Attack on Dinosaur   作:&劉

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第九話 奪還作戦

 

 トロスト区内へ集められた兵士たちの間には、作戦開始を告げる号令よりも先に、今にも何かが破裂しそうなほど重苦しい空気が広がっていた。

 

 そこにいるのは駐屯兵団の兵士だけではない。

第104期の訓練兵や補給任務から辛うじて戻った者、負傷しながらも武器を手放していない者まで混じっている。

 

巨人の侵入から半日にも満たない時間で多くの仲間を失い、ようやく生き延びたと思ったところで再び巨人の徘徊する市街地へ戻れと言われているのだから、恐怖を隠せという方が無理だった。

 

「ふざけんな……またあそこへ戻るってのかよ」

 

「もう十分だろ。仲間が何人食われたと思ってるんだ」

 

「壁の奥まで逃げればいい。俺はもう行かねえぞ」

 

 最初は誰か一人の小さな愚痴にすぎなかった。それでも一人が「逃げたい」と口にしてしまえば、黙っていた者たちも胸の奥に同じ感情を抱えていたことを思い出す。弱音は隣へ、そのまた隣へと伝わり、集団全体が少しずつ崩れ始めていた。

 

 ジャンは少し離れた場所からその様子を眺め、苦い表情を浮かべた。自分だって本音を言えば怖い。

今日だけで何度死を覚悟したか分からないし、今すぐ安全な場所へ逃げられるならそうしたいという気持ちだってある。それでも、ここで喚いたところで破壊された門が元に戻るわけでも、死んだ仲間が帰ってくるわけでもなかった。

 

「まずいな。このままだと命令が出る前に部隊そのものが崩れるぞ」

 

 ライナーが周囲を見渡しながら呟くと、ジャンは荒れ始めた兵士たちから目を離さずに答えた。

 

「もう半分は崩れてるようなもんだろ」

 

 近くではユミルが腕を組み、恐慌寸前の兵士たちを冷めた目で眺めていた。

 

「まあ、普通はこうなるよな。巨人に食われるために軍へ入ったわけじゃない奴も多いんだし」

 

「お前は随分落ち着いてるな」

 

「慌てれば巨人が消えてくれるってんなら、私だっていくらでも泣き喚いてやるよ」

 

 ユミルが肩を竦めている間にも、少し離れた場所では上官へ食ってかかろうとした兵士と、それを止めようとする者の間でもみ合いが始まっていた。このまま放置すれば、一人の逃亡が数人を誘い、やがて集団での命令拒否へ発展してもおかしくない。

 

 その空気を切り裂くように、壁上から腹の底まで響くほどの声が降ってきた。

 

「注!!目おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおく!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 先ほどまで騒いでいた兵士たちが、一斉に壁上を見上げた。

 

 そこに立っていたのは、駐屯兵団最高責任者ドット・ピクシスである。老人とは思えないほど張りのある声は広場の端まで届き、ざわめきを一度で押さえ込んだ。

 

「これよりトロスト区奪還作戦について説明する! まず諸君に知らせておかねばならんことがある!」

 

 兵士たちの間に再びざわめきが走ったが、今度は勝手に叫び出す者はいなかった。

 

「本日、巨人の姿となって他の巨人を討ち取った者がおる。名はエレン・イェーガー訓練兵。軍が極秘裏に研究してきた人間兵器じゃ!」

 

「人間兵器……?」

 

「じゃあ、軍は最初からあれを知ってたのか?」

 

 兵士たちが顔を見合わせる。

 

 もちろん、ピクシスが今作った説明だった。人間が突然巨人になったという事実をそのまま話せば、ただでさえ恐慌状態にある兵士たちへ新たな恐怖を与えるだけである。

 

 だが「軍が管理していた極秘兵器」と説明すれば、意味合いは大きく変わる。少なくとも、理解不能な化け物ではなく、人類側が運用できる戦力として受け止めさせる余地が生まれる。

 

 ピクシスは兵士たちが再び疑念を膨らませるより早く、続けて声を張った。

 

「そしてもう一人、本日このトロスト区において、数多くの巨人を討ち取った兵士を諸君もすでに知っておるはずじゃ! 第104期訓練兵団首席、ディエゴ・ブランドー!」

 

 今度のざわめきは先ほどとは性質が違っていた。

 

「あいつか……後衛で馬に乗ったまま巨人を斬ってた奴だろ?」

 

