エルフの集落のババア専 作:ジジイ
その後のことは、あまり詳しく語らないことにする。
俺にだって胸の内にしまっておきたい思い出くらいはあるし、うっかり口を滑らせたと知れたら今度こそ家の扉を開けてもらえなくなりそうだ。
ただ、翌朝。
「……運動不足、か」
険しい顔で腰をさすり、一人頷いているエルフリーデさんがちょっとだけ可愛かった。
「何じゃその顔は」
「いえ。お茶、俺が淹れますね」
「……うむ。棚の上のものを使え」
エルフリーデさんは優しい。
出会った当初から物腰は穏やかだったし、何かと気に掛けてくださる人だった。好きだと言い合うようになってからは、そこにもう少し包容力のようなものが増した気がする。
とある日など、すっかり寝入ってしまった俺の耳へ隣の部屋から妙な声が聞こえてきた。
「……ぐぅぅぅ……! きつい。きつすぎる……!」
何事だろう。寝ぼけた頭で俺は目を開けた。
「わしに、腹出しは似合わぬっ……。わしのような枯れ木のへそなど、誰が……うぐっ」
どうやら服と格闘しているらしい。
以前、俺が何の気なしにそういう衣装も似合うのではないかと言ったことがある。あの時は「年寄りを着せ替えて遊ぶでない」と叱られたはずなんだけどな。
「……丈が足りぬ。どう考えても、足りておらぬ。これで仕立て終わりとは、何を考えて……」
俺が起き上がりかけたところで、声が止んだ。
「……起きておるか」
俺が起きたことに気づいたのかしもれない。迷ったが、ここで寝たふりをするのも申し訳ない。
「今起きました」
「どこからじゃ」
「……丈の、お話あたりから」
「そうか……では忘れよ」
「似合うと思いますよ?」
「まだ見ておらぬじゃろうがっ」
もっともである。しばらくすると扉が少し開き、いつもより長い上着を羽織ったエルフリーデさんが顔を出した。きっちり閉じた前を、片手で押さえている。
「……笑うでないぞ」
「笑いません」
「若い娘と比べるのも、なしじゃ」
「あなたが見たいんです」
そう言うと、扉が閉まった。また開くまでには、少々時間が掛かった。
ヒルデガルトさんには、厳しさの中にも優しさがある。
「貴様、また途中を省いたな」
「……分かりますか」
「分からぬと思うて省いたのなら、なお悪い。初めからじゃ」
魔術の指導中は相変わらず容赦がない。
ぶっちゃけ、貴様という呼び方は正直ちょっと怖い。昔は敬意のある呼び方だった、と前世のどこかで聞いた気もするが、術式の間違いを見抜かれた直後に言われるとそんな知識は何の慰めにもならないのだ。
だが、やり直している俺の隣で彼女はいつまでも待っていてくれる。同じところで躓けば説明の仕方を変える優しさは有難いし、俺が理解できた時にはほんの少しだけ目元を緩めるのがあまりに素敵というもの。
「そうじゃ。それでよい」
その一言が嬉しくて、もう一度やってみたくなるのだから我ながら単純だ。
厳しいエルフであるが、こちらを頑張らせる方法までよく知っている。
ゲルトルートさんは──ちょっと怖い。
もちろん、優しい人だ。剣の扱いが不得手な俺にも、危ないことだけはしないよう繰り返し教えてくれる。他にも、歩けば自然と森の奥側に立ったり、そういうさりげないところが好きだった。
好きなので、つい口に出す。
すると、ある日。
「おい。……お前、うるさいぞ」
「……え?」
怒られた。
「あまり私のようなやつをからかうのは大概にしろ」
「からかってませんよ」
「ならば、なおさら軽々しく口にするな」
眉間の皺が深くなる。……が、こちらを見ていた目は途中で逸れた。
「……言われた方が、どう受け取るかくらいは考えろ」
俺は少し黙った。
彼女のことが好きだとは、何度も伝えてきたつもりだった。けれど、何度も言っているからこそただの挨拶のように聞こえていたのかもしれない。
俺は手を差し出した。
「手、繋いでもいいですか」
「そういう話をしているのでは……」
「俺はそういう話をしていますよ」
差し出した手をそのままにして待つ。ゲルトルートさんは俺の顔と手を見比べ、やがて、ひどく不承不承といった様子で手をのせた。指を包むと、思っていたより冷たかった。
「好きです。二人で歩けて、俺はとっても嬉しいです」
「……お前は」
「他の人にも言うから信じられませんか?」
「自覚はあるのだな」
「……あります。でも……あなたに言っている時は、あなたのことを考えています」
「……厄介なやつだ」
「すみません」
「謝るくらいなら、初めから寄ってくるな」
そう言いながら、彼女の指が俺の手を握り返す。それが嬉しくて顔を覗き込んだら、額を指で押し戻された。
「見るな」
「今のあなたを見ないのは……かなり難しいですね」
「……ふん。努力しろ」
無茶を言う人である。
その日はいつもより遠回りをして帰ったし、口元が少々色々と汚れてしまったものだ。
とまあ、エルフに転生してから早数十年。
相変わらず剣の修行は苦手だし、魔術も教わることばかりだ。みんなが当たり前のように感じ取っている魂の美醜も、俺には今ひとつ分からない。
そのせいで、変わり者扱いをされることもある。
だが、お茶を淹れる手つきが好きだ。
こちらが話し終えるまで、急かさず待ってくれるところが好きだ。
昔のことをつい先日のように話す声も。俺の失敗を笑った後で、自分も似たようなことをしたと教えてくれる、その時の表情も。
長く生きてきた人なのだと、ふとした拍子に感じる。
そういう時、俺はどうしようもなく嬉しくなるのである。
もちろん、何もかも落ち着いているわけではない。
服一枚で大騒ぎをしたり、褒め言葉に返す言葉を失ったり、繋いだ手を離すだけのことに随分と時間が掛かったりする。
そんな姿を知るたびに、また好きになった。
俺と会っていない間にも、次は何を話そうかと考えてくれていたらいい。新しい茶葉を出そうとか、先日の続きを教えようとか、そのくらいのことでも。
そう思っていたら、エルフリーデさんの家に、俺用の茶碗が一つ増えていた。
ヒルデガルトさんの書斎では、向かいの椅子に積まれていた本が片づけられていた。
ゲルトルートさんは散歩へ出る前に、俺の家へ寄るようになった。
それぞれが、そのくらいのことをしてくれる。
俺には、それがたまらなく嬉しい。
……さて。
窓の外は、今日もいい天気だった。大樹の梢が風に揺れ、その影が家の前の小道をゆっくり横切っていく。
誰のところへ行こうかと考えながら、俺は上着を取った。
昨日も会っただろう、と言われるかもしれない。
数日くらい待てぬのかと、呆れられるかもしれない。
待てないのだから、仕方がない。
しつこいほど繰り返してきたけれど、俺はやっぱり、おばあちゃんたちが好きだ。
今日もまた、会いたい人がいる。
だから俺は、扉を開けた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
前々作、前作のようにまた次の作品がある程度できたら設定資料と共に投稿しようと思います。
ババアたちのR18もいずれ