勇者一行です、通してください 作:もりもりら
都市を結ぶ街道のど真ん中で、荷馬車がひっくり返っていた。
「た、助けてくれぇぇぇぇッ!」
悲鳴が響く。馬はとうに逃げたらしい。車輪を上に向けた荷馬車の陰で、太った商人が頭を抱えて縮こまっている。その周囲を取り囲んでいるのは、六匹の魔物だった。
二本足で立つ、大柄な狼のような魔物。黄色く濁った牙を剥き出しにし、じりじりと獲物との距離を詰めている。どう見ても絶体絶命だった。
そこへ、一人の男が通りかかった。
フタガミ・キスケ。
年季の入った外套に、安物の革靴、着物の下にシャツを着込んだ、どこかちぐはぐな旅装。この国では少々浮いた格好をしており、着崩した胸元からは、ときおり首に提げた不釣り合いなほど美しいネックレスが覗いていた。
「あ……! そ、そこのお方! お助けを! どうか、どうかお助けください!」
商人の顔が輝いた。呼びかけられたキスケは足を止め、魔物を見て、それから商人を見て、もう一度魔物を見る。
「……いくら?」
「へ?」
「助けたら、いくらくれんの?」
商人が目を丸くする。その間にも、一匹の魔物が唸り声を上げた。
「そ、そんなことを言っている場合ですか!?」
「俺にはじゅーぶん大事なことだ」
「払います! 払いますから! 言い値で払います!」
「言ったな?」
その瞬間、魔物が地面を蹴った。狙われたのはキスケだった。新しく現れた、危険そうな人間を先に始末するつもりなのだろう。巨大な爪が振り下ろされ、商人は思わず目を閉じた。
直後、何かが鞘走る音がした。
──ドン。
遅れて、重いものが地面に落ちる音が響く。
「……え?」
恐る恐る目を開いた商人は、自分の目を疑った。魔物はキスケの目の前で倒れ伏していた。その身体には斜めに一筋、深々と斬撃の跡が走っている。
いつ抜いたのか。キスケの右手には、鞘から抜かれた刀が握られていた。
「あ?」
刀身についた血を眺めながら、本人が一番、不思議そうな顔をした。
「こいつら、弱くね?」
仲間が倒されたことで、残る五匹が一斉に飛びかかった。
「お、おおおおおお!?」
商人が再び頭を抱える。だが、キスケは逃げなかった。
一匹目の突進を半歩ずれてかわし、すれ違いざまに刀を横薙ぎに振るう。その勢いのまま身体を返し、続く二匹目が振り下ろした爪を刀で受け止めた。甲高い音が響いた次の瞬間には力任せに押し返し、がら空きになった胴へ一太刀を叩き込む。
背後から三匹目が迫る。キスケは振り返りもせずに刀を逆手に持ち替え、そのまま後ろへ突き出した。切っ先が魔物を捉え、突進の勢いを失った巨体が地面へ転がっていく。
残った二匹が左右から同時に襲いかかる。
キスケは挑発的に口角を上げた。
「まとめてこいよ、畜生ども」
右から迫った一匹の爪を身を沈めてかわすと、その懐へ潜り込む。腹を蹴り飛ばし、吹き飛んだ巨体をもう一匹へぶつけた。
二匹がもつれるように地面へ倒れる。
「よっ」
そこへキスケが無造作に刀を振り下ろした。
それで静かになった。
商人は口を開けたまま動けなかった。剣術と呼ぶにはあまりに荒っぽく、洗練されているようにも見えない。それでも、六匹の魔物がキスケに傷一つつけることはなかった。
キスケは刀を軽く振って血を払い、そのまま何事もなかったように鞘へ収めた。
商人は口を開けたまま固まっていた。戦いと呼ぶには、あまりにも一方的だった。ほんの十数秒、たったそれだけで街道を占拠していた魔物たちは一匹残らず動かなくなっていた。
その中心でキスケは首を傾げる。
「……竜より弱ェな」
それは比較対象がおかしかった。だが、キスケにとっては至極まっとうな感想だった。なにせ故郷では、たまに村へ降りてくる竜を追い払うのが彼の数少ない仕事だったのだから。
「す……すごい……!」
商人の唇が震える。
「ァあ?」
「すごいですぞ、あなた! いったいどこの騎士様で!?」
「無職」
「え?」
「……あ、いや、今は旅人か」
「は、はあ……」
「それより」