「補給本部の周囲も、ほとんど一人で片づけたって聞いたぞ」

 

「俺は実際に見た。あいつが先に道を開いてなかったら、本部まで辿り着けなかった」

 

 今日一日の出来事だけでも、ディエゴの名はすでにかなりの範囲へ広まっていた。巨人の死体という分かりやすい証拠まで残っている以上、単なる噂として片づける者も少ない。

 

 ピクシスはその反応を確認してから、今回の作戦の核心を告げた。

 

「今回の奪還作戦では、イェーガー訓練兵とブランドー訓練兵、この二人を軸とする! イェーガー訓練兵には巨人化した状態で市街地にある巨大な岩を運ばせ、破壊された扉を塞がせる。ブランドー訓練兵を中心とする精鋭班は、その間イェーガーを守り抜け! それ以外の兵は別方向へ巨人を誘導し、岩を運ぶ進路から遠ざけるのじゃ!」

 

 無茶な作戦ではあったが、何をすればいいのかは明確だった。エレンが岩を運び、護衛班がその周囲を守り、別働隊が巨人を遠ざける。成功すれば穴が塞がり、新たな巨人の侵入を止められる。

 

 人類が奪われた場所を初めて取り返せるかもしれない。

 

 その可能性が提示されたことで、先ほどまで絶望しかなかった兵士たちの表情に、僅かながら別の色が混じり始めた。

 

          ◆

 

 同じ頃、壁上の別の場所では、アルミンとミカサがピクシスの側近や作戦指揮を担当する兵士たちへ、より具体的な役割分担を説明していた。

 

「エレンが岩を運ぶ間、護衛は少数精鋭に絞った方がいいと思います。人数を増やしすぎると、その人数そのものが巨人を引き寄せる原因になります」

 

 アルミンは地図の上へ指を滑らせ、巨大な岩から破壊された門までの経路を示した。

 

「ミカサ、ディエゴ、それから駐屯兵団の精鋭班をエレンの周囲へ配置して、進路へ入ってきた巨人だけを処理します」

 

「その他の兵はどうする?」

 

 側近の一人が尋ねる。

 

「エレンの進路とは逆方向へ巨人を誘導してもらいます。大部分を囮部隊へ引きつけられれば、護衛側が同時に相手をする数を減らせます」

 

「問題はここだ」

 

 別の兵士が地図上に記された破壊された門を指した。

 

「穴から新しく入ってくる巨人は囮の位置を知らん。進路次第では、そのままイェーガーの方へ来るぞ」

 

 アルミンは少しだけ考え、隣にいるミカサと顔を見合わせてから答えた。

 

「そこは、ディエゴに優先して処理してもらいます」

 

「一人に任せるのか?」

 

「完全に一人へ任せるわけではありません。ただ、侵入直後の巨人を放置すれば、囮へ誘導する前にエレンの進路へ入ってしまう可能性が高い。だから最初の迎撃だけは、最も機動力と討伐能力の高いディエゴを中心にするべきだと思います」

 

 兵士はまだ半信半疑らしく、眉をひそめた。

 

「お前たちは同期なんだろう。ブランドーという訓練兵は、本当にそこまでやれるのか?」

 

 アルミンとミカサは、ほとんど同時に頷いた。

 

「「できます」」

 

 声まで重なったため、質問した兵士が少し驚いた顔をした。

 

 アルミンは今日見たものを、誇張せず順番に説明していく。

 

「後衛区域では、ディエゴは馬に乗ったまま何体もの巨人を倒しました。馬だけじゃなく立体機動装置も併用して、必要なら巨人の身体まで足場にしていました」

 

「馬に乗ったまま?」

 

「はい。それから補給本部へ向かう途中でも、僕たちより先に巨人を倒して進路を作っています。補給所の中では、自分の担当を仕留めた直後にサシャの失敗へ気づいて、彼女を救出してから隣の巨人まで処理しました」

 

「待て。自分の一体を倒した直後に、他人の担当まで?」

 

「正確には、その間にサシャを巨人の手から救っています」

 

 アルミンが淡々と説明するほど、兵士たちの表情は怪しくなっていった。

 

 そこでミカサも口を開く。

 

「訓練兵時代、私は一度もディエゴに勝てなかった」

 

 今度は完全に沈黙が落ちた。

 

「……お前が?」

 

