ストヘス区の通りでは、調査兵団が民間人を殺害したという話が広まり始めていた。憲兵が配る紙にはリヴァイの人相書きが載り、建物の壁にも、逃走者の情報を求める告知が貼られている。人の流れを避けて身を潜めていた一同のもとにも、その知らせは届いていた。
アルミンは手に入れた紙へ目を落とし、小さく息を吐いた。こちらの言い分を聞いてもらう機会もなく、街ではすでに自分たちが悪党として扱われている。団長と連絡を取り、散らばった仲間を集めることさえ、簡単にはできない状況だった。
「これじゃあ、調査兵団は解散状態だね……」
「もう何もかも駄目な気がするぜ」
ジャンは壁へ背を預け、天井へ目を向けた。疲れているだけではなく、この先に待っているものを考えるほど、嫌な想像しか浮かばなくなっていた。足元の影をしばらく見つめてから、投げやりな調子で続けた。
「てっきり巨人に食われるんだと思ってたが、人から恨まれて晒し首とはな」
「まだ希望はあるよ!」
アルミンは顔を上げ、ジャンへ向き直った。自分まで同じように俯いてしまえば、今掴んでいる手掛かりまで見失いそうだった。紙を畳み、残っている道を確かめるように話した。
「一時は見失ったけど、ディエゴの鼻と兵長の機転で、ストヘス区の葬儀屋を装っているのがあの連中だと分かったじゃないか。レイス卿さえ押さえれば、きっと状況を変えられる」
「だとしても……オレは、やっぱり人殺しなんてごめんだぞ。兵長の命令でも、できる気がしねえ」
ジャンの言葉に、すぐ返事をする者はいなかった。相手が人間であることは分かっていても、その命を奪うかどうかまで、自分の問題として決めていたわけではない。コニーも口を閉じたまま、落ち着かない様子で手を握り直した。
「何だ。怖いのか?」
少し離れて座っていたディエゴが、薄く笑った。ジャンは反射的にそちらを睨み、言い返そうとして身を起こした。しかし、その顔を見たところで、補給塔で起きたことを思い出した。
「てめえ……いや、お前は、あの時だって…」
コニーも同じ光景を思い浮かべたらしく、ディエゴを見つめた。あの場では助かったという思いが先に立ち、そこで何が行われたのかを、立ち止まって考える余裕がなかった。だが今、同じことを自分にもできるのかと考えると、簡単には頷けなかった。
「お前……あんなに容赦なく、人をやれるもんなのか?」
「フン…なんならお前もやってみりゃあいい。思ったより大したことはないぞ」
サシャもその場を見ていたため、二人が何を思い出しているのか分かった。ディエゴには、目的のためなら人間性さえすぐに捨て去れる一面がある。彼がそれを切り捨てる時、その人間性は、パンの食べかすほどの重みさえ持たないのかもしれなかった。
「お前はともかく、オレたちは、こんな暴力組織に入ったつもりはねえんだよ」
ジャンは膝の上へ置いた拳に力を込めた。入団を決めた時、何のために心臓を捧げたのかを、今ここでなかったことにはしたくなかった。胸へ手をやり、ディエゴの目を見返した。
「あの時、人類を救うために、この身を捧げたんだ」
「なら、お前たちにはっきり言っておく」
ディエゴは椅子から立ち上がり、一同を見回した。からかっていた時の笑みは消え、声にも余計な響きがなくなった。その変化を見て、サシャは知らず知らずのうちに背筋を伸ばした。
「オレはヒストリアを護衛する。任務もあるだろうが、それだけじゃあない。オレが守りたいから、オレ自身の命令で護衛する」
「……何の話だよ?」
「奴らも、当然抵抗するだろう。連れ去った人間を、黙って返すわけがない。その時、手加減する余裕はない」
サシャはごくりと唾を飲み込み、ディエゴの顔を見つめた。人をどう扱うかを、目的のための判断だけで決めている時の目だった。補給塔で見たものと同じ、人間性を切り離したようなその目を、今は人殺しの目なのだとはっきり感じた。
「どうするかは、お前たちが決めておけばいい。だが、オレの方は決まっている」
