ウォール・ローゼが突破されたという急報が旧調査兵団本部へ届いた時、ディエゴが最初に抱いた感想は、恐怖でも焦りでもなく違和感だった。
昨夜、アニ・レオンハートからマーレと知性巨人について聞いたばかりである。だからこそ、今この時期に壁が破られたという事実が妙に引っかかった。アニが「行方不明」になったことは、まだ誰も知るはずがない。せいぜい憲兵団の連中が、今日になって姿を見せない彼女を見て、寝坊でもしたのか、どこかで油でも売っているのかと思っている程度だろう。
ライナーとベルトルトにしても、昨夜から今朝にかけて目立った動きをした気配はない。それなら、今回の壁突破を引き起こしたのは別の何かと考える方が自然だった。
――別の知性巨人か。こちらが何もしなくても、向こうから重要なものが次々に姿を現してくれるとは、これほど楽な話もない。
ディエゴは装備を整えながら、思わず口元に薄い笑みを浮かべた。前世では、スタンド使いとスタンド使いは惹かれ合うという奇妙な法則を何度も目にしてきたが、この世界でも似たようなことが起きているのかもしれない。巨人どももまた巨人どもに惹かれ合うというのなら、今のディエゴにとっては都合が良かった。
「クク……面白くなってきたじゃあないか」
「何がですか?」
すぐ隣で装備を確認していたサシャが怪訝そうに尋ねたため、ディエゴは何でもないという顔で首を振った。
「何でもない。行くぞ」
サシャはまだ少し不思議そうにしていたものの、それ以上追及している暇はなかった。すでに本部の外では兵士たちが集められ、中央に立ったミケが次々と指示を飛ばしている。
「巨人群が林まで到達したら一気に離散する! それまでに四つの班を構成するぞ! この地域の地形に詳しい者はいるか!」
集まっていた兵士たちの間に一瞬ざわめきが走ったが、その中でサシャがすぐに手を挙げた。
「はい! 北の森の先に私の故郷があります! その辺りの地形なら分かります!」
それに続いて、コニーが普段の明るさを失った顔で口を開いた。
「南に……俺の故郷があります。巨人が来た方向です」
故郷が巨人の進行方向にある。その意味を考えれば、コニーが絶望したような表情になるのも当然だった。
「俺は南へ行く」
ライナーが迷わず言うと、ベルトルトもすぐに続いた。
「俺も行くよ」
ミケは二人を一度見た後、すぐに判断を下した。
「南はゲルガーに任せる! コニー、ライナー、ベルトルトはそちらへ合流しろ!」
「了解!」
三人が南側の班へ動き始めると、ミケは今度は北側へ視線を移した。サシャが詳しいというのなら案内役として使うべきだが、問題は誰を同じ班へ付けるかである。
そこで一人の顔が浮かび、ほぼ同時に、数日前にリヴァイと交わした会話まで思い出した。
◆
「もしディエゴを使うなら、芋女とセットにしろ」
リヴァイはミケと食事をしながら言った。カップの取っ手に指を通さず、リムを直接指でつまむようにして持つ、よくわからない飲み方をしていた。ミケからすれば兵長の飲み方がおかしいのはいつものことである。つまり、いつもと変わらない午後と言うわけだ。
向かいに座っていたミケも、湯気の立つコーヒーを一口飲み、少しだけ眉を上げた。
「理由を聞いても?」
「ディエゴ……あいつは本当にめんどくせえ。最近はかなりマシになったが、上官に嫌味を垂れるのは当たり前だし、命令そのものに理屈が通ってなきゃ平気で疑問を口にしやがる」
「ええ、よく部下から聞いています」
「自分が優秀なのも分かってる。入団してからの日数に対して討伐数が異常だし、実際にそれだけの働きもしてるから余計に始末が悪い」
ミケは黙って聞いていたが、リヴァイ班の隊員たちからディエゴに対する文句が出ていたことも当然知っている。特にオルオが生存していた頃は、顔を合わせるたびに何かしら言っていた。
普通の新兵なら、上官へ反抗的な態度を取れば、訓練という名目で一度痛い目を見せられて終わる。しかしディエゴの場合は事情が違い、人類最強と互角の殴り合いをした男へ、誰が好き好んで「教育」を仕掛けるのかという話になる。
