エルフの集落のババア専 作:ジジイ
ヒルデガルトさんに、あんなことをしたせいだろうか。
別の日に会ったエルフリーデさんは、いつもより少しだけ素っ気なかった。
場所は、例の大樹の下。
根に沿うように設けられた長椅子で、彼女は静かに目を閉じていた。木漏れ日の落ちる銀髪も、膝の上に重ねられた白い手も、いつもと変わらず美しい。
森の精霊と共鳴しているのだろう。近づくにつれて、辺りの空気まで澄んで感じられる。
……普段なら俺が声をかける前に目を開けてくれるのだが。
「お隣、失礼しますね。今日もあなたに会いたくて来てしまいました」
返事がない。聞こえていないはずはないので、ひとまず腰を下ろしてみる。
「……ふんっ」
ようやく返ってきたのは、小さな鼻息だった。それに瞼も閉じたままだ。いつもなら、また来たのか、くらいは言ってくれるのに今日はそれもない。
ははーん。
嫉妬しているのかな?
……いや、自分に都合よく考えすぎか。単純に、会議の場で調子に乗るなというお叱りの可能性もある。何しろ相手は、この森を長年守ってきたハイエルフの長老。若造が浮かれている姿に呆れたと言われれば、心当たりしかない。
だが、隣に座るなとは言われていない。俺が腰を下ろす時に裾を少しだけ引いて場所を空けてくれたことも見逃してはいない。
嫌われたいわけではないのだ。ここは図々しく、ただし大切にいこうと思う。
「いつ見てもお綺麗だ……あなたがここにいらっしゃると、木漏れ日まであなたを飾るためのものに見えますね」
膝の上に置かれた手へ、そっと指を添える。そこで一度顔を窺い、引かれないのを確かめてから下に手を差し入れた。細い指が俺の手のひらに収まる。彼女はまだ目を閉じているが、重ねていたもう一方の手を静かに退け、俺が握っている方をそのまま預けてくれた。
嬉しい。
素っ気なくても、こういうことは許してくれるのか。
折角なので両手で包ませてもらう。日陰にいたせいか、指先は少しひんやりしていた。
「やっぱりいつ見ても美しい手ですね。こうして触れさせていただけるなら、森の宝を一つ預かったような──」
「誰にでも言っておるのであろう」
不意に、翠の瞳がゆっくりと開いた。
顔はこちらへ向けず、ただ横から流れてきた視線だけが俺を捉える。
「先日のヒルデガルトはもちろん、他のハイエルフにも、似たようなことを言っておるのを見たぞ」
「……ああ」
見られていたか。これは、反論できない。
その人にはその人の素晴らしさがあって、どの言葉も本心なのだ。とはいえ、今それを力説しても、たぶん彼女の機嫌は直らないだろう。そこまでは俺にも分かる。
ただ、上手な取り繕い方は分からない。仕方がないので、ここは素直に言うことにした。
「……正直に言うと、俺はエルフリーデさんが一番好きなんです」
白状すると、彼女の指先が少し動いた。抜き取られるのかと思って力を緩めたが……そうではないらしい。俺の手の中で、すぐに静かになる。
「あなたに会える日は、朝から落ち着かないんですよ。何をお話ししようか、今日は笑っていただけるだろうかって。ここへ来る道はもう覚えているのに、毎回、初めてお会いするような気持ちになる」
「……」
「ですから、今日、少し冷たくされて……結構こたえてます」
エルフリーデさんは何も言わなかった。だが、さっきまで俺を見ていた目が手元へ落ちる。
「……別に、冷たくしたつもりはない」
「そうですか? それなら嬉しいんですが」
ちょっと声が柔らかくなった。これはもうひと押ししてもいいのでは。
「でもほら。皆さん、俺よりずっと歳上でしょう? 好きだと言っても、若い者の戯れだと流されてしまうことが多いんですよね。俺としてはいつだって本気なんですが」
「……ヒルデガルトのやつは、随分と受け入れていたようじゃが」
駄目だった。押すところを間違えた気がする。
「それに、長老だけでもなかろう。他の……歳のいったエルフにも言い寄っておるではないか」
「……よくご存じですね」
「目につくようなことをしておるからじゃ」
返事が早い。
そして彼女の視線が俺の手へ落ちたかと思えば、そこで眉がほんの少し寄る。先日の、ヒルデガルトさんの手を握っていた時とよく似た顔だった。
