身喰らう断章 作:石鹸
ボースを発って、三日。
ルーアンへ向かう街道を、二人は歩いていた。
季節の風が草原を渡っていく。
リゼットは歩きながら、何度も鞄の中身を確かめていた。
昨日、ボースを出る直前に受け取った短い書簡。
そこには、簡素な住所だけが記されている。
――ルーアン地方、北区画。
――元ロレント方面軍巡回班所属、レナード・ハル。
「……本当に、この人が記録を残しているんでしょうか」
「可能性は高いと思いますよ」
アルバは前を向いたまま答えた。
「軍人を長く務めた方には、記録を取る癖が残ることがありますからね。正式な報告書とは別に、自分の目で見たものを手帳へ書き留めている人は珍しくありません。情報は武器ですから」
「正式な記録から抜けたものも?」
「むしろ、そういうものが残っていることを期待しています」
リゼットは少しだけ黙った。
ボースで見つけた記録。
そこには、自分らしき少女がいた。
そして、その先の頁だけがなかった。
「……その人が、何か知っていればいいんですけど」
「ええ」
「知るのが、怖くないと言ったら嘘になります」
アルバは笑った。
「それでも、行くのでしょう?」
「……はい」
迷いながらも、リゼットは頷いた。
「私が決めたことですから」
「その通りです」
それからしばらく、二人は何も話さなかった。
やがて街道の先に、ルーアンの街並みが見えてくる。
石造りの建物。
行き交う人々。
ボースとは違う風と空気。
「綺麗ですね」
「ええ。水の街ですから」
街を流れる水路が陽光を反射している。
その水面を見た瞬間。
リゼットは、なぜか胸の奥に小さな違和感を覚えた。
水。
泡。
そして白いもの。
けれど、そこから先は出てこない。
「……」
「どうしました?」
「いえ」
リゼットは首を振った。
「なんでもありません」
二人は北区画へ向かった。
そこは観光客の多い場所から少し離れていた。
古い家が並び、軒先には洗濯物が干されている。
目的の家は、その一番奥だった。
「ここですね」
アルバが扉を叩く。
少しして。
「誰だ」
低い声が返ってきた。
「アルバです。手紙を受け取っていただいたでしょうか」
少しの沈黙。
やがて扉が開く。
出てきたのは、白髪の老人だった。
右目の横に古い傷がある。
軍人だった頃の名残なのか、背筋だけは妙に伸びていた。
「……あんたがアルバ教授か」
「ええ」
「手紙には、エーヴェル村とあったが」
「その件です」
老人の視線が、アルバの隣へ移る。
リゼットと目が合った。
ほんの数秒。
「……お前さん」
その声が止まる。
「はい?」
「いや……」
老人は眉を寄せた。
「どこかで見たような気がしただけだ」
リゼットの胸が跳ねた。
「……私を?」
「いや、君自身ではない」
老人は首を振る。
「もっと昔だ。ずっと小さい年頃の……あの子も無事であれば君くらいか」
そこまで言って、口を閉じた。
「中へ入りな」
二人は家の中へ通された。
居間には、小さな机と古い本棚。
その上に、軍服姿の若い男の写真が置かれている。
「座れ」
「失礼します」
老人は戸棚から一冊の手帳を取り出した。
革張りで、かなり古い。
「これが、俺の私記だ」
「私記……」
「ああ。軍へ提出した報告書とは別だ」
手帳を机へ置く。
「エーヴェル村についても書いてある」
リゼットは息を呑んだ。
「見ても?」
「ああ。そのために来たんだろう」
ページを開く。
古い文字。
ところどころ滲んでいる。
「……」
リゼットの視線が止まった。
そこには、正式な報告書にはなかった言葉が並んでいた。
――村へ入った時点で、住民は確認できず。
――建物の多くは原形を維持。
――奇妙な透明球状物あり。水滴に似るが、水ではない。
――接触箇所に明確な欠損。
「……同じ」
リゼットは呟く。
「はい」
アルバは隣から覗き込むだけだった。