「はい。模擬戦でも、立体機動でも、近接戦闘でも勝てませんでした」

 

「アッカーマン訓練兵の成績も、歴代で見ても異常だと聞いているが」

 

「それでも一度も勝っていません。それに五年前、まだ子供だったディエゴは、立体機動装置を使わず巨人を一体倒しています」

 

「ちょっと待て。今、立体機動装置なしと言ったのか?」

 

「そうです」

 

「どうやって?」

 

「巨人の攻撃を避けて腕へ乗り、そのまま身体を駆け上がって、うなじを斬りました」

 

 兵士たちはしばらく何も言わなかった。

 

 やがて一人が地図へ視線を戻し、先ほどまでとは違う真剣な表情で門の位置を確認する。

 

「なるほどな。完全に一人へ任せるのは危険でも、侵入直後の一体か二体を素早く削らせる役には向いてる。それなら精鋭班もイェーガーから大きく離れずに済む」

 

「はい。僕もそれが一番いいと思います」

 

 アルミンが頷く。

 

 ミカサも地図へ視線を落としながら付け加えた。

 

「ディエゴが『エレンへ一匹も近づけない』と言ったなら、普通の巨人が相手である限り、信用していい」

 

 その口調には、つい先ほど本人へ刃を向けた人間とは思えないほどの確信があった。

 

          ◆

 

 壁下では、ピクシスの演説が続いていた。

 

 作戦の目的を聞いたからといって、当然ながら全員が勇気を取り戻したわけではない。むしろ具体的に何をするのか分かったことで、自分が再び巨人の前へ出なければならない現実を突きつけられた者もいた。

 

「無理だ……こんな作戦、成功するわけがない」

 

 誰かが呟き、別の兵士が一歩後ろへ下がった。

 

「俺は降りる。家族が無事かどうかも分からないんだ。こんなところで死んだら何のために生き残ったのか分からねえよ」

 

 それをきっかけに、数人が持ち場を離れようとした。

 

 しかし、ピクシスは彼らへ戻れとは命じなかった。

 

「去りたい者は去るがよい! そして恐怖に負けた己を責める必要もない。巨人を恐れるのは当然のことじゃ!」

 

 逃げかけていた兵士たちの足が止まった。

 

 ピクシスは彼らを臆病者とは呼ばなかった。その代わり、今日ここで逃げて生き延びたとしても、巨人への恐怖そのものが消えるわけではなく、いつか自分たちの家族や子供が同じ恐怖を背負うことになると語った。

 

 無理に勇敢になれとは言わない。それでも、自分たちが抱えた恐怖を次の世代へそのまま押しつけるのか、それとも今日ここで一度だけ踏み止まるのか、それを選ぶのは自分自身だと問いかける。

 

 命令だから戦えと言われるより、その言葉の方が兵士たちには深く刺さった。

 

 ジャンは黙って聞きながら拳を握る。

 

「……上手いな、あの爺さん」

 

 ユミルが小さく笑った。

 

「逃げるなって言われるより、逃げていいって言われた方が逃げにくくなる奴もいるからな」

 

「言い方がひねくれてんな」

 

「事実だろ?」

 

 ライナーは二人の会話を聞きながらも、壁上の作戦本部へ視線を向けていた。

 

 エレンとディエゴという二つの異常な戦力が、人類の反攻作戦の中心へ据えられようとしている。それが自分たちの目的へどのような影響を与えるのか、今の段階ではまだ判断できなかった。

 

          ◆

 

 作戦が始まると、エレン、ミカサ、ディエゴは駐屯兵団の精鋭班とともに、市街地にある巨大な岩を目指した。

 

 班を率いるイアン・ディートリッヒは、立体機動で建物を移りながらエレンへ声を飛ばす。

 

「イェーガー訓練兵、いいか。お前の仕事は一つだけだ。巨人になって岩を持ち上げ、破壊された扉へ運ぶ。それ以外のことは考えるな」

 

「はい!」

 

「穴を塞げるなら、こちらは何を犠牲にしてでもお前を最優先で守る。周囲の巨人はこちらが引き受けるから、お前は岩だけを見ろ」

 

 エレンの表情が僅かに強張ったところへ、横を走るシルバーバレットの上からディエゴが口を挟んだ。

 

「オレに手を汚させるなよ。同期を手に掛けるのはちょっぴり心が痛みそうなんでな」

 

 ミカサがすぐにディエゴを見る。

 

