カスどもの救世 作:もりもりら
勇者杯初日の試合がすべて終わる頃には、ラウルグの空もすっかり暗くなっていた。
大会が終わったからといって街まで静かになるわけではない。むしろ昼間の熱気をそのまま持ち込んだように、闘技場周辺の酒場はどこも客で溢れ返っていた。
勝った者を肴に酒を飲む者、負けた選手を好き勝手に批評する者、賭けで儲けた金をその日のうちに使い果たそうとしている者。勇者を決めるための大会という大層な名目など忘れたように、街中が祭りの続きを楽しんでいる。
その一軒に、キスケもいた。
「もう一杯」
空になった木杯を卓へ置くと、給仕は一瞬その数を確かめるように並んだ杯へ目をやったものの、何も言わず新しい酒を運んできた。向かいの席には誰もおらず、ナルニーナは大会が終わってから勝手にどこかへ消え、ロドは相変わらず地下牢の中にいる。久しぶりに一人で静かに飲める夜――のはずだった。
『あるじ、飲みすぎじゃない?』
卓の向かいには、周囲の人間には見えない少女が座っていた。
「飲んでねェ」
『いっぱい飲んでるよ。さっきから何杯目?』
「数かぞえるのはな、俺の仕事じゃねェんだよ。むめい、かぞえろ」
『数えてたけど途中で分かんなくなっちゃった」
「へへへ、じゃあ誰もわかんねェな」
杯を傾けるキスケを、無銘は頬杖をつきながら眺めていた。試合中に散々人を斬れと騒いでいたときとは打って変わって暇そうである。
『今日、結局誰も斬らなかったね』
「大会なんだから当たり前だろ」
『刀を使っていいのに?』
「使うのと殺すのは別だ」
『でも命の保証はしないって言ってたよ?』
「だからってわざわざ殺す必要ねェだろうが」
『つまんなーい』
無銘は卓へ顎を乗せた。キスケは構わず酒を飲み干し、また杯を置く。
「もう一杯」
『まだ飲むの?』
「今日は飲む」
『なんで?』
「負けたからだよ」
『試合は勝ったじゃん』
「賭けだ」
思い出すだけで腹が立った。
エリシアに賭けた金はアルバートの勝利によって綺麗さっぱり消えた。二・八倍になるはずだった金が一銭も返ってこないばかりか、その直後には隣に座っていた大女から散々煽られたのである。
『ざまあみろって言われてたね』
「言うな」
『何回も言われてた』
「言うなっつってんだろ」
『負け犬とも言われて──」
「てめェ、どっちの味方だ」
『あるじの刀だよー?』
当然のように答える無銘を睨みつけるが、本人はどこ吹く風だった。新しい酒が届く。キスケはそれもすぐに飲み始めた。
「だいたいなァ、賭けなんてのはバカのする儲けだ。ああいうのは損するようにできてんだよ」
『じゃあもうやらないよね』
「もう一杯」
『あー誤魔化した!』
そんな調子で杯を重ねているうちに、さすがのキスケも酔いが回ってきた。酒を取ろうとして一度空を掴み、何事もなかったように手をずらして杯を取る。
その一部始終を見ていた無銘が身を乗り出した。
『あるじ、酔ってるでしょ』
「酔ってねェ」
『今、杯取るの失敗したよ』
「違ェ、わざとだ。いいか?……ここにはてめェの見えねェなんつうか、あれだ。気みたいのがあんだよ。……悪いタイプの気が。俺はただそれを掴んで引き抜いただけで……」
『あるじ、いっぱい喋るね。あの女みたい』
「あの女……?ああ、ナルニーナのことか……」
キスケはそう受け答えしながらも、船を漕いでいる。眠気まで誤魔化すことはできなかったようだ。一度大きな欠伸をすると、そのまま椅子へ深くもたれかかる。
『眠いの?』
「眠くねェ」
『今あくびしたもん」
「てめェの目が節穴なんだよ……ロドみたいにな……」
『……したもん』
「してねェ……」
答える声が次第に小さくなっていく。
『宿に帰ってから寝たほうがいいよ?』
「あとで……帰る」
『絶対ここで寝るやつじゃん』
「寝ねェって……」
言葉とは裏腹に瞼はすでに閉じかけており、最後には腕を組んだまま頭が前へ落ちた。その姿勢でしばらく耐えていたものの、やがて完全に力が抜け、卓へ突っ伏して動かなくなる。