ジャンは言い返そうとしたが、ディエゴの目を見たまま口を閉じた。自分たちを納得させるために話しているのではないと、ようやく分かったからだった。そこにあるのは相談ではなく、すでに選び終えた者からの通告だった。
「オレは奴らを殺す」
部屋の中が静まり返り、外から聞こえる物音だけが耳へ入った。ジャンもコニーも、アルミンさえ、すぐに言葉を返せなかった。怒鳴られたわけでも脅されたわけでもないのに、その目を向けられるだけで、身体の内側が冷えていくようだった。
この男は、補給塔以外でも人を殺しているのだと、三人は直感的に理解した。そうでなければ、命を奪うという言葉を、これほど何でもないことのように口にはできない。目の前にいる相手の、それまで知っていた強さとは別のものが、急に輪郭を持ち始めていた。
ミカサもまた、黙ったまま息を呑んでいた。自分にも人の命を奪った経験はあるが、それだけでディエゴの言葉へ同意することはできなかった。恐らく彼は、自分より多くの人間を殺しているか…もしくは生まれついてそういう素養があるのか。とにかく、命を奪うことについてHBの芯をへし折るよりも何とも思わなくなるほどのところまで来ているのだと感じ、背中へ冷たい汗が流れた。住んでいる世界が我々と異なっている。
「だ、駄目です……!」
重く張り詰めた沈黙を破ったのは、サシャだった。声が震えていることは自分でも分かり、ディエゴがゆっくりとこちらへ顔を向けるだけで、膝から力が抜けそうになった。それでも、目を逸らすことはしなかった。
「殺すな……と?」
その目は、まだ先ほどと同じままだった。空気そのものが震えているような威圧感に、サシャは呼吸を浅くした。次の言葉を探そうとしても、怖いという思いが先に立ち、喉がうまく動かなかった。
それでも、自分まで黙ってしまいたくはなかった。誰からも見放されたことがあるのかもしれないこの男を、手の届かない場所へ行かせたくなかった。目の前で悪魔のようなことをしようとしているのなら、せめて自分だけはその手を止める側にいたかった。
味方でいたいという思いは、何をしても頷くこととは違っていた。好きな人に、そんなことをしてほしくなかった。既に魔道に落ちていたとしても、彼とは人として手を取りたい。声が震えても、拒まれても、ここで言わずに済ませる方が怖かった。
「難しいのはわかってます…でも、私たちの敵は巨人であって人間ではありません…!
私はそんなことのために調査兵団に入ったんじゃあ、ありません…!ディエゴも、そうじゃあないんですか…?」
ディエゴはすぐには答えず、サシャを見ていた。怯えていることは隠しようもなく、彼女の指先にも力が入っている。それなのに、目だけは自分から離さなかった。
「私たちがしなきゃいけないのは、ロッド・レイスを倒して、ヒストリアとエレンを守ることです。向かってくる人みんなを殺すことじゃありません!」
サシャは一度息を吸い、止まりそうになる声を押し出した。理屈を並べて勝てる相手ではないと分かっていても、伝えたいことは変わらなかった。ディエゴが守ると決めたものを、別のやり方でも守れるはずだと思いたかった。
「それに、ヴァレンタインさんが何とかしてくれるって言っていたじゃないですか。ディエゴなら二人を守れます。だから、まだ殺すって決めないでください……!」
(…なんだ?こいつ…しかし…)
ディエゴには、それが本気で分からなかった。怖がっているくせに、なぜそこまでして、自分がしようとしていることを止めるのか。危ないから戦うなと言っているのではなく、自分なら勝てると信じた上で、殺すなと言っているのである。
――――くだらない。死んでからも同じ寝言が言えるのならいいがな。
そう言い返すことは簡単だ。簡単なはずなのに、どういうわけかその気にならなかった。こいつと話すとどうにも調子が狂い、いつものように相手を黙らせる言葉が口まで上がってこない。ディエゴはしばらくサシャを見た後、長く息を吐いた。
「……分かった。守るだけだ。これでいいか?」
サシャの顔から、ようやく張り詰めたものが解けた。身体の震えまで一度になくなったわけではなかったが、ほっと息をつき、彼へ笑みを向けた。その目には、言ってよかったという安堵が浮かんでいた。