「エレンを殺さないで」

 

「それはこいつ次第だ。人間を襲わず予定通り岩を運ぶなら、オレが殺す理由はない。暴れてこっちへ向かってきたら話は別だがな」

 

「そんなことはさせない」

 

「なら問題ない」

 

 ミカサはまだ何か言いたそうだったが、エレンが間へ入るように口を開いた。

 

「もういいよ。ディエゴの言ってることは間違ってない」

 

 ディエゴが少し笑う。

 

「少しは物分かりが良くなったじゃあないか」

 

「うるせえ」

 

「雑魚はオレが順番にバラす。だからせいぜい働けよ、エレン。」

 

 エレンは一瞬驚いた顔をしたが、その言葉を聞くと肩から少しだけ力が抜けたらしく、小さく笑った。

 

「だったら、どうせなら囮の方も助けに行ってやってくれよ」

 

「お前が穴を塞いだらな。先に自分の仕事を片づけろ」

 

「分かったよ」

 

 穴を空けた直接の原因はディエゴである。

 

その穴が転じて巨人化の人間をあぶり出すとはわからないものだ、と内心ディエゴは笑った。もちろん、罪悪感などこの男はこれっぽっちも感じていない

 

 イアンは二人のやり取りを聞きながら、僅かに口元を緩めた。

 

「随分信用されてるじゃないか、イェーガー」

 

「これが信用に聞こえますか?」

 

「少なくとも、あのブランドーが『守る』と言ってるんだ。悪い話じゃない」

 

 エレンは何とも言えない顔になったが、岩のある地点が近づくとすぐに表情を引き締めた。

 

「ここだ!」

 

 イアンの合図を受け、全員が屋根や周囲の建物へ展開する。

 

 エレンは巨大な岩と破壊された門を順番に見た後、自分の左手へ歯を立てた。

 

 閃光が弾け、熱風と蒸気が周囲へ広がる。

 

 肉と骨が一気に形成され、今度は脚まで備えた完全な巨人体が立ち上がった。

 

「成功した!」

 

 精鋭班の一人が声を上げ、ミカサの表情にも僅かな安堵が浮かんだ。

 

 ところが、その直後だった。

 

 巨人化したエレンが岩ではなくミカサへ顔を向け、そのまま身体を捻って巨大な拳を振り抜いた。

 

「ミカサ!」

 

 エレンの拳が建物の一部を砕いたが、ミカサは直撃寸前に立体機動装置を噴かして側方へ逃れていた。

 

「エレン!」

 

 そのまま距離を取るのではなく、すぐさまエレンの顔付近へ飛び、頬の近くへアンカーを打ち込む。

 

「私が分からないの!? 私はミカサ! あなたの家族!」

 

 しかし、巨人の目には普段のエレンらしい理性がない。

 

 もう一度巨大な腕が持ち上がる。

 

「やめて、エレン!」

 

 ミカサが身構えたものの、今度の拳は彼女へ向かわなかった。

 

 エレンは自分自身の頭部へ拳を叩き込み、顔面の一部を大きく潰した。直後に巨体から力が抜け、建物へもたれかかるように動きを止める。

 

「……エレン?」

 

 ミカサが呆然と呼びかける。

 

 リコはエレンだけでなく、周囲の状況まで確認した。囮部隊はすでに作戦通り巨人を誘導し始めているのに、肝心のエレンが動かない。このまま待てば、巨人を引きつけている兵士たちだけが一方的に消耗していく。

 

「わかってたよ、そんな兵器がないことくらい…作戦失敗は失敗だ」

 

 リコは即座に信号弾を撃ち上げた。

 

 赤い煙が空へ伸びる。

 

「オイオイオイオイ」

 

 それを見たディエゴが声をかけた。

 

「何だ!」

 

 リコが振り返る。

 

「イェーガーは自分で頭を潰して動かなくなった! このまま作戦を続けても、囮部隊の犠牲が増えるだけだ!」

 

「そう。ただ、動かなくなっただけだ」

 

 ディエゴはエレン巨人を眺めながら、何でもないことのように答えた。

 

「巨人には再生能力がある。うなじを切られていない以上、頭が潰れた程度ならまだ生きてる」

 

「再生したところで、また動いてこちらの言うことを聞く保証がどこにある!」

 