さらにページをめくる。
老人の筆跡は続く。
――奇妙なのは、村の内部だけではない。
――入口付近に、複数の足跡。
――争いの跡あり。
――しかし、何と争ったのかは判別できず。
そこまでは、記録保管所で見た内容と大きく変わらない。
だが、次の一文でリゼットの指が止まった。
――村を離れた後、ロレント方面への巡回中に少女を保護。
「……」
文字がぼやける。
「年齢、およそ五、六歳」
同じだ。
「発見場所、ロレント近郊の森林」
教会の記録にはなかった。
さらに、その下。
――衣服は濡れていた。
――外傷は目立たず。
――怯えた様子を見せる一方、周囲を警戒する様子は薄い。
そして。
――名前を尋ねたところ、少女は繰り返し「エーヴェル」と答えた。
リゼットの手が震えた。
「……ここも」
「正式な報告書にも残っています」
老人が言った。
「あぁ。だが、ここから先が違う」
ページをめくる。
そこには、後から書き足されたらしい文があった。
――少女は水路を見つめながら、何度も同じ言葉を口にした。
「……何て?」
老人は、その一文を指でなぞる。
――「泡」と。
「……」
リゼットの呼吸が止まった。
頭の奥が痛む。
泡。
何かが消える。
白いもの。
夜。
暗闇。
「……私が?」
「それは分からん」
老人は静かに言った。
「当時の俺にも分からなかった。ただ、その子が異様に怯えていたのは覚えている」
「何に……?」
「水にだ」
「水……?」
老人は首を振る。
「おそらく水そのものじゃない。水面にできる泡を見た時だけ、様子がおかしくなった」
リゼットは手帳から目を離せなかった。
「それだけじゃない」
老人が続ける。
「俺たちがその子を保護してしばらくした頃だ」
「何かあったんですか?」
「誰かが、その子について聞きに来た」
アルバが初めて、少しだけ顔を上げた。
「ほう……誰です?」
「それが分からん」
老人は苦い顔をする。
「軍人ではなかった。学者か何かだったと思う。若い男ではなかったな。身なりはきちんとしていた」
リゼットの心臓が強く打つ。
「その人は、何を?」
「あの周辺で少女が見つかったかと聞いてきた」
「……!」
「名前を?」
「いや」
老人は首を振った。
「ただ、妙に詳しかった」
「何を?」
「少女の年齢。衣服の色まで」
部屋の空気が変わった。
「……どうして、そんなことを知っていたんでしょう」
「俺もそう思った」
老人は手帳を閉じた。
「だから何も話さなかった」
「その人は?」
「諦めて帰ったよ」
リゼットは少しだけ息を吐く。
「……誰だったんでしょう」
「さあな」
老人は肩をすくめた。
「ただ、一つだけ覚えている」
「何ですか?」
「帰り際に、こう言った」
老人の視線が、リゼットへ向く。
「――『もし、保護することがあったなら、その子が何を覚えているかを、確認しておくといい』」
「……」
意味が分からない。
けれど。
何かが、自分の過去を知っている。
その事実だけは、はっきりした。
「教授……」
リゼットが振り向く。
アルバは考え込むように手帳を見つめていた。
「これは、重要な証言ですね」
「はい」
「少なくとも、エーヴェル村について、軍の外にも関心を持っていた人物がいたことは確かだということでしょう」
「……それなら」
リゼットの声が震える。
「私が見つかったのは、偶然じゃない……?」
「確実には言えません」
アルバは静かに答えた。
「ただ、偶然ではなかった可能性もあります」
その言葉は、リゼットの胸に重く落ちた。
自分は、たまたま見つかった捨て子だと思っていた。
名前も過去も。
何も分からないまま、それでも拾われて、アルヴェーン家の娘になった。
それがもし誰かに探されていたのだとしたら。
「……私、もっと知らなくちゃ」
手帳を握る。
「その人が誰なのか」
「ええ」
「どうして私のことを知っていたのか」
「ええ」
