勇者一行です、通してください 作:もりもりら
その日の夜、キスケは酒場の隅で一人、盛大に飲んだくれていた。
「姉ちゃん、もう一杯」
「まだ飲むの?」
「金ならある」
キスケはそう言って、昼間に商人から受け取った革袋を卓の上で鳴らした。
命を救った礼としては到底納得できない額だったが、安酒を浴びるほど飲むには充分だった。卓には空になった杯がいくつも転がり、食い散らかした肉料理の皿が積まれている。昼間に「しけてんなァ」と吐き捨てていた男と同一人物とは思えないほど、気前よく金を使っていた。
働かずに得た金で飲む酒は美味い。
キスケはすっかり上機嫌だった。
「いやァ、旅ってのも悪くねェな」
運ばれてきた酒を一息に半分ほど飲み干し、椅子の背にもたれかかる。
酒場は賑わっていた。仕事を終えた職人、旅人、商人、傭兵らしき者たちが卓を囲み、あちらこちらから笑い声や怒鳴り声が飛び交っている。
そんな喧騒の中、近くの卓から聞こえてきた言葉に、キスケの耳がわずかに動いた。
「知ってるか、勇者の遺物のありか」
酒を飲む手は止めなかった。
「今度は西だって話だ。どっかの冒険者が遺跡から掘り当てたらしい」
「俺が聞いたのは北だぞ。領主が《指輪》を隠し持ってるって」
「どっちだよ」
「知らねえよ。今じゃそんな噂ばっかりだ」
男たちは酒を片手に笑っていた。
「そもそも、本当に六つもあるのか?」
「王様の布告なんだから、あるんだろ。ティアラは王家が持ってる。残りはネックレスに、ブレスレット、指輪、アンクレット、それからレッグチェーンだったか」
「なんで全部女物の装飾品なんだ?」
「6人の妻にそれぞれ送ったプレゼントらしい」
「なるほどな、それで全部集めりゃ勇者になれるってやつな」
「違う違う。全部集めた後にアルバート王子と戦うんだよ。勝った方が勇者だ」
「負けてもとんでもねえ額の褒賞が出るんだろ?」
「だからみんな血眼になって探してんだよ」
キスケは杯を傾けながら、横目で男たちを見た。どうやら自分が思っていた以上に、勇者の遺物というものは世間を騒がせているらしい。
「この前なんか、遺物を持ってるって噂された貴族の屋敷に盗賊が入ったらしいぞ」
「そりゃ災難だ」
「それだけじゃねえ。偽物まで出回ってる。勇者の腕輪だの指輪だの言って、ただのガラクタを高値で売りつける奴までいるそうだ」
「じゃあ本物を持ってる奴なんて、名乗り出られねえな」
「当たり前だろ。俺なら絶対隠すね。寝てる間に首を掻かれたくねえ」
「違いねえ!」
卓を囲んだ男たちが笑う。
「…………」
キスケは無言で、自分の胸元へ目を落とした。着物の下には、話題の中心になっている物の一つがぶら下がっている。
「……面倒くせェ」
小さく呟き、酒を飲む。
遺物を集めれば金になる。
当然、自分以外にもそれを狙う者はいる。それくらいは分かっていたが、どうやら遺物を一つ持っているだけでも充分に面倒事を呼び寄せるらしい。
別の卓からも声が聞こえてくる。
「賞金まで懸けて探してる連中がいるらしいぜ」
「遺物にか?」
「いや、遺物を持ってる人間にだよ。殺して奪った方が早いだろ?」
「物騒だなァ」
「勇者を決めるって話なのに、魔王が復活する前に人間同士で殺し合ってりゃ世話ねえよ」
また笑い声が上がる。
キスケは鼻を鳴らした。
「ハッ、バカバカしい」
自分はそんな騒ぎに巻き込まれるつもりはない。
残り四つを適当に探して、王都へ持っていく。王子に適当に負けて、褒賞だけ貰う。それで終わりだ。最悪ネックレスだけ渡して褒賞を貰う。
勇者になりたい連中が勝手に殺し合うのは構わないが、こちらを巻き込むのだけはやめてもらいたい。
そう思いながら、最後に残った酒を口へ運ぼうとした。
そのときだった。
「……あ?」
キスケの手が止まった。着物の合わせの奥から、淡い光が漏れている。
一度、消える。
しばらくして、また光った。
「…………」
キスケは無言で胸元を押さえた。見間違いではない。
ネックレスだ。