ジャンとコニーは顔を見合わせ、それから、サシャとディエゴをもう一度見た。さっきまで誰も言葉を返せなかった相手が、本当に引き下がっている。コニーがそっと身を寄せると、ジャンも声を落とした。
「サシャが一番強えって話……本当だったんだな」
「ああ。今、目の前で見ちまった」
ミカサは二人の囁きを聞きながら、わずかに口元を緩めた。サシャがディエゴへ向けている気持ちには、ここ最近、気づいていた。それでも、大切な相手のために恐怖を押し殺し、真正面から向き合える強さがあることを、今は尊敬していた。
好きな人のために行動できる姿は、同じ女として、かわいらしくも好ましくも思えた。ミカサは、まだ少し緊張の残っているサシャの横顔を見た。剣を振るえることだけが、人を守る強さではないのだ。
アルミンもまた、自分にはできなかったことをしたサシャへ、敬意を抱いていた。だが、ディエゴがそばを通り過ぎる時、こちらへだけ聞こえる声で言ったため、顔を上げた。彼の表情には、もう先ほどの困ったような色はなかった。
「人の怒りは増幅する。守るだけで済むはずがない…事が簡単に運ばなくなれば、覚悟しておけ」
アルミンは答えず、その背中を見送った。サシャが手を止めさせたことで、相手がこちらを殺すのをやめるわけではない。その時の判断を、誰か一人へ押しつけたままにはできないのだと、腹を決めた。
*
リヴァイとニファは、別の場所から追跡を続けていた。街の建物を見渡せる屋根の上で、ニファは周囲へ目を配りながら、次に動く方向を確かめている。リヴァイも下の通りを見ていたが、不意に、すぐ近くへ迫った気配に顔を上げた。
「兵長……?」
ニファが彼へ向き直るより早く、銃声が響いた。彼女の身体が崩れ、屋根へ倒れた後も、その目が再びリヴァイを捉えることはなかった。反射的に身を低くしたリヴァイは、もう届かない手を伸ばす代わりに、現れた男を見た。
帽子の下から、見覚えのある顔がこちらを向いていた。ケニーは銃を構えたまま、長く会っていなかった相手へ挨拶をするように笑った。その姿を認めた瞬間、リヴァイの口から名が漏れた。
「ケニー……!」
さらに周囲から人影が現れ、銃口が向けられた。ニファが息絶えたことを確かめる時間すら与えられず、リヴァイは屋根を蹴った。次の銃弾がいた場所を打ち、砕けた破片が背後へ散った。
追ってくるのは巨人ではなく、人を狙うための装備を身につけた兵士たちだった。リヴァイは建物の縁を越え、壁を使って進む方向を変えながら、射線から外れ続けた。下の通りで悲鳴が上がっても、立ち止まれば、そのまま撃ち抜かれると分かっていた。
ケニーも同じように街を渡り、距離を詰めてきた。リヴァイは追跡を切れないと判断し、通りに面した酒場へ逃げ込んだ。外から撃ち込まれない場所を探して身を伏せ、手にした刃を握り直したところで、店内の異様な静けさに気づいた。
棚には酒が並び、テーブルも椅子も、そのまま残っていた。それなのに客の姿がなく、カウンターの向こうにも店主がいない。逃げ込んできたリヴァイを見る人間は、部屋の奥にいる一人だけだった。
その男は慌てるでもなく、こちらへ目を向けていた。顎には髑髏を思わせる形の髭があり、顔立ちには、妙な哀愁と男の色気が漂っている。銃声を聞いて隠れていた客には見えず、リヴァイはその立ち姿へ警戒を向けた。
外から靴音が近づき、入口の方で気配が止まった。リヴァイは男からも目を離さないまま、追ってきた相手へ身体の向きを変えた。聞こえてきたのは、嫌になるほど覚えのある声だった。
「どうも、この店から薄汚ねえドブネズミの匂いがするぜぇ」
ケニーは扉を開け、銃を向けたまま中へ入ってきた。追い詰めた相手を見つけることまで、すでに楽しんでいるような顔だった。店内へ足を進めると、笑い声を交えて言った。
「みーつけた、リヴァイ! 憲兵様が悪党を殺しに来たぜ! バン、バン――」
