15歳の春。
シグナムさんに結婚を申し込む半年前。
大学生活も最後の年。
俺はハプティック・インターフェースの開発に追われていた。
聖王医療院フェディキア分院 眼科・小児リハビリテーション科。
今日は、ローデン兄妹と俺だけ。
こういう日は、実験というだけでなく、子供だけで遊ぶ感覚も混じる。
そんな日だってあっていいと思う。と先生が言っていた。
「よし。今日こそ、外で試せそうだ!」
「はやく行きたい」
「最初は念のためゆっくりで…カザル君も混ざってもらっていい?」
「わかりました」
「あ、俺もP.A.S.S.をつけてくから、先に行っててくれていいよ、玄関で待っててくれる?」
「オッケーです」「お兄ちゃん、はやく」
グローブ、レギンス、シューズを着用したルノアちゃんが、車椅子でスタンバって急かしている。
「いくぜー」「ごー」
2人はワクワク感を醸し出して、出発していった。
俺もさくっと同じものを身に付ける。
スパークスに命じて視界を閉ざし、微調整をこなしながら、病室から玄関まで歩いていく。
P.A.S.S.は、俺がネーミングした。Pressure-Assited Special Sensing の略だ。あらたに開発しているハプティック・インターフェースは腕と脚全体を覆うグローブとレギンス、シューズで構成されている。
マークした物体が近づけば、内部のジェルが距離と方向に応じて硬化し、触覚である程度は感覚的に物体のやってくるタイミングがわかる。
それで一息に、サッカーをやってしまおうというのが目論見だった。
(自然風をどうするか……どのみち、発展させていくなら自然風の処理からは逃げられない)
匂い粒子。魔力で生み出した風。魔力素。エーテル(クインテッセンス)。こういったものでマーキングして、自然風とそうでないものを嗅ぎ分けるか。それとも別の方法に切り替えるか。
いろいろな対処法のうち、どれが最も適しているか、実現可能か。まだまだチームのメンバーと議論しあっている段階だ。
「待たせてごめーん」
玄関では、グローブをはめた両腕を前に突き出して距離をはかりつつも、きちんとした自信を滲ませてぴょんぴょん移動するルノアちゃん。
とそれを見守るカザルくんが、周囲の視線をわりと集めながら待機してくれている。
「おそい」「そんなことないっすよ」
「すいませんっと。じゃあ、ちかくの広場にいこう」
「ここから歩く」
「おっけー、やってみよう」
ルノアちゃんは乗り気だ。
俺は肉眼でしっかり景色を捉えつつ、肌感覚の方にも神経をとがらせ、隣を歩く。
「花壇のフチ、右足の方、近づいたらちゃんと圧力を感じる?」
「感じる。わかる。走れそう。前にヒト、いない?」
「いないよ今は」
「走ってみる」
「おっけー」
ルノアちゃんはジョギング程度の速度で走り出した。
腕は前に出したままだ。
段差に近づくと、ちゃんと離れて、道の中央付近を走っていく。
そうして無事に、一面に芝生が広がるエリアにたどり着いた。
「よっしゃ。じゃあ、サッカーボール蹴るか」
「はやく、はやく」
ルノアちゃんは普段は体育館やジムのような室内でP.A.S.S.の試作機を練習してくれている。
いつもとの違いは、不規則な自然風が吹くこと。
「よし…"パス"!」
コロコロと転がっていくサッカーボールの接近を脚で知覚し、ルノアちゃんは蹴り返すのに適した位置へと先回りできた。
「パス!」
ルノアちゃんは蹴ったが、そっちはカザル君のいる方だった。
やってくるボールの方向と距離を脚に与える圧力で察する。そしてグローブが、どこに向かって蹴るべきかおおよその位置を教えてくれる。
今回はカザル君と僕が対象だ。
近くにいたのがカザル君だったので、そちらに蹴り出したようだ。
「こっちはオレだよっ」
カザル君は声を上げるが、楽しそうだ。
そして再び、ボールをルノアちゃんに返す。
「次は俺にボールくれるっ?」
「うんっ。…えいっ!」
遠くに居る方が俺だとわかったのか、今度はこちらの方にボールがやってくる。やや方向はズレていたが、とても上出来だ。
「ナイスパス! よーし、じゃあ、ちょっとズラしてパスしてみるよっ!」
「わかったっ」
「そら!」
ルノアちゃんは先回りして、よい位置でボールを受けた。
そして思い至ったのか、今度はドリブルをして、俺に近づいてきた。
「ドリブルじゃん! できてる、すっげ! できてるじゃん!」
「練習してたもんっ」
精一杯、落ち着いたような声で返事をするルノアちゃんだったが、その口元はニンマリ笑っている。表情を隠すのは忘れているようだ。
俺のところまで突っ込んできて、それで、圧力がわやくちゃになり、彼女はすっ転んだ。
「おわあっ、コケるよってホラぁ」
「アハハハハッ!」
俺に支えられても、ケラケラと笑っている。
「ドリブルで抜いても、その後どうするのっ? ゴールもないし、どこに走ればいいのかわからないじゃないっ」
「そ、それは…これからの課題っていうか。ほら、このツールの名前、"PASS"だし。別に"SHOOT"だの"GOAL"だのと名づけてないジャン? これから追々機能はつけてくから」
「はやくして、もっと遊びたい」
「はいはい、頑張るよ」
「うんっ」
俺の背も伸びているが、最近のルノアちゃんは、それよりも早く身体が大きくなっていってる気がする。会うたびにデカさが違う気がするのだ。
それに、前から、こんな匂いしてたっけ?
