身喰らう断章   作:石鹸

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第二章 5 定期便失踪事件

 翌朝。

 リゼットは、いつもより少し早く目を覚ました。

 見慣れない天井を眺めながら、ぼんやりと昨夜のことを思い出す。

 机。

 便箋。

 そして――泡。

 

「……」

 

 身体を起こす。

 机の上には、昨夜と同じように便箋が置かれていた。

 リゼットはしばらく眺めてから、そっと近づいた。

 泡は、ない。

 机にも、もう何も起きていない。

 ただ、昨夜確かに泡が触れた場所だけが、ほんの少し欠けている。

 指先で触れてみる。

 

「……やっぱり、夢じゃない」

 

 それ以上は考えないことにした。

 今はまだ。

 支度を済ませて部屋を出る。

 廊下へ出ると、すでに宿の中は人の気配で満ちていた。

 階下へ降りる途中、新聞を抱えた宿の主人が、別の客と話している声が聞こえる。

 

「今朝もまだ見つかっていないそうですよ」

「本当に? もう捜索は始まってるんでしょう?」

「ええ。遊撃士協会も動いているそうです」

 

 リゼットの足が止まった。

 

「……?」

 

 何の話だろう。

 そう思いながら階下へ降りる。

 食堂の一角には、今日の新聞が何部か置かれていた。

 その一面に、大きく見出しが載っている。

 

 ――飛行船、消息を絶つ。

 

 リゼットは足を止めた。

 

「……飛行船」

 

 昨日、街を歩いていたときには聞かなかった話だった。

 新聞を手に取る。

 ボース発の定期便の連絡が途絶えたらしい。

 乗客と乗員。

 その行方は、まだ分かっていない。

 記事を読み進める。

 すでに遊撃士協会による調査も始まっている。

 王国軍も情報収集を行っている。

 原因は不明。

 現在も捜索中。

 

「……」

 

 リゼットは新聞から目を離せなかった。

 最近よく目にする言葉。自分が背負う、四文字。

 けれど、文字になっていると妙に重く感じる。

 ――行方不明。

 エーヴェル村。

 ――住民、行方不明。

 胸の奥が、わずかにざわついた。

 

「リゼット?」

 

 声をかけられて振り向く。

 エステルだった。

 

「おはよう!」

「……おはよう、エステル」

 

 ヨシュアも、その後ろからやって来る。

 

「おはよう、リゼット」

「うん」

 

 エステルが、リゼットの手元を覗き込んだ。

 

「新聞? 何かあったの?」

「飛行船が……行方不明になったみたい」

「ああ、それね」

 

 エステルは少しだけ表情を引き締めた。

 

「昨日、宿でも話してたわ。やっぱり結構大きな騒ぎになってるみたい」

「そうなんだ……」

「うん。遊撃士協会でも調べてるの」

 

 エステルは新聞を受け取ると、ざっと目を通した。

 

「こういうの、放っておけないわよね」

「エステルは、関わるの?」

「もちろん!」

 

 即答だった。

 

「だって遊撃士なんだから。困ってる人がいるなら、できることをしなきゃ」

 

 その言葉を聞いて、リゼットは少しだけ笑った。

 

「エステルらしいね」

「そう?」

「うん」

 

 昔から、変わらない。

 困っている人を見つけたら、自分から近づいていく。

 ロレントにいた頃から、ずっとそうだった。

 

「ヨシュアも行くんでしょう?」

「僕も遊撃士だからね」

 

 ヨシュアは苦笑する。

 

「それに、エステル一人に任せておくのは少し心配だし」

「もう! またそれ言うの!?」

「事実だよ」

「むぅ……」

 

 二人のやり取りに、リゼットは小さく笑った。

 けれど笑いながらも、手元の新聞が気になっていた。

 飛行船が消えた。

 乗っていた人たちごと消えた。

 そして今、この街では消えた人たちを探している人がいる。

 

「……ねえ、エステル」

「ん?」

「この事件……ちゃんと見つかると思う?」

 

 エステルは少しだけ目を丸くした。

 それから、当然のように答えた。

 

「見つけるのよ」

「……」

「だって、探してるんでしょ?」

 

 あまりにも迷いのない言葉だった。

 

「だったら、きっと見つかるわよ」

「……そっか」

 

 リゼットは新聞へ視線を落とした。

 その言葉が、胸の奥に残った。

 ――探しているなら、きっと見つかる。

 そうエステルは言い切った。

 ではエーヴェル村は?

