟には、いくつも混じっていた。
稽古中のできごとだからとミスを装って、相手を痛めつけたいという暗き欲望。
それをついぞ抑えきれなかった者が放つであろう、悪意ある剣尖の軌道があった。
彼が長い間、剣を振るってきたのは明らかだ。少々傲慢にもなっている。
同年代で並ぶものなどいなかっただろう。過剰な自信を持つのもうなずける腕ではあった。
とはいえそこいらの剣士には巧妙に隠せても、剣の騎士たるシグナムには通用しない。
そして、そんな彼の行動は、彼の瞳の奥に眠る熾火のような憎悪に気づくきっかけとなった。
憧れのような、渇望のような、深い憎しみのような、愛おしさのような。
とても一言では例えようがない。
だが、幾年もの間ドロドロに熟成された、濃ゆく膨大な感情であることは疑いようがない。
初対面の人間にこれほどのエネルギーを向けられる理由など、想像もつかない。
いったい"誰"に姿を重ねている?
これほどまでにその一撃を受け続けたのだから、問いただすくらいの権利はあっただろう。
しかしそれをしようと思うほどに、シグナムは少年に興味がなかった。
「君の印象は最悪だぞ、少年」
このくらいの軽口で何をそんなに動揺する? 先に喧嘩を売ってきたのは君のほうだろう?
そんな口ぶりに、色々な想いをこめてシグナムは言った。
「申し訳ありませんでしたっ」
シグナムの剣の腕を重々身に刻んだ少年は、これほどの騎士に己の思惑を隠しきれたはずもないと悟ったようだった。
「あなたは母に似ているんです、戦い方が。……僕の剣の師です。スコダ道場の師範が僕の母で……」
「はは。母親に似ていたから、か。流石に予想もつかないな」
「あなたと同じように古い剣技と、"火"を使います」
大きな合同訓練だから、同じ相手と再び試合うことはないだろう。
ならば多少の遺恨が残ってもかまわない。
乱暴な試合をしたって後には引かないだろうと、この少年はタカをくくったのだ。
「そうか」
シグナムはそれ以上の理由を聞くこともなく去った。
己を恥じる少年を、そのままそこに捨て置いて。
「本当に、すみませんでした……」
背後からそう聞こえたが、振り向きもしなかった。
八神はやての守護騎士4名は、それからも主がカリム・グラシアやヴェロッサ・アコース、シスター・シャッハらと交流を図る傍ら、第12管理世界フェディキアの中央教会で開かれる教練に定期的に招かれることになった。
その名の通り、中央教会にはそういった教導目的のための大規模な演習施設があり、戦いに身を置く騎士たちの交流の中心地だった。
フェディキアに赴けば、シグナムにとって数少ない癒しもあった。
それはシャッハと稽古をつけ合うことだった。
修道騎士団の本部もこの世界にあり、シスター・シャッハもよく出入りしている。
フェディキアに来れば必然的に彼女と会う機会は多くなり、シグナムとしてはそれを逃すのは惜しかった。
目的地へ足を運ぶ。
探し人の会話が聞こえてきた。
「頑固ねぇ~。まだ二刀流に変えるきがないの?」
「だからダートが投げられないです。嫌です」
「あぁそう。じゃあ投げきった後はどうするの? 手が片方、空くんじゃないの?」
「……」
「師匠の指示を無視するなら、もっと言い訳を用意しておいてほしいものです」
「すみません」
夕日に染まった修道騎士団の演習場には、目当ての人物のほかにもう一人いた。
シャッハにしごきあげられたばかりの少年が、息を切らして仰向けに倒れていた。
その周囲には、短い棒のようなものがいくつか散らばっていた。
先が尖っている。
はるか昔に、似たようなものを見た記憶がある。
この時代でまた見かけることになるとは。
「打根……ウォー・ダートか。珍しいな」
ここに来る以上、レヴァンティンは稼働状態にしている。
散らばっている大型のダート(投げ矢)を剣の鞘で弾くと、バチリと衝撃が走った。
「用心深いことだ」
近づいて顔をのぞいてみれば、いつぞやの姑息な少年だった。
この小僧は古い武術を習っていたと、たしか言っていたはずだ。
敵に再利用されないような工夫には抜かりがないわけだ。
しかし、コイツだとわかっていれば。
もう話しかけてしまった。
「あら。こんばんは、シグナム」
「遅くに失礼する」
「どう? この子が例の空戦AA+ランク"見込み"で、絶賛スランプ……いやイップスかしらね? 足ぶみ中の問題児よ」
「はぁはぁ、えっ?」
少年のほうは、そのレッテルが不満らしい。
「やってみる? シグナム」
「…投げ物を使うのか。前の試合では近接武器以外は使用禁止、見誤ったか」
「これでも私が"説得"して使わせるようにしたのよ。ご実家の武術流派、両手剣を扱うのだけど、昔はそれにばかりこだわってね。彼は諸事情あってご実家の流派には向いてなかったのよ」
「先生ェ! もう昔のことですッ。余計なこと言わないでくださいよッ!」