どうやら今日の俺は、言葉を選ばないといけないようだ。
その選び方が分からないから困っているのだが。
「それでも、あなたが一番です。こうして隣にいるのに、まだ近づきたいと思ってしまうくらいには」
「……物好きめ」
吐き捨てるには、小さすぎる声だったように思えた。
エルフリーデさんは唇を結び直し、背筋を少し伸ばした。どうも、顔を緩めまいとしているように見える。目元はさっきより柔らかいのに、口元だけがまだ厳しくあるべきだと頑張ってる感じ。
可愛い。
申し訳ないが、今は長老としての威厳よりそちらが勝っている。
もちろんそんなことを口にしたら本当に怒られるだろう。代わりに、ずっと気になっていることを聞いてみる。
「エルフリーデさんは、俺のことをどう思っていらっしゃるんですか」
「どう、とは」
「俺はあなたに夢中なんですが。あなたも少しは、俺のことを好きでいてくださいますか?」
彼女は俺を見た。今度は目だけではなく、顔ごと。
そのまま少しの間、何かを確かめるように見つめてくる。俺も黙って待っていると、やがて薄い唇が開いた。
「……孫のように思っておる」
孫。
まあ、年齢差を考えたらそうなるのかもしれない。正確なお歳を伺ったことはないので、何とも言えないけれど。
「それは光栄ですが……できれば、あなたの隣に立つ男の席をいただきたいですね」
「……お主は」
「男としては、いかがでしょう? こうしてお手を預けてくださるくらいには見込みがあると思いたいんですが」
彼女は俺の顔と、握られた手を見比べた。それから、不意に目を細める。
「……くくっ」
堪え損ねたような、小さな笑いだった。すぐに顔を背けたものの、肩が一度だけ揺れる。
「……はぁ。お主と喋っておると、なんだかおかしくなる」
「おかしく?」
「こちらが何を言うても、少しも引かぬ」
「あなたの前では諦めが悪くなるんですよ」
「そういうところじゃ」
呆れたように言い、彼女はようやく、いつものゆったりした姿勢へ戻った。俺に預けた手はそのままである。
「ま、あと五百年は生きることじゃな」
「五百年ですか」
「うむ。その頃には、少しは落ち着きも出よう」
おお。
なんか、曖昧だ。
長生きしろという意味なのか。それとも、五百年早いというお断りなのか。
ただ、五百年経っても駄目だとは言われていない。俺はこういう時は都合のいい方を採用することにしている。
「では、五百年後にも聞きます。それまで、何度でもあなたに会いに来ていいですか」
「……今でさえ、勝手に来ておるじゃろう」
「お許しがいただけたら、もっと幸せな気持ちで来られるので」
エルフリーデさんは、一瞬だけ口元を緩めた。けれど俺がそこを見たと気づくと、すぐに顎を引いて取り澄ます。
「好きにせい」
それは、俺の好きな返事だった。
「ありがとうございます。……しかし、五百年は手厳しいなあ。その日を待つ間に、今度、俺の家へいらっしゃいませんか?」
「……家?」
「ええ。いつもお相手していただいているので、次は俺がおもてなしをしたいんです。あなたをお迎えできたら、あの家も少しは自慢できる場所になります」
彼女の視線が上がった。俺を見て、何か言いかける。
しかし、唇から出てきたのは別の言葉。
「……他に、相手がおるじゃろうに」
「え?」
握っている手に、ほんの少し力が入った。エルフリーデさんはそれを見下ろしたまま、静かに続ける。
「お主は、悪くない魂をしておる。若い娘らから見ても、そう悪くは映らぬはずじゃ」
「それは……ありがとうございます」
「じゃから、若い者は若い者同士のほうがよい。……と、思う」
最後のところだけ、妙に歯切れが悪かった。
これは、褒められているということでいいのだろうか。魂を見て美醜を判断するエルフからすれば、悪くない魂、というのは、それなりに嬉しい評価のはずだ。なお、俺には相変わらずその見分けがつかない模様。
ただ、若い人を勧められてもなあ。
見た目でいうなら、この集落は本当に美男美女ばかりである。しかし若いエルフには少々、自信がありすぎる人も多かった。
人間の町へ出れば容姿を褒められる。魔術も使えるし、寿命も長い。実際に優れているところがいくつもあるから、それを誇らしく思うのは分かる。とはいえ、そういう自慢を聞くたびに相槌を求められるのはちょっと疲れるのだ。