「そして――」
一瞬だけ言葉を止める。
「あの村で、何が起きたのか」
アルバは頷いた。
「そのためにも、一つ確認しておきたいことがあります」
「何でしょう?」
「この手帳を、あなたにお渡しできるかどうかです」
老人が苦笑する。
「もう俺には必要ない。持っていけ」
「いいんですか?」
「ああ」
リゼットはそっと手帳を受け取った。
古い革の感触。
ずしりとした重み。
まるで過去そのものを手渡されたようだった。
「……ありがとうございます」
「礼は……調べてるものが分かった時に言いな」
老人はそう言った。
二人が家を出る。
ルーアンの街には、夕方の鐘が響いていた。
リゼットは手帳を胸に抱えたまま歩く。
分かったことは、増えた。
けれど謎は、それ以上に増えてしまった。
自分はエーヴェルという言葉を知っていた。
泡も知っていた。
そして誰かが、自分のことを探していたかもしれない。
「教授」
「はい?」
「《結社》について……」
歩きながら、リゼットは尋ねた。
「はい」
「昨日言っていたこと」
「ええ」
「本当に、そこまで調べられるんでしょうか」
アルバはすぐには答えなかった。
「《結社》は、王国軍とは違った方法で情報を集めています」
「……その人たちなら、あの知らない人が誰だったのかも?」
「見つけられる可能性はあるでしょう」
リゼットは手帳を見つめた。
胸の奥に、また小さな灯りが生まれる。
「……私、行きたいです」
「《結社》へ?」
リゼットは首を振った。
「調べたい」
その言葉には、昨日までより強い意志があった。
「私の過去を知りたい」
そして。
「この力が何なのかも」
アルバは静かに頷いた。
「では、まず一つ」
「?」
「この手帳を読みましょう」
アルバは穏やかに言った。
「そこには、まだ軍の正式な記録に書かれていないことが残っているかもしれません」
「……はい」
二人は歩き続ける。
帰り道は、驚くほど静かだった。
その夜ルーアンの宿の一室で、リゼットは机に向かっていた。
窓の外では、水路を流れる水が月明かりを揺らしている。
静かな夜だった。
けれど、机の上に置かれた一冊の古い手帳だけがこの静けさから浮いているように見えた。
昼間エーヴェル村の調査をしていたという元軍人から譲り受けたもの。
正式な記録には残されなかった、個人的な記録。
リゼットはその表紙に触れた。
「……これを読めば」
何かが分かる。
けれど同じくらい怖かった。
何が書かれているのか。
自分が本当は何者だったのか。
知ってしまえば、今までの自分が変わってしまうような気がした。
「……」
それでも。
手を伸ばしたのは、自分自身だった。
手帳を開く。
最初の数頁には、軍を離れてからの生活が書かれていた。
仕事のこと。
家族のこと。
天気のこと。
ありふれた日々。
そして、何頁か進んだところで。
見覚えのある地名が現れた。
――エーヴェル。
リゼットの指が止まる。
昼間見た記録より、ずっと生々しい文章だった。
――村内に残された異常現象について、正式記録では「水滴に類似した球状物」とした。
――しかし、あれを単なる水分と判断するのは明らかに誤りだ。
――あれは「何かが失われた痕跡」に近い。
「……失われた、痕跡」
リゼットは小さく読み上げた。
さらに頁をめくる。
――球状物そのものが危険なのではない。
――恐ろしいのは、球に触れた物質だけが欠損することである。
――木材だけではない。
――金属でも布でも同じ現象が起きた。
リゼットの呼吸が浅くなる。
それは、自分が確かめたものと同じだった。
木、布、鉄、そして人。
無意識に胸元へ手を当てた。
自分の力、自分だけのものだと思っていた。
けれど少なくとも、十年前のあの村で。
同じものが存在していた。
頁の端に、小さな書き込みがあった。
――注意。
――この現象には「発生源」がある可能性。
