「あ、あの、貴女は……?」
僕は恐る恐る問うた。女性は至って涼し気な顔で黒い髪を自らの手で弄っている。
敵なのか。味方なのか。ただそれだけが気掛かりだった。
「私は只の通りすがりよ。このサーベルタイガー……ティーガーと一緒に旅をしてる」
僕は全身の力が抜けた。追手じゃなかった、ただそれだけで今は救われた気分だった。
「走竜たちが騒がしいから後を付けてたの」
「ソウ、リュウ……?」
聞きなれぬ言葉に僕は聞き返す。
「さっき貴方達を取り囲んでた奴らの事。ドロマエオサウルスって正式名称があるらしいけど……長いし呼びづらいから、私達恐竜乗りは走竜って呼んでるの。地面を走る鳥みたいな竜。だから走竜」
「……つまり、走竜って俗称なんですね」
「そうりゅうことよ」
「は?」
今すっごく寒いダジャレを言われた気がしたんだけど。「そういう事」と「走竜」をかけた大変面白いジョークのつもり? 反応しなけりゃ良かった。
「賢いし群れるし足が速いし相手が自分より大きくても、勝てると踏んだら集団で襲い掛かる。恐竜界のゴブリンみたいな連中よ」
「ゴブ……リン?」
「緑色の小さい鬼みたいな創作上のモンスター。走竜の性質はアレと大体同じ。そして、恐竜の中では小さいと言えど生身の人間で勝てる相手じゃない」
レトリバーと同じサイズの牙が生えた鳥に群がられたら人は死ぬのである。今考えても背筋が凍る光景だ。
「でも、奴らは賢いから自分より強い相手を見ると逃げていくの。私達みたいな強者には逆らわないわ」
自分で言うのか……まあ助けられたから良しとしよう。
「取り合えず私の家に来る? そっちの赤毛の女の子はバテてるし」
「あっ、メガ……」
「うーん……」
そう言えば反応が無かったのでメガの方を見ていなかった。
完全に目を回して気絶してしまっている。変身しようとして最後の力を使い切ってしまったのだろうか。
「じゃあ、お邪魔させてください」
「良いわ。トクベツなものは無いけど……お茶くらいは出せるから」
そう言って女性は振り返った。
僕は──大きな声を上げそうになった。
さっきの走竜が女性の背中にしがみつき、後頭部をずっとガブガブ齧っているのである。
僕は恐る恐る手を挙げながら指摘した。いや、指摘せねばなるまい。
「……あのー、すいません。齧られてますけど。思いっきり齧られてますけど。大丈夫なんですかソレ」
「……」
「あの? もしもし?」
「貴方、何か勘違いしてるんじゃないかしら。これは齧られてるんじゃないの。むしろ齧らせてやってるまであるのよ」
「今の間は何ですか? 言い訳を考えていたんじゃないですか?」
「言い訳なんてして良い訳? とでも言いたげね」
もう突っ込まないぞ僕は。絶対に。
「確かに走竜のあんちくしょう共は強者に喧嘩を売らない。だからこれは強者の余裕。そう、この私が敢えて齧らせてやってるの」
では此処で走竜君の声を聞いてみよう。
「キェー(ゴハン!! 今日のゴハン!! こいつザコ!! 弱い!!)」
はい駄目です、完全に餌扱いです。
「細かい事気にするんじゃないの。さっさと行くわよ」
「えええ!? 本当にそのままで行くんですか!? 正気!? そいつせめて追っ払ってからいきません!?」
「大丈夫大丈夫、このくらいで私死なないから」
「死ななきゃ良いってもんでもなくないですか!?」
何だろう。すっごく先行きが心配になってきた。
※※※
女性の住居は、森の中に建てられたツリーハウスだった。
ベッドの上で大イビキをかきながら寝ているメガを横目に、僕は事情を女性に話した。
「遅れたけど自己紹介しとく。私はレモン。レモン・シトラス。各地で歴史や遺物を調べてるの」