ヴェスタとは1歳しかちがわねーんだぞ。アホか、何考えてんだ俺は。
「ほら、次はカザル君をドリブルで翻弄するところがみたいなぁ」
「えー、つかれた」
妹にひっついている男に、視線で殺傷ビームを放っているカザルくんが居る。
だから早く離れて欲しいのだ。
俺は大学の研究室で、オスターマン先生と一緒に雑用に勤しんでいた。
機材のメンテナンスだったり、データの整理だったり。
この言い方からわかってもらえると思うが、ぶっちゃけ、雑談ばかりで進んでいない。
それが許されるような、ゆったりとした時間だった。
「アンス君、卒業後はどうするか、決まりそうかい?」
「いえ、まだです」
「そんなに気まずそうにする必要はないさ。ごめんね、僕も話半分に聞いてみただけで。実際、君はまだ若いんだし、興味のあることに片っ端から首を突っ込んでもいいし。立ち止まってよく考えてもいいし、何もせずしばらく好きなことだけに没頭するのだって大いにアリだよ」
「好きなことだけ…そんなこと許されますか?」
「ハハ、誰の許しも必要ないよ、問題は君が許せるかどうかだよ。誰も君をジャマしない」
先生は子どものように、イスを回転させて回った。
「むしろ君はそれくらい楽観的に物事を考えていいと思うね。選択肢が多すぎると、悩んで何処に行きたいのかも曇ってしまうのかな。…僕がパッと考えつくだけでも、スコダ社の研究室、他社の研究室、ヴァンデインから誘われてるんだっけ? それにココの博士課程に進んでもいいし。あ、お菓子食べる?」
オスターマン先生はコーヒーを淹れ始めた。準備の合間に、戸棚から卒業生が持ってきたらしき豪華なチョコ菓子セットをテーブルに運んでくれた。
チョコレートのコーティングの中にはマジパンとヌガーがたっぷり入っている。激甘だ。
でもお酒のような香りは病みつきになりそう。クーゲル・チョコレートって書いてある。
たぶん明日には忘れているだろう。
「研究職じゃなくても、選り取りみどりだなぁ。教会騎士団、管理局の武装隊。あぁ、管理局のエンジニアもありか。執務官だって今から十分目指せるだろうし、次元世界開拓調査企業、民間のミリタリーセキュリティ会社にだって…おいおい、むしろ行けないところがないんじゃないか、こりゃ」
俺はむっつりと黙っていた。
自分を恥じていたのだ。
考えていたのは、俺自身の将来のことじゃない。
家を出ていったあと、そこに取り残される妹のことだった。
だが、世間では、兄妹より自分の人生を優先させなければ、白い目で見られる。
それくらいわかっている。
ましてや世間的にスコダ家は良家だ。残されたヴェスタが心配で仕事探しに手が付かない、なんて。
そんな妄言は、誰に相談しても同情などされまい。
「うまくね? このお菓子。なんていうのかわからないけど。ほんと皆、名前もよくわからない珍しいお菓子ばっかり持ってくるんだよね」
口をもちゃもちゃ言わせたオスターマン先生が、俺の分のコーヒーを手渡してくれる。
俺を決して急かそうとはしない。でもこの人には、内心を見抜かれている気がする。
けれども、彼はその上で、俺に自由にしろと言ってきたのだとも、これまでの付き合いでよくわかっている。
「美味いっす、全部食べてもいいですか?」
「ちょっ…これだけは残しといてよ」
「了解です」
ウィスキー味か。
『アン兄様、どこですか?』
「いつもの空き地だよ」
ヴェスタからの念話は、いつも唐突にくる。
『それ、なんですか?』
「うーん…食欲の秋、だね」
スパークスが気を効かせて、俺が山ほど抱えている山菜と茸の映像をヴェスタに送ったらしい。
『んえ~? ベル兄は帰りました。わたしもそっちに行きますっ』
「はいよ。あ、テラコッタ持ってこれる?」
『もっていきます』
来年、僕は16歳、ベルグは15歳になる。
いよいよベルグは養子になって、跡目として家に住むようになる。
次期当主の立場だ。親族はアイツを擁護する。お手伝いさんたちだってベルグを最優先とするだろう。
俺は、家に居られなくなるような圧力を、ずっと受け続ける事になるだろう。
耐えられるとは思わない。もう十分にわかっている。
それに、家族に本気で"そう"させる前に、自分から出て行くほうがいいに決まっている。
準備のためにか、今年からアイツは叔父様とともにちょくちょく我が家に顔を出すようになった。
今日もそんなアイツと顔を合わせないために、こうして裏山に抜け出してきた、というわけだ。
最初は、裏山に来たとて手持ち無沙汰にて、体を動かすつもりだった。
しかし、その日はいつもとは違う発想が浮かんだのだ。
家を出たら。俺は、もう滅多に此処には、来なくなる。来れなくなる、んだろうな。
あと何回、この景色を見ることやら。
そう感慨にふけって、深い山の奥をじっと見つめていた。
あの森の奥には、何がある?
僕は製材所へはなんども来ているっていうのに、あの奥の山に分け行ったことなどない。
ここから先の森へは、立ち入ったことがないのだ。
まあ、特筆して何もないことはわかっていた。
長き寿命を持ち、人語を喋るような山の主の縄張りがあるわけでもない。
ただ、フェディキアではへんてつもない森があるだけだ。
それでも、退屈が知識を上回る日もある。
その日のうっすらとした予定をすべて破棄する決意をもって、俺は森を散策することにした。
森の中は、とても歩きやすかった。
やはりだ。うすうす感じてはいたが、この森は人の手が入っている。
あの原生林と比べたらどう考えても整然としている。
そして、しんみりとしたこの場所には、キノコや木の実、ちょっとした小ぶりの果物だらけだった。
果たして、食べもするかわからないというのに、気が付けば、両手にわんさかと山の幸を抱えていた。
正直に白状すると、やはりきのこが多い。
全部、スパークスに入れていたキノコ同定プログラムで"安全・美味"のジャッジが下ったものではあるのだが。
(お、おうん。思ってたよりトラウマになってたのかな、あのキャンプ…)
「あひー、ふぁひー」
相変わらず無意味に走ってくるヴェスタ、既視感がある。
「アン兄様も、父様みたいに山でしょくざいを集めたりするんですね」
ふしし、とヴェスタは笑った。
だが、聞き捨てならないセリフだった。
「ヴェスタ、父上とここに来たことあるのか?」
「はい、今はすごくたまにしか一緒に山登りしませんが、兄様と遊ぶようになる前は、いっぱい来てましたぞ」
誰が山の手入れを……? その答えは、ヴェスタが知っていた。
「もしかしてこの場所も父上に教わってた?」
「そうですぞっ」
なぜ思いつかなかった。そもそも、父上に見つかってメタメタにされたのもここだ。
この場所に父上が行き来してるのは当然じゃないか……。
「ほら、去年、野外の訓練キャンプでサバイバル訓練をしてさ。そこで叩き込まれて、食べられるキノコをめっちゃ覚えさせられたんだよ。それ以降、俺は今もこうして何故かキノコを採っている」
「はぁ、訓練きゃんぷですか。わたしも騎士見習いになったら、行くのかもですね。うう、嫌です」
