アビドス高等学校の真のファウスト 作:リハビリ作者
夕方。ゲヘナ学園の自治区から少し離れた商店街にて、万魔殿の丹花イブキが棗イロハの手を引っ張って走っていた
「イロハ先輩、こっちこっち! ネットで見かけたんだけど、ここに新作アイスがあるんだって!」
「イブキ、わざわざアイスのたにこんなところまで来たんですか。私、ベッドの上でダラダラしてたかったんですけど」
「えへへ! だって、イロハ先輩と一緒に食べたかったんだもん!」
あまりにも純粋な気持ちの籠もったその言葉に、イロハはバツが悪くなって、思わず視線を逸らして小声で呟く。
「……そういうことを言われると、断りづらいんですよね。ほんと、イブキは恐ろしい少女です」
「? イロハ先輩、何か言った?」
「何でもないです。ほら、案内してくださいよ。早く甘いもの食べて疲れを癒したいですし」
「はーい!」
イロハはイブキに連れられながら、大きくため息をつく。アイスのためにわざわざ遠出するなどはやりたくはない。
しかし、隣で期待に満ちた瞳を輝かせるイブキを見ると、どうしても断れなかった。彼女がここまで楽しみにしてるのなら、それを裏切る真似はしたくなかったのだ。
そして、2人は何度もスマートフォンに表示された地図を確認し、目的地へと到達したのだが。
「えっと……この辺りのはずなんだけど」
2人が辿り着いたのは、商店街の外れにある小さな路地。しかし、そこには何の店も無く、人の気配も無かった。
間違えたのかと思い、イブキがスマートフォンで現在地と地図のルートを何度も確認するも、間違っているようには見えない。目的地の画像ではきらびやかな見た目のアイス屋が映ってる。なのに、目の前にはそんな物は存在していない。
「おかしいなぁ。地図だと、ここなんだけど」
「……イブキ。まさかとは思いますけど、ネットで見つけただけで、店が本当にあるか確認してないんですか?」
「うっ……だ、だって、写真もすっごくおいしそうだったんだもん! それに、レビューも沢山書いてあったから嘘ではないと思って」
「……イブキには、これからインターネットの恐ろしさについて教えないといけませんね。にしても、誰がこんな情報を流したんだか」
イロハが呆れたように額を押さえたその時、カツンカツンと乾いた足音が響き、路地の奥から、一人の男が姿を現す。
「悪いが、アイス屋は営業していないぞ」
現れたのは仮面の人間。黒い外套に顔を覆う白銀の仮面、腰には銃剣付きのハンドガン。そして、その袖口から覗く異様な鎖。イブキは誰なのだろうと呑気に考えてたが、イブキは表情を変え、銃を手に取った。
「仮面の人間。確か、温泉開発部を襲撃したという人物ですね」
彼女はイブキを自分の背後へ庇うように立ち、銃口を向ける。
「なぜ、こんな所にいるんですか?」
「お前たちに用があるからだ。アイス屋の情報で騙されるとは思わなかったが……ほんと、あの教授は人を利用する天才だな。おかげで、こうして人気のない所へ呼び込めた」
「……なるほど。わざわざ待ち伏せしていたとは、随分とご苦労なことですね」
イロハは警戒を解かず、相手の動きを観察する。それと同時に相手からどう逃げるのかの算段も立てていた。
「それで、私たちに何の用ですか。アイスの代わりに、ネットの情報を鵜呑みにするなと説教でもしてくれるんですか?」
「いや。そんな暇はない」
仮面の男──ユキヤは鎖を展開し、殺気を向けて威圧する。イブキはそれに怯えており、イロハは、肌を刺すようなピリピリした感覚に危機感を覚えた。
「お前たちには、ここで倒れてもらう」
「随分と物騒ですね。私たち、あなたに何かしましたっけ?」
「してないな。正直に言うと、俺だってお前たちを襲いたくなんかない」
「なら帰ってもらえませんか? 私もイブキも、早く帰って休みたいんですよ。誤情報にだまされてこんな所まで歩かされてクタクタですし」
「……悪いが、それはできない」
次の瞬間、ユキヤの袖から出ていた鎖が一斉に攻撃してきた。
「っ! イブキ、下がって!」
イロハはイブキを庇いながら鎖へと狙いを定めて引き金を引く。銃声が路地に響き、放たれた弾丸が鎖へと殺到していく。何本かは弾かれ、軌道を逸らすことに成功するが。
「なっ!?」
鎖は弾丸を弾き飛ばしながら、まるで生き物のように軌道を変えた。イロハは咄嗟に身を捻って避けようとするも、1本の鎖が彼女の肩を深々と貫いた。