「僕はイクサ。そこで寝てるのがメガ。メガラプトルのメガ」
「……にわかに信じられないけど、此処で変身されても困るから黙っておくわ。部屋が壊れるし、うちの子……ティーガーがびっくりする」
彼女は眉間を摘みながら面倒そうに呟く。びっくりするどころの話ではないと思うが。
「要するに貴方は研究所で育ったデザイナーベビー。そして、研究所が武装組織に襲われて逃げてきた、と」
「そんなところだけど……」
「そっちの女の子は? 服を着てないじゃない」
「色々ワケアリなんですよ。大目に見てください」
「女の子二人で逃亡だなんて大変だったわね」
「あの、僕、男です……」
女性は僕の顔を二度見した。そして──もう一度眉間を摘む。
その反応はちょっと傷つくぞ。
「貴方の研究所はきっと企業同士の武力衝突に巻き込まれたのよ。この世界ではよくある事だわね」
「よくある事なのか……困るなあ……」
「それで? 貴方どうやって逃げてきたの。恐竜は?」
「……そこで寝てます」
「は?」
女性は──ベッドの上を見た。
シャツとパンツを履かされたメガが大イビキをかいて寝ているだけだ。
「……貴方、ジョークが上手ね。どっからどう見ても普通の女の子だけど」
貴女のしょうもないジョーク程じゃないよ、と言いかけたが胸の中で堪えた。誰か褒めてほしいところである。
「……うちの研究所でやってた怪しい遺伝子実験の賜物なんだと。本人は人間の姿嫌がってるんだけど」
「この世界ではよくある事だわ。流石に人間に変身する恐竜は初めてだけど」
外の世界に出るのは初めてだが、意外にこのような事例はありふれているのだろうか。ありふれていると困るのであるが。
「研究所の外は初めて?」
「うん……外の世界の常識は勉強させられていたんだけど」
「その常識が正解かどうかは分からないでしょ。閉鎖環境で大ぼら吹き込まれてるかもしれない」
それは困る。色々価値観とかが引っ繰り返ってしまいそうだ。例えば外の世界ではクソしょうもないジョークを初対面の相手にぶつけるのが当たり前だったりするのかもしれない。
「そうね……私の専門は歴史だし、先ずはどうして世界がこうなっちゃったかの話をしましょう」
折角だ、専門家とやらの講義に付き合っておこう。外の人の話を聞くのは初めてだし。
「あれは百年くらい前だったらしいわ──隕石がドカーンッ!! 世界がドドドドドーッ!! ……こうして文明は衰退したとされてるわ」
「なんて?」
本当に今なんて言った? 端折り過ぎだし擬音が意味不明だ。
「……あのすみません。もう少し分かりやすく言ってくれない?」
「はぁ? これ以上ないくらい分かりやすい説明でしょうがよ。隕石がドカーンして世界をドドドドーッて破壊したのよ」
「ドドドドーッて何ですか? もう分からないんですけど」
「……とにかく人類は衰退したのよ。戦争! 災害! その他諸々。連鎖的に発生した厄災で人類の生存圏は大きく失われた」
「はぁ……」
概ね僕の知っている情報と差異は無い。人類が衰退した理由が詰まっている。
「一番厄介なのが磁気嵐。これが電子機器や通信をドドドドーッって破壊したの」
だからその意味不明な擬音は何なんだよ。
分かった。この人、講義の才能というものが欠片も無い。
まだ研究所の勉強の方が分かりやすかったぞ。
「とにかく磁気嵐! 磁気嵐の所為でありとあらゆる電子機器が死んだのは人類にとって痛手だった。じゃあ通信インフラも電子機器も死んだ世界で人々は何に頼ったか?」
「動物……」
「そうよ」
丸まって眠るティーガーを指差しながらレモンさんは言った。
