エルフの集落のババア専 作:ジジイ
その後は、色々とお話をさせてもらった。
いくら好きだからといって、最初から最後まで口説き続けていたら流石に鬱陶しいだろう。俺としても、エルフリーデさんに言いたいことを言うだけで満足したくはない。折角来てくれたのだから、楽しかったと思って帰ってもらいたいのだ。
なのでお望み通り、冒険者時代の話である。
例えば初めて人間の町へ行った時のことや、宿の料理の量が分からず、隣の客と同じものを頼んだら、とんでもない大皿が運ばれてきたこと。森には詳しいつもりで案内を引き受けたのに、植生の違う土地ではまるで勝手が分からず、結局は同行していた人間の方に道を教えてもらったこと。
格好のつかない話は探すまでもなく、いくらでも出てきた。
「森ならどこでも同じじゃと思うたのか」
「ええ、まあ。俺、エルフですし、くらいの気持ちで」
「くく……若い者は、一度くらいそうして鼻を折られたほうがよい」
そう言って笑う彼女を見ていると、あの時迷っておいてよかったな、とまで思えてくる。同行していた連中からすれば、ふざけるなという話だろうけれど。
菓子を取ってもらうために、一度、手は離していた。今は二人とも自由な手で茶器を持ち、時々皿へ手を伸ばしている。それでも肩の触れそうな距離はそのままで、彼女が笑うたび、耳飾りの緑が近くで揺れた。
そこから話は、壁際の剣へ戻っていった。
「──とまあ、剣は難しいですね。動きを覚えても、実際に使うとなると別で。どうしても、魔術ならもう少し上手くできるのに、って考えてしまうんです」
「うむ。身体の動かし方も、魔術とは勝手が違うからのう。一応、剣聖にまで至る者もおるが、我らには魔術のほうが馴染みやすい」
「そういえば、ゲルトルートさんは剣で有名ですもんね。あの方に少し教わっておけばよかったな」
口にしてから、ふと気づく。
エルフリーデさんが、笑わなくなっていた。
「……以前、そやつも口説いておったろうに」
「あ。知ってたんですね……」
「ふん。こやつめ。知らぬわけがなかろうが」
茶器を置く音が、ことりと響く。
「ゲルトルートが、妙な若造に懐かれたと話しておったわ。剣筋を見せたら立ち姿が美しいだの、見惚れてしまって剣どころではないだのと」
「……よく覚えていらっしゃいますね」
「聞かされたからじゃ」
なるほど。
長老同士の情報共有を、少し甘く見ていたらしい。
あの時の俺は確かにそんなことを言った。剣を下ろしたゲルトルートさんから、ならば目を閉じて稽古でもするか、と笑われたところまで思い出す。
「ははは……」
「笑うて済ませるでない。まったく、あちらでもこちらでも……」
エルフリーデさんは小さく息を吐いた。それから皿の上の菓子を一つ取り、俺の手元へ置く。
「ほれ。喋ってばかりで、お主はろくに食べておらぬじゃろう」
こういうところ大好き。小言を言っている途中でも、こちらのことを気にしてくれるところとかね。
俺はありがたく菓子をいただきながら、隣の彼女を眺めた。窓から入る光が銀髪を照らし、頬の輪郭を柔らかく浮かび上がらせていて。機嫌を損ねたかと思ったが、俺が美味しいと言うと、口元はすぐに緩んだ。
……もう少し、近づいてもいいだろうか。
手を握らせてもらうだけでも、大変嬉しい。けれど、こうして家で二人きりで過ごしていると……欲が出る。
肩を抱きたい。できれば、そのままこちらへ寄りかかってもらえたら。
俺は菓子を食べ終え、指先を拭ってから、彼女の背後へそっと腕を回した。長椅子の背に沿わせていた手を、ゆっくりと肩へ添える。
「っ……」
エルフリーデさんが小さく身を震わせた。翠の瞳が、こちらを向く。
「……エルフリーデさんが、嫌でなければ。もう少し、こうしていさせてください」
「…………」
彼女は俺を見て、次いで肩に置かれた手を見た。何か言おうとして唇を開き、結局言葉になることはなく。
そして……首を、横に振ることもなかった。
俺がすぐに動かずにいると、やがて彼女の肩から少しずつ力が抜けた。膝の上で重ねられた指が落ち着き、わずかに傾いた身体が俺の方へ近づく。