 あの村の人たちは、誰かが探したのだろうか。

 今も、探している人はいるのだろうか。

 自分を――探してくれる人はいるのだろうか。

 

「リゼット?」

「……ううん。なんでもない」

 

 新聞を畳む。

 

「二人とも、今日は事件の調査なんだよね」

「うん」

「じゃあ、頑張って」

「リゼットは?」

「私は……」

 

 言葉が止まる。

 今はアルバ教授の助手だ。少なくとも、その名目でついてきている。

 資料整理。

 もちろんエーヴェル村についての調査も。

 自分には自分の目的がある。

 

「私は、教授のお手伝いをするよ」

「そっか」

 

 エステルは笑った。

 いつも通りの快活な笑みだ。

 けれど、どこか焦りのようなものを感じる気がする。

 

「じゃあ、また後でね!」

「うん」

「夕方には戻ると思うから!」

「気をつけてね」

「リゼットもね!」

 

 エステルとヨシュアは、宿を出ていった。

 扉が閉まる。

 その向こうから、二人の声が遠ざかっていく。

 リゼットは、しばらくその場に立っていた。

 やがて、もう一度新聞を見る。

 飛行船の失踪。

 遊撃士による捜索。

 行方不明者。

 

「……調べれば、分かるのかな」

 

 小さく呟く。

 昨日までなら、ただの事件だった。

 けれど今は違う。

 自分と同じように、「消えた人」を探している人たちがいる。

 それが、どうしても気になった。

 リゼットは新聞を折り畳んだ。

 そして、そのまま自分の部屋へ戻る。

 机の上には、昨夜書いた手紙がある。

 

 ――ちゃんと帰ってくるから。

 

 その言葉を見て、リゼットは少しだけ目を伏せた。

 

「……そうだよね」

 

 自分は帰る。

 そのためにここへ来たのだから。

 だからまずは、自分の過去を知ろう。

 エーヴェル村で何が起きたのか。

 自分は、そこで何をしていたのか。

 なぜ、自分だけが残ったのか知らなければならない。

 あるいは、同じ思いをしている人がいないかを、調べなければならない。

 鞄からノートを取り出した。

 昨日まで書かれていた記録の下に、新しい項目を加える。

 

 ――エーヴェル村集団失踪事件。

 ――七耀暦1196年8月13日夜半から翌朝。

 ――住民の消息、不明。

 

 ペン先が止まる。

 その下に、もう一行。

 

 ――現在も、真相不明。

 

「……」

 

 ノートを閉じる。

 そのとき廊下からアルバ教授の声が聞こえた。

 

「リゼット君。起きていますか?」

「はい」

「朝食の後、少し時間をいただけますか。昨日の資料について、確認したいことがあります」

「分かりました」

 

 リゼットは立ち上がった。

 新聞を持っていくべきか、一瞬だけ迷う。

 けれど、結局そのまま置いていった。

 自分から事件へ関わる理由はない。

 飛行船を探すのは、遊撃士の仕事だ。

 自分には、自分の調べるべきことがある。

 とはいえど心のどこかであの事件がどうなるのか、少しだけ気になる。

 もし本当に消えた人たちが見つかるのなら。

 そのとき、自分もまた――過去に消えてしまったものを見つけられるのかもしれない。

 そんな考えが胸の奥に小さく残っていた。

 それが希望であるのか、絶望であるのは、今はまだわからなかった。

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