俺自身、落ち着きのある男ではないので偉そうには言えない。ただ、一緒にいたい相手となると、やはり長い年月の中で色々なことを受け流せるようになった人がいい。
「お気遣いは嬉しいです。でも、やっぱり俺はエルフリーデさんが好きですね」
少しだけ距離を詰める。袖と袖が触れる場所まで近づくと、彼女は俺を見上げた。
「誰かを選び直したくて、ここへ来たわけじゃありません。あなたのお顔が見たくて来たんですから」
「……」
「五百年後の俺も、きっと同じことを言いますよ」
近くで見ると、翠の瞳に木漏れ日が映っていた。彼女はその目を一度伏せ、何かを飲み込むように、ゆっくり息を吐く。
「……まったく。生きてもおらぬ先のことを、ようも言い切る」
咎めるような言葉だったが、やはり離れろとは言われない。
……それどころか、俺の手の中で彼女の指が緩く曲がった。握り返してくれたのかと思って顔を見れば、もう森の方を向いている。
しばらく、そのまま二人で座っていた。
葉が擦れ、頭上で小鳥が鳴く。今日はもう、共鳴を再開するつもりはないらしい。俺としては、手を繋いでいられるだけで大変ありがたかった。
だから、不意に彼女が口を開いた時には少し驚いたものだ。
「……家のことは」
「はい?」
「先ほどの話じゃ。その……招きは、承諾した」
「え。……本当ですか?」
思わず顔を覗き込んでしまう。エルフリーデさんは、小さく頷いた。
「うむ」
「……それは嬉しいですね! どうしましょう、家中の花を集めても、あなたをお迎えするには足りない気がしてきた」
「大げさにするでない。茶があれば、それでよい」
「では、とびきりのお茶を。お好きな菓子も用意します」
「……そう気を張らずとも」
そこで言葉を切った彼女が、ちらりと俺を見た。
「お主の暮らしておるところを、少し見せてもらえればよい」
ああ、駄目だ。そんなことを言われたら、今すぐ帰って掃除をしたくなるじゃないの。
何しろ一人暮らしなので、誰かを招くことなど考えていない家なのだ。椅子はもう一脚あったはずだが、何かを積んでいた気がする。あれを片付けて、茶器を出して。それから──
「……それで」
「はい」
「いつがよいのじゃ」
「お望みなら、明日でも。あなたのためなら、いつだって空けますよ」
「では、明日じゃな」
「ええ、もちろん」
思っていたより、ずっと早く決まった。
彼女も少し早すぎたと思ったのか、軽く咳払いをする。
「……たまたまじゃ。たまたま、用がないのでな」
「ありがとうございます。明日が待ち遠しいです」
「……一日くらい静かに待っておれ」
そう言うエルフリーデさんの指が、俺の手を一度だけきゅっと握った。
俺が思わず見下ろすと、すぐに力が抜ける。顔を上げれば、彼女は何もなかったように銀髪を耳へ掛けていた。わすがに上がった唇の端も、こちらを向く頃にはきちんと元へ戻っている。
流石は長老。
ともあれ、今日はいい日になった。少し怒っているように見えた彼女も今はもう、いつもの穏やかな顔をしている。
そう思っていたところで。
「それと……」
「はい?」
エルフリーデさんが、俺を見ずに言った。
「ヒルデガルトの家に行った件じゃが」
「ああ、この前の」
「うむ。……何か、あったか」
何か。
随分と漠然とした質問である。俺がその夜のことを思い返していると、彼女は少しだけ顎を上げた。
「いや。あやつは、気に入った相手には際限なく付き合わせるところがあるのでな。少し、気になっただけじゃ」
なるほど。確かに、そういうところはあった。
「そうですねえ。それはもう、熱い熱い──」
「っ……」
手の中で細い指が強張った。エルフリーデさんがこちらを向く。ちなみにこの言い出しがわざとなのは言うまでもない。
「──魔術のお話をしていただきましたね! 特に炎の術式には詳しくて。俺が少し質問したら、夜が更けるのも忘れて教えてくださったんです……いてっ」
繋いだ手を軽くつねられてしまった。
「…………ふん」
少し長めに息を吐くエルフリーデさんは、いつも通り美しく可愛かった。
うーんこれは好き度上がる。