「がっ……!?」
「イロハ先輩!?」
制服が裂け、赤い血が肩口から噴き出す。イロハはその光景に目を見開いた。
「な、何ですか……これは。私の体を、こんな容易く」
キヴォトスの生徒は、銃撃や砲撃を受けても簡単には倒れない。多少の負傷なら、痛みを堪えて戦い続けることさえ珍しくない。だというのに、この鎖は違った。
頑丈な生徒の身体を、まるで紙切れのように貫いていたのだ。
「やめて! イロハ先輩に酷いことしないで!」
イブキが自分の武器であるアサルトライフル「バンバーン! ちゃん」を向けて攻撃しようとするが、背後から襲い来る鎖に気づいていなかった。
「イブキ、駄目です!」
イロハは咄嗟に彼女を突き飛ばし、襲ってきた鎖に腹を刺し貫かれ、血を流す。
「ぐっ……がはっ」
「!? イロハ先輩!」
「逃げて……ください。イブキ」
駆け寄ろうとするイブキを、イロハは鋭く制止する。
肩や腹から血が滴り落ち、制服を赤く染めていく。それでも彼女は拳銃を握り直し、歯を食いしばって銃口を向けた。
「……なるほど。普通の武器じゃないんですね」
「察しがいいな」
「褒められても……嬉しくありませんよ!」
イロハは再び発砲するも、ユキヤは鎖を操って弾丸を防ぎ、別の鎖を彼女の脚に絡みつけた。
「しまっ──」
「終わりだ」
ユキヤが鎖を引くと、彼女の身体が宙へ浮き、そのまま勢いよく投げ飛ばされた。そして路地脇の壁へ叩きつけられ、苦悶の声を漏らしながら地面に崩れ落ちた。
「っ、あ……!」
手から拳銃が滑り落ちる。肩や腹の傷から血が流れ続け、呼吸も乱れていた。それでもイロハは、震える腕で身体を起こそうとする。
「イロハ先輩! しっかりして!」
「逃げてくださいと……言ったでしょう、イブキ……!」
声に力が入らず、イロハの顔色は悪化していく。そしてそれを見たイブキの顔から、先ほどまでの無邪気な笑顔が消えていた。
「どうして……どうしてこんなことするの? イロハ先輩は、何も悪いことしてないのに!」
イブキの小さな手が震えながら、銃を構えて撃とうとするも、その前に彼のハンドガン『イカロス』で銃を弾き飛ばされた。
「くっ!?」
「遅い。その程度なら防ぐまでもない」
ユキヤは弾き飛ばされたイブキの銃を踏みつけ、彼女へ冷たい視線を向けた。
「……っ、イロハ先輩は、これ以上やらせない!」
イブキは震える足で立ち上がり、素手のままユキヤへ駆け出した。
「イブキ、行ってはいけません!」
イロハが叫ぶ。しかし、間に合わなかった。イブキの拳が当たるより先に、2本の鎖が、イブキの腹と足を深々と貫いた。
「……え?」
小さな身体がびくりと跳ねる。制服に赤い染みが広がり、傷口から血が滴り落ちた。
「かはっ……!」
「イブキぃぃぃぃッ!!」
イロハの悲鳴が路地に響く。ユキヤが鎖を振るうと、イブキの身体は宙へ持ち上げられ、そのまま数メートル先へ投げ飛ばされた。
「きゃあっ!」
地面に叩きつけられた彼女は、苦しそうに身を丸めた。小さな手が腹の傷口を押さえるが、指の隙間から血が滲み、地面に赤い滴が落ちていく。
「う……イロハ、先輩」
「イロハ! ぐっ……今行きます」
イロハは落ちた拳銃を拾い、痛む身体を引きずりながら立ち上がった。肩から流れる血が腕を伝い、腹部の傷も塞がる気配はない。それでも、彼女の目には怒りが宿っていた。
「イブキに手を出して、タダで済むと思わないで下さい!」
銃口を向けて引き金を引く。しかし、放たれた弾丸はユキヤの鎖で弾き飛ばされ、彼は一瞬で彼女との距離を詰めた。
「しまっ──!」
イロハが撃とうとする前に、鈍い衝撃が腹部を襲った。
「がっ……ああああ!?」
傷口を狙った蹴りに、イロハの身体がくの字に折れる。口元から血がこぼれ、彼女は壁に背中を打ちつけて崩れ落ちた。
「イロハ先輩! やだ……やだよ。もうやめてえ!」
イブキは涙を浮かべる。足を貫かれてるせいでまともに歩けず、這って動きながらも、必死にユキヤに懇願する。
「来ないで……イブキ……逃げて下さい」
「そんなの無理だよ! イロハ先輩を置いていけないよ!」
イブキの声は震えていた。ユキヤは二人を見下ろし、拳を強く握りしめた。
(……もうやめろ。これ以上は駄目だ)
