ロッドは床に倒れたエレンを引き起こし、奥の壇へ運んだ。柱の間に設けられた拘束具へ腕を固定し、口元にも金具を当てて鎖で留めた。切られた右腕からは微かな蒸気が上がっていたが、その傷を気にする様子はなかった。
ヒストリアは、その作業を少し離れたところから見ていた。止めなければと思っても、さっき刀を振るった父の姿が頭から離れなかった。ロッドは鎖の具合を確かめると、鍵束を腰へ戻し、娘へ向き直った。
「人類のためを思えば、こうするしかなかったのだ」
ロッドは、やむを得ない事情を説明するように言った。エレンを傷つけたことへの動揺も、ヒストリアが怯えていることへの気遣いも、その声にはなかった。
「ケニーは……恐らく、ヴァレンタインに始末されているだろう。ニック司祭も、商会の男も、ケニーに殺された。だが、こうするより、ほかになかった」
「どういうこと……?」
ヒストリアは、父の言葉を聞き返した。知っている名が出ても、その死が、どうして自分たちを連れ去る理由になるのか分からなかった。ロッドは、理解させるための説明を選んでいるような間を置いた。
「ヴァレンタインは貴族であり、中央に圧倒的に顔が利く。その上、司祭の力も、商会の力も使って、お前たちを自分のものにしようとしていた。あの男の独裁のためにな」
ヒストリアは、口の中が乾いていくのを感じた。ロッドは彼女の顔を見ながら、言葉を続けた。
「邪魔な人間を消すことに、あの男は何の躊躇もない。お前も見ただろう」
白い布が地面へ落ち、その下から誰もいなくなった光景を、ヒストリアは思い出した。母がどこへ消えたのか、今でも分かっていなかった。喉を鳴らして唾を飲み込み、小さく頷いた。
「司祭も商会も私が手を伸ばさなければ。今ごろお前たちをヴァレンタインのもとへ送っていただろう。エレンと、お前の力を悪用させるために」
そういう事情だったのかと、ヒストリアは納得しかけた。ヴァレンタインが恐ろしい男であることは知っており、あの力から逃れたいと思うのも理解できた。だが、父の話をそのまま信じようとするたびに、胸の奥で何かが引っかかった。
司祭や商会が本当に手を組んでいたかは、この場では確かめられなかった。それ以上に、こちらを説得する言葉の中へ、自分の気持ちが置かれる場所がないように思えた。正しい行動をしていると納得させようとはしても、怖かったか、痛いところはないかと尋ねることは、一度もなかった。
まだ疑問はある。そもそも父は、あれほど強い男だったのだろうか?エレンは訓練兵の中でも、対人格闘で上位を争っていた。その相手を、刀を抜くところさえ見せずに傷つけ、たった一撃で気絶させていた。父とは、そういうレベルだったのか?
「私とて、何も準備しなかったわけではない」
ロッドが、ヒストリアの視線を追うように腰へ手をやった。そこには、装飾を施された刀が差されている。彼女は、刃が鞘へ収まっていることを確かめてから尋ねた。
「ヴァレンタインが来ても問題ないようにしたつもりだ」
「それが……その剣なの?」
「そうだ。これさえあれば、刺客など恐れるに足らん」
柄へ置かれた父の手を見た時、ヒストリアは妙な感覚に襲われた。刀そのものが、こちらを見て高笑いしているように思えた。声など聞こえず、動くものでもないのに、その印象だけが、どうしても消えなかった。
ヒストリアは、刀から目を離して父を見た。人類を守るためだと繰り返す声を聞いても、安心することはできなかった。抱きしめられた時から膨らんでいた不信感が、また一つ、胸へ積み重なった。
*
地下へ降りる通路を、白い煙が満たしていった。視界が狭くなったところへ信号弾の煙が重なり、待ち伏せていた憲兵たちは、踏み込んでくる相手の位置を見失った。銃声が壁へ反響し、その間を、ワイヤーの走る音が抜けた。
リヴァイは身を低くして飛び、銃口の向く先から外れた。ミカサが別の柱へ鉤を打ち込み、側面から近づいて刃を振るった。ハンジとアルミンも煙の広がりを確かめながら進み、後ろのジャンたちへ、動く位置を知らせた。
煙の中から現れた憲兵が、荷物の影へ身を伏せたコニーを狙った。サシャが先に撃ち、銃口を逸らされた男の脇へ、ジャンが飛び込んだ。すぐ隣でも銃声が上がり、落ちた薬莢が、硬い床を跳ねた。