『あるじ? あるじー?』
無銘が何度か呼んでも返事はなかった。
『寝ちゃった……』
卓の向こうからキスケを眺めるが、起きる気配はない。頬を突いてみようにも実体のない今の姿ではどうにもならず、声も届かないほど深く眠っているらしい。
『ねえ、あるじ。起きてよー』
もう一度呼んでみる。
やはり返事はない。
『…………』
無銘は頬杖をついた。
喋り相手がいない。
酒を飲めるわけでもなければ、料理を食べられるわけでもない。周囲には大勢の人間がいるものの、彼らには無銘の姿も見えず、声も聞こえない。キスケが眠ってしまえば、この騒がしい酒場にいてもすることなど何一つなかった。
『ひまー』
しばらく足をぶらぶらさせていたが、それにも飽きた。
卓へ両腕を置き、その上に顎を乗せる。
『あるじが寝るから悪いんだからね』
返事はない。
『……あたしも寝よ』
誰に聞かせるでもなく呟くと、そのまま腕へ顔を埋める。ほどなくして無銘も静かになり、向かい合った人間と妖刀は、揃って酒場の喧騒の中で眠り込んでいた。
人間と妖刀が向かい合って仲良く寝落ちしているわけだが、周囲の客から見えるのは、卓へ突っ伏して酔い潰れたキスケだけである。酒場には同じような酔客が何人もいるため、誰も気に留めようとはしなかった。
──だから、その男も最初からキスケを狙って近づいてきたようには見えなかった。
人混みを縫って歩いてきた男が、眠っているキスケの背後を通り過ぎようとして足を緩める。何気なく周囲を見渡したあと、その手が腰に差された無銘へ伸びた。
キスケは起きない。
柄を握られても、無銘も目を覚まさない。
男はしばらくそのまま様子を窺ってから、音を立てないよう慎重に鞘ごと帯から抜き取った。無銘の姿が眠ったまま薄れていき、刀が完全にキスケの身体から離れたところで、その姿も消える。
男は盗んだ刀を外套の下へ隠し、何食わぬ顔で酒場の出口へ歩いていった。
その一部始終を、少し離れた席から見ていた者がいる。
眼鏡を掛け、前髪を軽く上げた男だった。身体の大半はローブに隠れているが、その隙間から覗く衣服は仕立てがよく、この騒がしい酒場にはどこか不釣り合いに見える。
男──レイヴァンは、盗人がキスケの刀へ手を伸ばしたときから気づいていた。
それでも止めなかった。
声を掛けることもなく、外套の中へ消えた刀をじっと見つめている。
盗人が酒場の扉を開ける。
その姿が外へ消えたところで、レイヴァンはすぐに席を立ち、急ぎ足でキスケの卓まで来ると、その肩を揺すった。
「あの、すみません。起きてください」
「…………」
「すみません。少し急いだほうがいいと思いますので」
キスケは起きない。
レイヴァンは困ったように眉を下げると、今度は少し強めに肩を揺すった。
「あなたの刀、盗まれましたよ」
「…………あ?」
ようやくキスケが顔を上げた。
目は半分ほどしか開いておらず、寝起きに酒まで入っているせいで意識もはっきりしていない。ぼやけた視界の向こうにいる眼鏡の男をしばらく眺めたあと、露骨に眉を寄せる。
「……誰だてめェ」
「ああ、すみません。突然起こしてしまって」
レイヴァンは申し訳なさそうに笑って頭を下げた。
「私のことは後で構いません。それより、あなたの刀を持っていった男が、たった今この店を出ていきました」
「……刀?」
まだ頭が回っていないのか、キスケは数秒ぼんやりしていた。
それから腰へ手を伸ばす。
何もない。
もう一度、帯のあたりを探る。
やはり何もない。
「…………」
眠気の残っていた目が、ようやく開いた。
いつもなら頼んでもいないのに聞こえてくる声もない。腰にあるはずの重みもない。
「……は?」
椅子を蹴るように立ち上がったキスケを見て、レイヴァンは酒場の出口へ視線を向けた。
「まだ出ていったばかりです。今なら追いつけます」
盗まれてから、ほんの僅かな時間しか経っていない。
キスケの酔いが、一気に醒めた。
