補給本部の一角では、訓練兵たちが装備の点検を進めていた。しかし、ここへ逃げ込めたからといって安全になったわけではない。補給所の下層には複数の巨人が入り込んでおり、このままでは肝心のガスやブレードを十分に持ち出すことができなかった。
その問題を前にして、アルミンは床へ簡単な配置図を描いていた。周囲にはディエゴをはじめ、ミカサ、ジャン、ライナー、アニ、ベルトルト、サシャたちが集まり、誰も口を挟まず彼の説明を待っている。
「作戦はこうだ。まず、銃を持った人たちに昇降機へ乗ってもらう。巨人は人間を見つければ近づいてくるから、それを利用して七体を一か所へ集めるんだ」
アルミンは指先で巨人の位置を一体ずつ示しながら、さらに説明を続けた。
「十分に近づいたところで、一斉に顔を撃つ。倒す必要はない。目を潰して、ほんの数秒だけ動きを止められればいい。その間に天井付近へ隠れていた七人が一斉に降りて、それぞれ一体ずつうなじを斬る」
「七人で七体を同時に、か」
ジャンは難しい顔をしながら図を見下ろした。
「一人でも失敗したら、その下にいる連中が食われるぞ」
「分かってる。でも、今あるガスと装備で補給所そのものを壊さずに巨人を処理するなら、これが一番可能性が高いと思う」
アルミン自身も危険性は承知していた。それでも他に現実的な方法がない以上、この場では最善に近いと判断しているのだろう。
そこでアルミンは、少し迷ってからディエゴへ視線を向けた。
「正直に言えば、敵を倒すだけならディエゴ一人でもできるかもしれない。でも、中は暗いし、補給用の資材やガス缶がそこら中に置いてある。無理に一人で戦えば、巨人より先にこっちの補給設備を壊す危険もあるから……」
「悪くない作戦だ」
ディエゴはあっさり認めた。その答えが意外だったのか、アルミンはわずかに目を見開く。
「本当に?」
「オレが一人でやるなら、何体かを外まで引きずり出す必要がある。それでは時間がかかるし、途中で補給設備まで巻き込めば本末転倒だ。お前の案なら、巨人を一か所へ集めたうえで短時間に処理できる」
ディエゴは床の配置図を改めて眺め、巨人と昇降機の位置関係を頭の中で組み立て直した。
「誰かがしくじれば犠牲は出るかもしれんが、効率だけを考えればこれが一番だろう。だから、いい作戦だと言っている」
「ディエゴがそこまで素直に褒めるのは珍しい」
ミカサが何気なく言うと、ディエゴは彼女へ視線だけを向けた。
「事実だからな。誰が考えたかと、その案が使えるかどうかは別の話だ。気に入らない奴の案だろうが、優れているなら使えばいい」
アルミンは胸の奥で僅かに息を吐いた。ディエゴの言い方は相変わらずだったが、少なくとも作戦そのものについては十分な勝算があるらしい。
準備が決まると、一行は昇降機へ向かった。その途中、ライナーがコニーの隣へ並び、なるべく何気ない調子を装って話しかける。
「なあ、コニー。さっき外にいた、巨人を殴ってた巨人……あいつについて何か知ってるか?」
「そんなの、助かってから考えればいいだろ。今は下の巨人を倒さないと、俺たち全員ここで食われるんだぞ」
コニーの返答は単純だったが、こんな状況ではむしろ正論だった。ライナーもこれ以上聞き出すのは不自然だと思ったらしく、小さく頷いて会話を切り上げる。
「……それもそうだな」
少し離れた場所を歩いていたディエゴには、その会話がはっきり聞こえていた。先ほどエレンの巨人体を目にした際の反応だけでもほぼ確信していたが、今の質問によって裏が取れたことになる。
ライナーたちは、エレンが巨人になれることを知らなかった。
ディエゴはその情報を頭の中へしまうと、何食わぬ顔でコニーへ声をかけた。
「ところでコニー」
「なんだ?」
「もし作戦に失敗して巨人に食われそうになったら、頭からいけ。お前なら巨人も噛んだ瞬間に吐き出すかもしれん。結構えづいて吐き出すかも」