「ディエゴ! さっさと、お姫様のところへ行け!」
リヴァイの声を聞いたディエゴは、煙の向こうへ鼻先を向けた。ヒストリアとエレンの匂いは、戦っている人間たちのさらに奥へ続いている。銃声に紛れた呼吸や足音も、彼には、近づく相手の位置を教えていた。
「言われなくても行くが……土産の一つくらいは、置いていく」
ディエゴは身を屈め、二人のいる方向へ走った。煙が視界を塞いでも、足を止める必要はなかった。匂いと音から相手の動きを捉え、姿が見えた時には、すでに身体を避ける位置へ運んでいた。
横から突き出された銃を、振り向きもせず蹴り上げた。その勢いで憲兵の身体が後ろへ流れ、別の男が接近しようとしたところへ、裏拳が入った。倒れた相手の上を越える間にも、ディエゴの進む方向は変わらなかった。
「下っ端のカスどもが……人間ごときの力で、スケアリー・モンスターズの上を行くことは絶対にない。いくらカスみたいでもな」
煙の中で前へ出るたび、銃が手から弾かれ、身体が床へ落とされた。憲兵たちは、相手を見失わないよう追おうとして、さらに姿勢を崩された。見えている時間より、見えなくなったあとに何をされるかの方が恐ろしくなり、次第に踏み込めなくなっていった。
ディエゴは走りながら、相手の装備から予備の刃を抜いた。次の男の腕を捻って倒すと、その肩越しに、リヴァイとミカサが動く位置を確かめた。刃を指の間へまとめ、走る勢いを緩めないまま、背後へ振り放った。
リヴァイの足元へ、刃が鋭い音を立てて突き立った。踏み込む先を塞ぐ位置ではなく、手を伸ばせばすぐ取れるところだった。消耗した刃を見たばかりの彼は、煙の奥へ消えていく姿へ目をやった。
「土産って、そういうことか……気が利くじゃねえか」
ミカサの近くにも、使える刃が届いていた。彼女は落ちた位置を確かめ、すぐに次の動きへ取り入れた。こちらの戦う場所まで把握していることに、感心する余地があったのは、その一瞬だけだった。
ジャンが追い詰めていた相手の背後からも、一枚の刃が飛んできた。肩口を貫かれた男が崩れ、構えかけていた銃を落とした。援護するために狙いをつけていたサシャは、その向こうへ駆け抜ける影を見た。
「ディエゴ……!」
返事は戻らなかったが、サシャには、聞こえていないとは思えなかった。ディエゴは振り向くことなく、奥の扉へ向かっていた。止めようとした最後の憲兵を蹴り倒すと、そのまま、二人の匂いがする場所へ姿を消した。
*
エレンは、腕を引かれる痛みで目を覚ました。身体を起こそうとしても動かず、両腕を上げた姿勢のまま、鎖に支えられていた。口元にも拘束があり、声を出すことはできても、顎を大きく開けることはできなかった。
傷ついた右腕には、まだ鈍い痛みが残っていた。少し離れた場所でヒストリアがこちらを見ており、その隣にはロッドが立っている。さっき何をされたかを思い出し、エレンは鎖を引いたが、金具が鳴るだけだった。
「ヒストリア。エレンの背中へ、触れてみなさい」
ロッドは、ヒストリアをエレンの繋がれた壇の上へ促した。柱の間に繋がれたエレンの背後には、人が通れるだけの場所があった。ヒストリアは気が進まないまま、父のあとを歩き、エレンへ手を伸ばした。
背中へ二人の手が触れた瞬間、エレンの頭の中へ、別の時間が流れ込んできた。知らないはずの光景が、確かな記憶として押し寄せ、今見ているものを覆った。息を吸おうとしても、胸の動かし方まで分からなくなるようだった。
父のグリシャが、今と同じ地下の空間へ立っていた。レイス家の人々へ何かを訴え、その中にいるフリーダが、父と向き合っている。次に現れた巨人の姿と、その場で起きた惨劇を、エレンは目を逸らすこともできずに見せられた。
父はフリーダを食らい、レイス家の力を奪っていた。その周囲にいた家族たちも襲われ、命を失っていった。自分の父親がしたことを、誰かに聞かされた話として遠ざけることはできなかった。
そこからこの壁の中へ至るまでの光景が次々に重なり、エレンの知っていたグリシャの顔へつながっていく。理解が追いつかないほど多くのものが、世界の見え方を変える記憶として流れ込んだ。