気づかない間に、父上はサーチャーか何かを飛ばして、俺が練習するところや、ヴェスタが遊ぶところを、観ていたのか…。
「昔の聖王の中にキノコ好きがいて、国をあげて木を植樹したりした記録があるらしい。キノコの管理は狩猟とともに由緒正しき騎士の最古の務めのひとつであって……ブツブツ」
小さくない衝撃で、俺はごまかすように妹にどうでもいい話をたれ流していた。
相手だって興味はない話を。ひたすら。別のことを考えながら…。
「なんでも、古いベルカの、こんな詩があるそうだ。『銀や金、上等な衣服を贈るのはたやすい。だが、ボレトゥス(タマゴタケ系)を贈るのは難しい』。これはきのこを見つけるのが難しいという意味ではなく、贈る途中で配達者がきのこを食べてしまうから送れないという笑い話であって……ブツブツ」
「に、ニイサマのせいしんがはかいされるほど、たいへんな訓練だったのですね…」
この場所で、泣きながら父上に打たれ、やり返した。
でも、今では。
それだけじゃないって、理解できる。その程度には、俺だって成長したはずだ。
揺らがぬ実感がある。
僕ら兄妹は、親に愛されていないわけじゃない。
そんなことはないんだ…。
「あ、そうだ。ヴェスタ、焼くか? 全部一応、食べられるヤツだぞ」
「うー。ホットチョコラーダときのこ、あいますか?」
「食の可能性は無限大。可能性はゼロではない。真実が知りたければ、試すしかない」
「準備しますっ! てらこった、きのこ焼きたい。あとホットチョコラーダも」
『Roger,Mom. I'll start preparing the drinks and switch the mode to Toast Net.』
調理ポット型インテリジェントデバイスのテラコッタは、裏でホットチョコレートを作りつつ、表向きの形状は、丸い穴のたくさん空いた焼き網がくっついた、ダッチオーブンのような見た目に変化した。
「ニイサマ、どちらが火をつけられるか勝負ですっ」
鍋の中には新品の炭が4つ入っている。まだ火は着いていない。
「うっ、負けそお」
僕がひとつ、炭に火をつけるまでに、ヴェスタはポンポンと3つに火をつけた。
「ふひひ、勝ちましたっ」
火挟みで適当にきのこをのせては焼いていく。
またヴェスタはカップを忘れてきたので、常備しているマグカップの出番がまたやってきた。
「きのことあいますねっ、これは……胆汁がでますっ!」
ヴェスタは胆汁を出している自認とともに、くぴっ、とドリンクをすすっておられる。
「えっ、その若さで? ていうか、そんなあぶねー成分は入ってないはずなんだがッ」
あわてて図鑑プログラムの履歴を確認する。やっぱり、安全なきのこしかここにはないはずだ。
「……」
何かを考えて、硬直している。そんなヴェスタの表情から、俺は察した。
「もしかして、脳汁が出るほど美味いってこと?」
「それです」
「ははん、承知、承知」
休日の午後はつつがなく過ぎていく。
こうして過ごすことも、あと何回あるんだろう。
ヴェスタも始終楽しそうにしていたが、ときおり悲しそうな顔も混ぜていた。
そのうち話題は、またぞろヴェスタの学校で流行している珍妙いたずら魔法に変わっていった。
この話をしているときのヴェスタはめちゃくちゃ機嫌がいい。
「今、はやりのワザはコレです!」
「例の魔法の後継シリーズか?」
「いきますよ…"シュティンクヴァイン"!」
『"Stinkwein.(屁糞葛:ヘクソカズラ)"』
ダガー型インテリジェントデバイスのロンデルから、黄色いガスが噴出した。
強烈なスカトール臭、まあ、つまりは名前のごとく…排泄系の悪臭を撒き散らすガスだった。
「ごはっ! ちょ、ちょおおっ! いちおう、一応食事中ッ! ごっ、あぁぁぁ!」
思わず魔力を噴出させ、風を体中から巻き起こす。
あっというまに悪臭はかき消えていった。
「あうー。しょくじ中でした。ごめんなさい、ニイサマ」
「そもそも、こんな下品な魔法、女の子が人前で使っちゃいけないと思う」
「学校では流行ってますぞ」
「というか、そろそろ兄に教えなさい。いったい誰だね、こういうことを教えてくる"ダンシ"って」
「別にきまったダンシに教えてもらっているわけではありません。毎回、ちがいます」
「…いっぱい"ダンシ"のお友達がいるの?」
「ジョシよりダンシのトモダチが多いですぞ」
「うぬッ。ヴェスタって、学校だと意外と女狐タイプなのか?」
「めぎつね…? でも、わたし、これでもいがいと"告られる"のですよっ」
「え……何人くらい?」
「いやです。ないしょです」
後でロンデルやテラコッタに追求しよう。
「ふぅ…、しかしおもいっきしイタズラ用魔法だったなぁ、それ。不快魔法だし、使い道なんて……あっ、そうだ。ベルグになら、使ってよし。俺が許可する。何か言ってきたら俺が庇おう」
「ふひ」
ニマー、とヴェスタは笑った。
「そうだな。俺にやれって言われた、って言っていいよ。アイツ、どんな顔するやら。もうほっとんど会わなくなるだろうし、俺は平気だからさ」
俺が空戦AAA+ランクを取得し、戦技披露会でその強さを文字通り披露してやった後、ベルグは完全に俺にビビっている。強がってはいるが、歯向かう気力なんてゼロだろう。
ただ、あまりに力量差がついてしまった以上、こちらも弱い者いじめなどそうそうできやしない。
アイツとは、さらに距離感を感じている。心も、立場も。なにもかも。
遠い。従弟なのに、ひたすら遠く感じる。
「…でも、ベル兄が父様の跡を継ぎます。もしかしたら、ベル兄様としょうらい、ケッコンさせられるかもしれません」
「…は?」
きっと、俺の顔は一瞬で凍りついていたのだろう。
それをみたヴェスタは思わず言ってしまった、言うつもりはなかったのに、と後悔したような態度をみせた。
「嫌なら、言って。絶対に、俺に。ヴェスタの味方だからな、俺は。ずっと、いつまでも。永遠にだぞ」
果たして、それを言いだしたのは、母か、父か。伯母か、叔父か。
突如めきめきと吹き出す、敵意。家族に対する、明確な敵意だ。
ついさっきまで、僕の脳みその中には、両親に対する"あったかい血"でいっぱいだった。
でも、まただ。また"冷たい血"がそこに混ざる。混ざって欲しくない。混ぜて欲しくないのに。
どうして僕は、あったかい血と、つめたい血を、交互に流さなくてはならない…。
あったかい血だけで、いいのに。
「でっ、でもだいじょうぶです! ベル兄は"はとこ"のアンネマリー様にめろめろです。どうじょうでもベルグは"でかぱい好き"だってウワサなのですっ」
「え…あぁ…あの人と仲良かったのか、ベルグ」
たしかにアンネマリー・キャプストンという…ヴァルチラ様の従兄弟の娘さん、だったか。
俺より3歳年上の、大人っぽい…いやもう大人だけど。たしかにバインバインだったような記憶がうっすらある。
興味なかったから知らなかった。
「てか、俺の噂は…? 言いづらいことも正直に言っていいから、聞いてみたいな」
「アン兄様は……」
ごくりとつばを飲む。我が妹は相当に言いづらそうだった。良くないこと言われてそう。