ミケ自身、ディエゴから直接何かされたわけではなかった。それでも、あの新兵から新兵らしからぬものを感じることは何度もある。戦い方や視線、相手との距離の測り方だけではなく、危険な状況に置かれた時の落ち着き方まで明らかに違っていた。まるで十代の若者ではなく、何度も死線を越えてきた歴戦の兵士を相手にしているような感覚を抱くことさえあった。
「それで、芋女と何の関係があるのですか?」
ミケが尋ねると、リヴァイは僅かに嫌そうな顔をした。
「最近、新兵のアルミンが妙な提案をしてきやがってな」
「何でしょう」
「ディエゴに何か言わせたいなら、サシャを通せと」
ミケは一瞬黙った後、鼻で小さく笑った。
「あのディエゴが?」
それから少し考え、冗談半分に尋ねる。
「デキているのですか?」
「多分そういうんじゃねえ。芋女の方は……まあ、そうなんだろうがな」
「ディエゴは?」
「知らねえ。本人も分かってねえんじゃねえか。ただ、あいつはサシャの言うことだけは妙に聞く」
ミケが少し興味を持つ。
「本当に?」
「俺もこの目で見た。他の班員が言えば一言余計に返してくるようなことでも、芋女が『やめた方がいいですよ』って言うとな。文句を言いながらもすっとやめやがる」
「それは……面白いですな」
「だろ。だから使える。あいつに班を持たせるなら、サシャを同じところへ入れとけ。少なくとも話は通りやすくなる」
◆
その会話を思い出したミケは、北側へ向かうサシャと、その少し後ろに立っているディエゴを交互に見た。
「ディエゴ!」
「はい?」
「お前は北だ! サシャ・ブラウスの案内で周辺集落を確認しろ!」
ディエゴは特に不満そうな顔もせず、軽く片手を上げた。
「アイアイサー」
ミケは一瞬だけ何とも言えない表情になったが、今は注意する時間すら惜しいため、そのまま次の指示へ移った。
◆
巨人発見の報が届いてから、およそ五時間後。北へ向かった班は、サシャの故郷がある森の近くまで到達していた。
途中でいくつかの集落を確認したものの、多くはすでに住民が避難した後だった。ディエゴは周辺の確認を他の兵士たちへ任せ、自分はサシャとともにさらに奥へ進んでいく。
「あれです!」
サシャが馬上から前方を指した。
「あれが私の村です!」
木々の向こうには、小さな家屋がいくつも見えていた。村が完全に破壊されている様子がないこともあり、サシャの声には僅かな安堵が混じっている。
しかし、ディエゴは同じようには安心しなかった。
村へ近づいたところで、鼻が異質な匂いを拾った。ほぼ同時に、サシャも地面へ残された大きな足跡へ気づいて馬を止める。
「……これ」
「いるな」
ディエゴの短い答えに、サシャが顔を上げた。
「巨人ですか?」
「ああ。ただ、匂いからするとそれほど大きくない」
「何体くらいです?」
ディエゴは風向きを確かめるように僅かに鼻を動かし、周辺へ残る匂いを探った。
「おそらく一体だ」
サシャが僅かに息を呑む中、ディエゴは村全体を見渡しながら、すぐに方針を決めた。
「お前は西側から入れ。オレは東から確認する」
「分かれて大丈夫ですか?」
「一体しかいないなら、その方が早い。結果的に挟み撃ちの形にもなる」
ディエゴはそこでサシャへ視線を戻した。
「ただし、出会ったら戦うな。オレを呼べ」
「でも、もし誰かが襲われてたら……」
「それでもだ。馬があるならまず逃げろ。距離さえ取れば、おそらくこの巨人の大きさなら追いつかれにくい」
サシャは少し迷った後、頷いた。
「分かりました」
それから自分の馬を西へ向ける直前、もう一度ディエゴを振り返る。
「ディエゴも、無事でいてくださいね」
「オレの心配なんかしてる場合か」
「でも一応です!」
それだけ言うと、サシャは手をブンブンこちらに振って馬を走らせた。