キスケが手を出した。
「金」
感動の余韻は一瞬で消えた。
「あっ……はい」
商人は慌てて懐を探り、革袋を取り出した。
「こ、これを! 命を救っていただいたお礼です!」
ずしりとした革袋が差し出される。キスケが中身を確認すると、入っていたのは銀貨が数枚と、そこそこの銅貨だけだった。しばしの沈黙が流れ、商人がごくりと唾を呑む。
「チッ、しけてんなァ」
商人の頬が引きつった。キスケが一歩近づく。
「もっとくれてもいいじゃねェか、なあ?」
「こ、これで全部でございます!」
「さっき言い値で払うっつったよな?」
「それは、その、命の危機でしたので……!」
「ならてめェの命の値段が銀貨数枚ってことか、なァ?」
「そ、そういう意味では!」
「荷馬車ん中には?」
商人の顔色が変わった。
「商品しかございません!」
「売れば金になるだろうが」
「なりません!」
「なるだろ」
「なりません!」
「見せてみ? なァ、魔物に殺されるより悪いことには起きねェよ」
「ヒィイイイイイイイイ!」
商人は逃げた。ひっくり返った荷馬車も、散らばった商品も放置して、街道をものすごい勢いで走っていく。あんな恐ろしい魔物を一掃した、更に恐ろしい化け物。それに目をつけられて、どうして無事でいられようか。商人の生存本能は誰よりも長けていた。
キスケはその背中が小さくなっていくまで見送ると、ぼそりと言った。
「なんだあいつ。助けてやったのに」
そして当然のように、置き去りにされた荷物を漁り始めた。食料や酒、毛布、よく分からない壺などが出てくる。
「お、干し肉あんじゃん」
ありがたく頂戴する。ついでに酒も一本頂戴し、毛布も今使っているものより上等だったので交換した。壺は重いので置いておいた。
ひと仕事終えたキスケは満足そうに立ち上がった。
「旅って案外、食っていけんな」
勇者の血を引く男は、そう言って笑った。
──3年後、魔王が復活する。
その予言を受けた国王は、世界中へ布告を出した。かつて魔王を討ち果たした勇者が遺した六つの遺物。そのうち王家が所有する《ティアラ》を除く五つを集め、王都へ持ち帰った者には、次代の勇者となる資格が与えられる。
そして最後には、王家のティアラを継ぐ王子との直接対決が待っている。勝者こそが新たな勇者となり、たとえ敗北しても、遺物を集めた功績には莫大な褒賞を約束するという。
世界を救う者を選ぶ、壮大な旅の始まりだった。
もちろん。
「勇者なんて死んでもやりたくねェけど、負けても金くれんだろ?」
この男が狙っているのは、最後の一行だけだった。
キスケは胸元からネックレスを摘まみ上げた。勇者の遺物、その一つ。故郷の村で代々受け継がれてきたものだ。
旅立ちの日、村長をはじめとする村人総出で渡された。
──お前ならきっと、立派な勇者になれる。
──世界を救ってくれ。
──もう帰ってこなくていいからな。
最後だけ妙に本音が混じっていた気もする。
「ったく……」
キスケはネックレスを服の中へ戻した。
そもそも、好きで旅に出たわけではない。村の周りに現れる竜を狩って暮らしていたら、その竜を狩り尽くしてしまった。仕事がなくなり、当然、働かなくなった。もともと働いていなかったという意見もあるが、本人は認めていない。
そんな折に勇者の布告が届き、村人たちはなぜか満場一致でキスケを送り出した。餞別まで山ほどくれたうえ、村を出るときには泣いている者さえいた。よほど別れが惜しかったのだろう。
「あと4つか」
ネックレスは既にある。残る遺物は、ブレスレット、指輪、アンクレット、レッグチェーン。それを集めて王都へ行き、王子とやらと戦う。そしてわざと負ける。金だけ貰う。あとは一生働かない。
「完璧じゃねェか、なァ?」
壮大な人生設計だった。
キスケは商人から拝借した干し肉を噛みながら、街道を歩き出す。魔王を倒す気などさらさらない。世界を救う使命感も、勇者への憧れもない。あるのは金への執着と、働きたくないという強固な意志だけだった。