「そうなのか!?」
「んなわけあるか!」
コニーが本気で驚いた直後、隣からジャンの怒鳴り声が飛んだ。
「お前も真に受けるな! それとディエゴ、お前はこんな時まで変なこと吹き込むな!」
「少しは緊張がほぐれただろう」
「コニーの頭がさらに悪くなっただけだ!」
ジャンは頭を抱えながらも、先ほどまでより僅かに肩の力が抜けていた。昇降機へ乗り込もうとするコニーの背を見て、呆れたようにため息をつく。
「まあ、お前の今の台詞が最後の言葉にならないことだけ祈っとくよ」
「縁起でもねえこと言うなよ!」
僅かに空気が和らいだものの、昇降機が動き始めると全員の表情は再び引き締まった。下へ降りるにつれて光は弱まり、補給所特有の油と金属の臭いが濃くなると、その中へ巨人から漂う生臭い臭気まで混ざってくる。
アルミンは手すり越しに下を確認し、息を潜めたまま数を数えた。
「増えてない。七体のままだ」
計画通りだった。昇降機に乗った兵士たちは銃を構え、人間の存在に気づいて近づいてくる巨人たちへ照準を合わせる。
「まだ……まだ撃たないで」
アルミンが慎重に距離を測る。巨人たちは狭い通路を押し合うようにして迫り、その腕が昇降機へ届きそうになった瞬間、アルミンが声を上げた。
「今だ!」
銃声が一斉に響き、散弾が七体の巨人の顔面へ叩き込まれた。目を潰された巨人たちが顔を押さえた瞬間、天井の梁や物陰へ身を潜めていた七人が同時に飛び出す。
ディエゴ、ジャン、ミカサ、アニ、ベルトルト、ライナー、そしてサシャ。それぞれが一体ずつ担当し、視力を失った巨人のうなじを狙って一気に降下した。
ディエゴは自分の担当が両手で顔を押さえて前傾するのを確認すると、その肩へ着地し、流れるように背後へ回った。ブレードを振り抜く動作に一切の無駄はなく、うなじの肉が深く削ぎ取られる。
ほぼ同時に、ミカサ、アニ、ライナー、ベルトルト、ジャンの刃もそれぞれの目標を捉えた。六体の巨人が僅かな時間差で力を失い、補給所の床へ崩れ始める。
そこでディエゴは、一体だけ倒れていないことに気づいた。
サシャの担当だった。
原因は一目で分かった。サシャが斬りかかる直前、その巨人だけが銃の衝撃に反応して上半身を半歩分ほど捻ったのである。
わずかな動きだったが、高速でうなじへ斬り込むサシャにとっては致命的なずれだった。刃そのものは目標へ届いたものの、本来削ぎ落とすはずだった箇所の端を浅く切っただけで終わる。
「しまっ――!」
サシャ自身も失敗を理解したが、その時にはすでに巨人の肩口へ入り込んでいた。斬撃の勢いを利用して背後へ抜ける予定だった軌道も崩れ、身体が首の横へ流れてしまう。
巨人は視力を失っているものの、痛みを感じて振り回す腕まで止まったわけではない。巨大な右手がサシャの気配を追うように迫り、逃げ道を塞いだ。
サシャは反射的に動こうとしたが、巨人が指を閉じる方が明らかに早い。
自分の担当を仕留めたディエゴは、その一連の失敗を最初から見ていた。
サシャの担当は、自分が倒した巨人のすぐ隣にいる。距離は十数メートルほどしかなく、ディエゴなら十分に届く。
崩れ始めた巨人の肩を強く蹴り、その落下する身体そのものを踏み台にして横へかっ跳ぶ。
巨人の指が閉じる、その直前だった。
「え?」
サシャの身体が横から強く引かれ、巨大な指が何もない空間を掴む。何が起こったのか理解するより先に、彼女の身体は誰かの腕へしっかりと抱え込まれていた。
「ディ、ディエゴ?」
ようやく相手の顔を認識した瞬間、サシャは別の意味で固まった。
近い。
戦闘中なのだから当然なのだが、それにしても近すぎる。至近距離から見えるディエゴの横顔は腹立たしいほど整っており、普段は他人を小馬鹿にするために吊り上がっている口元も、今だけは目の前の巨人へ集中して引き締まっている。