無銘がない。それだけではなく、無銘を手に入れる以前から使っていた刀も盗られていた。妖刀を手にしてからは滅多に抜かなくなったものの、捨てる理由もないのでそのまま持ち歩いていた。それもまとめて持っていかれたらしい。
「欲張りな野郎だな……」
酒場から出てきたレイヴァンが、少し遅れて隣へ並ぶ。
「どこ行ったかわかるか」
「あちらです。まだ、それほど時間は経っていません」
レイヴァンが指差した先には、夜のラウルグが広がっている。昼間ほどではないにせよ、大会期間中の街はまだ人通りが多く、屋台や酒場から流れてきた人々が道を行き交っていた。
この中から一人を探す。
普通なら厄介な話だった。
「しゃあねェな」
キスケは片手を持ち上げ、短く息を吐いた。
魔法は好きではない。
使えないわけではなく、必要がないのだ。大抵のことは刀一本あれば片づくし、わざわざ術式を組み立てるより斬ったほうが早い。旅に出てからも事情は変わらず、魔法を使う機会などほとんどなかった。
だが、肝心の刀を二本とも盗まれているのなら話は別だった。
指先に淡い光が灯る。
それは一瞬だけ揺らめくと、細い糸のように夜の街へ伸びていった。
「……こっちか」
キスケは走り出した。
「あ、待ってください!」
レイヴァンも慌てて後を追う。
追跡に使っているのは、物に残った自分の魔力を辿るだけの簡単な魔法だった。長く身につけていた物には、意識せずとも僅かな魔力が染みつく。欲張って二本も持っていったのなら、それを見失うほうが難しい。
光の糸は大通りを外れ、細い路地へ続いていた。
キスケは人混みの隙間を抜けながら速度を上げる。後ろからレイヴァンがついてくるが、そちらを気遣って待つつもりはなかった。
何度か角を曲がり、賑やかな通りから遠ざかっていく。やがて人影がほとんどなくなった。
薄暗い路地の先を、一人の男が走っていた。外套の隙間から鞘が2本覗いている。
「いた」
キスケが地面を蹴る。
男も背後から迫る足音に気づいたらしい。振り返った途端、驚いたように目を見開いた。
「なっ、もう──」
「待てコラァ!」
「ひっ!」
男は速度を上げ、路地のさらに奥へ逃げ込んだ。だが、追いつくのに大した時間はかからなかった。
建物の間を抜けた先、小さな空き地のようになった場所で、男がようやく足を止める。
その傍らには、二人の男が待っていた。
「おい、どうした?!」
「追ってきやがった!」
「は?」
二人がキスケを見る。
少し遅れてレイヴァンも追いつき、息を整えながら空き地へ入ってきた。
「……仲間がいたんですね」
「雑魚ってのはよく群れるもんだ」
キスケは足を止めると、三人を順番に見た。
盗人は奪った刀を抱え、残る二人はそれぞれ短剣と棍棒を持っていた。
「素直に返してくれりゃあ、悪いようにはしねェよ」
キスケが手を差し出すが、三人は顔を見合せてそれから下卑た笑い声をあげた。
「何の話かわかんねぇなあ!こいつはオレたちの剣だぜ!」
「チッ、そういうスタンスかよ」
「悪いこと言わねぇ、大人しく帰りな酔っぱら──」
最後まで言わせず、キスケは間合いを詰めた。
「──ッ!?」
短剣が持ち上がるより早く、懐へ潜り込む。そのまま腹へ拳を叩き込み、男の身体がくの字に折れたところで腕を掴んだ。
「がっ……!」
勢いのまま投げる。
男の身体が地面へ叩きつけられ、短剣が手を離れて転がった。
「てめぇ!!」
もう一人が棍棒を振り上げる。
キスケはそちらを見ることもなく片手を向けた。
「吹っ飛べ」
掌の前で空気が弾けた。
見えない塊に正面から殴りつけられたように男の身体が宙へ浮き、そのまま数歩分も後方へ飛ばされる。背中から壁へ激突し、棍棒を取り落として崩れ落ちた。
二人を片づけるのに、十秒もかからなかった。
「…………」
刀を盗んだ男が固まっている。
キスケは拳を開閉しながら、そちらへ向き直った。
「で」
一歩近づく。
「その刀が、……誰のだって?」
「く、来るな!」
男が後ずさる。そして抱えていた二本のうち一本を掴んだ。
それは奇しくも、無銘だった。
「来たら斬るぞ!」
「あ?」
キスケの足が止まる。