「付き合いが続けばいずれ知ることよ。ベルカの騎士たるもの、己の魔力資質には抗えないわ。甘えないで」
「わかってますよ……」
その小さなつぶやきを、シグナムの耳はきちんと拾っていた。
少年のかすかな震えは、怒りによるものだろうか。
いずれにせよ、シャッハの頼みであれば断りづらかった。
「……よし。構えろ、小僧」
「ふぅ。……クソ」
「口が悪いですよ、アンス! 客人になんて態度ですか! 謝りなさい!」
全てを諦めたような小さなため息をついて、少年は立ち上がり、腰を折った。
「すみませんでした。どうかご指導、よろしくお願いします」
「謝罪など不要だ。つるぎで語れ」
空戦AA+ランク級ともなれば、シャッハの言う通り、そこいらの小僧ではない。
「アンス、"風"を使いなさい」
「……はい」
「返事はッ!?」「はいっ、承知しましたっ!」
彼の持っているアームドデバイスから、深緑の魔力光が漏れた。
バラけていた投げ矢が瞬時に浮遊し、彼の背後に集まっていった。
「よろしいですか、シグナム」
「いつでも」
「始め!」
少年は片刃剣を左手に持ち替え、右手を背に回して3本のダートをつかみ、上空へ投げ放った。
『"Stille Wurfpfeil."(沈黙の投矢)』
激しい動作だったが、音がなかった。完全な無音だ。
加えて、予想よりはるかに鋭い射出速度だった。
とてもじゃないが、片腕で放った威力ではない。
時間差でダートが降り注ぐだろう。
矢の雨のごとく。
「なるほど"風"か」
続けざまにもう一本、右手でダートを握り、少年は今度は真正面のシグナムへ投擲した。
やはり無音。"風"で音を消している。
『"Spaltgang(空洞走破)"』
少年の姿が消えた。ベルカ式の"ショートジャンプ"の魔法は、シャッハ直伝なのだろうか。
どこか彼女の技に似ている。
(どこに現れる? わからん……だがこの場に残るのだけはまずいか)
覚悟を決める。
後ろに向かって、やや右、4時の方向に飛ぶ。
左手に鞘、右手に愛剣を構えて。身体の向きを変える。
少年は、シグナムが直感で予想した位置にドンピシャで現れた。
「ちょっ?!」
鍔迫り合いに持ち込む。そのまま流れるように、驚愕した少年の顔面めがけて、先ほど『予想が当たればやってやろう』と考えていた頭突きをシグナムはお見舞いした。
「ぁが! ぅぅぅッ……」
派手で、気持ちの良い打撃音とうめき声。硬い歯の感触。
切先は少年に向けたまま。
女騎士の足さばきに淀みはない。
左手の鞘を振って、上空に放たれたダートのうち唯一直撃しそうだったものを弾く。
文句のつけようのない一本だろう。
少年は吹っ飛んだあと、尻餅をついていた。
起き上がると、だらだらと鼻血を流しているのが見えた。
「不用意に"ジャンプ"するなっていつも言ってるでしょう! とくに最初は相手の動きの癖を学ぶ! だからこうなるのです! 勝負を急ぎすぎです!」
「ほ、ほうでひはっ」
ただ、ガミガミと説教を始めたシャッハの言葉には、どうにも心あらずな反応だ。
きょろきょろと少年の視線がいったりきたりしている。
一つだけ焦点が合っているのが、自分だった。
間違いなく少年はシグナムのほうを見ては、すぐに視線を外している。
少年は血の流れる鼻ではなく、なぜか指で唇のほうを押さえている。
(まあ、何やらやわらかい感触はあったかもしれんな……)
だがシグナムは鋼の意思で、自らも己の唇に指で触れるのを我慢した。
落ち着いた少年はすぐに態度を切り替え、好奇心を抑えられぬとばかりに声をあげた。
「どうして出現位地がわかったんですか?」
「勘だ。お前は私の背中に回ると思った。だがお前とてそれは百も承知。だから読みあいには付き合わなかった。正面のダートを避けやすいほうに避けたら、その後お前が背中に来ると思った。そこに賭けただけだ」
「……あなたがココに来たとき、寝転がったままでも、あなたがダートを跨いで飛び越すのが見えました。踏み切ったのが左足だった。右のほうに飛びやすい。剣も右手を上、左を下に柄を握ってましたから、(可動域的に)飛び道具を捌くなら左が振りやすい。なので右に避けるほうに賭けました」
「なるほどな。いかにも剣術を習ってきた小僧が考えそうなことだ。ご高説ありがとう」
「でもヘッドバットは、俺の位置がわかっていたとしか思えない前傾姿勢でした。なんで、勘に頼って、あそこまで……」
興味深そうに会話を聞いていたシャッハが、そこでようやく口を挟んだ。
「身に染みた? これがあなたに教えたかった、戦場を生き延びてきたものの直感よ。歴戦の猛者が鍛え上げたインスピレーション。膨大な戦闘経験の蓄積があってのこと。私には教えられないもの」