助かった安堵とは明らかに違う理由で、胸が一度だけ強く跳ねた。
「さわぐんじゃあないぞ。舌を噛んじまうからな」
「え?」
サシャが意味を理解するより早く、ディエゴは周囲を確認した。
片腕で彼女を抱えたままでは十分な斬撃ができない。しかし、足元へ降ろせば巨人の手が届き、横へ放れば棚やガス缶へ衝突する可能性がある。
ならば、邪魔にならず、なおかつ巨人にも届かない場所は一つしかない。
「ちょ、何を――」
ディエゴはサシャの身体を両腕で持ち直すと、真上へ向かって勢いよく放り投げた。
「――ッ!?」
サシャは悲鳴だけはどうにか飲み込んだものの、目を見開いたまま天井近くまで舞い上がった。
一見すれば滅茶苦茶な行動だったが、ディエゴは投げる角度も力加減も計算している。天井へ衝突せず、自分が巨人を仕留めるまでには落ちてこない高さへ、一時的に退避させただけだった。
両手が自由になると、ディエゴはすぐさま巨人の肩を蹴った。潰れた目を押さえようとする腕へ足をかけ、そのまま首筋を駆け上がる。
巨人が反射的に首を振るが、ディエゴの動きの方が遥かに速かった。
「無駄だ」
サシャが浅く傷つけた箇所へ、二本のブレードが正確に食い込む。すでに切れ込みが入っているぶん、今度の斬撃は深く通り、うなじの肉を一気に削ぎ落とした。
巨人の身体から力が抜ける。
ディエゴは倒れ始めた肩を蹴って床へ着地すると、すぐに頭上を見上げた。
ちょうどサシャが落ちてくる。
「わっ――!」
今度はさすがに小さな声が漏れた。
ディエゴはそのまま腕を広げ、両腕で彼女を受け止めた。すっぽりと腕に収まったサシャを見た後、何事もなかったようにサシャを床へ降ろす。
「終わりだ」
「……はい」
床へ足がついたというのに、サシャはすぐには離れられなかった。
巨人に掴まれかけた恐怖もある。空中へ投げ飛ばされた衝撃も残っている。
それでも、一番頭から離れないのは、助けられた瞬間に見たディエゴの横顔だった。
「何をしている?」
ディエゴに見下ろされ、サシャはようやく自分がまだ相手の服の袖を掴んでいることに気づいた。
「い、いえ! 何でもありません!」
慌てて手を離し、その場から一歩下がる。
しかし立ち上がろうとすると膝に力が入らず、危うくまた座り込みそうになった。助かった直後だからだと自分に言い聞かせたものの、先ほどから妙に顔が熱い理由までは説明できなかった。
そこへライナーが近づき、面白そうな顔でディエゴの脇腹を肘で軽く突いた。
ミカサはそれ以上何も言わず、ディエゴへ一度だけ目を向けた。
今の救出を最初から最後まで見ていた。
訓練兵時代、何度ディエゴへ挑んでも勝てなかったからこそ、あの動きが偶然ではないことも理解できる。
最初の巨人を倒した時点で、ディエゴはすでに周囲を見ていた。
サシャの斬撃が浅くなった瞬間には移動を始めており、彼女が掴まれるより先に最短距離を選んでいる。
昔からそうだった。
ふざけているように見える時でも、戦っている最中だけは周囲をよく見ている。
ただし、ミカサの記憶にはもう一つ別の場面も残っていた。
入団初日の夜。
走らされて倒れたサシャへ、ディエゴが自分のパンと水を持っていったこと。
本人は覚えているのかどうかも怪しい。
サシャも今まで特別それを口にしてはいなかった。
それでもミカサは、何となく二つの光景が重なったことだけを覚えておいた。
「イケメンだな」
「何の話だ?」
「とぼけんな、このスケコマシがよ」
ライナーの視線が一度だけサシャへ向かった。
サシャは露骨に目を逸らした。
「サシャ、早く立つ! まだ終わってない!」
ミカサの容赦ない声が飛び、サシャは反射的に背筋を伸ばした。
「は、はい!」
慌てて立ち上がったものの、移動を始めてからもサシャの視線は何度か無意識にディエゴへ向かってしまった。本人は巨人の死体や周囲の安全を確認するのに忙しく、こちらなどまるで気にしていない。