やがて、森の中へ連れ出された自分の姿が見えた。父の持つ注射器と、泣きながら何かを叫ぶ幼い自分が、失っていた時間の中でつながった。巨人になった自分が父を食らい、その力を受け継いだことまで、エレンは知ってしまった。
ヒストリアはエレンの背から手を離し、頭を押さえた。今見たものが自分の記憶ではないと分かっていても、父や姉があの場所へいたことを否定できなかった。足元が揺れ、息を整えるために、柱へ手をついた。
ロッドも、同じものを見たはずだった。ヒストリアは、家族を失った光景に父がどんな顔をしているか、恐る恐る目を向けた。だが、返ってきたのは思いがけない反応だった。
「そうか……なるほどなァ」
ロッドは、口元へ笑みを浮かべていた。悲しみを押し殺した顔にも、記憶に耐えようとしている顔にも見えなかった。欲しかった答えを手に入れ、先のことが見えてきた人間のように笑っていた。
ヒストリアはその顔を見たまま、言葉を失った。ロッドは壇を下り、少し広くなっている下の空間へ彼女を呼んだ。エレンは鎖に繋がれたまま、その二人を見下ろしていた。
「ここに、巨人化の薬がある」
ロッドが取り出した小さな瓶へ、ヒストリアの目が向いた。中の液体が揺れ、灯りを受けて、微かに光った。ロッドはそれを持ったまま、エレンのいる方へ顎を向けた。
「お前はこれを飲み、エレンを食うか……私とエレンと三人で海を渡れ」
ヒストリアは顔を上げ、エレンも目を見開いた。薬を使って巨人になり、奪われた力をレイス家へ戻させるつもりなのだと、エレンは思っていた。自分が食われれば済むのなら、今見た罪のために、それを受け入れるしかないとさえ考えかけていた。
「いや……食わずに、エレンと一緒に来てくれた方が、私としてはありがたいかな」
ロッドは、少し考え直すように言った。エレンを食うことも、連れていくことも、必要な品の扱いを決める程度にしか違わない口ぶりだった。ヒストリアは、その言葉を聞いたあとで、ようやく声を出した。
「海を渡るって……どういうこと、お父さん?」
「二度言わせるんじゃあないぞ、ヒストリア。私と一緒に来るか、ここで巨人となってエレンを食うか、どちらかだ」
ヒストリアは、瓶を差し出す手を見た。先ほどまでは、人類のためだと、こちらを納得させようとしていた。その説明すら、今は早く選ばせるための邪魔になったようだった。
その時、ディエゴのことが頭へ浮かんだ。優しい言葉に裏があるのではないかと、疑ったことがなかったわけではない。それでも信じたくなったのは、自分の話を聞き、怖さや寂しさへ目を向け、少しでも軽くしようとする言葉と仕草があったからだった。
目の前の男は、そうしていなかった。父の顔と声を使いながら、こちらが何を思うかを、選ばせるための障害としてしか見ていなかった。刀を手にした時から感じていたものと、今の声とが、ヒストリアの中で重なった。
「どうした。さっさと決めろ」
急かす声を聞いて、ヒストリアは確信した。自分を見ているのは、父の身体にいる、別の意志なのだと思った。怖くて口を閉じたまま従えば、自分もエレンも、その意志に使われるだけになる。
「あなたは……お父さんじゃない」
ロッドの手が、瓶を持ったまま止まった。エレンは何を言っているのか分からず、ヒストリアと、その父親の顔を見比べた。ヒストリアは引きかけた足を止め、言葉を続けた。
「それに、ディエゴと違って私のことを全く考えてくれていない。私の遺志なんかどうてもいいようなことばかり!!!そんなやつの言うことが聞けるもんか!!!!」
ヒストリアの言葉を聞き終えたロッドの顔が、ゆっくりと歪んだ。口元が引き上がり、目の前の娘を見ていたはずの目が、獲物を見つけたような色になった。ヒストリアが怯えても、その笑みは、ますます深くなった。
「まさか……スタンド使いでもない貴様に見破られるとはなァ」
「あなたは……誰?」
ヒストリアの声が震え、エレンも鎖を握りしめた。ロッドの顔をした男は、もう父親らしく話そうともしなかった。腰の刀へ手を置き、楽しげに答えた。
「この体の名はロッド・レイスだが……『俺』は『冥界の神アヌビス』の暗示を司る、スタンド使いさ」