「保証なんかないさ。ただし、こいつが手足を再生したことはもう確認済みだし、今も頭部の組織は再生し始めてる。なら、少なくとも今この瞬間に捨てる理由もない」

 

 ディエゴは周囲へ迫る巨人の位置を確認し、さらに続けた。

 

「問題は、エレンが戻るまでの時間だけだ。それまでは当初の予定通り、エレンに近づいてきた巨人をオレたちが切ればいい。作戦の目的自体は何も変わっちゃいない」

 

 口調は驚くほど平静だった。

 

 ディエゴ自身も、まだ作戦を捨てる段階ではないと考えている。それどころか、エレンが本当に生命を失いそうになった場合には、その直前でスケアリー・モンスターズを発動させるつもりさえあった。巨人状態のエレンを恐竜化させた時に何が起こるかは未知数だが、貴重な知性巨人を何も試さず失うよりは遥かにましである。

 

「ふざけるな!」

 

 精鋭班の一人が激昂した。

 

「戻る保証もない奴のために、何人死なせるつもりだ!」

 

「一人の訓練兵を守るために、これ以上犠牲を増やすのか!?」

 

 ディエゴが答えるより先に、イアンが怒鳴った。

 

「守るんだ! イェーガーを守れ!」

 

 全員がイアンを見る。

 

「何人犠牲が出ても、こいつだけは今ここで捨てるな!」

 

「イアン!」

 

 リコが信じられないという顔をする。

 

「正気なの!?」

 

「なら逆に聞く! こいつを捨てて、どうやって人類は巨人に勝つんだ!」

 

 イアンは動かないエレン巨人を指差した。

 

「巨大な岩を持って穴を塞げる可能性があるのは、今のところこいつだけだ! ここで捨てたら、また元の籠城に戻るだけだぞ!」

 

「それは……」

 

 リコは言葉に詰まり、無意識にディエゴへ視線を向けた。

 

 他の兵士たちも、つられるように同じ方向を見る。

 

 その視線に含まれた意味を、ディエゴはすぐに察した。

 

 エレンが使えなくても、ディエゴなら何とかできるのではないか。

 

 自分たち人類が苦労して、殺され続けた巨人たちを。まるで小学生の宿題でも解くかのように軽々と、こともなげに殺してのける。

 

 今日の戦果を聞けば、こいつなら…そんな期待が生まれてくる。

 

 ディエゴは彼らの顔を見る代わりに、少し離れた巨大な岩を指差した。

 

「まさかと思うが、オレにあれを運べって言うつもりか?」

 

 誰も答えなかった。

 

 ディエゴはその沈黙を肯定と受け取り、ゆっくり口元を歪めた。

 

「なかなか面白い冗談だな。兵士ってのは長く続けていると、そんなイカしたジョークまで言えるようになるのか? すげー羨ましい」

 

「貴様……!」

 

「馬鹿にしてるのか!」

 

「やめろ!」

 

 イアンが間へ入り、怒りかけた兵士たちを止める。

 

「ブランドー、お前も余計に煽るな!」

 

「失礼しました」

 

 口調だけは丁寧だったが、ディエゴの顔には反省など欠片もなかった。

 

 リコは苛立ちを噛み殺しながらも、やがて息を吐いた。

 

「……気に入らないけど、イアンの言ってることは正しい。ブランドーがいくら巨人を殺せても、あの岩を持ち上げて穴へ運ぶ役まで代われるわけじゃない。イェーガーには代わりがいない」

 

 その時、遠くから重い足音が響いた。

 

 囮部隊が別方向へ大半の巨人を引きつけているとはいえ、すべてを誘導できるわけではない。十二メートル級が一体、エレンのいる地点へ向かってきており、さらに破壊された門の向こうからは新たに四体の巨人が侵入し始めていた。

 

「私が十二メートル級をやる!」

 

 リコがブレードを構える。

 

「門から来る連中は――」

 

「先輩方が手を汚す必要もないでしょう」

 

 ディエゴが慇懃無礼な調子で遮った。

 

「何?」

 

「十二メートルを先に落として、そのまま門側へ回ります。残りがエレンのところへ抜けそうなら、その時だけ手伝ってください」

 

 そう告げると、ディエゴは屋根の端へ歩き、大きく息を吸った。

 

「来い! シルバーバレット!」

 

 次の瞬間、離れた建物の向こうから馬のいななきが響いた。

 

「は?」

 

 精鋭班の一人が間の抜けた声を漏らす。

 