隕石衝突により、世界中を覆った磁気嵐。人々は電子機器に頼らない生活様式を構築せざるを得なかった。
「旧式の蒸気機械を使う人もいるわ。磁気嵐の影響を受けないから。でも……一番メジャーなのは動物への騎乗よ。大昔に回帰したってところかしら。そして、人はより強い生き物を欲した」
「……だから、恐竜をクローンで再生した」
「どうしてか、この時期……世界ではクローン技術が急速に発達したらしいわ。そして世界中にクローン生物が解き放たれて爆発的に増えた」
だから今、この世界には様々な時代の生物が混在している。
恐竜どころかマンモスやサーベルタイガーのような恐竜が絶滅した後の生き物も平然と闊歩している。
そしてクローン技術の発達は僕らのようなデザイナーベビーの開発にも寄与した。
「世は大恐竜時代。機械による運搬は廃れ、私達恐竜乗りが世界を渡るようになったってワケ」
「サーベルタイガーは恐竜じゃないでしょ」
「だとしても恐竜乗りなの……ライセンスの正式名称が【恐竜等生物騎乗資格】って言うの」
故に何に乗ろうが恐竜乗りと呼ばれるわけだ。そこまでは知らなかった。
「でも正直私は今でも疑問に思うわ。あんな荒れた世界でどうやって人類がクローン技術を発達させたのか……詳しい事は文献が散逸して分かってない」
「そこはほら、磁気嵐は弱い場所もあるし。うちの研究所も磁気嵐が弱い場所に建ってたから電子機器を使えてたよ。そういう場所で研究を進めたんだよ」
「だから狙われたのかもね、貴方の研究所。そういう土地は皆欲しがるし、力づくで奪い取ろうとする輩も居る」
……僕は黙りこくるしかなかった。
磁気嵐が弱い場所は争奪戦になるのだという。それこそ、企業の間で土地の取り合いで戦争になるのも珍しくはない。僕の居た研究所も、それに巻き込まれたのかもしれないと思うと無常さを感じざるを得ない。
「おっと、ごめんなさい。本題は此処からよ。貴方、これからどうするの?」
「……連れ去られた妹を探すよ」
「恐竜に乗って? だとしたら、捕まるわね。どっかの街に立ち寄って入り口に入ったら自警団にしょっ引かれる」
「……ライセンスが……無いから?」
「そうなるわ。あ、でもその子人間に変身できる恐竜なんだっけ? じゃあ人間の姿で居れば良いか」
「それは多分、メガが嫌がると思う……メガは人間の姿が嫌いで」
「じゃあ、その子の為にも貴方がやるべき事は唯一つ」
「……恐竜乗りの資格を……取る事? でも、どうやって?」
「資格が無くても恐竜に乗れる条件があるわ。それは、四年以上資格を保持している恐竜乗りに師事していること。貴方、私の弟子になりなさい」
「……弟子!?」
レモンさんは面白そうに微笑んだ。
「私は……自分の旅をノートに書き記しているの。旅の途中で出会った少年と恐竜に自分の知恵と技術を手解きするって、すっごく物語の中の師匠キャラっぽいじゃない!? 私一回やってみたかったの!」
「……あのー、レモンさん?」
「筆が……いや、興が乗ったわ。貴方の妹を探す事は出来ないけど……貴方が一人前になる手伝いくらいは出来るわ。どうせ貴方達はクソったれた世界を自力で生きていかなければならないの──なんか今、すごく良い事言った気がするわね」
台無しである。最後の一言で全部台無しにしていった。
「それに貴方達、すっごく面白そうだし」
「面白いって理由で!?」
「モチベーションは大事だわ」
何か明後日の方向にモチベーションを燃やしているが、この際何だって良い。恐竜乗りになるのは旅を続けるには必要な事だ。恐竜に乗っているだけで捕まるのだけは避けたい。
「とにかく……是非、お願いします!! 僕を恐竜乗りにしてください!!」