「友人もろくに作らず、ひたすらジブンみがきにしかキョーミがない、……えっと、"さいこきらー"だそう、です」
「ひっ、ひとりも殺したことがないのに"サイコキラー"扱いなの? みんなビビリ過ぎなんだよ、仕方ないけどさッ」
「兄様はさいこきらーではありませんっ、わかってます!」
「あ、ごめん。話を逸らしてしまって。なんのハナシしてたっけ?」
「えーっと……そうです。ニイサマ…わたしには、ムリです。アン兄様でもムリなのに、わたしに当主は、ぜったい、ムリですよ…」
「そうだったね。そんな大事な話してたわ。ほんとごめん」
テラコッタが新たに入れてくれた紅茶を口に含み、一息つく。そして。
「俺の場合は、特殊だよ。俺はシンプルに"炎"を出せなかっただけさ。そこが大事なんだ。スコダの家憲におもいっきし引っかかってるからね。調べたんだけど、スコダに限らず、ベルカの爵位の継承は法に則っているかが全て、らしいんだ。だから、ヴェスタなら十分に資格があるんだよ」
そんなことはヴェスタだって薄ら知っていると、わかっていた。
問題は、そうではないことも、わかっていた。
「兄様が今のわたしと同じ頃には、ダイガクに行ってました。来年は、兄様がデバイスマイスターの資格を取ったのとおなじ、11歳になります。…わたしには夢のまた夢です」
『Master keeps watching that match of yours.(マスターは兄上の試合ばかり見ています)』
ロンデルがそう話す。余計なことを言うなとばかりに、ヴェスタはぱしん、とダガーを叩いた。
苦しそうに話すヴェスタに、俺は耐え切れなくなった。
「ほら、おいでヴェスタ。だっこするよ」
一瞬ためらったが、すぐに妹は腕の中に入ってきた。
正面から抱きしめて、頭を撫でてよしよしする。
「俺ではなく、ヴェスタが"炎"を授かった。
その意味はかならずあるし、僕はヴェスタが炎を受け継いでくれて、嬉しいと思ってる。
誰がなんと言おうと、ね。
今のままだとベルグが継ぐかもだけどさ、ほら、アイツが事故や病気でアレしたら、ヴェスタが家を継ぐんだぞ」
「……」
「そっか。そもそも、ヴェスタは、スコダ家の当主になるのなんて、嫌か?」
昔は、俺はあからさまに当主を目指していたから。
その気持ちを知っているヴェスタが、俺に気を使わないわけがないのだ。
「うー…」
ヴェスタははっきとは言わない。つむじしか見えないが、顔なんぞ見なくてもわかる。
「それならそれでいいよ。今の世の中なら……スコダ家にとらわれずに生きるのも、ありかもしれないよ」
目をパチパチとさせて、意外な意見が出てきたな、と驚く妹がいた。
「本心だよ。俺も、いろいろと考えが変わってきたんだよ…」
手持ち無沙汰で、また頭を撫でる。嫌がられてはいないようだ。
「では、お兄様が、"風"を持って生まれたのは……」
胸の中で、ぽつりとヴェスタがつぶやいた。
「きっとお家を出て、世界でご活躍される運命だったからでしょうね。アン兄様は世界の舞台へ、立派に羽ばたかれましたもの」
ヴェスタを慰めるために、口から大した考えもなくでた言葉だった。
だがそれは、俺にも突き刺さる言葉となって、帰ってきたのだった。
(なんのため、風を持って生まれたのか……)
そんなこと考えたって、意味がなかった。その謎が解けたところで、決して家は継げないのだから。でも、考える必要はあるのだ。
これからの人生を生きる上では。
ヴェスタが飽きるまで、だっこしつづけて。
またぞろ、他愛のない話がでて。
俺は追求を受けることになった。
「兄様こそ、お付き合いされている方はホントォ~に、いないのですか?」
「いないよ…兄は、モテたことないんだよ…その点では、ヴェスタの勝ちさ」
大学で一時期チヤホヤされたのは、明らかな年上集団の中に子供がいたからだったのさ。
「お好きな人もいないのですか?」
「んぇ? ……うーん」
いや、あれ。なぜ、あの人のことを考えている?
がばっと俺から離れて、ヴェスタが急に気炎をあげはじめた。
「いるんですね?」
ヴェスタのくせに鋭いじゃないか。いやこれは、俺がわかりやすかったのか。
なんだか元気を出し始めて、キラキラとこちらを見つめてくるその姿に、どうにもはぐらかすのが躊躇われた。仕方がないか。
「思いついた人は、いる」
「だれ!? だっだ、誰なのですか?!」
「…はぁ~っ。ヴェスタが知ってるかわからないけど、シグナムさんっていう八神家の騎士さんだ」
「年上ですか?!」
「そうだな。それはたぶん間違いない」
「たぶんって、なんですか?」
スパークスがピカピカ光って、妹君に資料提供をさせてください、とうるさい。
わかったよ。許可をだしてやろうじゃないか。
「おお~、綺麗な方ですねっ」
スパークスがヴェスタにこれまでのシグナムさんとの戦いのログをみせる。
妹よ、兄が映像の中で常にボコボコにされているのにはツッコまないでいてくれるか。
流石だ。
「告白しないのですか?」
「いや、門前払いを食らうよ」
「そうですかっ? 兄様なら、どんなじょせいでも"堕せる"とおもいますぞ!」
「そうかぁ?」
「兄様は顔もかっこいいし、強いし、頭もいいし、家柄もよく、トモダチは兄様のことをよく聞いてくるのですぞ!」
「…そうなの?」
「はい。でもちょっと怖いうわさも広まっていたので。きっとベルグのせいです」
「そうか……」
あいつひとりのウワサでかくも俺がモテなかったわけではないのだろうが、その慰めは俺に効く。
ありがとうな、ヴェスタ。
「でもま、俺の家柄やスペックの良さ(?)ってのも、シグナムさんには効かないだろうなぁ」
「えぇ? どんな人なのですか?」
「スパークス、教えてやってくれ」
『Yes,sir』
伝えても構わなさそうな表面的な情報を、ロンデルに送らせる。
「なんだか、アシーお母様みたいなお人ですね?」
ニヤニヤとヴェスタが笑う。なんだよ、俺がマザコンだとでも?
「実際、母上より強いよ、シグナムさんは」
「それもそうですけど、炎の資質をお持ちですし、道場を継げるほどお強いですし、お家を助けるためにやってこられたアシーお母様と、同じことをやっていただけそうです。兄様、この人とケッコンすればよいのです」
「いやいや、何を…」
そこで俺は気づいた。
ヴェスタの与太話は、決して切って捨てて否定しかできないものでは、ないのではないか?
スコダ家は兵器開発の技術向上のための知識の収集・研鑽が生業であると、お家の家憲にも書かれている。
今でこそ一族の結束を高めるために近親婚が起きているが、歴史を紐解けば、強い技術を持つもの、強い資質を持つものを積極的に家に迎え入れた時期だってある。
シグナムさんという守護騎士プログラムは、つまりは兵器であり、それと婚姻を結ぶというのは、その技術を接収するということである。
彼女たち守護騎士プログラムはとてつもなく希少で価値のある"技術"であることは疑いがない。
時代が少し違えば、スコダ家が諸手を挙げて家に迎え入れるような存在だったのではないか?