それが妙に面白くないような、かえって安心するような、自分でもよく分からない感覚だった。
◆
十分なガスとブレードを確保した訓練兵たちは、補給本部から外へ出た。危機を一つ乗り越えたはずだったが、そこで待っていたのは安心とは程遠い光景だった。
先ほどまで他の巨人を殴り殺していた巨人が、今度は複数の巨人に取り囲まれ、その身体へ噛みつかれている。
「あの巨人……」
ミカサは険しい顔でその姿を見つめた。まだ正体がエレンだとは知らないが、自分を助け、他の巨人だけを攻撃した存在であることは確かだった。
「もし正体を解明できれば、人類の武器になると思ったのに……」
「ああ。あいつが人類に敵意を持っていないなら、利用価値はかなり高い」
ライナーがほとんど間を置かずに同意すると、ジャンは信じられないものを見るような顔をした。
「お前、正気か? 巨人だぞ?」
「でも、実際に他の巨人を殺してる」
今度はアニが淡々と口を挟む。
「もし本当にこちらの味方として使えるなら、どんな大砲より強力な武器になるかもしれない」
ジャンはライナーとアニを交互に見たものの、実際に目の前で起きていることを考えれば、すぐには反論できなかった。
「気に入らないな…」
ディエゴが口を挟むと、三人が彼を見る。
「お前らの意見に乗っかるようで非常に気に入らないが、考え自体は間違ってない。あれを生かしたまま捕らえるつもりなら、オレも手を貸す」
「お前まで言うのかよ……」
ジャンは呆れた顔をしたが、ディエゴの狙いは彼らとはまるで違っていた。
目の前の巨人がエレンだということは、臭いと行動からすでにほぼ確信している。ならば、誰よりも先に確かめておきたいことがあった。
人間へ戻ったエレンにも、ベルトルトへ行ったのと同じようにスケアリー・モンスターズの力を仕込めるのか。もしそれが可能なら、知性を保った巨人まで自分の支配下へ置ける可能性がある。
ディエゴがそんなことを考えている傍らで、サシャは無意識に彼を横目で見ていた。先ほど自分を助けた男が、今度は巨人を捕獲する話を何でもないことのようにしている。
いつものディエゴだ。
それなのに、一度意識してしまうと横顔や声まで妙に目についた。
「……何やってるんでしょう、私」
サシャは誰にも聞こえないほど小さく呟き、誤魔化すように前を向いた。
その時、別方向から一体の奇行種が姿を現した。
「あいつ……!」
訓練兵の何人かが息を呑む。
エレンたちの同期、トーマスを食った巨人だった。
巨人化したエレンも、その姿を認識したらしい。それまで周囲の巨人へ向けていたものとは明らかに異なる怒気が、その全身から噴き出した。
「オオオオオオオオオオッ!!」
怒りに満ちた咆哮を上げ、自分の身体へ噛みついていた巨人を引きずったまま奇行種へ向かって突進する。
「おい、まさか……」
ジャンが目を見開いた。
エレン巨人は止まらない。自分へ噛みついている巨人ごと身体をぶつけ、その勢いのままトーマスを食った奇行種へ拳を叩き込んだ。
凄まじい衝撃音とともに肉が砕け、骨が折れる。それでも怒りは収まらないのか、さらに一撃を叩き込み、奇行種だけでなく自分へ噛みついていた巨人までまとめて破壊した。
「オオオオオオオオオッ!!」
勝利の雄叫びが周囲の建物を震わせる。
ジャンはしばらくその光景を見た後、ゆっくりとディエゴへ顔を向けた。
「オイ……何を助けるって?」
「だからあれだろ。目ん玉にクソでも詰まってるのか?」
ディエゴは、まるで道端で猫同士の喧嘩でも眺めた後のような顔で答えた。
「……お前、本当に何見ても動じねえな」
ジャンだけでなく、周囲の何人かも苦笑した。
しかし、その直後、巨人化したエレンの動きが止まった。
戦い続けた限界が来たのか、巨体がふらつき、そのまま膝をついて地面へ崩れ落ちる。全身から大量の蒸気が噴き出し、肉体そのものが急速に崩壊し始めた。