勇者の遺物であるネックレスが、着物の下で勝手に明滅していた。
「おいおいおい……」
よりにもよって、なぜ今なのか。
キスケは周囲を見回した。
幸い、誰もこちらを見ていない。酔っ払いたちは勇者の遺物について好き勝手なことを喋りながら酒を飲んでいる。
再び胸元が光る。今度は先ほどよりも強い。着物越しでも分かるほどだ。
「ふざけんなよ……!」
キスケは慌てて着物の前を掻き合わせた。
つい今しがた聞いたばかりではないか。遺物を持つ者には賞金が懸けられ、殺してでも奪おうとする連中がいる。その話をしている酒場のど真ん中で、本物の遺物が自己主張を始めている。
「おい、姉ちゃん!」
「はい?」
「勘定!」
「え? でも、まだお酒が──」
「いいから早くしろ!」
卓の上へ硬貨を何枚か置く。
「ちょっと、これ多いよ!」
「釣りはいらねェ!」
先ほどまで銀貨数枚の報酬に文句をつけていた男とは思えない台詞だった。
キスケは残っていた酒を惜しそうに一瞥すると、外套を掴んで立ち上がる。
「なんだ、あいつ?」
「酔ってんじゃねえの?」
背後からそんな声が聞こえたが、無視して酒場を出た。
夜の町にはまだ人が多かった。通りには露店が並び、酒場や宿屋から漏れる明かりが石畳を照らしている。
キスケは人混みを縫うように歩いた。胸元ではネックレスがまだ明滅を続けており、着物の上から押さえつけても止まる気配はない。
「やめろ、馬鹿! 光んな!」
人目を避けて路地へ入ると、ネックレスを首から外して懐の奥へ押し込んだ。これで少なくとも外から光が見えることはないだろう。
ところが、しばらく歩いたところで首元に妙な感触を覚えた。嫌な予感とともに手をやれば、そこには先ほど外したはずのネックレスが、何事もなかったようにぶら下がっている。
「……気持ち悪ィなァ、お前」
これで何度目か分からない。外しても、荷物にしまっても、挙げ句の果てには道端へ捨てても、気がつけば勝手に首へ戻っている。勇者の遺物などという大層な名前がついているが、キスケからすれば呪いの装備と大差なかった。
しかも今夜は、そこに勝手に光るという厄介な性質まで加わったらしい。
「クソが……!」
キスケはネックレスを隠し、とにかく人目のない場所まで離れようと足を速めた。大通りを抜けて町の門をくぐり、そのまま町の灯りが遠くなるまで歩き続ける。やがて人家もなくなり、月明かりだけが道を照らすところまで来て、ようやくキスケは足を止めた。
「ここまで来りゃいいだろ」
胸元からネックレスを引っ張り出してみるが、相変わらず淡い光を明滅させている。
「なんなんだよ、さっきから」
もちろん返事などあるはずもなく、キスケは舌打ちして再び歩き出した。
しばらくして、妙なことに気がついた。
進む方向によって、光の明滅する間隔が変わっている。
何度か向きを変えて確かめてみると、どうやら町から離れ、道の脇に広がる森へ近づくほど明滅が速くなるらしい。
「……なんかあんのか?」
キスケは森の奥とネックレスを見比べた。どう考えても面倒事の臭いしかしない。
「知らねェよ」
そのまま無視して道を進む。
しかし、歩けば歩くほどネックレスの光は激しくなり、とうとう着物の合わせから光が漏れるだけでは飽き足らず、夜道を照らす行灯と見紛うほどの光源になった。
キスケはしばらく耐えていたが、やがて足を止めると、苛立ちを隠そうともせずに頭を掻いた。
「ああもう、うぜェな! 分かったよ!」
吐き捨てるように言って引き返す。
明滅の間隔を頼りに辺りを探っていくと、やがてキスケの足は街道を外れ、鬱蒼とした森へ向かっていた。
「てめェ、意思あんじゃねェだろうな……」
返事はない。
キスケは盛大に舌打ちし、草木を掻き分けながら進んでいく。道らしい道はなかったが、奥へ進むほどネックレスの光はせわしなくなっていった。
やがて木々の隙間から、苔むした石段が見えた。
「なんだ、これ」