もう一度、しっかり家憲を確かめるか? シグナムさんならば、当主になれるか?
なれずとも、少なくとも道場の師範にはなれるのではないか?
俺一人ではどうにもできなかった家憲という壁は……婚姻という家と家の新たな関係を構築する新しい手法で、崩すことが可能になるのではないか…?
俺は対して確かめもせずに、"婚姻"という概念がもつ力を、軽んじてはいないか?
考えてみれば、結婚というのは、古来から多くの人の集団の運命を翻弄してきた、歴史の一大要素だぞ。
「なあ、ヴェスタ。もし――――」
俺は、ヴェスタと"とある計画"についてわりと本気で話し合ってみた。
スパークス(アイガード型)、グリュンシュペヒト(ダート型)、ロンデル(ダガー型)、テラコッタ(ポット型)という4つのAIも交えて、それは大きな議論へと発展した。
なんにせよ、ヴェスタは興奮して、とてつもなく乗り気だった。
これがきっと、俺がこの家でやらかす、最後の問題になるだろうな。
そんな予感とともに。
ヴェスタとの思い出の1ページは、終わっていった。
「アン兄様、そういえばずっと気になっていることがあります」
「なあに?」
「その前に、絶対に、教えてくれるってやくそくしてくれますか? 母様や父様に訊いても誰もイジワルして教えてくれないのです」
「ふむ、約束しよう。俺にわかることなら」
ていうか、俺がヴェスタに意地悪するわけないだろう。
「"でかぱい"って、お胸がどのくらいの大きさから、"でかぱい"って言うようになるのですか?」
「…ん~?」
「どうじょうのみんなにきいても、はぐらかされるのです。ゲンミツに、どのくらいから"でかぱい"になるのですか?」
「……」
「アン兄様も、"でかぱい"が好きですか? 男の人はみんな"でかぱい"が好きだって知ってます。だから、気になるのです。でも調べても、でてきません」
「……い、いや」
「アン兄様もイジワルしますか?」
「お…俺は…」
「しぐなむさんも、"でかぱい"なのですか?」
「俺は……教え、ま、ぞ……」
「はいっ」
「……」
「アン兄様?」
「シグナムさんは…」
「しぐなむさんは?」
「………DKPI……だ」
危険な発言。
この場にあの人がいたら叩き切られる。想像するだけでうすら寒くなる。
だが、ファクトは揺るがない。どう考えても、それは事実だ。
違うというヤツは特殊な性癖で脳をやられている。
「おおっ、"やはり"そうでしたか…っ」
"やはり"とは? 我が妹よ。
「……」
「して、どこから"でかぱい"でしょうかっ?!」
「……」
"アンニイサマ…アンニイサマァ~ッ!?"
そこからヴェスタがなんども繰り返したセリフは、今でも耳に残っている……。
15歳の冬の夜。俺は聞いたこともない管理外世界の、聞いたこともない町――ウミナリシティに立っていた。
見た目こそミッドの郊外っぽいが、人の気配がとてつもなく平和だ。ザ・ド田舎世界。落ち着いた静かな夜。……あの騒がしい八神家の出身地には、とても見えない。
なにやらはやては、上級のキャリア試験に受かったようで、お世話になっているのだから挨拶してきなさい、と母上から命令を受けたのだ。
ならばこれは、チャンスだろう。そう思い至って、あわてて俺は例の計画の準備を済ませた。
右手には、そんな母上に押しつけられた祝いの品。
その薄さと長さから、万年筆であると断定できる。
左手には、提案資料。
胃には緊張と恐怖で冷たい痛み。
そして胸には、可能性に滾る炎。
この縁談、通るだろうか。
玄関で出迎えてくれたシャマルさんは、エプロン姿のまま、にこにこと居間へ通してくれた。優しい。この優しさがあと数分でどうなるかを思うと、さらに不安は増していく。
八神家のご家庭では、ささやかな宴の用意が整っていた。
壁には手書きの垂れ幕、『祝 上級キャリア試験合格』。
主役のはやては、俺に気づいて顔をほころばせた。
「あれ、アンス君やん。わざわざ来てくれたん? ありがとうなぁ」
僕は祝いの品をテーブルに置き、その場に片膝をつき、背筋を伸ばし、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
スパークスが過去のドラマ映像から抽出した、「管理外世界で最も正式とされる婚姻申込の作法」である。
「八神はやて殿、この度のご合格、まことにおめでとうございます。つきましては、本日は祝辞とは別件で、お願いがあって参りました」
「ん? なんやろ、改まって」
「娘さんを、僕にください!」
……ご一家の時間が止まった。
はやての手の中で、ジュースのグラスが、ゆっくりと傾いていく。
「き……きおったど……! ついに来おったど! お、おたくの娘さんを……。て、わたしの娘って誰やねん! ここ、わたしより年上しかおらへんで?!」
「リインは年下枠ですっ!」
「ま、ままま、まさかの、リインに求婚なんかっ!? あええ? わたしの見とらん間にいつの間に二人はそんな中に?」
「リインは魔性のオンナ説なのです?」
俺の視線のスポットライトは、たった一人に集中している。
その意味を理解し始めたシグナムさんは、ポットを持ったまま固まった。
「…………私、か?」
「シグナムぅ?!」「シグナムゥゥゥゥッ!」「ひゅ~!」「うえーん、リイン、何もしてないのにフラれちゃったじゃないですかぁっ」「ガォゥッ!」
主たる、はやてへの求婚であれば言語道断。突然現れた怨敵たるや、という姿勢だったのだろうか。しかし、対象がシグナムであると判明した途端に、少なくとも守護騎士たちはここから始まる喜劇に喝采を贈らんとばかりの楽観ムードに変わっていった。
「はい。ご検討の一助として、簡単な資料をご用意しました。十分ほどお時間をいただけますか」
「なんで就活みたいなノリなん?」
はやてのツッコミは「承諾」と受け取った。スパークスが、空中に資料を展開する。
スライド1。『スコダ家と八神家の戦略的提携のご提案(婚姻を含む)』
最後の「(婚姻を含む)」は金色に光っている。大事なところなので。
「本日は、貴重なお時間をありがとうございます。まず結論から申し上げます。私アンサルドとシグナムさんとの結婚は、双家にとって多大なるメリットがあります」
スライド2。『八神家の課題:家名の後ろ盾が、ない』
「はやて殿は管理局で頭角を現しつつあり、守護騎士の皆さんは一騎当千です。極めて優秀な『家』だと思います。ただ、今も過去の御一件による偏見で、お困りになっていると聞きました。ベルカの流れを汲む騎士でもある八神ご一家に、当家の家名と歴史は、追い風になるはずです」