「おそらく私は、はるか昔、似たような戦いを経験している。身体は覚えていた。お前のような"アサシン擬き"ではなく、本物の刺客と幾度もな」
「……ご指導、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
「フ。まあ、いいだろう」
「ではシグナム、待たせたわね。私とやります?」
「ああ、そうしよう」
「どうか見学することをお許しくださいっ」
「はいはい、そこで見てなさい」
騒ぐ家族をよそに、シグナムはぼんやりとヤツとの馴れ初めを思い出していた。
アンスの"営業プレゼンテーション"にしか見えない"結婚の申し込みシーン"を夕食のおかずにしながら、わいわいと八神家の晩餐は過ぎていく。
ときおり家族から繰り出される"からかい"なぞ、無視をするに限る。
これまでにも、男性からアプローチを受けることは、ままあった。
しかし……。
無意識のうちに唇に触れていた。
(もしや私が捲いた種、だったのか……?)
アンサルドは、本当に、自分に惚れている……?
(わからん……)
「なぁシグナム、なんで唇おさえてんの?」
「どしたん。もしかしてお魚のホネ、ノドに引っかかったん?!」
「……はい、ひっかかりました」「うそだろ絶対」
今日の演習では、シグナムさんからあんなにも綺麗に1本を取れた。
最初の関門はクリアできる日はやってくるぞ。
カイトボードで空中を滑り、夜の闇を切って進む。
「くしゅん!」
夜の林道を吹き抜ける風はだいぶ冷たくなっていた。
スコダ家邸宅の裏手には林があり、そこを抜けると小さな湖があって、水源である小川をさかのぼるとすぐに山林へと繋がっていく。
木々には当然人の手は入っているが、元から湖畔には木が生えておらず、穏やかな時が流れている。
豊かな森林と無数の大小連なる湖沼。
ハイデン市周辺ではありふれた地貌だった。
「スパークス」
『Yes,Master.』
暖を取ろうと温風魔法を展開しかけたが、気が変わって初冬の寒さを味わうことにした。
「……なんでもない」
『Understood.』
湖のほとりをいくぶん回って、また森に入る。
古びた森林道を少し登ると、これまた寂れたきった製材所につきあたる。
とっくの昔に放棄され、広々とした空き地と化している。
この場所を見つけたのは偶然だった。
アンスは9つまで教会系の学校に通ったが、あっという間にカリキュラムを終え途中で家庭教師に教わるようになり、10歳半ばで大学に入った。
ミッドチルダでもフェディキアでも、早熟な子供は珍しくはない。
だが、その経歴ゆえに、実家に呼んでまで遊ぶような親しい同年代の友人はできたことがなかった。
作ろうともしなかった。
物心がつくかつかないか、まだヴェスタが生まれてもいない頃、一度だけ、父と母とに連れられて実家近くの湖のほとりを散歩したことがあった。
その時に見つけた道を覚えていて、その後、ひとりで探検して発見した場所がここである。
いつ来ようが、ここに人気のあったためしはない。……例外を除けば。
つまりは、訓練にはもってこいの場所だった。
野ざらしになっていた材木を勝手に加工して、人型の的として並べている。
そのまま当てやすい位置に置いたものもあれば、砂山の背後に隠すように設置したものも。
大きめの樹に吊り下げてゆらゆら揺れて動くようにした的も用意してある。
背中から取り出したウォーダートを眺めて、空き地の静けさに耳を傾ける。
この場所には、意外と色々な思い出がある。
「カートリッジ・ロード」
『"Stille Wurfpfeil."』
じっとしていると頭の中に邪念がよぎる。
それを無理やり抑え込み、集中を高めたところで、放った。
一瞬だけダートから深緑の光が漏れたが、消音は完璧だった。
ダート内部にひとつだけ組み込んだカートリッジが役目を全うすべく炸裂。
放たれたダートは放物線を描き、瞬く間に砂山の裏に隠れた丸太に直撃。
山に響くような破壊音とともに、見事に粉々に割ってみせた。
「飛翔音、速度は?」
『No sound and tied.』
「そうか」
浮遊魔法でダートを回収して、使用済みのカートリッジを交換した。
「ミッテルメッサー」
父から贈られた愛剣を待機形状から変形させ、素振りに入る。
だいたいは丸太こと木人くんを斬り伏せる日が多いのだが、昨日やりすぎて在庫がない。
翌日にシグナムさんとの試合を控えていたせいで、はりきってしまったのだ。
「昨日斬りすぎたなぁ……今日は準備がめんどいや。シグナムさんから1本取ったし、今日はご褒美ってことでッ」
『The form is unstable.』
「了解」
「明日は研究室だっけ?」
『Yes,sir.』
「そうか。ふぅ……よし。ARトレーニング、高覚醒戦闘適応ドリル、シュートイベーション後、射擊。あとの想定は任意。状況開始」
『"Loading...