そこでようやく、腕にほんの少し力を込めた。
銀髪が袖を滑る。さっきまで触れそうで触れていなかった距離がなくなり、彼女が俺の腕の中へ収まった。
……認められたようだ。
「こんなに近くで眺めても、まだ見惚れてしまうんですね。あなたは」
そう言うと、エルフリーデさんが俯いた。
「……また、そのようなことを」
「本当に、美しいです。今日のことは、この先どこへ旅をしても……きっと自慢したくなる」
「人に言うものではない」
返事だけはすぐに来た。
それから彼女は、俺の顔をちらりと見る。目が合うと逸らし、しばらくすると、また見る。何を確かめたいのかは分からないが、そのたびに耳飾りが揺れるので、俺はますます目を離せなくなった。
「……お主くらいの若者なら、他にも目を向けるところがあろうに。わざわざ、わしのような年寄りを捕まえて……まったく、何を考えておるのじゃ」
膝の上の指先が、衣の小さな皺を伸ばす。
「こうして甘い言葉を並べれば、誰もが素直に喜ぶと思うておるのか。わしは若い娘らのようにはいかぬぞ」
「それは、よく存じています」
「分かっておるなら、もう少し……」
そこで言葉が途切れた。
もう少し、何だろう。控えろということだろうか。
待ってみたが、続きは出てこない。エルフリーデさんは俺の胸元へ一度視線を向け、また膝の上へ戻した。
「……どうしてこうも、年寄りを落ち着かなくさせる。わしなんぞに構わずとも、お主なら、もっと釣り合いの取れる相手がおるじゃろうに」
ううむ。
まだ、固い。
嫌われているとは思わないのだ。家に来てくれたし、お洒落もしてくれた。肩を抱くことだって、こうして許してもらっている。それでも好きだと言うたびに、歳がどうだ、釣り合いがどうだと返ってくる。
俺としては、この人に構いたくて構っているのだけれど。
……そうだな。少しだけ、引いてみようか。
ここまでは、ほぼひたすら押していた。綺麗だ、好きだ、愛しています。思ったことを口にして、隣へ座り、手まで握っている。ここで一度引いたら、彼女の方から少し、近づいてくれたりしないだろうか。
押して駄目なら、引いてみろ。知識だけなら、俺にもある。
なので、肩に回していた腕をそっとほどいた。
「……?」
エルフリーデさんの顔が上がる。
俺はそのまま姿勢を戻し、触れ合っていた肩を離した。ほんの少し、元の距離へ戻っただけ。
けれど彼女は俺の手の行き先を、じっと目で追っていた。
「……どうした」
「エルフリーデさん」
「何じゃ」
「……やっぱり、嫌なのかな、と」
そう言うと、エルフリーデさんの目がわずかに見開かれる。
「……む。いきなり、何を……」
彼女の片手が膝から浮いた。俺の腕があった辺りへ動きかけ、途中で止まる。
「いや。俺は、あなたが好きです。こうして近くにいられるだけで、どうしようもなく嬉しくなってしまうんですが……あなたにも同じくらい喜んでいただけているのか、少し分からなくなりまして」
自分で口にしてから、思った。
ああ。これは、そこまで嘘でもないな。
「いつも、年寄りだからとか、他に相手がいるだろうとか仰るでしょう。もしかしたら俺が浮かれているだけで、あなたは仕方なく付き合ってくださっているのかなって」
「それは……そういう、意味で……」
「あなたを笑顔にしたくてお招きしたのに、困らせてばかりでは、寂しいですから。少し、控えたほうがいいのかもしれませんね」
エルフリーデさんが、身体ごとこちらを向いた。
さっきまでは目だけでちらちら見てくるばかりだったのに、今は膝の向きまで変えて俺を見ている。
「……お主」
「はい」
「わしは、何も……離れよと、言うたわけでは……」
そこで止まるエルフリーデさん。
唇が開き、閉じた。彼女は一度だけ卓へ目をやり、すぐに俺へ戻す。お茶を飲んで間を取るつもりだったのかもしれないが、手を伸ばすことはなかった。そうして膝の上で指が重ね直されたかと思えばすぐにほどけて。いつもなら、こういう沈黙も平気な顔でやり過ごす人なのに、今は、何か言わなくてはと急いでいるように見えた。
……あれ。思っていたより、効いてる?