ヒストリアは、その言葉のどこから考えればよいか分からなかった。アヌビスという名にも、スタンドというものにも、思い当たるものがない。エレンも何が起きているかを理解できないまま、あの男から彼女を離さなければならないことだけを、痛いほど感じていた。
「ああ〜~~~、無理に考えなくていいぞ。スタンド使いでもないお前らに俺のことは永遠に分かるまい」
男が薬瓶をしまって刀を抜くと、鞘を離れる音を聞いたヒストリアの肩が跳ねた。ロッドの顔から笑みが消え、抜いた刀が、肩へ無造作に載せられた。
「とりあえず……腕の一本でも落として、大人しくさせるか。向こうには『アレ』もあるからなァ。少々の怪我なら問題ないだろう」
「逃げろ、クリスタ!」
エレンは、口元の鎖に妨げられながら叫んだ。自分が何もできずに倒された相手へ、彼女が立ち向かえるわけがなかった。拘束を引きちぎろうと腕を動かしたが、柱の間で鎖が鳴り、身体を引き戻すだけだった。
ヒストリアは、刀を見つめたまま息を吸った。震えは止まらず、今すぐ背を向けて逃げれば、次の瞬間には斬られるだろうと思った。だが、何もせずに従うことだけは、もうできなかった。
「あなたが強いこと……お父さんじゃないこと…私なんかじゃ勝てっこないこと。それは、頭じゃあなくて、心で理解できるわ」
「…ほう? まだ何か言いたそうだな」
ヒストリアは唾を飲み込み、冷たい汗が背を伝うのを感じた。それでも、思い浮かべた顔を手放さず、微かに笑った。
「でも……それと同じくらい、信じられることがある」
「なるほどなァ……いいんじゃあねえか? お前のそれと、俺の剣。どっちが早いか!賭けてみるのも悪くねえッ!」
アヌビスが笑い、ヒストリアへ向ける殺気が、さらに濃くなった。指を動かすだけでも、その刀が振り下ろされると分かった。それでも彼女は、大きく息を吸い込み、信じている男の名を、力いっぱい呼んだ。
「ディ…!!」
最初の一音が響いた時、ロッドの腕が動いた。刀がヒストリアの方へ走ったが、その刃は、誰の身体も捉えなかった。横から飛び込んだ足が、振り切る前の男の顔面へ叩き込まれていた。
「エゴ、助けてええええええッ!」
ロッドの身体が横へ飛び、靴が床を滑った。蹴りの直前に男の腰を掠めたディエゴの手には、鍵束が握られていた。ディエゴはそれを引き抜いたまま、叫び終えたヒストリアの隣へ降り立った。
エレンは目を見開き、ヒストリアも、目の前の姿を追いかけるように顔を上げた。呼べば来てくれると信じていても、本当にそこへ立った瞬間には、すぐ言葉が出なかった。ディエゴは彼女を見て、当然のことを確かめるように口を開いた。
「言っただろう? お前をこの世のすべての邪悪から守ってやると」
エレンは鎖に繋がれたまま、その横顔を見ていた。たった一人が現れただけで、もうどうにもならないと思った場所に、逃げ道ができていた。自分から見ても、今のディエゴは、どうしようもなく格好よかった。
ヒストリアには、その顔も、かけられた言葉も、光り輝いているように見えた。目の奥から涙が溢れ、止めることもできなかった。気づいた時には、目の前の身体へ、思い切り抱きついていた。
「うわああああああああッ!」
ディエゴは倒れ込んできた彼女を片腕で受け止めた。縋りついた指と、胸元へ押しつけられた顔から、抑えていた怖さが一気に溢れてくるのが分かった。だが、彼の目は、もう蹴り飛ばした相手へ向いていた。
「驚いた……覗きの趣味があったとはな、ディエゴ・ブランドーよ」
ロッドは刀を手にしたまま、ゆっくりと立ち上がった。顔を蹴られた人間の動きではなく、笑う余裕まで残していた。ディエゴの顔から、ヒストリアへ向けていた気安さが消えた。
ディエゴの頬を、冷たい汗が一筋だけ、ゆっくりと伝った。常人ならば頭がスイカのように砕け散り即死。鍛えた兵士でも普通は即死。最低でも再起不能は間違いない。それくらいの力を込めていた。その上避ける間もないはずの不意打ちだ。狙った位置へ確かに足は届いていた。
「チッ……全然浅いか。自分から飛んで威力を逃がしやがった」
ディエゴは、腕の中のヒストリアへ顔を向けた。彼女は目を赤くしたまま、その真剣な表情を見上げた。差し出された鍵束を受け取り、次の言葉を待った。