ImPACT Training:
shoot evasion, followed by stress shoot.
Scenario 712.
...Ready.』
実戦で死が身近に迫るような状況では、個人差はあれど心拍数が150近いハイレートに迫る。
交感神経が有意な高覚醒状態では、いつもどおりの魔法制御や適切な行動が取れないこともある。
だから、訓練で練り上げる。
そしてシュートイベーションは、敵弾をひたすら回避したり捌いてやり過ごす、"気合い"を必要とする練習だ。
『Begin!』
「"ターク"(T.A.G.- Throttle Control,Air Sprint,Gale Step)!」
『T.A.G.!』
移動補助魔法は始まったあとで強引に併用展開。これも練習のうち。
次々に打ち出されてくる幻影の"スティンガーレイ"と"スティンガースナイプ"の嵐を切り抜ける。
ホログラムが映し出す魔力光は青。かつて闘った"チート"・ハラオウンの激ウザ射撃は、忌々しいが練習にぴったりだ。いまだに悪夢にでてくるけど。
凌げ。凌げ。
高機動を意地で維持。
息が上がる…。
長い……長げえよ!
「ハァーーッ……フゥーーーッ」
『Heart rate,One-fifty!(心拍数150) Targets!』
スパークスの掛け声。返事はしない。
ウォー・ダートを背から取り出し、指示された木人くん2体に順番に投擲魔法を使う。
『"Stille Wurfpheil.(無音の投矢)"』
右腕は"スティンガー・レイ"を切り払うために使う。
なので今度は左腕で、暗器を打つように、体の動きでモーションを隠しつつ、魔力を込めて。
ダート内のカートリッジも炸裂させる。
ひとつ撃って。こちらに迫っていた光の矢をひとつ捌く。
これまで被弾はゼロ。
立体機動戦闘は"風"の強みが出せる。
雷使いなども高速戦闘は上手だが、こちらから言わせると直線的すぎる。
風使いは空気を曲面のように使って曲線軌道も織り交ぜられる。
その上、数十センチから数メートル範囲のクロスレンジをストップアンドゴー、瞬間的に"停止と最高速度"を繰り返す"0 to 100"の加速、を多発させる連続展開能力なら、こちらが上だ。
さらにもうひとつダートを取り出して、撃つ。
ゆらゆらと揺れる標的に直撃。そしてまたぞろ砂山の裏に位置した標的にも、命中。
けっこうな重さの丸太だが、もちろん2つとも粉々だ。
『"Spaltgang.(空洞走破)"』
"空気"さえつながっていればどんな狭い隙間でも通り抜けられ、そこそこ遠くへも"躍べる"短距離跳躍魔法で、最後の締めだ。
安全圏へ離脱。敵弾の嵐は終わった。
「はぁ……はぁ……射出音、速度は?」
『First shot, No sound and tied. Second shot, No sound but slightly below your best.』
「あぁ? 曲射だぞ……ふぅ。でもこれで初撃の連続命中記録、何日目?」
『Five days straight.』
「いや上出来でしょ……ぷはぁーっ」
意識的に呼吸を整え、心拍数を下げる。
冷たい空気を好きなだけ味わう。おいしい。
森の奥の、闇を見つめる。
じっとして静寂と平穏を感じていると、つい物思いにふけてしまう。
さっきヴェスタの部屋であの飛行船を飛ばしたからか、どうしても記憶が頭の中で滲み出るのだ。
初めてあのミニチュアを飛ばした日のことを……。