エルフの集落のババア専 作:ジジイ
俺がエルフになってから、早数十年。
まあ、ざっくり言えば転生したのだ。前世では普通の人間だった俺も、今では長い耳と無駄に整った顔を持ち、森の中で暮らしている。
数十年も経てば、たいていのことには慣れる。木の上に家があることにも、夜道を照らす光が虫ではなく精霊であることにも。近所のお兄さんだと思っていた男が、うちの父親の子供時代を知っていたことにだって、今さら驚かない。
ただ、どうにも慣れないものが一つあった。
エルフの美的感覚である。
エルフというのは、それはもう美男美女揃いだ。道を歩けば美人とすれ違い、畑を覗けばイケメンが土を耕している。前世なら間違いなく人だかりができるような顔が、ここでは朝から雑草を抜いていたりするのだから、中々すごい光景である。
ところが当の本人たちは、あまり顔立ちを気にしていない。
彼らが見るのは、魂なのだという。
魂の輝きだとか、深みだとか、波長だとか。
そういうものを自然と感じ取り、相手に惹かれるらしいのだが……正直、俺にはよく分からなかった。
いや、何となく気配のようなものは感じる。けれど、それが美しいとか好みだとかいう話になると、途端についていけなくなる。あの娘の魂は綺麗だろう、と同意を求められても、俺としては、顔が可愛いね、としか思えない。
おかげで幼い頃には、どこかおかしいのではないかと周囲に心配されたものだ。
人間でいえば、顔の良し悪しが分からないような感じだろうか。厳密にはそれも違うらしいが、そもそも俺に分からないものを俺が正確に説明できるわけもない。
まあ、生活に支障があるわけではないので、今ではそういうものだと割り切っている。
見渡す限り美男美女。俺にとっては、大変ありがたい環境だ。
ちなみに、俺自身も顔はいいと思う。
水面に映る自分を見るたび、ずいぶん見栄えのする男になったものだと感心するし、魂のほうも周りの評判を聞く限りでは悪くないらしい。
顔よし、魂よし。なかなか恵まれた転生である。
で。
そんな俺には、一目惚れした相手がいる。
「今日もお綺麗ですね。あなたのその美しい瞳に、乾杯」
「っ……お主か」
大樹の根元で、彼女が顔を上げた。
木漏れ日を受けてきらめく銀の髪に、すっと通った鼻筋に、柔らかそうな薄紅色の唇。その上でわずかに見開かれた翠の瞳は見慣れているはずなのに、今日も俺の足を一瞬止めるほど綺麗だった。
ハイエルフ。
長い長い年月を生きたエルフの中でも、一際精霊との結びつきが深くなった者たちがそう呼ばれる。
まあ、身も蓋もなく言えば、かなりのお年寄りだ。
目の前の彼女も、この集落で長老を務めている一人である。両親はもちろん、祖父母ですら彼女の前では背筋を伸ばす。俺など、何代ぶん下の世代になるのか、真面目に数えようとすると途中で嫌になりそうな年齢差だ。
ただし、見た目はこれである。
白い衣の襟元から覗く首筋は滑らかで、膝の上に重ねられた指は細くしなやか。ゆったりと背を預けているだけなのにその姿には妙に目を引く優雅さがある。前世のモデルだの女優だのを思い浮かべても、比べる相手が見つからない。
こんな美人が、少し眠たげな目で森を眺め、時折、何もかも分かっているような笑みを浮かべるのだ。
好きになるだろう、普通に。
少なくとも俺はなったぞ。
「……朝から、ようもそのようなことが言える」
彼女は呆れたように息をつくと、俺から目を逸らした。
もっとも、声に本気の嫌悪はないように思える。
可愛い。
毎度のことながら、そう思う。
ちなみにこの集落には、彼女以外にもハイエルフが結構いる。長老と呼ばれる人たちはだいたいそうだ。逆に俺は、成人こそしているものの集落ではかなり若い部類に入る。
通りを歩くと若い男女ばかりに見えるのに、実態としては相当な高齢化社会なのだから、見た目など当てにならない。
……まあ、俺はその見た目に思いきり惚れ込んでいるわけだが。
他のエルフからすると、彼女の魂は一目で分かるほど年老いているらしい。