草木に半ば埋もれた石段が、森の奥へ向かって続いている。相当長い間、人が通っていないのだろう。石の隙間から雑草が伸び、ところどころ崩れていた。
その先にあったのは、小さな祠だった。
石造りの古びた建物である。屋根は一部が崩れ、壁一面を蔦と苔が覆っている。入口には朽ちかけた両開きの扉があり、その周囲にはキスケには読めない文字がびっしりと刻まれていた。
そして妙なことに、祠の周囲だけ生き物の声がしなかった。
その先にあったのは、小さな祠だった。
石造りの古びた建物である。屋根は一部が崩れ、壁一面を蔦と苔が覆っている。入口には朽ちかけた両開きの扉があり、その周囲にはキスケには読めない文字がびっしりと刻まれていた。
そして妙なことに、祠の周囲だけ生き物の声がしなかった。
「……いかにもって感じだなァ」
キスケは胸元からネックレスを取り出した。ここまで来てなお光は明滅を続けており、祠へ近づくにつれてその間隔も明らかに短くなっている。どうやら目的地はここで間違いないらしい。
だからといって、中へ入る理由があるかと問われれば特にない。見るからに怪しい祠を探索したところで金になる保証はなく、何より面倒事の臭いがする。キスケはしばらく祠を眺めたあと、踵を返そうとした。
その途端、ネックレスの光が一段と強くなった。
「分かった、分かったから! いちいち光んな!」
苛立ちながらネックレスを着物の中へ押し込むと、仕方なく祠へ向かう。
石段へ足をかけた、そのときだった。
重いものが擦れるような音とともに、足元が微かに揺れた。
「あ?」
キスケが顔を上げると、祠の入口を挟むように鎮座していた二体の石像がゆっくりと動き始めていた。
どちらも人の形をしているが、頭部に顔らしいものはなく、代わりに縦一文字の亀裂が走っている。苔に覆われた巨体には四本の腕が生えており、それぞれ錆びついた剣や斧を握っていた。長い年月をただの石像として過ごしてきたとは思えないほど滑らかな動きで立ち上がると、二体は祠を守るようにキスケの行く手を塞いだ。
「門番ってとこか?」
当然ながら返事はない。代わりに片方の石像が大きく踏み込み、巨大な斧を振り下ろした。
キスケは横へ跳んでそれをかわす。直後、立っていた場所へ斧が叩きつけられ、轟音とともに石段が砕け散った。
「危ねェなァ!」
悪態をつきながら腰の刀へ手を伸ばし、続けざまに迫った二撃目を抜きざまに受け流す。金属と金属が擦れ合う甲高い音が響き、キスケは刀越しに伝わってきた重みに眉をひそめた。
「……さっきの犬よりは硬ェか」
二体目が横から剣を振るう。キスケは身を反らして切っ先をかわし、そのまま踏み込んで石像の膝へ刀を叩き込んだ。しかし刃はわずかに食い込んだだけで止まり、思っていた以上の硬さにキスケは舌打ちする。
「チッ」
ならばと同じ場所へ蹴りを叩き込むと、刀では斬れなかった石の脚があっさりと砕けた。支えを失った巨体が大きく傾き、片膝をつくように沈み込む。
「……こっちのが早ェな」
刀を使う意味があるのかという疑問が頭をよぎったところで、背後からもう一体の斧が迫った。
キスケは沈み込んだ石像の肩へ飛び乗り、その巨体を足場にして跳躍する。標的を失った斧は勢いを殺せないまま仲間の背中へ直撃し、轟音とともに石の身体を粉砕した。
「ハハッ、バーカ!」
砕けた仲間には目もくれず、残った石像がキスケへ向き直る。斧を構え直すその姿を見て、キスケは面倒になったように刀を鞘へ収めた。
「あー笑った。もういいぜ」
石像が斧を振り上げるのと、キスケが地面を蹴るのはほとんど同時だった。振り下ろされるより早く懐へ潜り込み、勢いのまま拳を胴体へ叩き込む。
轟音が森の静寂を破った。
拳を受けた石像の胴に亀裂が走り、次の瞬間には背中まで一気に砕け散った。巨体は数歩よろめいた末に仰向けに倒れ、地面を揺らして動かなくなる。
「最初からこうすりゃよかった」
キスケは拳についた石の粉を払いながら、改めて祠へ目を向けた。
二体の門番を倒したというのに、辺りは相変わらず不自然なほど静まり返っている。普通なら今の轟音で鳥の一羽くらい飛び立ってもよさそうなものだが、それすらなかった。