俺が次の言葉を探していると、袖に小さな重みがかかった。
エルフリーデさんが布の端を指二本でつまんでいたのだ。そこに引っ掛けておくような、遠慮がちな手つきで。
「………………違う」
「え?」
彼女は俺の袖を見つめたまま、動かない。
「……違うのじゃ」
同じ言葉を、もう一度。
「わしとて、気の進まぬ相手の家へ、わざわざ……」
その声があまりに小さくて、今度は俺の方が落ち着かなくなった。何かを聞く前に、彼女の指にこもる力が少しだけ強くなる。
「わしは……わしは、お主から、その……色々と……」
「はい」
「そうして、綺麗だの、好きだのと言われるのも……手を取られるのも……」
耳飾りが細かく揺れる。俯いた顔を上げようとして、途中で躊躇ったらしい。
「先ほどの、あれも……」
肩を抱いていたことだろう。
もう一度してほしいのか。
などと聞いたら、また全部引っ込めてしまいそうな気がした。
だから、黙って待つ。
エルフリーデさんは一度、唇を結んだ。それから、小さく息を吸って。
「き、嫌いでは…………ない」
最後の二文字は、ほとんど囁きだった。
……おお。
これは……かなり好感触なのでは。
ただ、喜んだ直後に少し申し訳なくなった。彼女はまだ袖をつまんでいる。俺が何も言わずにいると、その指先にまた力が入った。
普段は若造をあしらう余裕のある人だ。その人が、たったこれだけのことを伝えるために言葉を一つずつ探している感じがする。なんだか、気持ちを弄んでいるみたいではないか。俺はただ、もう少し素直な返事が聞けたらいいな、くらいのつもりだったのに。
やっぱり、慣れない駆け引きはするものではないらしい。俺は好きなものを好きだと言っている方が性に合っている。何より、今すぐまた抱き寄せたくて仕方がなかった。
「……ありがとうございます。聞けて、嬉しいです」
そう伝えると、エルフリーデさんがようやく顔を上げた。しかしすぐにはいつもの調子へ戻れないらしく、眉を少し寄せたまま、俺の顔を確かめるように見てくる。
「……勝手に、決めるでない」
「すみません」
「わしが、嫌だと……そう言うたわけでも、なかろう」
叱る声は弱かった。袖をつまむ手とも、どうにもちぐはぐである。
「はい。……でも、俺は欲張りなので」
俺は少しだけ、彼女の方へ身体を向けた。
「嫌ではない、と聞けたら、その先も知りたくなってしまいます」
「……その先?」
「エルフリーデさん。俺のことは、好きですか?」
また、この質問である。昨日は、孫のように思っていると言われた。ついでに、あと五百年は生きろとも。
我慢の利かない男で申し訳ない。ただ、今の彼女に、もう一度聞いてみたかったのだ。
「…………」
エルフリーデさんは目をわずかに見開いたまま、何も言わない。
俺は袖をつまんでいた手へ自分の手を添えた。強張った指がゆっくりと緩み、その下へ手のひらを差し入れると、彼女は逃げずに指を預けてくれた。
そっと、握る。
返事を聞かせてほしい。そんな気持ちが、少しは伝わっただろうか。
エルフリーデさんは俺の手を一度見下ろし、次いで、顔ごとそっぽを向いた。
あらら。折角こちらを向いてくれたのに。
……ただ。
彼女の頬が赤い。
窓の光のせいではなかった。さっきまでは白かった頬に、はっきりと色が差している。いつもなら髪で隠れていたかもしれない場所まで、今日はよく見えた。
綺麗にまとめてきた銀髪が、こんなところで、彼女の味方をしてくれない。
「お主は、本当に……」
小さな声がしたがその先は続かなかった。
文句を言うなら、いくらでも聞く。物好きでも、しょうのない若造でも、何と呼んでくれても構わない。だけど、その手が俺を握り返している理由だけは都合よく決めつけずに、彼女から教えてもらいたかった。
「俺は、あなたが好きです。今も、さっきより好きになっています」
エルフリーデさんの指が、ぴくりと動いた。俺はその手を包んだまま、少し声を落とす。
「どうですか、エルフリーデさん。俺のこと……好き?」
「……」
返事はなかった。
エルフリーデさんは顔を横へ向けたまま、こちらを見ようともしない。やがて、その顎がほんの少しだけ下がりかける。
けれど、途中で止まって。
俺の手の中で、細い指が握り直されて。
「……」
長い長い時間を生きてきた長老らしい言葉は、その時、一つも出てこなかった。彼女は赤くなった頬と耳を隠せないまま、ゆっくりと顎を引いた。そして──
こくり。
エルフリーデさんは、頷いた。
繋いだ手に、ぎゅっと力がこもる。その頬と耳はもう、言い逃れようもないほど、真っ赤だった。