夕飯の温かな時間が過ぎ、食卓の片付けが始まった。
リンタロウは腕まくりをすると、静かにシンクに向かい、溜まった食器の手洗いを始める。そこへ、使い終わったお皿やグラスを手にしたルネが歩み寄ってきた。
ルネ「はい、これ」
リンタロウ「……助かる」
ルネは皿をリンタロウに渡すと、そのまま横に立ち、スポンジを手にして一緒に食器を洗い始めた。蛇口から流れる水の音が、静かな夜の部屋に響く。手元を動かしながら、ルネは少し決まり悪そうに、けれど真直ぐな声で切り出した。
ルネ「……ありがとな、リンタロウ」
リンタロウ「何がだ」
ルネ「レンのことだよ。あいつに色々と良くしてくれてさ……それに、さっきのCODEの話。守秘義務があるのに、あたしたちを信用してギリギリまで話してくれたんだろ? ……礼を言いたかったんだ」
ルネの言葉を聞きながら、リンタロウは皿の泡を水で丁寧に流し、静かに口を開いた。
リンタロウ「……最初にNo.4……レンを見た時から分かったからな。あんた達がレンの為に尽くしてくれたことがな……。レン自身も心から喜んでいた」
リンタロウの言葉に、ルネは少し目を見開く。
リンタロウ「あいつがバイオネットを憎む気持ちも分かるが……いつまでも憎み続ける日々を送るのも疲れるだろ」
淡々とした、だが確かな温もりを秘めたリンタロウの声。一呼吸置くと、リンタロウは手を動かしたまま、先ほどリビングでルネがレンに語っていた言葉を思い返すように続けた。
リンタロウ「……あんたも……バイオネットに対して色々あったかもしれないが……いつかあんたもどっかで笑えたら良いな。折角美人なんだ」
ルネ「っ……!?!?」
不意を突かれたルネは、一瞬で顔を真っ赤に染め上げた。耳まで赤くなったルネは、慌てて横を向き、照れ隠しに声を荒らげる。
ルネ「な、なななに言ってんのよ、あんた!! バカじゃないの!? 誰が美人よ、誰が!! 変なこと言ってないで手動かしなさいよ、この変人!!」
リンタロウ「騒ぐな。皿が割れるだろ」
ルネ「~っ! 割らないわよっ!!」
バタバタと文句を言いながらも、ルネの表情からは先ほどまでの刺々しさはすっかり消え去っていた。やがてすべての洗いものが終わり、二人は手を拭いてリビングを後にした。セーフハウスの廊下へ出て、それぞれの寝室へと向かう。
ルネ「じゃあな。明日も早いんだから、さっさと寝なよ」
ルネが自分の部屋のドアノブに手をかけ、背を向けたその瞬間――。リンタロウは立ち止まり、ルネの背中に向かってぽつりと呟いた。
リンタロウ「……俺も礼を言ってなかったな」
ルネ「え?」
ルネが振り返ろうとしたとき、リンタロウの静かな声が耳に届いた。
リンタロウ「あいつと友達になってくれて、ありがとう」
ルネ「……っ」
ルネは足を止め、背中を向けたまま息をのんだ。いつも愛想がなく、どこか冷めていて、本音を見せない男が口にした、偽りのない心からの感謝。照れくささと、胸の奥から込み上げてくる温かい愛おしさに、ルネはドアノブを握る手に少しだけ力を込めた。
ルネ「……ふん。言われなくたって……あいつはもう、アタシの大切な友達だよ。……おやすみ、リンタロウ」
リンタロウ「ああ、おやすみ」
ルネは振り返ることなく、ぶっきらぼうにそう言い捨てると、パタンと部屋のドアを閉めた。ドアの裏側で、真っ赤になった顔を両手で隠しながら、ルネは小さく、だが幸せそうに唇をほころばせていた。廊下に一人残されたリンタロウは、少しだけ口元を緩めると、自分の部屋へと静かに足を進めるのだった。
数日後の朝。セーフハウスのリビングで食後のコーヒーを飲んでいたルネとパピヨンの前に、リンタロウがレンを伴って現れた。リンタロウはポケットから小さく折りたたんだ紙幣とコインを取り出し財布に入れると、それをテーブルの上のレンの手元に静かに置いた。
リンタロウ「No.4、今日からお前に『お小遣い』を渡す。金額は月2ユーロだ」
レン「……お、小遣い……ですか?」
突然のことに、レンはぽかんとして手元の通貨とリンタロウの顔を交互に見つめた。2ユーロといえば、日本円にしておよそ300円程度。駄菓子や缶ジュースが数個買えるくらいの、実にささやかな金額だ。リンタロウは肘をつき、淡々とした口調で説明を始める。
リンタロウ「お前はCODEでしか生きてこなかった。だから、世の中の人間がどうやってモノを買い、価値を量り、お金をやりくりして生きているのかを知らない。……これは、一般的な商品経済と金銭感覚を学ぶための訓練だ」
レン「訓練……」
リンタロウ「そうだ。何に使っても構わない。お菓子を買おうが、ノートを買おうが、使わずに貯金しようがお前の自由だ。ただし、一ヶ月で使えるのはその2ユーロだけだ。計画的に使え」
レン「あ、ありがとうございます……! 大切に使います!」
レンは教えられた『ミッション』を果たすべく、真剣な表情で小さな財布に大切そうに通貨を仕舞い込んだ。レンが自分の部屋へ財布を置きに走っていったのを見届けると、リンタロウは隣に座るルネとパピヨンに向き直り、急に鋭い視線を向けた。
リンタロウ「……それと、あんた達二人に約束してもらうことがある」
ルネ「なになに? 急に改まってさ」
ルネが怪訝そうに眉をひそめる。
リンタロウ「レンに絶対にモノを買い与えるな。お菓子でもおもちゃでも、買い食いの奢りでも一切禁止だ」
ルネ「はぁ!? なんでよ! あいつ、今までまともな子供時代を送ってきてないんだよ? たまにお菓子くらい買ってあげたっていいじゃない!」
リンタロウ「駄目だ。あんた達が何でも買い与えたら、あいつが『2ユーロで遣り繰りする』という意味がなくなる。甘やかすのはあいつのためにならん」
ルネ「ぐっ……そ、それはそうかもしれないけどさぁ……」
正論で突かれ、ぐうの音も出ないルネ。もちろん、このお小遣いはCODEの経費などではなく、すべてリンタロウの個人のポケットマネーから捻出されている。そのやり取りを横で聞いていたパピヨンは、頬に手を当て、クスリと楽しそうに微笑んだ。
パピヨン「ふふ……なんだか、本当にお父さんみたいね」
リンタロウ「……仕事をしてるだけだ」
ルネ「またそんな言い訳して……」
パピヨンのからかうような言葉に、リンタロウは一切表情を変えることなく、短くそう答えてコーヒーカップに口をつけた。だが、その背中には、厳しくも温かく「子供の成長」を見守ろうとする一人の大人としての優しさが、確かに滲み出ていた。
次回、レンに無慈悲な罰が下される