エルフの集落のババア専 作:ジジイ
二人のやり取りを、いつの間にか聞いていたらしい。男性の長老が、何とも言えない顔をしていた。
眉間には薄く皺が寄り、視線が俺とヒルデガルトさんとエルフリーデさんの間を行き来している。
先ほどまでは、若い者が年寄りの話し相手になっている、といった具合に微笑んでいた人だ。それが今では、どうやら思っていたものと違うぞ、という表情に。
まあ、そうだろうな。
孫の取り合いにしては少々、空気がおかしい。
もっとも、こちらを気にしているのはその長老くらいで、他の席では相変わらず別の話が進んでいた。
自由だ。
全員、好きなように過ごしている。
……なんかこう、老人ホームみたいだな。
見た目だけならとんでもなく顔のいい男女が集う優雅なお茶会である。けれど、漂っている空気は完全にそれ。話す速度もゆっくりだし、誰も時間を気にしない。たぶん、このまま日が暮れてもそろそろ夕飯じゃな、くらいの一言で済むことだろう。
そんな穏やかな集まりの一角で、男性の長老がようやく口を開いた。
「……その、歳を考えてはどうかね」
長年の知り合いが妙なことを始めたので、ひとまず我に返ってもらおう、という響きである。
それに対して、ヒルデガルトさんの笑みは止まった。エルフリーデさんも、何か言いかけていた唇を閉じる。
「……」
「……」
二人は顔を見合わせ、ほぼ同時に目を逸らす。
どうやら効いてしまったらしい。
そりゃあ人間に置き換えれば、おばあちゃん二人が若い男を挟んで、昨夜は私と一緒だっただの、ずいぶん親しいのねだのと言い合っているわけで。おじいちゃんとしても、少し待て、と言いたくはなるだろう。
しかもこの人たち、おそらく何百年どころかそれ以上の単位の付き合いだ。昔から知っている相手が今になって急に色めき立ったら、どんな顔をしていいか分からなくなるのかもしれない。
「……別に、そのようなつもりでは」
エルフリーデさんがそう、小さく呟いた。ヒルデガルトさんも、否定とも肯定ともつかない息を漏らすと、俺の袖から指を離す。
つい先ほどまで二人の間を飛び交っていたものが、急に引っ込んでしまった。長老らしい、非常なに落ち着いた顔というか、こちらを若者として扱う時のあの一歩引いた態度だ。
……うーん。
それは、ちょっと寂しい。
あと、正直に言うとここで俺が余計なことをしたらどうなるのか少し見てみたくなった。
俺は袖から離れていくヒルデガルトさんの手を、そっと取った。
「……む?」
細い指を包み込み、軽く、にぎにぎする。驚いたように止まった手は、しかし引っ込められなかった。俺が顔を覗き込むと、彼女は一度だけ瞬きをして、それから、何をしておる、とでも言いたげに片眉を上げる。
これはもうセクハラだと言われても反論できないのではないだろうか。さっきは言葉だけだったが、ついに手まで出している。
などと思いつつ、その白い手へ目を落とした。指はすらりと長く、爪の先まで形がいい。俺の手のひらに収まっているだけで、妙に大切なものを預かったような気分になる。
「美しい手だ……できることなら、こうして一日中眺めていたいですね」
「ふーむ……手など眺めて、何が楽しい」
「あなたの手ですから。それにこうして握っていられるなら、一日では足りないかもしれません」
「くくく……しょうのない男じゃ」
喉の奥で笑いながら、椅子の背へゆったりと身体を預けるヒルデガルトさん。取り返そうと思えば、いつでも取り返せる手だ。けれど彼女はそれを俺に預けたまま、空いているほうの手で茶器を持ち上げた。
「好きにせい。減るものでもなし」
「では、お言葉に甘えて。あまり居心地がいいと、離せなくなりますよ」
「貴様の気が済むまで付き合っておったら、茶が冷めてしまうわ」
困ったものだ、と言いたげな口調である。そのくせ、俺がもう一度軽く握ると細い指が緩く握り返してきた。
こういうところ大好き。本当にこういうところに弱いんです。
若い者の戯れに付き合ってやっているだけみたいな余裕を崩さずに、親指の腹で俺の指を一度撫でてくる。それだけで浮かれてしまうのだから、実際俺のほうがよほど手玉に取られているのだろう。
その時ふと、視線を感じた。
見れば、エルフリーデさんがお茶を飲んでいる。しかしその目は茶器の縁を越えて、明らかにこちらへ向いていた。
俺の顔を見る。
繋がれた手へ落ちる。
ヒルデガルトさんが指を動かすと、ほんのわずかに眉が寄った。
そして目が合いそうになると、何でもないように窓の外へ視線を逃がす。
……すごく、見ている。
「エルフリーデ」
それに気づかないヒルデガルトさんではなかったようだ。茶器を置き、いかにも世間話の続きといった調子で呼びかける。
「何じゃ」
「いや。先ほどの話じゃが、今夜は少し……長くなりそうじゃな」
俺の手の中で、彼女の指が動いた。抜き取るのかと思いきや、握りやすいように向きを変え、もう一度俺の手のひらへ収まったのである。
「この調子では、中々帰してもらえそうにない」
「……帰すのは、そなたのほうじゃろう。そなたの家なのじゃから」
「そうであったか。くく、近頃は物忘れが多くていかんなぁ?」
「……あまり、若い者を遅くまで引き止めるものではないぞ」
「なに、わしは付き合ってやるだけ。こやつがどうしても一緒におりたいと言うのでな」
そこでヒルデガルトさんは、俺を見上げた。
「そうであろう?」
「……もちろん。あなたといると、夜が明けるのまで惜しくなりそうです」
言ってから、少し思った。今のは、求められた通りの返事をしすぎたかもしれない。
「……ふうん」
エルフリーデさんが、また茶器を持ち上げる。ただし今度は、口をつけるまでに少し間があった気がした。
ヒルデガルトさんはそんな彼女を眺めている。俺に手を握らせたまま、肩の力を抜き、いかにも面倒見のいい年寄りといった顔であり、どう見ても楽しんでいる。
「貴様も、そうあちこちで愛想を振りまくでないぞ」
不意に、ヒルデガルトさんからこちらへ言葉が向く。
「年寄りをその気にさせると、面倒じゃからのう」
そう言った彼女の目は、俺を見ていなかった。
「……誰のことじゃ」
「さて。一般論じゃよ」
エルフリーデさんの眉間に、また少し皺が寄る。それでも席を立たないし、こちらを見るのもやめない。手元が気になるらしく、茶器に口をつけるたび翠の瞳がちらちら、ちらちら。
歳を重ねると、多少のことでは動じなくなるのはよく聞く話だ。だからといって、張り合わなくなるわけではないらしい。
「……物好きすぎるな」
男性の長老が、呆然と呟いた。その目は、まだヒルデガルトさんの手を大事に握っている俺へ向いている。
まあ、そう見えるだろう。俺としては目の前で美人が笑ってくれているので、それだけで十分なのだが。
ヒルデガルトさんは、くくく、とまた笑った。
エルフリーデさんは今度こそはっきりと顔を顰める。
本当におばあちゃんたちかよ。