リゼットは眉を寄せた。
「発生源……?」
次の頁へ。
そこには、簡単な村の見取り図が描かれていた。
家、井戸、集会所、入口。
そして、いくつかの丸印。
「これ……」
丸印は、球状物が見つかった場所らしい。
ばらばらだった。
規則性がない。
だが見取り図を少し離して見ると。
その中心に、一つだけ空白があった。
リゼットは眉をひそめる。
「……何も、ない?」
その場所に、丸印がない。
ただそこだけ、手帳の紙が少し擦れている。
何度も指で触れられた跡。
その横に小さな文字があった。
――少女を発見した場所と、おおよそ一致。
「……」
胸が鳴った。
少女。
昼間の記録。
五、六歳。
エーヴェルという言葉を繰り返していた少女。
自分と同じ年代だったはずの子供。
リゼットは急いで頁をめくった。
――少女は発見時、強い混乱状態にあった。
――自身の名前を尋ねても答えない。
――ただし、「エーヴェル」という単語には反応。
そこまでは既に知っている。
だが次の一文。
――その日の夜、少女は一度だけ、自分の名前と思われる言葉を口にした。
リゼットの指が震えた。
「……名前」
次の頁。
そこで文章が途切れていた。
だが、今度は頁が抜かれていたのではない。
文字の上から、何度もインクを重ねて消されていた。
それでも完全には消えていない。
リゼットは机の灯りを近づけた。
薄く残った文字を、一つずつ追う。
「……せ……」
喉が鳴る。
もう一度。
「……セレ……」
胸の奥が、強く締めつけられた。
知らない名前だった。
なのにまったく知らない気がしない。
指先が紙の上をなぞる。
消された文字。
その下から、僅かに読み取れる。
――セレシア。
「……」
リゼットは声を出せなかった。
その瞬間。
頭の奥で、何かが弾けた。
水。
夜。
暗闇。
白いもの。
そして誰かの声。
自分を呼んでいる。
――セレシア。
「……っ」
椅子が音を立てた。
リゼットは反射的に立ち上がる。
息が苦しい。
頭の奥が痛い。
なのに怖いはずの記憶の中に一つだけ今までなかったものがあった。
自分を呼ぶ声。
誰かが、自分に向かって名前を呼んでいた。
「……私」
震える唇が動く。
「私の名前……?」
答えるものはいない。
ただ、手帳だけがそこにある。
リゼットはしばらく動けなかった。
今の名前はリゼット・アルヴェーン。
マルタとアルノーに与えられた名前。
自分が生きてきた名前。
その前にもう一つ、名前があった。
それは自分が忘れていた名前だった。
扉が軽く叩かれた。
「リゼットさん?」
アルバ教授の声。
「……はい」
「まだ起きていますか?」
「……はい」
返事をすると、扉が開く。
アルバは部屋へ入り、机の上の手帳へ目を向けた。
「読み進められましたか」
「はい」
リゼットは答える。
少しだけ迷って。
「教授」
「何でしょう?」
「私の、昔の名前が……書いてありました」
アルバは一瞬だけ、目を細めた。
「そうですか」
それだけだった。
「セレシアって」
その名前を口にした瞬間。
胸の奥に、奇妙な感覚が走る。
懐かしい。
けれど自分の名前だという実感は、まだ薄い。
「それが、本当にあなたの名前だったのかは、まだ分かりません」
アルバの言葉は穏やかだった。
「記録者が聞き取った言葉を書き留めただけですから」
「……はい」
「ただ、少なくとも」
アルバは手帳を見る。
「あなたが今、その名前を聞いて何かを思い出しかけたこと。それは無視しない方がいいでしょう」
リゼットは頷いた。
「……調べたいです」
「ええ」
「誰が私を見つけたのか」
手帳を握る。
「誰が私の名前を知っていたのか」
そして。
「あの人は、誰だったのか」
アルバが僅かに眉を動かした。
「昼間の証言に出てきた人物ですね」
「はい」
「でしたら、そこから追いましょう」
アルバは椅子を引いた。