ディエゴはその背中を見送りながら、自分自身のことを考えるべき場面で、どうしてこちらの心配までしているのかと僅かに眉を寄せた。巨人がいる村へ入ろうとしているのはサシャも同じなのだから、自分の安全を気にしていればいい。それでも平然と他人の心配までしてくるところが、相変わらず調子の狂う女だった。
◆
サシャが村の西側へ入ると、家々の間は不気味なほど静まり返っていた。人の声はもちろん、家畜の鳴き声すら聞こえない。
すでに住民の多くが避難した後なのだろう。そう考えれば安心できるし、むしろ誰も残っていない方がいい。
サシャは馬をゆっくり進ませながら周囲を確認していったが、一軒の民家の前まで来たところで馬が僅かに怯えた。
見ると、家の扉が完全には閉まっておらず、風に煽られるたびに軋んだ音を立てている。それだけなら何でもないが、その中から別の音まで聞こえてきた。
何かを噛み、肉を引きちぎるような湿った音だった。
サシャの喉が小さく鳴る。
――まだ住民の人が残ってて、呑気にお肉を食べてる……って考える私は、おめでたいですかね。
本当は分かっている。そんなはずはない。それでも、そうであってほしいという気持ちを完全には捨てきれなかった。
サシャは馬から降りると、家の横へ立てかけられていた斧を掴み、音を立てないよう慎重に中へ近づいていった。
そして、扉の隙間から中を見た瞬間、その淡い期待は完全に消えた。
小型の巨人が床へ這うような姿勢で、一人の女性の身体を食べていた。
サシャは考えるより先に家へ踏み込んだ。
「このっ!!」
斧を振り上げ、そのまま巨人の首筋へ叩き込む。刃が肉へ食い込んだものの、深さが足りない。
巨人はゆっくりと顔を向けただけだった。
サシャが斧を引き抜く間にも傷口から蒸気が上がり始め、切り裂いた部分がすぐに塞がっていく。この程度の傷では倒せないうえ、食われている女性はすでに助からない。
そう判断しかけた時、サシャの視界の端に小さな人影が映った。
「こ、子供……!?」
女性のすぐ横に、幼い少女が座っていた。
逃げようともせず、泣いてもいない。ただ虚ろな目で、母親が巨人に食われていく光景を見ている。
その姿を認識した瞬間、サシャの身体は勝手に動いていた。少女の腕を掴み、強引に立ち上がらせる。
「行きますよ!」
少女から反応はない。
それでも、ここへ置いていくわけにはいかなかった。
サシャは食われている女性へ一度だけ視線を向ける。
「……ごめんなさい」
助けられない。
それでも、この子だけは連れていく。
少女の手を握ったまま家から飛び出し、サシャは後ろを振り返らず走った。まず馬へ乗せることができれば逃げ切れるはずだと考えていたが、その矢先、巨人の匂いと物音に怯えていた馬が限界を迎えた。
「ちょ、ちょっと!?」
手綱へ手を伸ばすより先に、馬が走り出す。
「嘘でしょ!? あなた、どこ行くんですかぁぁぁ!!」
当然、馬は戻ってこなかった。
サシャは一瞬絶望したものの、家の中から巨人が動き始める音が聞こえ、すぐに思考を切り替えた。
時間はない。
周囲を見回すと、近くに狩猟用の弓と矢筒が置かれている。サシャはそれを掴み、少女の手を引こうとした。
そこで、初めて少女が口を開いた。
「お母さんは置いていくの?」
サシャの動きが止まった。
少女は虚ろな目のまま続ける。
「誰も助けてくれなかったのに、どこに行くの?」
「……」
「それに、なんでそんな喋り方なの?」
サシャの目が見開かれた。
敬語。
自分が故郷の訛りを隠すため、ずっと使ってきた話し方だった。
以前、ユミルからそのことを指摘され、クリスタからも自分らしく話していいと言ってもらったことがある。そんな思い出が一瞬だけ脳裏をよぎったものの、少女の目を見た瞬間、それすら吹き飛んだ。
泣いているわけでもなければ、怒っているわけでもない。ただ、最初から何も期待していない人間の目をしている。
どうせ誰も助けてくれない。
弱い人間は見捨てられる。
自分を守れるのは自分しかいない。