祠の前までやってくると、胸元のネックレスはこれまで以上に激しく明滅していた。
「はいはい、ここなんだろ」
朽ちかけた扉へ手をかける。少し力を込めただけで扉は湿った軋みを上げながら開き、その向こうからひやりと冷たい空気が流れ出してきた。
祠の中は暗かった。
外から差し込む月明かりを頼りに足を踏み入れると、すぐ先に地下へと続く石段が見えた。壁にも入口と同じ文字が刻まれており、その隙間には黒ずんだ染みがこびりついている。鼻をつくのは、湿った土と古い鉄を混ぜたような臭いだった。
「金目のもんなかったら、マジでぶっ壊すからな」
誰に言うでもなく呟き、キスケは石段を下りていく。
進むにつれて外の光は届かなくなり、周囲は闇に包まれていった。それでも完全な暗闇にならなかったのは、皮肉にも胸元のネックレスが光っているおかげだった。淡い光に照らされた石壁を横目に進んでいくと、やがて階段が途切れ、その先に広い石室が現れた。
キスケは足を止めた。
石室には家具も装飾もなく、あるのは部屋の中央に据えられた古びた台座だけだった。
その上に、一本の刀が置かれている。
「……刀?」
思わずそう呟いたのは、それがこの国では珍しい形をしていたからだけではない。
鞘も柄も、ほとんど黒一色だった。長い年月をここで過ごしてきたはずなのに、不自然なほど朽ちた様子がなく、鞘には赤黒い筋のような模様が幾重にも走っている。
何より異様なのは、その刀が纏っている雰囲気だった。
ただ置かれているだけなのに、そこだけ空気が淀んでいるように感じられる。見つめていると理由もなく胸の奥がざわつき、身体のどこかが触れるなと訴えてくるような、明らかにまともではない気配があった。
さすがのキスケも、すぐには近づかなかった。
「……なんだァ、ありゃ」
胸元からネックレスを取り出すと、その光は今までで最も激しく明滅していた。ここまで自分を導いてきた目的が、あの刀であることは疑いようがない。
「まさか、あれも遺物とか言わねェだろうな」
国王の布告に刀なんて物はなかったはずだ。そもそも、勇者の遺物というのはティアラやネックレスといった女の装飾品ばかりだった。
なら、これは何なのか。
キスケは警戒しながら台座へ近づいた。
一歩進むごとに、肌を撫でる空気が冷たくなっていく。近くで見るとますます気味が悪く、鞘に刻まれた赤黒い模様は装飾というより、何かを封じ込めるための印のようにも見えた。
「…………」
キスケは刀を見下ろした。
どう見ても怪しい。どう考えても触らないほうがいい。こんな場所に門番まで置いて封じられている時点で、ろくな代物ではないことくらいキスケにも分かる。
それでもしばらく眺めているうちに、彼の視線は刀そのものではなく、鞘や柄に施された細工へ向かっていった。
「……これ、売ったらいくらになんだ?」
危機感より金欲が勝った。
キスケはためらいなく柄へ手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、ぞわりとした寒気が腕から全身へ駆け抜ける。
「うわ、気持ち悪ィ」
思わず顔をしかめたものの、手を離すことはなかった。
むしろ、そのまま柄をしっかりと握り込む。
そしてキスケは、長い間その祠に封じられていた刀を台座から持ち上げた。
途端に何かが起こるかと思ったが、意外にも何も起こらなかった。腕を這い上がってきた寒気もすぐに消え、刀は先ほどまでの禍々しさが嘘だったかのように手の中へ収まっている。
「……なんもねェな」
拍子抜けしながら、鞘に収まった刀を眺める。
古びてはいるものの、柄や鞘の造りは悪くない。これだけ曰くありげな代物なら、好事家にでも売りつければそれなりの金になるだろう。わざわざこんな場所まで来た甲斐はあったらしい。
「ま、酒代くらいにはなるか」
キスケが刀を腰に差し、来た道を戻ろうとした、そのときだった。