 別の建物の屋根から銀灰色の馬が姿を現し、そのまま瓦を蹴散らしながら屋根から屋根へ飛び移ってくる。

 

「……ここ、屋根の上だぞ」

 

 誰かが呆然と呟いた。

 

 シルバーバレットはそんな疑問など知らぬ顔で最後の隙間を飛び越え、ディエゴの前へ着地する。

 

「遅い」

 

 ディエゴは当然のように鞍へ跨がった。

「行くぞ」

 

 手綱を引いた瞬間、シルバーバレットが一気に加速する。

 

 十二メートル級がディエゴを見つけ、正面から腕を伸ばした。

 

 しかし、巨人が想定したより馬の加速は速い。

 

 シルバーバレットは足元へ到達する直前で進路を斜めへ変え、伸びてきた手の外側をすり抜けながら巨人の脚へ踏み込んだ。部分的な恐竜化によって強化された四肢が皮膚を捉え、そのまま巨体の外側を駆け上がる。

 

「WRYYYYYッ!」

 

 ディエゴは腰の高さまで来たところで鞍を蹴り、巨人の身体を足場にして肩まで跳んだ。

 

 振り向こうとする巨人より早く背後へ回り、うなじへブレードを通す。

 

 深く肉を削ぎ取られた巨人が傾き始める。

 

 ディエゴは倒れる身体を踏み台にして跳び、下を走り抜けていたシルバーバレットの鞍へ再び戻った。

 

 そのまま速度を落とさず、門から侵入してきた四体へ向かう。

 

 先頭の十メートル級が迫る馬へ手を伸ばした。

 

 今度は脚を駆け上がらない。

 

 ディエゴは馬上から大きく身体を横へ倒して指を避けると、すれ違う瞬間に巨人の前腕へアンカーを打ち込んだ。

 

 ワイヤーが巻き取られ、シルバーバレットの前進速度と立体機動装置の牽引力が重なる。

 

 ディエゴの身体が巨人の脇を高速で抜け、弧を描くように背後へ回り込んだ。

 

 狙う場所は最初から一つしかない。

 

 振り向く暇も与えず、うなじを切断する。

 

 先頭の巨人が倒れ込んだことで、そのすぐ後ろにいた三体が進路を塞がれ、僅かに足を止めた。

 

 ディエゴはそこまで見越していた。

 

「今だ!」

 

 イアンも意図を理解し、即座に叫ぶ。

 

「残り三体を分断する! 俺たちも続け!」

 

 精鋭班が一斉に飛び出した。

 

 ディエゴが最初の二体を高速で処理したことで、残りの巨人は固まったままエレンへ押し寄せることができなくなった。イアンたちは一体ずつ別方向から注意を引き、護衛地点から離れすぎない範囲で討伐へ移る。

 

「アッカーマン訓練兵はここに残れ! イェーガーから離れるな!」

 

「了解」

 

 ミカサはすぐにエレンのうなじ付近へ戻り、再生を続ける巨人体を警戒した。

 

          ◆

 

 一方、遠方では作戦失敗を示す赤い信号弾を見たアルミンが、顔色を変えていた。

 

 あの信号は、エレンが岩を運べず作戦続行が困難になったことを意味する。

 

「エレン……!」

 

 何が起きたのか確かめるため、アルミンは立体機動装置を使って護衛地点へ急いだ。

 

 到着した時、巨人化したエレンは建物へもたれかかり、破壊された頭部をゆっくり再生していた。

 

「アルミン!」

 

 ミカサが振り返る。

 

「何があったの!?」

 

「変身した直後、エレンが私に殴りかかってきた。それから自分の頭を殴って、今は呼びかけても反応しない」

 

「中のエレンは?」

 

「分からない」

 

 アルミンは巨人の表情と再生している頭部を見た後、うなじへ目を向けた。

 

「中にいるなら、直接話すしかない…!」

 

 立体機動装置で首元へ移動し、ブレードを巨人のうなじへ慎重に差し込む。倒すためではなく、肉を切り開いて内部にいるエレンへ刺激を届けるためだった。

 

「エレン! 聞こえるか!」

 

 返事はない。

 

 アルミンはさらに刃を進める。

 

 その時、内部で僅かに何かが動いた感触があった。

 

「エレン、思い出せ! 何のためにここへ来たんだ!」

 

 壁の外へ行きたいと語ったこと。

 