途中でケニーは目を細め、言葉を止めた。酒だけは並んでいるのに、客も店主もいないことに気づいたのである。目の前にいるのは、かつて処世術を教えてやった小さなリヴァイと、見知らぬ男の二人だけだった。
「よろしくお願い申し上げます」
男はケニーへ向き直り、静かに頭を下げた。挨拶を受ける場面でも、これから無事に別れる場面でもないはずなのに、その態度はひどく丁寧だった。ケニーは答えず、邪魔なら先に撃てばいいと、銃口をそちらへ動かした。
「その位置ではない」
男は頭を上げ、銃口ではなくケニーの目を見た。引き金へ指がかかっていることも、気にしていないようだった。向かい合ったまま、落ち着いた声で続けた。
「オレを殺すには……もう少し、距離が足りない」
「ああん? イカれてんのか、お前」
リヴァイは二人のやり取りを見ながら、ニファが伝えた話を思い返した。第一憲兵は、ヴァレンタインが何とかするという約束だった。この男がそのために寄越された私兵なのだと、理由を確かめるより先に直感した。
その時、屋根の上から悲鳴が響いた。銃声ではなく、人の声だけが唐突に上がり、途中で掠れて途切れていく。ケニーはわずかに顔を動かし、窓の向こうへ注意を向けた。
「おげ……ぐああああッ!」
「ひぃいいいッ!」
重いものが屋根を打ち、続いて地面へ落ちた音がした。別の場所でもくぐもった呻きが上がり、建物を囲んでいた兵士の気配が、一つずつ崩れていく。撃ち合っている様子も、誰かが刃を振るう音もないのに、外の状況だけが変わり始めていた。
ケニーの背中に、今までとは違う寒気が走った。部下が何に襲われているのか分からず、店の中から指示を出すにも、相手の姿が見えない。先に外へ出て状況を確かめようと、入口へ向き直った。
扉へ手を伸ばし、外の明るさが目に入ったところまでは覚えていた。それなのに、次に見ていたのは、店の奥に立つ男の顔だった。自分はまた店内にいて、銃を手にしたまま、男と向き合っていた。
「……あ?」
ケニーは声を漏らし、すぐに口を閉じた。扉へ向かったはずの足が、いつの間にか元の位置にある。戻ってきた記憶も、誰かに引き戻された感覚もなく、その顔には、隠しようのない怪訝さが浮かんだ。
リヴァイも目を見開き、ケニーと入口を見比べた。確かに今、あいつは外へ出ようとしていたはずだった。だが、目の前では、最初からその場所に立っていたように、男と向かい合っている。
外からはなおも悲鳴が聞こえ、屋根を擦る音と、苦しげな呻きが続いていた。ケニーは舌の奥へ力を込め、もう一度入口へ向かった。今度は扉までの床を確かめながら歩き、外へ身体を出そうとした。
しかし、顔を上げた時、また同じ男が正面にいた。入口ではなく、店の中の景色が広がっている。ケニーは動きを止め、今度こそ、自分の身に起きたことを見過ごせなくなった。
「……あ?」
リヴァイも、どう動くべきか決められずにいた。外では兵士たちが倒れ、内側では、扉へ向かった人間が理由も分からず戻ってくる。逃げるにしても戦うにしても、あるいは目の前の男へ話しかけるにしても、何を基準に判断すればいいのかが見えなかった。
その迷いを見て取ったのか、男は静かにケニーへ語りかけた。外の悲鳴にも、向けられた銃にも注意を逸らさず、ただ目の前の相手へ向き合っている。最初から、この場所で何をするかは決まっているようだった。
「正しい道は一つだ。ここを出ていきたくば……オレを殺すしかない」
ケニーは舌打ちをし、男を睨みつけた。どこから湧いたのかも分からない相手に、進む道まで決められる筋合いはない。話へ付き合っている間にも外で部下が倒れているのだと、無視して扉へ向き直った。
「チッ……気狂いが。勝手に言ってろ」
今度は取っ手を掴み、扉を開けるところまでを、一つずつ意識していた。木の感触も、身体へ触れた外の空気も、確かにあった。だが、そのまま進んだはずのケニーは、また店の中で、男の顔を見ていた。
「……あ?」
三度目になって、ケニーの顔から、無理に保っていた笑みまで消えた。リヴァイもまた、背中へ冷たい汗が流れるのを感じていた。何が起きたのかは分からなくても、この男が何かをしているということだけは、二人とも疑えなくなっていた。