「まあ、そこは認めるところやけど…」
「んだよアンス、ノリ悪ぃーなっ。いきなりシリアスな話題で熱が冷めちまうぞ」
「なんやろ、色恋の話が出てこなさそうな雰囲気になってきたな」
ブーイングが出てきそうな、アウェーの空気感。弱気になるな。
「そこで解決策です。スライド3、スコダ家の強み、五点」
①『創業は古ベルカ時代。かつては聖王家の宮廷火工師を、代々輩出』
「歴史の古さだけなら、フェディキアで一番です。ていうか、聖王家並みですので、ベルカのコミュニティに関わる組織であれば、これまで受けていた反発はだいぶ消え去るはず」
②『男爵位つき』
「肩書きに『男爵』がつきますので、社会的な信用度はそれだけで改善されます」
「でもそれって、シグナムに、だろ?」とヴィータさん。
「まあ、無駄にはならないだろうけど」とシャマルさん。
「無駄どころか、管理局での仕事のし易さには大いに影響があるはずだ」とザフィーラさん。
「そうですね。スコダ社もそれで大いに助けられた、とお婆様や年嵩の親族がよくこぼしていました」
「しゃくい、ってカリムさまも持っているヤツですよね? シグナムだけズルイですぅ、リインも欲しいですぅ~っ」
③『騎士団とのコネクション』
「教会騎士団内の政治であれば、ご助力できます。一族の多くが騎士団に所属していますから。要職についているものもそれなりにいます。単純に、味方の数も武器にできるかと」
「…組織では頭数も武器となろうな…」とつぶやくようにシグナムさんは言った。
④『兵器製造会社・スコダ社』
「業績は、没落の…二歩手前ですけど。しぶとく生き残ってはいます」
「一歩手前ちゃうの?」
「二歩と言い張らせてください。ヴァンデインやカレドブルフと繋がりがありますから…」
「ちょ~っと、言い訳としては弱いけど。スコダ社さんの、企業のダイレクトなバックアップの有る無しは、大きいわね」とシャマルさん。
「ファイネストクラスの個人携行用デバイスの評価は、どこにも引けをとりません」
「そこはみとめてあげましょうっ、むぎゅ」
ぶんぶんと頭の周りと翔び始めた小さなお人形さんを、はしっと掴む。
⑤『最上級のデバイスマイスターのバックアップ』
「八神家の皆さんのデバイスの整備・強化を、スコダ社が生涯無料で承ります」
ヴィータの肩が、ぴくりと動いた。
「……生涯、無料? ズイブンとフくじゃねーか」
「だって、会社の会長一族です。皆さん全員、VIP扱いですよ」
「……ま、そりゃあ便利だな。シグナム、ケッコンすれば?」
「ヴィータ! その程度で買収されるな!」
「でも、はやてちゃんのシュベルトクロイツだけでも、お家が立つくらいのお金が…」
「うう、みんな、苦労かけるなぁ…」
「てやんでぇ~、ですっ」「なんだそれ」
こうして直ぐに脇道にそれるから、八神一家の相手は喧しいというか面倒というか。
咳払いして、先へ進む。
スライド9。『シグナムさんご本人にとってのメリット』
「シグナムさん。あなたには、スコダ流の師範の座も用意できるかもしれません。我が家は、炎の資質と武術の腕を、何より尊びます。烈火の将であるあなたは、一族の中でも変わらぬ敬意を受けられます」
「ほう」
「また、古い魔法プログラムによる擬似生命体であるというご出自も、我が家では『尊ばれる』ものです」
「……フン」
「なにせ、強い兵器を作ることが我が家の至上命題でして、あなたほどの――」
「アンス」
「はい」
「お前は、大真面目に"兵器"と契りを交わす気なのだな?」
「それがスコダ家です」
目は逸らさない。これは偽らざる本心だ。
「……」
先に目をそらしたのはシグナムさんのほうだった。
「最後に。おそらく最大のご懸念について、先にお答えしておきます」
八神家の面々が、首をひねる。ご懸念?
「世継ぎができない点です」
空気が、凍った。
「問題ありません」
語る内容が内容なだけに、俺自信も緊張で凍りそうだ。
「理由を説明します。当家の当主は、家憲により、炎の資質を持つ者と定められています。その座を狙っての争いは、現代でも絶えていません。炎熱の資質を持ち、子を成さないシグナムさんに暫定当主になっていただき、いずれ、妹ヴェスタの子にその座を引き継いでいただく。これが、俺の望みです」
僕は深く頭を下げた。
「以上が提案です。ご清聴、ありがとうございました」
沈黙。
そりゃあ、こんな話を突然されて、流暢に返答できるはずもない。
「…………よぉわかった」
長い沈黙のあと、はやてが静かに口を開いた。
「アンス君の言いたいことは、よぉくわかったわ」
「さすが、はやて殿。いえ――お義母様っ」
「ひゃわわっ?!」
はやては座ったまま、器用に五センチ浮いた。
「さぶいぼ立ったわ! 見てこの腕、笑えへん冗談や。この歳で年上の義息子なんぞ、もちとうないですっ」
「お義母様! はやてはお義母様です!」
「リインまで乗らんといて!」
「うっ、ぐう……そこを、なんとか」
「なんとかなるかい! まず、わたしの意見を聞く前に、肝心のシグナムは承諾しとるん?」
「え? だって、シグナムさんははやて殿に絶対服従ですから、まずはやて殿の許可を取らないとハナシが進ま」「あってるけど! あってるけど、そうやあらへんのっ! きぃぃっ!」
「落ち着いてください、主」
シグナムさんがなだめるが、その頬は、うっすら赤い。
「アンス、心得違いをするな。我らの恋情の機微はともかく、爵位が得られるとすれば、それは主にこそ相応しい」
シグナムさんがきっぱりと切って捨ててくる。だが、その回答は予想済みだ。
「恐れながら。はやて殿――いえ、はやてお義母様では、親族が納得致しません。我が家の家憲は言うに及ばず、ベルカの爵位の継承は、法に則っているかが鉄則。炎の資質を持たぬはやてお義母様が、いかに有能な魔導騎士でも、難しいのです」
「なんやの、この微塵も未練ないですよって爽やかな顔と、用意してきたような返事は……アカン、ムカついてきたわ。あと、今後一切『お義母様』呼びは禁止や!」
「しょ、承知」
はやては、ゆっくりと椅子を回し、俺に正対した。
肘をテーブルにつき、両手を口の前で組む。リインさんが、どこからか眼鏡を差し出した。
はやてがそれをかける。
「はっきり言わせてもらうで……アンス君……いや、アンスはん」
「はん?」「はん?」
俺とシグナムさんの疑問がシンクロした。