「力尽きた……?」
ミカサが息を呑む。
やがて巨人のうなじ付近から、人間らしきものが露出した。
「……エレン?」
ミカサの声が震えた。
そこから現れたのは、両腕と片脚を失っているはずのエレン・イェーガーだった。
一瞬だけ、ミカサは信じられないものを見るように固まった。しかし次の瞬間には立体機動装置を噴かし、誰よりも早くエレンのもとへ飛んでいく。
「…う!」
崩れかけた巨人の肉体からエレンを引きずり出し、その身体を強く抱き締める。
「うわああああああああああああああああ!!!」
眠ったままのエレンを胸に抱え、ミカサは泣き叫んだ。アルミンも遅れて駆け寄り、周囲の同期たちは誰一人として何が起きたのか理解できずに立ち尽くしている。
だが、ディエゴだけはエレン本人ではなく、その出てきた場所を見ていた。
「……やはり、そこか」
うなじだった。
ディエゴは子供の頃、興味本位で巨人の死体を可能な限り解体したことがある。腕も脚も腹も胸も頭も調べ、当然うなじにも刃を入れたが、普通の巨人の中に人間など入っていなかった。
つまり、通常の巨人と、人間が変身した巨人では構造そのものが違う。
そして知性を持つ巨人の場合、本体となる人間はうなじに存在する。
恐らくベルトルトも、ライナーも、アニも同じだろう。
巨人化した際には、あの場所に本体がいる。
ならば弱点も同じであり、スケアリー・モンスターズを流し込むべき場所も同じということになる。
「クク……」
ディエゴは込み上げてくる笑いを押し殺した。
通常の巨人など、今となっては大した価値もない。数だけは多いが知能が低く、細かな命令を与えなければまともな戦力として扱いにくい。
だが、今目の前にいる存在は違う。
自分で考え、自分で戦い、怒りによって標的を選び、通常の巨人にはない特殊な能力まで持っている可能性がある。
そんな巨人を恐竜化し、自分の命令へ従わせることができるなら。
ディエゴの目が細くなった。
胸の奥から、一度目の人生でも何度となく味わった欲望が湧き上がってくる。
知性を持つ巨人を支配できる。
強力な巨人を一体ずつ自分のものにしていけば、壁内の人間だけではない。海の向こうにあるマーレとやらさえ、自分より下へ置けるかもしれない。
人間も壁も国家も、自分を縛るものではなくなる。
「この世の頂点に立てるじゃあないか……!」
声には出さなかった。今ここで高笑いでも始めれば、さすがに周囲から不審に思われる。
それでも、口元が僅かに上がることだけは止められなかった。
とことん上から支配させてもらう。
奪われる側ではなく、奪う側へ。
見下される側ではなく、誰より高い場所から見下ろす側へ。
一度目の人生で求め続けたものへ、今度こそ手が届くかもしれない。
ミカサはそんなディエゴの内心など知らず、眠ったエレンを抱えたまま泣いていた。
サシャもミカサたちの方を見ていたが、ふと隣に立つディエゴが笑っていることに気づいた。仲間が生きていたのだから喜んでいるのかと思ったものの、その笑みはどう見てもそういう種類のものではない。
「……やっぱり変な人ですね」
小さく呟きながらも、サシャはなぜかすぐには視線を外せなかった。少し前までなら「変な人」で済んでいたはずなのに、今はその横顔が妙に気になってしまう。
一方のディエゴは、もうサシャのことなど考えていなかった。
興味の中心は完全にエレンへ移っている。
そして、もう一つ確認しておかなければならない相手がいた。
少し離れた場所では、ライナー、アニ、ベルトルトの三人が揃って呆然としていた。エレンが巨人のうなじから出てきた光景を見つめたまま動かず、特にベルトルトなどは今にも顔色を失いそうだった。
「おい」
三人がディエゴを見る。
「あとで話がある」
ライナーの目が僅かに細くなった。
