身喰らう断章 作:石鹸
ボースへ戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
街道を歩いている間も。
リゼットの頭から、あの記録のことは離れなかった。
──発見時より「エーヴェル」と発言あり。
あの記録だけでは、何も分からない。
自分がエーヴェル村にいたという確証ではきっとない。
しかし、少なくとも、自分が過去に「エーヴェル」という言葉を口にしていたことだけは分かった。
問題は、その先だった。
教会の記録には、それ以上のことが書かれていない。
ならば別の記録を探すしかないだろう。
ボースの街中を歩きながら、リゼットは小さく息を吐いた。
──アルバ教授に頼るしかない。
それを認めるのはなぜだか少しだけ嫌だった。
最近教授の言葉を思い返すことが増えて気づいたことがある。
それは、質問をすれば必要な答えは返ってくること。
しかし、どこかでこちらが次に何を考えるのかまで見られているような気がすること。
気のせいなのかもしれない。
なんとなくの、恩人に対して抱くべきではない懐疑の感情。
それでも今は、教授のつてが必要だった。
リゼットはホテルの自室へ戻る前に、教授の部屋を訪ねることにした。
扉を二度、叩く。
「どうぞ」
「失礼します」
中へ入る。
アルバ教授は机に向かい、何かの資料を読んでいた。
「ああ、リゼットさん」
顔を上げる。
「おかえりなさい。外出は無事に済んだようですね」
「はい」
「あと、これを預かってきました」
リゼットは預かっていた封書を差し出した。
教授は受け取り、封印を確認する。
「ありがとうございます」
封書を机の脇へ置く。
リゼットは、その場を離れなかった。
「……教授」
「はい。何でしょう?」
「少し、お願いしたいことがあります」
アルバが顔を上げる。
「珍しいですね。リゼットさんから頼み事をされるなんて」
「……そうですか?」
「ええ。いつもご自分で調べようとなさっていますから」
その言葉に、リゼットは少しだけ視線を落とした。
やはり、バレている。
すこしの居心地の悪さをごまかすように口を開く。
「今日、話を聞きました」
「話ですか?」
「はい。エーヴェル村の事件についてです」
アルバは、静かに彼女の言葉を待った。
「一一事件について、当時の巡回記録が残っているかもしれないそうです」
「なるほど」
「ただ、一般に残されている記録ではなくて……当時の担当者が個人的に残した報告書かもしれない、と」
「そういう記録ですと、個人で探すのは少々難しいでしょうね」
「はい」
リゼットは一度、息を整えた。
「教授なら……そういうものを調べることは、できますか?」
アルバは少し考えるように目を伏せた。
「調べること自体は、できると思います」
「本当ですか?」
「ええ。長く各地を調査してきましたので、軍や教会に知り合いもおります」
穏やかな笑みを浮かべる。
「どこまで辿れるかは分かりませんが、当たってみましょう」
「……お願いできますか」
「もちろんです」
答えは早かった。
「ただ、もう少し詳しく教えていただけますか?」
「はい」
「巡回所では、ほかに何か聞かれましたか?」
リゼットは少し迷ってから答える。
「古い記録を探すなら、当時の担当者や、その関係者を辿った方がいいかもしれない、と」
「なるほど。道理ですね」
アルバは頷いた。
「それなら、まずは当時のロレント方面の巡回記録から当たってみましょう。そこから担当者を特定できれば、個人的な記録が残っていないか探せるかもしれません」
「そんなことまで……」
「この程度でしたら、お役に立てると思いますよ」
リゼットは黙った。
頼ってしまった、あれだけ懐疑の目で見てそれでも利用しているかのような、胸の悪くなる感覚を覚えて。
自分で調べたかった。できることなら教授には頼らずに。
けれど今の自分には届かない場所にあり、現実は届かないからと言って都合よく待ってはくれない。
だから正しい選択だというのに、いい気持にはなれなかった。
「……ありがとうございます」
「いえいえ」
アルバは穏やかに笑った。
「リゼットさんがご自分の過去をご自分で確かめたいのでしたら、できる範囲でお手伝いしましょう」