男はそれを怯んだと勘違いしたのか、慌てて鞘を捨てようとした。
「来るなっつってんだろ!」
「おいそれ、」
追い詰められた男は、キスケの言葉など聞いていなかった。震える手で鞘を掴み、無銘の柄を力任せに握り込む。
刀身が僅かに鞘から覗いた。
その、瞬間だった。
バヂンッ、と耳を刺すような音が弾けた。
「──ぁ」
男の身体が硬直する。
何が起きたのか理解する暇すらなかった。柄を握った右手から青白い光が這い上がり、腕を伝い、瞬く間に全身を包み込む。
次の瞬間、雷鳴にも似た轟音が路地を揺らした。
男の身体が跳ねた。
背筋が不自然なほど反り返り、両脚が石畳から浮く。喉から掠れた音が漏れたものの、それは悲鳴にすらならなかった。指は柄から離れるどころか、何かに縫いつけられたように固まったまま、全身だけが細かく震え続けている。
「むめい、やめろ」
キスケが声を発したときには、もう遅かった。
青白い閃光が、もう一度弾ける。
直後、耳をつんざく轟音が狭い路地を叩いた。強い、拒絶の音。
建物の壁と壁の間で音が幾重にも反響し、空気そのものが震えたようだった。キスケの耳には甲高い耳鳴りが残り、しばらくは男が地面へ倒れる音さえまともに聞こえない。
何かが焼け焦げたような嫌な臭いが混じり、熱を帯びた空気とともに路地へ淀んでいる。思わず息を浅くしたくなるような異臭だった。
やがて耳鳴りの向こうから、カラン、と澄んだ音が戻ってきた。
無銘が石畳へ落ちた音だった。
つい数秒前まで喚いていた男は、もう動かない。その傍らで、無銘だけが何事もなかったように転がっていた。
『うわああああああん! あるじぃぃぃぃ!』
静まり返っていた路地に、無銘の泣き声が響き渡った。もっとも、それが聞こえているのはキスケだけである。そのためレイヴァンは、倒れた男へ駆け寄っていた。膝をついて状態を確かめているが、どうやら助かる余地はないらしく、ひとり首を横に振った。
『こわかったよぉぉぉ! 知らない人に持ってかれたぁぁぁ!』
先ほどまで姿の見えなかった無銘が、倒れた男の傍らで泣きじゃくっている。大粒の涙をぼろぼろ零しながら、キスケへ飛びついた。
「はあ……怖ェのはてめェだよ」
『だってぇ! 起きたら知らない人があたし持ってるんだもん!』
「その知らねェ奴を今しがた殺したの誰だ!」
『知らないもん! 勝手になったんだもん!』
「勝手に人が雷に打たれて死ぬか!」
『あたし悪くないもん!』
キスケは彼女を慰めるように、無銘をなるべく丁寧に拾い上げる。柄に触れても、当然ながら何も起こらない。
『あるじぃ……!』
「ああ、分かった分かった。もう戻ってきただろうが」
『起きたらあるじいないし、知らない人に持たれてるし、あたし何回呼んでも聞こえないし!』
「寝てたてめェも悪いだろ」
『あるじが先に寝たんじゃん!』
「俺は酒飲んでたんだからしょうがねェだろ」
『じゃああたしだって暇だったんだからしょうがないもん!』
「分かったから泣くな。うるせェ」
『うわああああん!』
「余計泣くな!」
刀を抱えて泣き喚く少女を相手にしていると、つい先ほど人を殺した妖刀だという事実が馬鹿馬鹿しくなってくる。
『もう盗られるのやだぁ……』
「分かった。次から気をつける」
『ほんと?』
「ああ」
『ちゃんとあるじが持っててくれる?』
「持ってる。だからもう泣くな」
『……絶対?』
「絶対だ」
『……うん』
ようやく泣き声が小さくなる。
キスケは無銘を鞘へ収め、拾い直した残り二本と一緒に腰へ戻した。
「ったく。世話焼かせやがって」
そこまで言ったところで、妙な視線を感じた。
「…………」
振り返ると、レイヴァンがこちらを見ていた。いつから見ていたのか。いや、最初からいた。
そこでようやく、キスケは自分がたった今まで何もない空間へ向かって延々と喋っていたことを思い出した。
「……何だよ」
先に目を逸らしたのはキスケだった。
レイヴァンは何も追及しなかった。
ただ、先ほどまでの申し訳なさそうな笑みは消えている。倒れた男へ一度視線を落とし、それから無銘を差したキスケの腰へ目を向けた。