このまま生きれば、きっとそういうことだけを覚えていく。
そして、なぜかその瞬間、サシャの頭にはディエゴの顔が浮かんだ。
サシャはディエゴの過去など知らない。どこで生まれ、どんな子供時代を送り、なぜあれほど上へ立つことに執着しているのか、その理由を一つも聞いたことがない。
それでも、妙に鋭い直感が胸の奥で何かを訴えていた。
――この子、このままだったら……ディエゴみたいになる。
もちろん、顔や性格が似るという意味ではない。もっと根本的なところで、他人へ期待することをやめ、自分以外を信用せず、弱ければ奪われるのだから強くなるしかないと考え、誰かを利用してでも上へ行かなければ自分は守れないと信じるようになるかもしれない。
そう考えた瞬間、サシャの中から迷いが消えた。
自分がディエゴを放っておけないのなら、この子を放っておけるはずもない。
世の中には頼っていい人間もいれば、手を伸ばしてくれる人間もいる。世界は確かに残酷だが、残酷なものだけで出来ているわけではない。
それを今、この子に教えなければならない。
巨人が家から出てきた。
少女が振り返る。
その瞬間、サシャは腹の底から声を出した。
「走らんかい!!!!」
少女の目が大きく見開かれ、それまで死んだように虚ろだった瞳に初めて明確な意志が宿った。
「走るんや! 振り向かんと、まっすぐ行き!」
少女は一瞬だけサシャを見た後、言われた通り走り出した。
それを確認すると、サシャは弓を構えた。
一射目を放ち、矢が巨人の顔へ刺さる。それでも巨人は止まらないため、続けてもう一射を放ったが、巨人は矢など気にも留めずこちらへ近づいてくる。
矢筒へ手を伸ばす。
残っているのは一本だけだった。
これを外せば、後ろを走っている少女まで追いつかれる。しかし、自分がここで攻撃へ踏み込めば、巨人の腕が届く距離へ入ることになる。
一瞬だけ恐怖が全身を包み、トロスト区で巨人に掴まれかけた感覚まで蘇ってきた。指が僅かに震えたものの、それでもサシャは逃げなかった。
「でやあああああああああ!!」
最後の一本を弓につがえることすらせず、右手で握った。
巨人の腕が伸びてくる。
サシャは腰を落としてその手の下へ潜り込み、指先が髪を掠めても止まらず、さらに一歩踏み込んだ。
「うあああああっ!」
握った矢を、巨人の目へ直接突き刺す。
深く刺さった。
それでも巨人は倒れず、痛みなど感じていないかのように反対の手をサシャへ向けて伸ばしてくる。
この距離では避けられない。
そう判断した瞬間、横から聞き慣れた声が飛んできた。
「だから言っただろう、オレを呼べと」
次の瞬間、サシャの身体が宙へ浮いた。
「え?」
腰を強い腕に抱かれ、そのまま一気に巨人の手が届かない位置まで運ばれる。視界の端を銀色の鬣が流れ、シルバー・バレットの背にいる男の顔がすぐ目の前にあった。
「ディエゴ……?」
「何だ、その顔は。昼間から亡霊でも見たって顔だな」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。恐怖で固まっていた身体が相手を認識した途端に力を失い、サシャは反射的にディエゴの服を掴んで、そのまま身体を寄せていた。
あまりにも自然に抱きついていたため、自分でもそれに気づいていない。
ディエゴは僅かに眉を上げたが、特に何も言わなかった。
だが次の瞬間、サシャは我に返った。
「ディエゴ! 巨人と女の子は!?」
「ああ、あれか。とっくに始末したぞ」
「……え?」
顎で背後をさす。サシャも慌てて後ろを振り返った。
そこには首からうなじにかけて大きく削ぎ取られた巨人が倒れ、身体から大量の蒸気を上げていた。
サシャを見つけた瞬間、ディエゴはシルバー・バレットを巨人と彼女の間へ突っ込ませ、左腕でサシャを抱き上げるのとほぼ同時に、右手の刃で首筋からうなじまでを一気に切り裂いていたのである。
あまりにも速かったせいで、救われた本人すら巨人が倒された瞬間を見ていなかった。
「す、すご……」