その言葉にリゼットは顔を上げた。
「……自分の過去」
「ええ」
アルバは、何気ない口調で続ける。
「何度も言いますが、知らないままにしておくより、知った上でどうするかを決めた方がよいでしょう」
「……」
「もちろん、何が見つかるかは分かりません。期待しすぎない方がいいでしょうね」
「はい」
リゼットは頷いた。
「分かっています」
アルバはそこで一度、話を切った。
そして。
「ところで」
「はい?」
「今日は、街道まで出られたのですよね?」
「……はい」
ほんの少しだけ、リゼットは答えに迷った。
「途中で、エステルたちに会いました」
「エステルさんたちに?」
「はい。ヨシュアと……シェラザードさんも一緒でした」
「そうですか」
アルバは驚いた様子を見せた。
「それは、偶然とはいえ心強かったでしょう」
「……はい」
リゼットは少しだけ笑った。
「魔獣が出てきて……助けてもらいました」
「それは何よりでした。私の危機管理が足りていませんでしたね」
アルバはそう言ってから、机の引き出しを開けた。
「ですから、これもお渡ししておきましょう」
「…これは?」
差し出されたのは、小さな機械だった。
見覚えのある形。
中央に結晶が収められ、そこから線が伸びていくつかの結晶につながっている。
そして、そのユニットごと周囲を金属の枠が囲んでいる。
「戦術オーブメント……」
「ええ」
リゼットは両手で受け取った。
ずしりとした重みがある。
けれど、思っていたより小さい。
「教授はこれを持ってなくて大丈夫ですか?」
「これは予備です。私が調査に出る際に使っていて、少し古いものですが私には今のところ必要ありませんので」
「私が使っても?」
「もちろんです」
アルバは頷いた。
「外で調査を続けるのであれば、持っておいた方がいいでしょう」
リゼットはオーブメントを見つめた。
「でも……私、使い方が」
「難しくありませんよ」
アルバは立ち上がり、オーブメントの中央にある結晶を指で示した。
「ここに導力を込めることで、導力魔法──アーツを使えるようになります」
「アーツ……」
「ええ。もっとも、最初から難しいものを扱う必要はありません」
教授は机の上に置かれた別の小さな結晶片を取り上げる。
「まずは回復や、簡単な攻撃用のアーツから覚えるとよいでしょう」
「私にも、できるでしょうか」
「適性の問題はありますが、練習すれば使えるようになります」
そう言って。
アルバはオーブメントをリゼットへ返した。
「少なくとも」
穏やかな声だった。
「ご自身の力だけに頼る必要はなくなります」
リゼットの指が止まった。
「……」
その言葉が妙に胸へ残った。
自分の力。それは、触れたものを失わせる力だ。
今日も使おうと思えば使えた。
けれど使わなかった。
使いたくなかった。
なら別の方法があるのならそれを使えばいい。
少なくとも、自衛のためだけに。
「……分かりました」
リゼットはオーブメントを胸元へ抱えた。
「使ってみます」
「ええ。そうしてください」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
教授は微笑んだ。
「それと、無理はしないことです」
「はい」
「過去を調べることも、力を身につけることも、急ぐ必要はありません」
「……はい」
リゼットは頷いた。
それから部屋を出ようとして、足を止める。
「教授」
「はい?」
「……調査のことも、オーブメントのことも」
一度、言葉を選ぶ。
「助かります」
「お役に立てたのでしたら何よりです」
扉を閉める。
廊下に出たところで。
リゼットは、手の中の戦術オーブメントを見つめた。
冷たい金属の感触。
中央で静かに輝く導力の結晶。
自分の知らない力。
けれどこれは、自分で覚えて、自分で使えて、制御できるものだ。
教授に言われたから使うのではない。
教授に命じられたから持つのでもない。
自分が必要だと思ったから。
受け取った。
リゼットは、オーブメントを大切にしまった。
そして歩き出す。
──頼ることと信じることは。
同じではない。
そのことを確かめるように。
リゼットは、胸の奥で静かに繰り返した。