偉大で、尊く、敬うべきもの。ただし、恋愛の対象としては考えられない。そんな感じなのだそうだ。以前、友人に彼女への好意を打ち明けたら、しばらく無言になったあと、本気か、と三回も聞き返された。
本気である。
俺は今、その本気を伝えに来ている。
「森の精霊と共鳴なさっていたんですか。よければ、ご一緒させてください。あなたの隣なら、この森もいつもより美しく感じられそうだ」
「……好きにせい。座る場所くらい、空いておる」
そう言って、彼女は長椅子の端へほんの少しだけ身を寄せた。大樹の根を沿わせるように作られた、背もたれ付きの木の椅子だ。二人で腰掛けても十分に余裕がある。
俺はありがたく、そのすぐ隣に座った。
森の精霊との共鳴。
いかにもエルフっぽい響きだが、実際に目を閉じて森の気配に意識を向けると、身体の内側を涼しい風が抜けていくような感覚になる。肩の力が抜け、頭がすっきりするので俺も割と好きだった。
もちろん、今日は口実である。
わざわざ彼女の隣でなければできないことでもない。
腰を下ろすと、銀の髪が風に流れ、俺の腕をかすめた。それだけで少し嬉しくなっていると、彼女がこちらを見ずに呟く。
「……近くないか」
「俺には、まだ少し遠いくらいです。あなたのお許しがあるなら、もう少し近くへ行きたいんですが」
翠の瞳が横からちらりと俺を見た。視線が合う。彼女は何か言いかけるように唇を開き、けれどすぐには声を出さなかった。
「……構わぬ」
やがて返ってきたのは、葉擦れに紛れそうな小さな声。俺がその分だけ距離を詰めても、彼女は逃げなかった。長椅子にはまだまだ余裕があるのに、そのまま二人の袖が触れる位置に収まってくれる。
ありがたい。
本当にありがたい。
こうなるまでには、それなりに時間がかかった。
最初の頃など、何を言っても年寄りをからかうでない、と軽くあしらわれていたものだ。笑って頭を撫でられたこともある。完全によく懐く若造扱い。
そこから何度も足を運び、綺麗だ、好きだ、会いたかったと伝え続け、ようやく最近、こうして隣に座ることを許してもらえるようになったのである。
しかも、ただ許してくれるだけではないのだ。
俺が顔を出すと、それまで閉じていた目を開けてくれるし、話しかければ共鳴を中断して相手をしてくれる。帰り際に明日も来ると言えば、そうか、と頷く声が少し柔らかくなる。
……これ、満更でもないと思っていいよな?
嫌われてはいないはずだ。
なお、先ほどから俺が口にしている、少々どころではなく気障な台詞についてだが。
どうやら、この世界では意外と効くらしい。
前世なら口にする側にも聞く側にも相応の覚悟が必要そうな言葉なのに、彼女は毎回律儀に反応してくれる。
隣を見れば、彼女は何事もなかったように森へ目を向けていた。けれど、いつもならすぐに閉じる瞼は開いたままで、膝の上に置いた手も先ほどから少し落ち着かない。
風が吹く。
すると肩から流れた銀髪が木漏れ日をすくい、細い光の筋を幾重にも浮かべた。
「いつ見ても、美しい髪ですね。こうして隣で眺めていると、森の精霊にまで妬まれそうだ」
「……そうか? 別に、何をしておるわけでもない。生まれつき、このようなものじゃ」
何でもないことのように答えながら、彼女は自分の髪へ指を添えた。一房すくい、毛先へ視線を落とす。その仕草のせいで白く長い耳が少し覗き、俺はそこまで含めて綺麗だなと思った。
「それなら、生まれつき俺を夢中にさせる方だったんですね。俺には、世界中の何より綺麗に見えますよ」
髪を梳いていた指が止まると、彼女はこちらを向きかけ……途中でやめた。薄く結ばれた唇の端がほんの少しだけ持ち上がる。
「……ふん。口ばかり達者になりおって」
鼻を鳴らす声はいつもの澄ました調子だった。
だが、すくい上げた髪を戻す時、彼女はそれを俺のいる側の肩へそっと流した。
そして、見られていることには気づいていないふりで森の奥を眺めている。
可愛い。
やっぱり俺は、この人が好きだ。