「あんさんは、プレゼンは満点でも、面接は赤点や」
「んなっ」
なんだと。俺の口説き文句は完璧だったはずだ。利点を最大限に引き出して、短く説明し切ったはずだ。
「なぜ、ウチのシグナムなのか。教えてもらおか」
「資料の通りです。シグナムさんが、最適解だからです」
「最適解…」
「思い描いた俺の計画を、叶えられそうな唯一の人です」
「聞き方を変えるな。シグナムの好きなとこ、挙げてみせて。結婚したい相手なんやから、当然、言えるやろ?」
「炎熱の変換資質。次に剣技。それから、人間的に全く問題がないこと。年齢差も許容範囲です」
「…ウフフ、わざと外して答えてるわけやな?」
はやてが眼鏡を押さえ、深く息を吐いた。
「シグナムを暫定当主に据えて、その後は妹さんの子ぉに継がせる。つまりはずぅっとシグナムは名前だけの奥さん。そういうこと?」
「そんなつもりはないです」
「結婚というよりは、まるで名義貸しや」
部屋の隅の犬が、重々しく頷いた。
「見事な例えです、主」
ザフィーラさんまで。
「ええか、アンスはん。お貴族さまのご結婚事情は、わたしらは存じません。ウチのシグナムと……その……"契り"を結びたければ、条件はひとつ。お互いの気持ちを証明してもうことっ!」
「愛とは育むもの。時間をかけて培うものであれば、僕はこれからの行動で」「そんな屁理屈は認めません。きっぱり言うとな、シグナムが首を縦に振るかどうか、それがすべてや」
「僕の気持ちは伝えましたが」
「いいや、全然伝わってへんよ。シグナムを、あ、愛……どう思とるんか、しっかり聞かせてもらわな、わたしはアンス君を結婚相手として信用できひん」
言いよどむ俺に、はやてはギラギラと睨みつける。
「恋愛的な意味での気持ちを教えてくれんか? アンス君は、結婚で得られる利点しか語ってへん。でもな、そんなもん、わたしはどうでもええの。むしろ、結婚してデメリットしかなくても、互いに……あ、あ」
キッ、とはやては吠えた。
「愛し合っとるんなら応援する心づもりなんや! わかるやろ、わたしの言うてることッ!」
「ひゅーひゅー!」
「よくぞ言った、主!」
くるくるとリインさんが回り、犬が吠えた。
気づけば、この部屋でいちばん顔が赤いのは、なぜか、はやてお義母様その人であった。
とうとう、逃げ場がなくなった。
シグナムさんは天井の一点を見つめている。耳まで赤い。ヴィータの録画ランプは点灯したままだ。リインさんが、小さな看板を掲げた。『静粛に』。
僕は立ち上がり、息を吸った。
「……シグナムさん」
「…………なんだ」
「妹に、好きな人はいないのか、としつこく聞かれました。俺は……あなたのことを妹に話していました」
「おおおおお、言ったな、アンス!」
「ヴィータちゃん静かにっ、今いいとこ、イイトコだからっ」
赤い女児の口を興奮したシャマルさんががっちりと抑えはじめた。
「最初は、あなたに悪印象を持たれたことを、後悔すらしていなかった。それどころか、あなたのことを倒せば、現役時代の、最盛期の母親の強さを超えられる。そんな踏み台としか見てなかったかもしれません」
「……」
「いつからそれが変わったのか、自分でも本当にわからない。でも、あなたと戦うと、試合してると、いや、試合してないときも…」
「ふひっ」と、ヴィータ。
「あなたの匂いを思い出します」
「…ん?」
「鉄と焦げる炎の灰の匂いと、そこに混じった…」
はやてがぷるぷるしている。その頭の上から、リインが顔だけ出して、キラキラとした目で俺をみている。
うがあああ、こいつらあああああっ!
そこまでまとめてきてねえよ。
この場で考えろってか? いやもう無理だ。俺の頭も沸騰している。言語機能がいつものように働かない。
「シグナムさん、あなたは厳しく接してくるけど、そんな態度の中にも、俺はあなたの優しさをはっきりと感じてきた! その気持ちを、独占したくなったんですよ。ほかのヤツにわたしてたまるか! 最近はずっとそんなこと考えてんですよッ!」
「……ぁ」
「シグナムさんっ! 目を逸らさないでッ、少しはこっちを見てくれよ! 俺は、あなたと結婚したいんだッ! 俺と結婚してくださいッ! 良いのか、嫌なのか、突然だけど、答えて欲しいッ!」
「ぅ、ぅぅぅ」
シグナムさんはぜんっぜんこっちをみない。羞恥で声を漏らしてはいるが。てか、いつのまにかレヴァンティンを握り締めてぷるぷるしている。そんなに苦しめてるのか、俺?
でも、ぶんぶんぶんぶん犬は尻尾を振っているし、ヴィータとシャマルは頬を寄せ合ってガン見してきている。最高潮に楽しそうだ。
そしてはやてはシグナムより真っ赤。
「くそっ、まだ足りないのかよ! …そうだよ、あんたに近づくたびに、俺はあんたの匂いを嗅いでるよ。いい匂いがするんだよっ! 風と、音と、匂いは、俺の中では同じように感じるんだ、文句あっか?! それに……その……あなたの体つきだって、目で追ってるよ! 自分を止められないんだ! そんなもんだろ、男ってのは! 好きなもんは好きなんだ、これ以上言いようがあるk」「ぅぉああッいい加減にしろォァッ!」
「ぐゅぉあッ」
燃える剣。
――よく見てきた光景。それが、俺がここで見た最後の光景でもあった。
カートリッジロードの、本気の一撃。
アンスの身体はベランダの大きな窓ガラスを突き破り、薄暗い庭の奥へと一直線に飛んでいった。
以下は、後日スパークスの記録映像で確認した内容である。
ぜぇはぁと肩で息をするシグナムさんの手の中で、レヴァンティンが、カシュゥゥン、と蒸気を吹いた。排莢されたカートリッジが、ぽとり、とカーペットに落ちる。さもしい無音の空間が、いっそう寂しく彩られた。
「ど、どしたのシグナム? 気持ちはわかるっ、気持ちはわかるけどもっ、落ち着こ、な?」
庭の芝生では、少年が大の字になって伸びていた。シャマルさんが窓から身を乗り出し、手早く診る。
「伸びてますね。骨は……たぶん、大丈夫です」
「たぶんかいっ」
「主ぃ……、なかったことにできませんか? ぅお願いしますッ!」
シグナムがなりふり構わずに腰を折って懇願する姿は、家族ですら新鮮だった。
「う~ん。最後の最後には、きっちり思いの丈を叫んでくれてたで? 頭をどついたくらいで、アレを鎮火できる気ぃせえへんのやけど……」
「うんうん。イチオウ、本気だったんじゃね? 最後のほうはキモかったけどさ」
「同感だ」とザフィーラさん。「うやむやにしても無意味だろう。むしろ、衆目など気にせずにもう一戦かましてくる。そんな気概を感じたぞ」
