風の吹く音や、虫の鳴声。駅の改札を通る音などを聞くとやけに安心するのは自分だけだろうか。
なんとなく、自分がいなくとも世界は回っているということに安心感を覚えてしまう。
特に何かがあったわけでもないが、ふとした瞬間に自分の存在意義について考えることが昔からよくあった。やるべきことがくるため、結論が出ることもなくその思考はいつも決まって中断されてきた。しかし、今はそうではない。
考える時間はずっと増えた。今やるべきことは特になく、周りには誰もいない。それ故、この無意味な思考を止めるものは自分以外に何一つとしてない。
思考を回し続けた末の結論として、結局のところ自分がいなくても世界、より狭くするのであればトレセン学園は存続するということだった。
一つの視点で物事を決定づけるには余りに判断材料が少なすぎる。トレセン学園で何十年働こうと、それはトレーナーとしての経験が積まれるだけであって、決して自分自身が過去より高度な存在になったというわけではない。
かねてより考えていた転職を実行するときが来たのだろう。
今日、トレセン学園を退職する。それが結論だった。
「さて、どう伝えるものか……」
話は通さなければならない。なんの相談もなしに去ってしまっては、かつて友人が自分にしたことと同じになってしまう。それだけは、なんとしても避けなければいけない。
しかし、具体的にどのような説明をするかが全く思いつかない。この気持ちをどう伝えればいいのかがわからないのだ。
ただ自分が不要と思った、というわけではない。
この人手不足のトレセン学園においてそんなことを思うやつはきっといないはずだ。で、あれば今自分が抱いている感情はどちらかといえば放棄に近いだろう。なんとなく、今抱えているものを置いて違う環境にいきたい。そういった感情だ。だがそんなものをどう説明すればいい?どうやったとて角が立つ。
「上手くやるしかないか…話をしに行かなければな」
「勝負よ、トレーナー!」
どうやらその必要はなかったらしい。
「…こんなことを言っても無駄だとはわかっているが、いい加減諦めてくれたほうが嬉しいんだが。だいたい、ただのパーティーゲームで一度負けたからって何度もリベンジに来られては困る。それに9回ほど続けたが君はまだ一度も勝っていないだろう」
「そうね。だから今日ここで勝つのよ!さあ、コントローラーを起動しなさい、トレーナー!」
「…わかったわかった、降参だ」
「今日こそは勝ってみせるわ。私はアーモンドアイだもの!」
「確かにアイ、君は多才だ。しかし、こればっかりは関係ないと思うが…」
「才能なんてなくて構わないわ。勝つまで続ければいいだけよ。とにかく、始めるわよ!」
「元気があってよろしいことで……」
まあそんな感じで、ゲームを始めることになった。
「ここはこうで……あれ、間違えちゃったわ!」
「あー……結構致命的なミスじゃないか、それ?」
「まずいわね……いや、大丈夫よ。きっと私なら巻き返せるはずだわ!」
「だいぶ劣勢に見えるのは俺だけか…?」
「ああっ、どうしてそうなっちゃうのよ!」
「まあ順当に俺の勝ちだな。なあ、もう辞めに……」
「何言ってるの、私が勝つまでやるに決まってるじゃない!」
「一応、言ってみただけだ。はぁ……」
担当ウマ娘だったということもあって少し贔屓目に見てしまうのかもしれないが、こういった周りを巻き込む姿勢は良くも悪くも人を引きつけやすい。
誰よりも負けず嫌いだからこそ、才能だけでなくここに至るまでに沢山の努力をしてきた。そんな彼女とここまで来れたというのは実に喜ばしいことだ。2日に1回、必ず勝負を仕掛けてくるのは少し困ったものだが……そこも愛嬌というものか。
「くっ、また負けたわ……いったいどうしてトレーナーはそんなに強いのかしら。何か秘訣があるの?」
「経験だよ。昔、こうやってよく遊んだからな」
「そうなのね。なら、私も続ければ勝てるってことよね!」
「うーん…まあ、そうか……?」
苦手なことでも続ければ案外できるようになったりする。しかし、多くの人間は苦手だからこそ成功を掴めずそれを続けることができない。着実に成長していく姿に、どこか懐かしさを覚えてしまうのはなぜなのだろう。
「少し、休憩にしよう」
「疲れたのね。なら、ゆっくり休みましょう。ゆっくり休んで回復したあなたに勝ってみせるわ!」
「申し訳ないが今日はもう終わりだ」
「ええっ?どうしてよ!」
さて、ちょうどいい頃合いだろうか。
「俺が今日ここを辞めようと思っているからだ。その為に色々とやることがある。ゲームはしていられない」
「……辞めるって、それ本気?」
「そうだ。今日、君に会う前はどこか迷っていたところもあったが、ようやく決心がついた。もうトレーナー業は終わりだ」
「どうしてかしら?私たちが歩んできた道筋を忘れたわけじゃないわよね。説明してくれるかしら」
「そう焦らずとも説明の時間くらいは取る。そうだな……君に感化された、というのが正しいだろうか。色々なことに挑戦し続ける君を見て、俺にもやりたいことができた」
「なにも辞める必要はないじゃない」
「全てを注いでこそウマ娘を勝利へ導ける。トレーナーとは皆そうだ。何かを得るには何かを差し出さなければならない。俺にとってはそれが時間、そして労力ということだ。トレーナーを続ける限り、十分な時間の確保は望めないだろう」