「今すぐ、その鍵でエレンを外せ。二人で、ここから逃げろ」
「え……?」
「こいつはやばい。マジに強い。小細工で誤魔化してる強さじゃあない……詳しくはわからないが、おそらく巨人を超える力がある。お前たちを庇いながら戦う余裕はない」
ヒストリアは、もう一度、ディエゴの目を見た。何体もの巨人を前にしても自信を失わなかった男が、今は、危険を隠そうともしなかった。ここで自分が離れないことは、守ってくれる相手の足を引くことになるのだと分かった。
「分かった……でも、すぐ帰ってきてね。話したいことがいっぱいあるから」
ディエゴが短く頷くと、ヒストリアは腕を離した。涙を拭い、鍵を握って、エレンのいる壇へ走った。ディエゴは彼女が離れるのを確かめながら、相手との間へ身体を置いた。
「さすがだな。状況判断が早い上に、正確だ。さっきの蹴りも、相当に速かったぞ」
ロッドの顔をした男は刀へ目を向け、大きく目を見開いた。顔には不自然なほど表情がないまま、その口から低い声が出た。
「だが、その動き……今ので覚えた」
その時、ディエゴは、刀の横へ浮かんだものを見た。黒い犬のような顔が、こちらを見ていた。人間の顔の動きとは別に、その口元が歪んだのを見て、ディエゴの目が細くなった。
背後では、鍵と鎖のぶつかる音が続いていた。口元の拘束を外されたエレンが息を吸い、続いて腕の鎖から解放された。ヒストリアはよろめいた身体を支え、ディエゴのいる場所を避けて、出口へ向かった。
エレンは一度だけ振り返り、彼の背を見た。自分たちがここへ残れば何が起きるかを、さっきの言葉から理解していた。ヒストリアに肩を借りたまま、二人で部屋の外へ出た。
扉の向こうへ足音が離れるのを聞き、ディエゴは正面の相手へ問いを向けた。刀から浮かぶ顔と、その刀を握る男の両方を、視界へ収めていた。相手も二人を追おうとはせず、ディエゴを見ていた。
「貴様、スタンド使いだな……どこから来た?」
「言えんな」
「いつから、ロッドを操っていた?」
「さあ?」
「巨人や、この世界のことを、どこまで知っている?」
「答える義務はない」
ロッドの身体を使うアヌビスが、こちらへ歩み寄ってきた。剣先は下がっていたが、踏み込めばすぐ斬れる姿勢が崩れなかった。ディエゴは片手を振り、会話を打ち切った。
「オーケー、オーケー。もう分かった。やる気十分ってわけだな」
ディエゴの目へ、漆黒の殺意が浮かんだ。人間の顔をしている相手を生かすべきかという迷いも、今はなかった。目の前のものを殺さなければ、その先にいる二人まで追われることになる。
「いい目だ。だが、そういう目をした奴を俺はこの世界で何人も真っ二つにしてきた」
ディエゴは何も答えず、両脚へ力を込めた。人の身体へ収めていた力が、骨と筋肉の内側から膨らみ始めた。アヌビスはその変化を見定めるように、足を止めた。
「あの二人を逃がしたのは、正解だったな。調査兵団の切り札たる貴様が、唐竹のように割れるところを見たくはあるまい」
「勘違いするなよ」
ディエゴは顔を上げ、刀の向こうへ視線を据えた。肩の形が変わり、軋む音を立てて、身体の均衡が組み替わっていった。床を踏む足先には鋭い爪が伸び、皮膚には鱗が浮かび始めていた。
「あの二人を逃がしたのは、不安になったからでも、お前の臓物を撒き散らす現場を見せたくないからでもない」
背が大きく撓み、伸びた尾が床の上を払った。顎が張り出し、口元から覗く歯が、獲物を噛み砕くための牙へ変わっていく。恐竜の力が全身へ満ち、ディエゴは、それを隠す必要のなくなった空間で、相手へ殺意を向けた。
「スタンドの力を全開にして、お前を殺してやれるからだッ!」
アヌビスの目が見開かれ、刀を握る手へ力が入った。だが、その驚きは、すぐに大きな笑いへ変わった。ロッドの顔と、黒い犬のような顔が、同じ相手を見つめていた。
「それが貴様のスタンドかッ!」
ディエゴは爪の生えた足で床を掴み、低く身を構えた。守るために抑えていた力も、敵を生かすために残していた加減も、今はすべて手放していた。獣の喉から響いた声には、剥き出しの殺意が満ちていた。
「ブッ殺してやるッ!」