「なんという……今日は、せっかくの主の祝宴だったというのに。この不埒者め!」
シグナムさんが剣をブンブンと振り回す。
「シグナム、なんか、照れ隠しも混ざってない?」
「何を言うシャマル?! 断じて、そんなことはないっ!」
「顔が真っ赤だぞぉ~、シグナムゥ~?」
「黙れ、ヴィータ」
「いいよぉ~んだ。証拠は、映像に残っちゃってるしなぁ~?」
「どういうことだッ? 待て、お前、最初の方は妙に静かだったな、もしやッ」
――ピンポーン。
「はやてちゃん、こんばんわぁ。遅れてごめんね~」
「みんな~、なのはとフェイトがきたですぅ~!」
「はやて、来たよ。リイン、案内ありがと。……あれ?」
なのはさんとフェイトさんが、八神家の居間に入ってきた。
「えーっ!? ちょっとぉ、なにがあったの、みんな? 窓が……」
「冬、だよ?」とフェイトさん。脱ぎかけていた外套を、改めて着直して。
「換気にしては……豪快だね」
「あ、あはは。そうそう~。お祝いやからね、ハメを外しすぎたついでに換気中~って、なんでやねーん…」と、力が抜けたように虚脱するはやて。
「あ、庭に誰か倒れてる。……あの人、知ってる。スコダ君、だっけ」
「えっ、アンサルド君が、なんでここに!? ていうか、この状況、ねえ、何ナノ!?」
なのはさんの混乱ぶりは、先程までの狂乱と比べたらいっそ微笑ましいくらいだ。
シグナムさんは心底ほっとした顔をしていた。
嗚呼、あと五分早ければ。
なのはとフェイトも、あの告白劇を、一語一句、目撃していたことになってたぞ、と。
きっと、そんなことを考えていたんだろうな。
映像記録を見直していたアンスを、彼女の仕草が、ちょっと悲しくさせた。
ザフィーラの背におんぶされていたアンサルドの意識を覚醒させたのは、月明かりではなく、強烈に鼻腔に差し込む肉の焼ける香ばしい匂いだった。
「あえ? は、えっ?」
「起きたか、アンス」
「あ、ああ。ザフィーラさん、よくわかんないっすけど、なんか、すんません」
「いや、うちの大将がやったことだ。気にするな。むしろこちらがすまなかったと言うべきだ」
「あぁ…はぁ…あんなにシグナムさんを怒らせるとは思わなかったもので…」
「怒りではなく、照れ隠しか、羞恥心の限界だったか、そんなところだ。気にするな」
「そう…だった、のかなぁ」
「今日のところは、お前に合わせる顔もなさそうだったのでな。悪いが、送っていく」
「わかりました。自分も突然、ぶちまけましたからね。さもありなんです」
「まあ、突拍子もなかったのは、事実だな。皆、度肝を抜かれたぞ」
「はは…いや、まあ…でも前からそう思ってたのはほんとっすから…」
「フ…」
き、気まずい。寡黙なヒト…じゃなかった、犬だからな、この人。
会話なんて弾まねーよ。俺だって空元気MAXぶっぱできるような精神状態じゃねえし……。
「犬ではない。守護獣だ」
「心読まないでください」
「フフ…」
うう、なんかさっきのプロポーズ失敗劇について先にとやかく言われる前に、話題を逸らすか。
「そういや、えらい美味しそうな匂いがするんですが、なんですか、この匂い?」
「焼き鳥だ。知らないのか?」
「いやそりゃあ、この世界に来たのすら初めてなんですから。郷土料理なんてまったくわかんないですよ」
「……食っていくか?」
「え、いいんすか?」
「ああ。アルコールも頼まねば煙たがられる店だが、私と一緒ならなんとかなる」
「一応、この世界の通貨はこんだけ手元にあるんですが、足りそうですか?」
「私が出そう。せめてものわ……いや、教え子に出させる気はないさ」
「いや、俺だってもともとお祝いに来ておいて、お金を出してもらうわけには…」
「気にするな」
「なんか、妙にやさしいっすね…」
「そんなことはない」
ザフィーラは思った。今頃、主はやての家では、上級キャリア試験に受かったお祝いの会が催されている。なのはとフェイトのお泊まり会も兼ねている。
祝いの品を持参してきた一応の客人たるアンスを、ジャマだからというシンプルな理由で叩き返しているその事実を、決して本人に悟らせてはいけない、と。
『おいザフィーラ、いつごろ帰ってくるんだ?』
ヴィータからの念話だった。
『しばし遅くなる。アンスと一緒に、居酒屋でちょっと一杯な。男同士の語らいってやつだ。だいたい、なんの慰めも無しに帰せるわけもないだろう。主もお許しくださるさ』
『なっ、ズリィーぞ! アタシも行くッ!』
『おいおい、主になんと申し開きをするつもりだ』
『フフン! アンスがフラレたって酒に酔って泣き喚くから、アタシが慰めにいってやるのさ』
『…好きにしろ』
「アンス、ヴィータもいいか?」
「へ? もちろんっすよ」
意外そうなアンスの生返事に、ザフィーラは申し訳なくなって目を合わせられなかった。
(オトナの姿でビールを飲んだとて、普段は主に怒られるからな)
ヴィータとてベルカの騎士。ビールには目がないのだった。
そしてそれは、ザフィーラも同じだったりする。
その後、3人は鳴海市の繁華街で繁盛するとある焼き鳥屋で、変身魔法で成人に化けて思うがままに肉と酒をかっくらった。
「なあアンスッ、ほらほら、どうした? アタシの匂いは嗅がなくていいのかよッ?」
成人女性の姿に化けたヴィータが、隣に座るアンスにちょっかいをかける。
「ぎぎががッ!」
がんがんと頭をテーブルにぶつけ続けるアンスを見て、2人は笑っている。
「うひゃひゃは! ほかのお客さんに迷惑だろ、やめろって~のっ」
「フ…」
ヴィータは慰めるどころか、シグナムに盛大にフラれたアンスをなじりまくり、羞恥で赤くなったり呑み過ぎで青くなったりして悶え苦しむ彼の姿を肴に、ビールを呑んだ。
正直、ザフィーラも気の毒に思う一方で、そのときの酒は非常に美味しかったと、後になってポロリとこぼしたという。
翌日。スパークスの映像記録をヴェスタにも見せたが、『最後のほうのセリフが"せくはら"みたいでちょっときもちわるかったです、アン兄様ぁ…』と酷評されてしまった。
ヴェスタの言うことなら、信じるほかない。
今後は気をつけて生きていかねば。
そして。
あれほどの心境の吐露をガン無視されるのかと思っていたアンスに、数日後。
シグナムさんから一通の果たし状が届いたのであった。
あの晩の話の続きは『私より強くなってからにしろ』と。
つまりはそれが、戦いの日々の幕開けだった。
ちょいと閑話的な内容になってしまったので、あげました。
感想おまちしてますぞ!