背後で石を踏む音がした。
振り返るより先に、風を切る音が迫る。
キスケは咄嗟に身を沈めた。頭上を短剣が通り過ぎる。そのまま勢いを殺さず横へ転がり、立ち上がりざまに振り返ると、石室の入口に見知らぬ男が立っていた。
「チッ、外したか」
革鎧を着た痩せた男だった。顔の下半分を布で隠し、右手には短剣を握っている。その後ろからも二人の男が姿を現し、石室の狭い入口を塞いだ。
「……誰だ、てめェら」
「酒場じゃ随分慌ててたな、兄ちゃん」
「あ?」
その言葉で、キスケにもようやく察しがついた。
男は短剣の切っ先をキスケへ向けながら、着物の胸元へ視線を落とした。
「見えたんだよ。あんたが慌てて出ていく直前、服の隙間から光ってたのがな」
「…………」
「勇者の遺物だろ、それ」
キスケは無言で胸元を見た。
あれだけ人目を気にしていたというのに、しっかり見られていたらしい。ネックレスは嫌がらせかのように、未だに光っている。
「だからあんだけ光んなっつったのによォ……」
「大人しく渡せば命までは取らねえ。俺たちだって──」
「尾けてきたのか?」
男の言葉を遮って尋ねると、盗賊たちは顔を見合わせた。
「だったらなんだ?」
キスケの眉間に皺が寄る。
「俺が酒やめてまで急いで出てきた意味ねェじゃねェか……!」
「……は?」
「しかも、こんな森ん中まで尾けてきやがって」
キスケは心底腹立たしそうに頭を掻いた。
お釣りはいらないと差し出した金が今なお手元にあれば、明日も明後日もきっと酒が飲めたはずだった。急いで出て行ってもなんの意味もなかったその事実が、何よりもキスケを腹立たせていた。
そんな事情を知りもしない盗賊たちがじりじりと距離を詰めてくる。三人程度なら、いつもの刀を使えば大した相手ではない。
だが、キスケの手は先ほど手に入れたばかりの刀へ伸びた。
「ちょうどいいか」
「何?」
「試し斬り」
鯉口を切る。
その瞬間、キスケはわずかに目を見開いた。
軽い。
刀身が鞘から抜けたという感覚すら希薄だった。鈍い光を帯びた刃には錆一つなく、薄暗い石室の中で濡れたような光沢を浮かべている。
「やっちまえ!」
三人が一斉に動いた。
最初に飛び込んできた男の短剣を身をずらしてかわし、キスケは横薙ぎに刀を振るった。
ほとんど手応えがなかった。
「……あ?」
一瞬、外したのかと思った。
だが男は数歩進んだところで力を失い、その場に崩れ落ちた。
残る二人が怯んだ。
「な……」
その隙をキスケが逃すはずもない。
一気に間合いを詰め、二人目が構えた剣ごと斬り払う。先ほどまで使っていた刀なら弾かれていたはずの刃が、ほとんど抵抗を感じさせないまま相手の武器を断った。
「なんだ、これ」
キスケの口角が上がる。
三人目が逃げようと背を向けた。
「おい」
キスケは踏み込み、その背を一太刀で斬り伏せた。
静寂が戻ってきた。
キスケはしばらく刀身を見つめた。三人を相手にしたというのに刃こぼれ一つなく、血を払えば先ほどと変わらぬ鈍い輝きが現れる。
「……いいじゃねェか」
思わず笑みが浮かんだ。
売るのはやめた。
今まで使っていた刀も決して粗悪な物ではなかったが、これは明らかに格が違う。恐ろしく軽く、それでいて刃を振るえば何の抵抗もなく相手を斬り裂く。どれだけの値がつくか知らないが、これほどの切れ味なら手元に置いておくほうがいい。
キスケが刀を鞘へ収めようとした、そのときだった。
『──おいしい』
手が止まった。
「…………」
辺りを見回す。
誰もいない。
当然だった。立っているのはキスケ一人で、ほかにいるのは死んだ盗賊だけである。
「……誰だ?」
返事はない。
気のせいかと、再び刀を鞘へ収めようとする。
『すっごくおいしい!』
「ッ!?」
今度ははっきり聞こえた。
女の声だった。それも、声だけならまだ幼さの残る少女のものに聞こえる。
「誰だ! 出てこい!」
『ここ! ここだよ、あるじ!』
「どこだよ!?」
『手!』
「手ェ?」
言われるまま自分の右手を見る。