「このDioからすればあの程度、恐れるものじゃあない」
「それはそうですけど……」
サシャが呆然としていると、ディエゴは少し先へ視線を向けた。
「それより、女の子ならあそこだ」
「え?」
道の先には小さな段差があり、その向こう側を何頭もの馬が走っていた。避難していた村人たちらしく、その中の一頭には先ほどの少女が乗せられている。
もう虚ろな顔ではない。
後ろを振り返ってサシャを見つけると、小さく手まで振っている。
「よかった……」
サシャが安堵した直後、その一団の先頭にいる人物がこちらへ気づいた。
「サシャ!!?」
「……お父さん?」
サシャの父親だった。
娘が無事であることを確認した瞬間、明らかに安堵した顔になる。
ところが、その視線がサシャのすぐ横へ移動したところで表情が変わった。
「……誰だ、その男は?」
「え?」
サシャは一瞬、何を聞かれているのか分からなかった。
父親はシルバー・バレットに乗っているディエゴをじっと見ている。
「あっ、この人は……」
サシャは慌てて紹介しようとした。
「この人は私のす――」
言葉が喉で詰まった。
自分で何を言おうとしたのか理解した瞬間、顔が一気に熱くなる。
「ど、同期のディエゴ君や!!」
思いきり声が裏返った。
父親は微妙な顔をしていたが、それだけではなく、周囲の村人たちまでこちらを見ながらクスクスと笑い始めた。先ほど助けた少女まで、馬の上で楽しそうに笑っている。
「な、何ですか?」
サシャだけが状況を理解できていない。
父親はまず娘をしばらく見た後、一つ咳払いした。
「サシャ」
「な、何?」
「この子を助けたのは、お前だそうやな」
「……うん」
「立派になったな」
その一言を聞いた瞬間、サシャの表情が変わった。
父親は穏やかに笑っている。
「色々と聞きたいことはある。せやけど、その前にな」
もう一度ごほんと咳払いし、今度はディエゴへ顔を向けた。
「まずはサシャを降ろしてやってくれんか、ディエゴ君」
「……え?」
サシャが自分の身体を見る。
そこでようやく気づいた。
まだディエゴに抱えられたままだった。
しかも落ちないようにするためなのか、片腕を首元へ回し、反対の手では服をしっかり掴んでいる。どう見ても、助けられた直後の一時的な体勢ではなく、お姫様抱っこに近い形のまま父親や村人たちと話していたことになる。
「~~~~ッ!!」
サシャの顔が耳まで真っ赤になる。
ディエゴはそんな彼女を見下ろし、いつもの調子で言った。
「馬が見つかったんなら、早いところ降りてくれると助かるんだが」
「い、言ってくださいよぉぉぉ!!」
「気づいてると思ったんでな」
「気づいてませんでした!!!!!」
サシャは慌てて地面へ降りたものの、足を着けた後も恥ずかしさのあまりディエゴの方をまともに見ることができなかった。
その様子を見た父親は、さらに複雑そうな顔になった。
「ディエゴ君」
「何だ?」
「君からも一応、納得のいく説明を聞きたいんやが……」
笑っているようにも見えるが、目だけは妙に真剣だった。
ディエゴは首を傾げる。
「…?」
「お父さん!!」
サシャが即座に割って入った。
「私が話すけ! 恥ずかしいからやめて!!」
「いや、しかしな、サシャ」
「なんもないから!!」
「せやかてお前、さっき『私のす』まで言うたやないか」
「聞いてたん!?」
「みんな聞いとる」
周囲の村人たちが一斉に笑い、サシャはその場へしゃがみ込みたくなるほど顔を赤くした。
ディエゴだけは話についていけていないようで、父娘のやり取りをしばらく眺めた後、面倒そうに肩を竦めた。
「やれやれ」
その何気ない一言でさえ、今のサシャには妙に腹立たしく、それでも同時に少しだけ安心できた。
だが、ディエゴの表情は無…もっと言うと、何も彼の瞳には映っていなかった。
(知性巨人がいればと思ったのだが…スカしたか。せいぜいこのDioから逃げ回っていろ。残り少ない自由を謳歌できるうちにな…)