ケニーは自分の足元を見たい衝動を堪え、男から目を離さなかった。今ここで注意を逸らすことが、取り返しのつかない隙になる気がしたからだった。男はその視線を受け止め、さっき言われた言葉へ答えるように口を開いた。
「オレを気狂いと呼びたければ、そう呼んでも構わない。実際、狂っているのかもしれない。だが、正しい道は一つだ」
外からはなおも悲鳴が響き、声にならない呻きがその間へ重なっていた。誰かが倒れたのか、重い音が店の壁を伝わってくる。それでも男の声は変わらず、周囲の混乱に呑まれる様子がなかった。
「ここを出ていきたければ、オレを殺すしかない。それが進むべき道であり、いずれ決断しなくてはならない事柄だ」
ケニーは言葉を返せず、銃を握る指へ力を込めた。脅しているだけでも、逃げ道を塞いで得意になっているだけでもない。この男は本気でそう信じ、そのために、今起きている事態を作り出したのだと分かった。
相手の気を変えさせる言葉や、外へ誘い出す駆け引きを考えても、役に立つ気がしなかった。どう逃げるかという問題そのものを、目の前の男に潰されていた。自分を先へ進ませないものが何なのかを、三度も確かめさせられたのである。
男はそこで初めて、リヴァイへ目を向けた。ケニーへの警戒が消えたわけではなく、同じ空間にいるもう一人を、今はどう扱うか決めたような動きだった。その視線を向けられ、リヴァイは刃を握ったまま応じた。
「リヴァイと言ったな。お前にも興味はあるが……まずは、ここを出ていけ」
リヴァイはすぐには動かず、男の顔を見た。自分は外へ出ても構わないという意味なのか、その場を離れること自体が何かの条件になるのか、分からなかった。男はその警戒を責めることなく、続けた。
「オレは、あのお方から彼を何とかするよう頼まれたのだ。だから、これはオレの事柄だ」
リヴァイは男とケニーを見比べ、ようやく残るかどうかを決めた。エレンとヒストリアは、まだ連れ去られたままであり、ここに足を止め続けるわけにはいかない。この場を引き受けるという相手へ、短く言った。
「……死ぬんじゃねえぞ」
それだけ告げると、リヴァイは入口ではなく、窓の方へ向かった。ケニーへ背中を見せきらない位置を選び、ゆっくりと窓を開ける。外へ足をかけても景色が戻ることはなく、窓枠を越えた身体へ風が当たった。
近くの屋根では、兵士の一人が口元を押さえて崩れていた。その少し向こうに、全身を黒で覆った男が立っているのが見えた。こちらへ向いた目は白い部分まで黒く、倒れる兵士のそばにいるのに、何かを振り下ろした様子もなかった。
外で起きていることもまた、自分の知る戦い方ではないのだと、リヴァイは悟った。だが、その男はこちらへ襲いかかっては来ず、店内から撃たれることもなかった。リヴァイは迷いを切り、追わなければならない二人の行き先へ意識を戻した。
ケニーは、窓へ向かったリヴァイを撃とうとすら思わなかった。以前なら逃すまいと銃口を向けたはずなのに、今は、正面にいる男から目を離す方が恐ろしかった。その一瞬で、自分の未来がなくなるかもしれないという感覚があった。
対人制圧部隊を率い、人を相手にしてきた中でも、これほどの重圧は初めてだった。自分が仕留める側だと考えて始めた追跡が、どこで変わったのかも分からない。気づけば、目の前の一人を倒さなくては、自分が先へ進めなくなっていた。
銃を下ろすことも、相手を無視することもできなかった。店の外では、部下たちの声がなおも響いている。その中で、ケニーは男の目を見返し、自分がここで何をしなければならないのかを、ようやく受け入れた。
その瞳を見定めるように、男――リンゴォ・ロードアゲインは、静かに頷いた。待っていた答えが、言葉にされるより先に届いたようだった。
「心は決まったようだな」
リンゴォはそう言うと、最初と同じように頭を下げた。これから命を奪い合う相手へ向けるには、あまりに丁寧で、落ち着いた礼だった。
「よろしくお願い申し上げます」