握っているのは刀だけだった。
嫌な予感がした。
「……お前か?」
『うん!』
即答だった。
キスケは刀を遠ざけた。
「気持ち悪ッ!」
『ひどい!』
「刀が喋ってんじゃねェよ!」
『だって喋れるもん!』
「知るか!」
思わず刀を放り捨てそうになったが、寸前で思いとどまる。これだけの切れ味を持つ刀を投げるのは惜しい。
すると今度は、キスケの視界の端に何かが映った。
台座の上に、少女が座っている。
「…………」
反射的に刀を構えるが、少女は驚くどころか楽しそうに足を揺らしていた。
見た目だけなら十代半ばほどだろうか。小柄で、刀の禍々しい雰囲気にはまるで似つかわしくない、可愛らしい顔立ちをしていて、キスケには慣れ親しんだ着物に身を包んでいる。祭りで着るような華やかなやつだ。だが、その身体はどこか輪郭が曖昧で、暗い石室の景色が薄く透けて見えていた。
そして何より、頬に手を当てた少女の視線はキスケではなく、床に倒れた盗賊たちへ釘付けになっている。
『おいしい……なにこれ。すっごくおいしい……!』
「はァ?」
『いままでだっていっーぱい食べてきたのに。騎士も、盗賊も、商人も、えらい人も食べたし、わるい人だっていい人だって食べたことあるの。でも、こんなにおいしいのはじめてだよ!」
「……さっきから何の話してやがる」
『魂だよ、魂!』
あまりにも当然のように返され、キスケは眉をひそめる。
「魂?」
『そう! 今あるじが斬った三人の魂!』
「誰があるじだ」
『あるじが斬った瞬間、あたしが食べたの。でも、なんでだろ。いつもとぜんっぜん違う。すっごくおいしかった!』
とんでもなく厄介な刀だ。喋るだけでなく、魂を食うだなんて。その事実は、ロクデナシだが畜生ではないキスケには受け入れがたく、目眩がした。
『ねえねえ、あるじ! もう一人斬ってみない?』
「……斬らねェよ」
『なんで!?』
「もういねェだろうが」
『探しに行こうよ!』
「なんでこの俺が、てめェの飯探しに行かなきゃなんねェんだよ」
『だって確かめたいんだもん! この三人だけがおいしかったのか、それとも、あるじが斬ったからおいしくなったのか!』
「知るか!」
『あたしは知りたい!』
「一人で調べろ!」
『あたし一人じゃ斬れないよ!』
「じゃあ諦めろ」
『そんなぁ!』
心底残念そうな声だった。台座から降りた少女は、年相応の子どものようにキスケの裾を掴み、上目遣いでおねだりする。
『ね、ね。半分でもいいから!』
「魂に半分とかあんのかよ」
『ない!』
「じゃあ言うな」
少女は頬を膨らませた。
『けち』
「うるせェ」
キスケは刀を鞘へ収めた。それでも少女の姿は消えず、すぐ横についてくる。
『ねえ、あるじ。次はどこ行くの? 人いっぱいいるところ?』
「黙ってろ」
『お腹空いたなぁ』
「さっき食っただろ」
『三人なんておやつだもん』
「人の命をなんだと思ってやがる」
キスケが吐き捨てるように言うと、少女は少しも怯まず、むしろ楽しそうに笑った。足元には死体が転がっているが、流れ出る血が少女の足を汚すことはない。
切れ味は申し分ない。むしろ今まで手にしたどんな刀よりもいい。ただし、死ぬほどうるさい。
キスケは早くも、この刀最大の欠点を理解し始めていた。
ふと胸元を見ると、いつの間にかネックレスは光るのをやめている。どうやら最初から、この刀のもとへ自分を連れてくることが目的だったらしい。
「……余計なもん押しつけやがって」
『余計じゃないやい!」
「てめェに言ってねェよ」
『じゃあ誰?』
「黙れ」
『ねえ、あるじ。次どこ行くの?』
「黙れっつってんだろ」
『おなかいっぱいになったら眠くなってお口閉じるかも……」
「けっ、飢えたら物も言えなくなるだろ」
「あるじひどい!おんなのこがお腹すいて泣いてるのに、無視するんだ!」
「ざまァねえな」
『うわーーん!!』
「うるせェ!」
静まり返っていた祠に、二人分の声が響いていた。もっとも、少女の声と姿を近くできるのはキスケだけだったが。