心の中では何度もそう叫んでいた。だが、頭に浮かぶのはアビドスの仲間たちの顔。そして、ニヤニヤ教授から告げられた脅迫だった。
「……悪く思うな」
絞り出すような声で彼がそう言うと、イロハは血の混じった咳をしながら、彼を睨み上げる。
「ふざけないで、ください……こんなことをしておいて……悪く思うな、ですって? あなたは……一体、何を守るために……こんなことを!」
その問いに、ユキヤは答えなかった。ただ、仮面の奥で目を伏せる。足元では、イブキが傷ついた手を伸ばし、ユキヤを行かせまいと足を掴んで止めていた。
イブキは、震える手でユキヤの足を掴んでいた。
「イロハ先輩は……もう、傷つけさせない……!」
涙で濡れた金色の瞳が、白銀の仮面を見上げる。その小さな手には、まだ必死に抗おうとする力が残っており、ユキヤは動きを止める。
「やめろ。もう十分だ」
「だったら……もうやめてよ。こんな事するの!」
イブキが力を込めて足を引き留める。ユキヤは奥歯を噛み締めた。
「……悪い」
次の瞬間、彼はイカロスを構え、イブキの傷ついた身体へ数発の銃弾を撃ち込んだ。
「──っ、あっ……がっ!?」
小さな身体が大きく震え、イブキの指から力が抜ける。制服には新たな血痕が広がり、彼女はその場に崩れ落ちた。
「イブ……キ!」
イロハは壁に手をつき、ふらつきながら立ち上がろうとした。肩と腹部からの出血は続いており、足元には赤い滴がいくつも落ちている。それでも、彼女は倒れた後輩から目を離さなかった。
「この……外道が!」
震える手で銃を拾おうとする。しかし、指先に力が入らず、銃を握ることすらままならない。
「まだ……私は!」
立ち上がろうとした彼女の足に、鎖が突き刺さった。
「があっ!? この……」
ユキヤは鎖を引き、イロハの身体を強引に引き寄せる。そして勢いをつけて壁へ叩きつけた。
鈍い衝撃音が路地に響く。
「がっ……!」
イロハの身体が壁にめり込むように激突し、制服の裾が血で汚れる。彼女はかすかに手を伸ばしたが、指先は何も掴めなかった。
「イブ……キ、逃げ……て」
その言葉を最後に、イロハの意識が途切れた。路地に静寂が戻る。倒れた二人、地面に広がっていく血痕に沈む少女イブキと、壁に背を預けたまま動かなくなった少女イロハ。ユキヤはそんな2人を見て、ゆっくりと銃を下ろし、鎖を袖のなかに戻した。
助けを呼ぶ声はなく、彼を責める声もない。ただ、目の前の光景だけが、彼の瞳にに焼きついていた。
「……俺は、何をやってるんだ」
震える手で通信端末を取り出す。
「……依頼は完了した。棗イロハと丹花イブキ、二人とも戦闘不能だ」
『ほむ……ほむほむほむ!』
通信越しに、ニヤニヤ教授の弾んだ笑い声が響く。
『最高ですね。これでゲヘナは大混乱になる。私のシナリオも更に進みそうです。死んでくれたらなお良かったのですが……まあ、それは仕方ないと諦めてあげましょう』
「……ふざけるな。あいつらは何も悪くなかっただろ。なんでこんなことを」
『おやおや。今さら罪悪感ですか? 困りましたねぇ。あなたが引き受けた仕事でしょう?』
「お前が俺を脅して、依頼を受けさせたからだろうが!」
『責任をなすりつけないでください。どのような理由があれ、やったのはあなたでしょう』
彼は何も言い返せなかった。目の前にいるのは血に染まったイロハとイブキ。実行したのは自分だけ。誰かが手を貸したわけでもない。
二人の苦しそうな姿が、脳裏に焼きついて離れなかった。
『まあまあ、そんなに落ち込まないでください。お仕事は見事に完遂してくれたのですから。約束どおり、報酬は一億五千万円。今回は特別に追加報酬として五千万円をお支払いしましょう。合計二億円です。アビドスの借金返済に、少しは役立つでしょう?』
「金さえ払えば、何をさせてもいいと思ってるのか」
『ほむ。少なくとも、あなたは引き受けてくれましたよね?』
「……改めて、お前がとんでもない外道だと思い知らされたよ」
『ほむほむ。それは光栄ですね。では、次のお仕事があれば連絡します。それまでゆっくり休んでください』
通信が切れると、ユキヤは怒りのままに壁を殴りつけた。二億円を手に入れても、胸の奥に残る罪悪感は消えない。
「……すまない。イロハ、イブキ」
彼は苦しげな声でそう言った後、逃げるように路地を去って行った。残ったのは、血を流して倒れる2人の少女と、蹂躙の跡だけであった。