自分にそこまでの才能があるとは自惚れていない。ここまで来れたのはひとえにアーモンドアイ、彼女の資質があってこそだ。もちろんできる限りのことはしてきたが、だからといってそれを自分の功績にする気は起きない。
「本当にそうかしら?私には言い訳にしか聞こえないわ」
「俺と君とではできること、技能が余りに違いすぎる」
「別に私の理念をあなたに押し付けるつもりはないわ。私が言っているのは、あなたがトレーナーという職業から逃げることを正当化するためにやりたいことができた、と話しているようにしか聞こえないと言っているのよ」
「……たとえ君と過ごした時間がどれだけ長かろうと俺たちは結局他人でしかない。君が俺の真意を語るのは余りに傲慢だ」
「ええ、確かにそうね。だから私はあなたに聞いているのよ。あなたのその理由は現状からの逃避?それとも、未来をその手に掴む希望のどちら?」
そこまで踏み込んでくるとは、流石に予想していなかったな。アイの負けん気も考えものだな。
「その質問に答える意味はない。どちらであろうと、辞めるという事実に変わりはない。君には君の人生が、俺には俺の人生がある。干渉しすぎるのはやめておけ」
「それこそがあなたが逃避していると感じた理由そのものよ。あなたが本当に辞める気があったのなら、私に話なんかせず辞めてしまえばよかっただけよ」
「義理として話しておくべきだと感じただけだ」
「あら、私たちの関係は義理だったのね。残念だわ」
「そういう話じゃない。わかって言っているだろう?」
「それなら私の言うことも聞かずはいさようなら、なんて対応がどれだけ冷たい対応かはわかるでしょう?」
二律背反、元々破綻していた論理だった。しかし、矛盾しているからといって覆すつもりはない。一歩も引かぬ。
「逃避だったらどうした。それを話したところで、俺がトレーナーを続けるに足る何かを君が提示できると?」
「あなたが私にとって、周囲の人間にとってどれだけの存在かを話したところで結論は変わらないでしょうね。だからせめて、私には心の内だけでも打ち明けてほしいの」
「トレーナーであるからには、俺は強くありたい。君に相応しいような、そんな人間に。弱さを打ち明けることとそれは両立することができない」
「弱みを見せず、常に強い姿勢を見せ続けることが強さの証明なんて考えは未熟よ。それならあなたが見てきた私はどれだけ弱い存在なのかしら?」
「君が強いことと考えが正しいかどうかは話が違う。自分が見えている世界がすべてと断ずることこそ未熟だ」
「正しくない考えを持つ人間が人として強いとは到底思えないわ。あなたが今も続けている逃げの姿勢が、強い人間の姿勢だと思っているの?」
アイの勝負に対する姿勢と自分の論理はあまりに相性が悪い。引いた距離以上に踏み込んでくる彼女に対しては後手に回り続けるしかない。多少の開示はもはや避けられないか。
「同じ志を持った友人と、ずっとトレーナーを目指してきた。しかし、友人は現実に耐えることができず、対等な存在として居続けるために俺の前から姿を消した。君には、それと同じことをしたくはなかった」
友人はトレーナーになる過程に耐えきることができなかった。だが、俺はトレーナーとしての責任や現実から今逃げようとしている。友人と俺は、結局どこまでも対等だったんだろう。
「もうこの際弱くともいい。俺と君はどこまでいっても他人だ。俺が弱くとも、君の強さが損なわれるわけではない。今の現実に俺は耐えきる強さを持ってなんかいない」
「いつからあなたが独りになったの?他人だからこそ私はあなたに手を貸してあげることができる。あなただってそうよ。私達は2人で強くなればいいだけじゃない」
「君がどれだけ強かろうと俺は現実の重みに耐えられない。友人1人助けられなかった俺には、誰かに手を貸す余裕がない」
「そんなの、何の問題にもならないわ。だって私は、アーモンドアイだもの!私があなたの分も、まとめて背負ってみせるわ!」
どこまでも強く眩しい、アーモンドアイ。彼女を少し過小評価しすぎていたのかもしれない。
「全てを背負われては俺の立つ瀬がない。君のも少しは、俺が背負ってみせるさ」
「ええ、お願いね。トレーナー!」
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「っていうことがあったのよ、ララ。やっぱりトレーナーは私のことが好きなんじゃないかしら!」
「ええ、まあ。そうなんちゃいます?」
アイさんが急に深刻なトーンで話してきて、なんやえらい重要な話やなぁおもたら結局惚気やないか!
「あ、そういえば結局ゲームの話はどうなったんです?」
「い、いつか必ず勝ってみせるわ!」
「アイさん、毎回それ言ってるけど結局ゲームは勝ててへんのやな……というかアイさん、前やったときえらい強くなってたやんな?そないにあの人強いん?」
確かに最初はえらい弱かったけど、最近やった時はうちが普通に負けたくらい強なっとったのに。怪しいなあ……
「……そうよ!」
「なんや、会う口実にしてるだけやないか……」
「ち、違うわ。緊張しちゃうのよ!ゲームなんてまともにやってられないに決まってるじゃない!」
「アイはんも案外乙女やねんな……」
「絶対に次こそ勝ってみせるわ!」
「その言葉を聞いたのなんべんや思てるん?」