「レモン師匠と呼びなさい」
やはり師匠と呼ばされるのか……。
いや、でも教えを請うんだ。此処は合わせておこう。
「は、はいっ! 師匠!」
「良い返事よ。それっぽくなってきたじゃない」
「ふが?」
おっと、今の返事でメガが目を覚ましてしまったようだ。しかも腹を摩り、機嫌悪そうに何やら呻いている。
「……腹が……減ったぁ……」
「そっか、何も食べてなかったな僕達……」
「ゴハンにしましょうか」
「良いんですか? 御馳走になって」
「勿論よ。その代わり、明日からビシバシ行くから。覚悟しときなさいな」
「はぁ? 何の話だ?」
──数分後。
眠そうの顔は何処へやら、メガは皿の上に盛られた肉に目を輝かせていた。
「肉!! 肉だーッ!! もう二度とありつけないものだと思っておったぞ!! 研究所にいる間は、ずぅっとカリカリばっかりだったからな!!」
「カリカリの方が費用効率は圧倒的に良いのだけどね。ペットフードは腹持ちが良いし、味も付いてるし」
「もしかして食べたことがあるんですか……?」
「ひもじい時に少しだけ……」
聞きたくなかった……でも、長い事旅をしているとそういう時もあるのだろう。
「食料を丸っと野生のサルにパクられたのが原因なんだけどね」
違った。この師匠が間抜けなだけだった。何でこの人今の今まで生きて来られたんだ? 僕明日からこの人に恐竜乗りの事を教えて貰うのか?
「美味い! 美味い! 美味いぞ! 気に入った!」
その横でメガが手で肉を掴んで食べている。あーあ、手が汚れるじゃないか。
「……獣の食べ方ね」
「元が恐竜だから仕方ないでしょ」
「フン、行儀よくテーブルについているだけ良しとせよ。妾は人間ではなく恐竜であるからな。あのクソったれ共、妾にマナーだの何だの教え込んだが……実にくだらん!」
「知識としては知ってはいるんだ……」
「実は元人間が改造されて、恐竜って思い込まされているだけとか無いわよね」
「なんて失礼な事を言うのだ!! 妾は研究所に来る前は──来る前は……」
そこでメガの声色はトーンダウンしてしまった。
「……何も、覚えておらん」
「……そうなんだ」
「確かにそやつの言う通りだ。妾は恐竜としても中途半端で……人間としても中途半端だ。妾は──何者なのだろうな」
「ゴメンナサイ……傷つけるつもりで言ったのではないのだけど」
「フン、謝る必要など無い。妾がこの姿を捨てる術さえ手に入れれば、全て解決なのだからな!」
「そのためには、貴方にもやって貰わないといけない事が沢山あるわ」
「なんだ? 今の妾はとてもゴキゲンだからな! 申してみよ!」
「強くなることよ。研究所生活で少なからず貴方の身体は鈍ってるはずだわ。明日から鍛え直す」
「……イクサよ。どういう話になっておる? 妹を探しに行くのではないか?」
「僕らが自由に旅をするためには必要な事なんだよ」
「まあ良い……あの黒い連中相手に何もできず敗走したのは、妾も思う所が無いわけではない」
黒い連中──研究所を襲った兵士や恐竜だ。あの群れを前にして戦わずして逃げたのは、少なからずメガ自身のプライドを傷つけたのだろう。野生の勘で「勝てない」と分かってしまったのだ。悔しいだろうな。
「レモンとやら。肉を馳走になった礼だ。少しは其方の言う事を聞いてやらんでもない。妾が強くなれる、というならな!」
「ほんっとに偉そうね……」
「許してやってください、出会った時からこんな調子で」
「ま、良いわ。この威勢が何処まで続くか、楽しみにしておく」
すっごく悪そうな顔でレモンさんが言った。あーあ、どうなっても知らないぞ。