 海を見たいと言ったこと。

 

 炎の水や氷の大地、まだ誰も見たことのない世界。

 

 巨人に奪われたままで終わるのか。

 

 ここで眠ったままでいいのか。

 

 アルミンは、二人で何度も語った夢を一つずつエレンへ投げかけた。

 

 やがて力なく垂れていた巨人の指先が僅かに動いた。

 

「エレン!」

 

 アルミンの最後の叫びに応えるように、巨人の目がゆっくりと開いた。

 

          ◆

 

 護衛班がエレンの周囲へ流れ込む巨人を処理し続けていると、やがて背後から重い地響きが聞こえ始めた。

 

 門側で三体目の巨人を仕留めたディエゴが振り返ると、先ほどまで建物へもたれていたエレン巨人が立ち上がり、両腕を巨大な岩へ回しているところだった。

 

 全身の筋肉が膨れ上がる。

 

 岩がゆっくりと地面から離れた。

 

「おっ、なかなかのパワーじゃあないか」

 

 ディエゴは素直に感心した。

 

 あれほど巨大な岩を抱えたまま歩けるのであれば、通常の巨人とは筋力の質が明らかに違う。

 

 同時に、別の興味が頭をもたげる。

 

 あの巨人体をスケアリー・モンスターズで恐竜化した場合、筋力はどこまで上がるのか。速度や耐久力にどれほど影響が出るのか。そして何より、エレン本人の知性を保ったまま自分の命令へ従わせることができるのか。

 

 想像しているうちに、ディエゴの口元から笑みが漏れた。

 

「クク……やる気と希望がムンムン湧いてくるな」

 

 ただし、それを試すのは今ではない。

 

 エレンが岩を持ち上げたことで、作戦は再び動き始めた。

 

 巨人化したエレンは両腕を塞がれた状態で、ゆっくり門へ向かって歩き出す。自分で戦うことはできないため、護衛班は進路を塞ぐ巨人だけを優先して処理しなければならない。

 

 さらに破壊された門から九メートル級が一体入ってきた。

 

「またか」

 

 ディエゴはシルバーバレットの腹を軽く蹴る。

 

「SYAAAAAAッ!」

 

 馬が一気に加速する。

 

 九メートル級が振り向いて手を伸ばす頃には、ディエゴはすでにその死角へ入り込んでいた。アンカーで身体を引き上げ、背後からうなじを一閃する。

 

 巨体が倒れ始めても立ち止まらず、すぐに次の標的を探す。

 

 門から侵入した巨人を最初にディエゴが落とし、そこを抜けた個体をイアンたちが処理する。その役割分担によって、エレンの前方にはどうにか進めるだけの空間が維持されていた。

 

 一方、街中に残っている巨人の大半は囮部隊へ引き寄せられている。

 

 しかし、誘導する側も無傷では済まない。

 

 ガスを使い切った者、馬を失った者の中には、立体機動装置すら捨てて地上へ残り、自分の声だけで巨人を引きつける兵士まで現れ始めていた。

 

「こっちだ!」

 

「来い、化け物!」

 

 建物を叩き、声を張り、自分へ注意を向けた巨人を少しでもエレンから遠ざける。

 

 逃げる手段を失えば、そのまま食われる可能性が高い。

 

 それでも彼らは止めなかった。

 

 ディエゴは門付近へ現れた巨人のうなじを切りながら、遠くで囮になっている兵士たちへ一度だけ視線を向ける。

 

「必死なことだ。兵士ってのはみんなこうなのか?」

 

 自己犠牲そのものに感動するたまではない。

 

 自分が死ぬ可能性を理解したうえで、一つの目的のためにそこまで動ける人間の執念をあきれるような顔で見ていた。

 

 囮部隊が大半を遠ざけ、護衛班が漏れた個体を処理し、ディエゴが門から新しく侵入する巨人を優先して潰す。

 

 三つの役割が噛み合ったことで、エレンは岩を抱えたまま少しずつ門へ近づいていった。

 

 そして、ついに破壊された穴の目前まで辿り着く。

 

「オオオオオオオオオオッ!!」

 

 巨人化したエレンが咆哮を上げ、最後の力を振り絞って岩を押し込んだ。

 

 巨大な岩と城壁がぶつかる轟音がトロスト区へ響き渡り、砕けた石片と大量の粉塵が周囲へ舞い上がる。

 