「一つ、伺っても?」
「何だ」
「こうなることを分かっていましたか」
鞘に収まった刀は、先ほど人一人を殺したとは思えないほど静かだった。
「いや。初めて知った」
「……そうですか」
レイヴァンは少し考え込む。
「その刀からは、随分と禍々しい気配がしますよ」
「そうだな」
キスケは腰の無銘へ目を落とした。
『禍々しくないもん』
すぐさま不満そうな声が返ってくる。
人を斬れば魂を喰い、暇さえあれば人間を斬れとせがんでくる。今さら無銘が危険な代物だと教えられるまでもない。
ただ──そういえばこいつは、世間一般からすれば妖刀なんだったな、と改めて思う。
キスケ自身、無銘を危険ではないと思ったことなど一度もない。初めて声を聞いたときからまともな刀でないことくらい分かっていたし、人の魂を喰うと知ってからはなおさらだった。
それでも腰から外そうと思わなかったのは、単純に使えるからだ。
よく斬れる。
それに、どれほど禍々しかろうが、自分なら扱える。
そこに疑問を挟んだことすらなかった。
実際、無銘はキスケに逆らったことこそあれ、刃を向けたことはない。今だって柄へ手を掛ければ、先ほど男を殺した刀とは思えないほど素直に手の中へ収まるだろう。
だから、危険だからと厳重に封じたり、持ち歩くのをやめたりする気にはならなかった。そもそも人の刀を勝手に盗んだ挙句、持ち主へ向けて抜こうとした奴が悪い。
勝手に盗んで、勝手に抜いて、勝手に死んだ。そこまで面倒を見てやる義理もない。
とはいえ──
キスケは先ほど男が倒れた場所をちらりと見て考えを少し改める。また同じことが起きれば面倒ではあるので。
「……まあ、ちっとは気をつけるか」
『なにを?』
「てめェを盗まれねェようにだよ」
『ほんと!?』
「また人が死んだら面倒だからな」
『あたしの心配じゃないの!?』
「刀の心配してどうすんだよ」
『ひどい!』
いつもの調子で騒ぎ始めた無銘を無視して、キスケは腰のもう一本の刀と合わせて位置を直した。
レイヴァンはそんなキスケをしばらく見つめていたが、やがて無銘から視線を外した。
「では、もう一つだけ」
「まだあんのかよ」
「貴方は、自分の強さについてどうお考えですか」
「はぁ?」
何を聞かれたのか分からず、キスケは眉を寄せた。
自分が強いか弱いか。
そんなことを改めて考えた記憶がない。
「どう考えるも何も……てめェは二本足で歩くことについて考えたことはあんのかよ」
「二本足、ですか?」
「ああ。四本足で歩いてる犬見て、一々足止めて考えたことは? ねェだろ」
レイヴァンは一瞬言葉を失った。
キスケにとっては、それと大差がない。
物心ついた頃からこうだった。斬れば斬れるし、殴れば倒れる。必要なら魔法も使える。それをいちいち他人と比べて、自分がどれほど強いのかなどと考える必要がなかった。
「それは……そうかもしれません」
「だろ」
キスケはそれで話は終わりだとばかりに踵を返した。
しかし数歩進んだところで、足を止める。
「あと」
肩越しにレイヴァンを見る。
「てめェ、何企んでるか知らねェが、俺を巻き込むなよ」
レイヴァンの目が僅かに細くなった。
「俺はただ、勇者の指輪が欲しいだけなんだ。それ以外の面倒事は御免だからな」
「ええ」
レイヴァンはいつもの穏やかな調子へ戻り、静かに頷いた。
「覚えておきましょう」
「ならいい」
それ以上追及することなく、キスケは歩き出した。
『あるじ、あの人怪しいよ』
「知ってる」
『絶対なんか隠してる』
「だから関わらねェっつってんだろ」
遠ざかっていくキスケの背中を、レイヴァンはその場に立ったまま見送っていた。
持ち主以外に抜かれることすら拒む妖刀。
そして、その持ち主は武器をすべて奪われた状態でも、複数の男を瞬く間に制圧した。
レイヴァンは眼鏡の奥で目を伏せる。
「私は……」
誰に聞かせるでもなく、言葉が漏れた。
「……悪魔に魂を売る覚悟を、持つべきなのでしょうか」