「話?」
「ああ。いろいろ落ち着いたら話合おうじゃあないか。今度こそ、ゆっくりコーヒーでも飲みながらな」
ディエゴは楽しそうに笑ったが、その言葉と表情には三人を警戒させるだけの何かがあった。
「……何の話だ?」
「それは後でのお楽しみだ」
それ以上答えようとしないディエゴを、ライナーは無言で見つめた。
ちょうどその時、駐屯兵団の兵士が走ってくる。
「ミカサ・アッカーマン! ディエゴ・ブランドー! それから、その男を連れて来い!」
「エレンを?」
「上官命令だ! 急げ!」
ミカサの表情が険しくなった。
人間から巨人へ変化した男を、兵団が何の確認もせず放っておくはずがない。
ディエゴは一度だけライナーたちへ視線を向けると、何も言わず上官の元へ向かった。
◆
ディエゴたちが離れた後も、ライナー、アニ、ベルトルトの三人はすぐには動かなかった。周囲に人目があるため露骨な反応はできないものの、三人とも明らかに平静を失っている。
「……どうする?」
ベルトルトが小さな声で尋ねると、ライナーはエレンが運ばれていった方向を見ながら眉を寄せた。
「分からん」
「エレンのこともそうだけど、ディエゴの方も考えた方がいい」
アニは周囲へ視線を配りながら、声量を抑えて続ける。
「さっきの言い方、何か知ってる」
「まさか。もし俺たちの正体を知ってるなら、とっくに兵団へ話してるはずだ」
ベルトルトは否定したものの、その声には自信がなかった。
「普通ならね」
アニは淡々と返した。
「でも、あいつが普通だと思う?」
三人とも答えられなかった。
訓練兵時代から、ディエゴ・ブランドーという男は理解しがたい存在だった。
「今ここで仕掛けるのは無理だ。見てる人間が多すぎる。それに…」
アニはそう結論づけると、まずはベルトルト。次にライナーを順番に見た。
「命令が出たら一度ここを離れて、それから三人で話そう」
「……賛成だ。僕のこともある」
ベルトルトが頷き、ライナーもしばらく考えた後で同意した。
「ああ。それがいい」
三人は知らなかった。
少し離れた瓦礫の陰で、鼠ほどの大きさしかない異形の生物が、じっと自分たちの会話を聞いていたことを。
皮膚の一部は細かな鱗へ変わり、小さな口の中には不釣り合いな牙が並んでいる。
ディエゴがスケアリー・モンスターズで作り出した、小型の恐竜だった。
それは彼の代わりに潜み、目となり、耳となっていた。
◆
少し離れた場所では、上官の元へ向かうディエゴが何でもない顔で歩いていた。隣ではミカサが眠ったエレンを支えているが、彼の意識の一部は、先ほどの小型恐竜を通じてライナーたちの会話へ向けられている。
「やはり警戒し始めたか。当然だな」
三人が自分を疑い始めたことまで、すべて聞こえていた。
それ自体は想定内だった。意味深な言葉を投げかけたのだから、何も疑わない方がおかしい。
「奴らが色々と知ってそうなのは確定だ。まあ、それは後でいい」
今はもっと面白く、しかも価値のある問題がある。
ディエゴは前を歩くミカサと、その腕に抱えられたエレンを見る。
人間が巨人になり、その中で知性を保つ。そして本体となる人間はうなじに存在している。
ならば、そこへスケアリー・モンスターズを流し込めばどうなるのか。
ベルトルトと同じように変質するのか。
さらに、その状態でこちらの命令へ従わせることまで可能なのか。
答えを考えるだけで、ディエゴの口元には自然と笑みが浮かんだ。
「まずはエレンの軍法会議を、どう乗り切るかだな」
人間でありながら巨人でもある存在を、人類側がどう扱うのかはまだ分からない。
危険と判断して殺すのか。
それとも、兵器として利用するのか。
どちらへ転ぶかによって、ディエゴが次に取る手も変わってくる。
ただし、一つだけはすでに決まっていた。
知性を持つ巨人。
その力を。
いつか自分のものにする。