「彼が何者だったのか。その後、どこへ行ったのか。調べる必要があります」
「分かるんでしょうか」
「手掛かりはあります」
「どこに?」
「手帳の後ろです」
「……後ろ?」
アルバが手帳を持ち上げる。
最後の方。
そこには、人物名だけを書いた頁があった。
元軍人。
教会関係者。
村の周辺住民。
そして一人だけ、印が付けられている。
――調査に関して接触してきた男。
名前はない。
代わりに、短い特徴だけが書かれていた。
――王国所属に見えず。
――研究者を名乗る。
――エーヴェル村の「球状現象」について質問。
そして、その下。
――少女の発見を知っていた。
リゼットは息を呑む。
「この人……」
「ええ」
アルバは頷いた。
「少なくとも、あなたが保護されるより前から、この事件を追っていた人物でしょう」
「じゃあ……」
「あなたを探していた可能性もあります」
リゼットは手帳を強く握った。
昼間までは。
過去は、ただそこに残されているものだと思っていた。
今は違う。
誰かが知っていた。
誰かが探していた。
そして自分は何も知らないまま、十年を生きてきた。
「……教授」
「はい」
「《結社》なら」
リゼットは顔を上げた。
「こういう人のことも、調べられますか」
アルバは少しだけ考える。
「おそらく」
「エーヴェル村についても?」
「はい」
「私の力についても?」
「ええ」
「……なら」
リゼットは立ち上がった。
「私、行きたいです」
言葉にしてしまえば、不思議なくらい簡単だった。
怖い。
何をされるか分からない。
そもそも、本当に協力してくれるのかも分からない。
それでももう、以前のように「怖いから知らないままでいる」ことはできなかった。
「この力をなくす方法があるなら、知りたいです」
リゼットは続ける。
「なくせないなら、それでもいい」
少しだけ震える。
「でも、どういうものなのかを知りたい」
アルバは静かに見つめる。
「……分かりました」
その返事には、反対もなかった。
「ただ、《結社》はあなたが思っているような研究所ではありません」
「分かっています」
「いいえ」
アルバは穏やかに首を振った。
「まだ、分かってはいないでしょう」
その一言が、妙に印象に残った。
「彼らには、彼らの目的があります。あなたの知りたいことが、その目的と一致するとは限りません」
「なら自分で確かめます」
アルバはしばらく黙っていた。
そして。
「……では、明日にでも準備しましょう」
「はい」
「まずは、もう少し西へ向かいます」
「どこへ?」
「王都方面ではありません」
アルバは窓の外を見る。
「《結社》と直接関わる前に、もう一つだけ確認しておきたいことがあります」
「何でしょう?」
「あなたの力について、古い資料を知っている人物です」
「……異能の?」
「ええ」
アルバはそれ以上詳しく話さなかった。
「そこで、あなた自身の力について、少し考えを整理するといいでしょう」
「……分かりました」
リゼットは頷いた。
今夜は眠れそうになかった。
机の上には、古い手帳。
消された名前。
そして自分の知らない過去へ続く道。
リゼットは、もう一度その名前を見る。
――セレシア。
まだ、自分のものだとは思えない。
けれどその名前を見た瞬間に感じたあの胸の奥の痛みだけは。
嘘ではなかった。
ベッドへ戻る前。
リゼットは机の灯りを消した。
暗闇が部屋を包む。
「……おやすみなさい」
誰もいない部屋へ向けて呟く。
けれど目を閉じた瞬間。
また、あの夜の記憶が浮かんだ。
今までなら、そこで終わっていた。
水。
夜。
暗闇。
白いもの。
けれど今日は。
その向こうに、一つだけ新しいものがあった。
誰かの声。
自分を呼ぶ声。
――セレシア。
リゼットは、夢の中で振り返った。
そこに誰がいたのか。
まだ、分からない。
ただその声の主を知りたいと。
初めて、自分から思った。