 しばらくして煙が薄れると、そこにあったはずの穴は巨大な岩によって完全に塞がれていた。

 

「……やった」

 

 誰かが信じられないように呟いた。

 

 その一言をきっかけに、兵士たちの間から歓声が一気に上がった。

 

「塞いだぞ!」

 

「穴が塞がった!」

 

「本当にやったんだ!」

 

 人類が初めて、巨人に奪われた場所を自分たちの手で取り戻した瞬間だった。

 

          ◆

 

 岩を押し込んだエレン巨人は、その場で力尽きるように動きを止めた。

 

「エレン!」

 

 ミカサとアルミンはすぐにうなじへ向かい、肉を切り開いて中にいるエレンを引き出そうとした。

 

 しかし、巨人体とエレン本人の接合は予想以上に深い。

 

「取れない!」

 

 ミカサが焦った声を上げる。

 

「身体が巨人とくっついてる!」

 

「無理に引っ張るな! エレンの身体まで傷つく!」

 

 アルミンは接合部分を確認しながら、どこを切れば安全に引き離せるか考える。

 

 問題は、その作業に時間がかかることだった。

 

 穴は塞がったものの、市街地に残っている巨人が消えたわけではない。岩の周囲にも、獲物を見つけた巨人が新たに近づいている。

 

 ディエゴは少し離れた場所で、そのうち一体のうなじを切った。

 

「まだいるのか。知能が虫並みなら数もそうなのか?」

 

 さすがに飽きてきた。

 

 通常の巨人は動きが単純で、攻撃の軌道も読みやすい。弱点もすべて同じ場所にあり、今のディエゴにとっては大きさ以外に違いを感じにくくなっていた。

 

 もう一体を倒し、次の標的を探そうとした時だった。

 

 視界の端を、何かが異常な速度で横切った。

 

「……?」

 

 兵士だった。

 

 背中には調査兵団の紋章である自由の翼がある。

 

 その男はエレンの周囲へ近づいていた二体の巨人へ迷いなく飛び込んだ。

 

 一体目の巨人が腕を振るう。

 

 男はワイヤーを短く巻き取り、最小限の軌道でその腕をかわした。避けた勢いを殺さず身体を回転させ、そのまま巨人の背後へ滑り込む。

 

 ブレードがうなじを一度だけ通った。

 

 一体目が崩れ始める。

 

 男は倒れる巨人の肩へ一瞬だけ足をかけ、そこを新たな足場にして二体目へ向きを変えた。

 

 二体目が振り返る頃には、もう死角へ入っている。

 

 再び刃が走る。

 

 ほとんど時間差もなく、二体目も力を失った。

 

「……ほう」

 

 その一連の動きを見たディエゴの目が細くなる。

 

 単に速度が高いだけではない。

 

 ワイヤーを撃ち込む位置、重心の移し方、巨人に攻撃させるタイミング、斬撃後に次の標的へ移るための軌道まで、すべてが一続きになっている。

 

 余計な動きがほとんどない。

 

 あれは訓練だけで身につけた技術ではなかった。

 

 失敗すれば死ぬ戦場を何度も潜り抜け、そのたびに不要な動きを削り、最も生き残りやすい形へ技術を研ぎ澄ませてきた人間の動きだ。

 

 男は二体の巨人が蒸気を上げて崩れていく間に、エレンたちのすぐ近くへ着地した。

 

「おい、ガキ共。何がどうなってる。説明しろ」

 

 愛想の欠片もない低い声に、ミカサとアルミンが振り返る。

 

 少し離れた屋根の上でシルバーバレットを止めたディエゴは、その男を改めて観察した。

 

 体格は小柄で、目つきは鋭く、見るからに人当たりが良さそうな男ではない。

 

 だが、強い。

 

 それだけは先ほどの数秒を見ただけで十分に分かった。

 

 調査兵団兵士長リヴァイ。

 

 人類最強の兵士。

 

 噂だけなら何度も耳にしていたが、今の二体を処理した身のこなしを見る限り、その呼び名も単なる誇張ではなさそうだった。

 

「あれが人類最強か」

 

 ディエゴの口元が、ゆっくりと吊り上がる。

 

 通常の巨人には飽き始めていたところだ。

 

 そんな中で初めて目にした、自分以外の明確な強者。

 

 久しぶりに、人間を相手に少しばかり興味が湧いてきた。

 

 

 

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