透明な配達人   作:ながずぼん

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#01

 午後10時。長野県小県(ちいさがた)郡長和(ながわ)町。国道142号線沿いのセブンイレブン。

 関東方面から峠をいくつか越えてきた大型トラックが、獣の唸り声のような重いエンジン音と過給器の甲高い音を寝静まった山間の集落に響かせながら走っていく。

 

 コンビニの店内に客は一人。20代後半から30歳ぐらいの男性。

 棚に並べられた菓子パンを吟味しているようであり、ただ眺めているだけのようでもある。しばらくレジ前で男が来るのを待っていた店員は、男が何を買うのか決めかねている様子を見て、賞味期限の切れた弁当などの撤去を始める。

 するとすぐに男は手ぶらのままレジの前に立つ。

 店員は鼻からゆっくり溜め息を吐き、極小の舌打ちをしてレジに戻る。

 

 男はカウンターに張られた珈琲のサイズ表のシールを指差し「これ」とだけ言う。

 店員はラージサイズのカップをカウンターに置き、キャッシャーを操作しタッチパネルに料金を表示させる。

「お支払い方法の選択になりま」のタイミングで男は現金を投入口にジャラッと入れて店員の言葉をかき消す。それと同時にパネルにまだ表示されていない『現金』のタッチ部分を急かすようにトントンと中指で小突いている。

 男は苛立っているわけでもないし、急いているわけではない。ただ自分の作業を澱みなく遂行しているだけに過ぎない。

 

 機械が小銭の勘定を終わらせたらOKボタンを押し、男はカップを持ってマシンに向かう。その背中に向けて店員は通常のボリュームで「……んだあいつ」と舌打ちをして作業に戻る。

 

 男は珈琲を持って店を出て、駐車場の端に停めてある車に乗り込む。

 通常コンビニの駐車場を映す防犯カメラは死角がないように設置されているが、ここの店舗には死角がある。

 カメラの映像にはカップを持った男が歩く姿は映っているが、彼がどこへ行ったのかまでは追えていない。どこから来たのかもわからない。

 ただ男が店に入りカップを持って出ていくだけ。それしか残らない。

 

 カップホルダーに珈琲を入れるとエンジンをかけ運転席と助手席の窓を開け放ち、煙草に火を点ける。―――禁煙て言われてなかったし。

 

 ◆◆◆◆◆

 

 19時までに現地到着という予定であったため、夕方の混雑を見越して早めに出発する。上信越道を松井田妙義《まついだみょうぎ》インターで下車。東へ向かう国道18号線は予想通りそこそこ混雑していた。約束の時間まで余裕があったので監視システムを迂回しながら移動しても焦ることはなかった。

 男の運転する車は2015年製のFIAT500。外見は白いなんの変哲もない軽自動車のような小型車。変わったところといえば、デュアルロジックという変わったトランスミッションであることと、ナビシステムが根こそぎ取り払われていることだった。

 

 高崎《たかさき》市に拠を構えるとある企業が自社開発商品に関する特許を取得予定だが、情報漏洩を恐れ極秘裏に試作品と設計図面などの資料を岐阜《ぎふ》市の特許事務所まで届ける案件。

 極秘裏とはゼロ・フットプリントの配達。監視カメラやNシステムを回避し、GPSの痕跡も残さない。そのためにナビのない車が用意された。

 無論、運転手が携帯電話を携行することなどない。デジタルネットワークから隔絶した状態で物だけが移動する配達である。

 

 荷物の受取先はその企業ではなく、市内の乳製品販売会社の営業所。

 依頼人である社長は自社の総務課も信用ならないらしく、彼の身内であるオフィス向けの訪問販売のスタッフを社長室に呼び、保冷バッグに試作品と図面や書類を入れて持ち出しているらしい。

 ―――飲むヨーグルトの試供品くれるかな。

 

 営業所から少し離れた駐車場に車を停めて19時きっかりに赴き、閑散とした事務所の中に一人残っていた中年女性に「荷物を預かりに来ました」と告げると、怪しむような視線を向けられた。

 

「ああ、六星ロジステック……?ロジティクス、です」

 

「あ、はい。お待ちしておりました。これがお願いする荷物になります」

 

 女性はそう言って足元の保冷バッグをカウンターの上に載せた。

 ―――重くは、ないんだな。

 保冷バッグのジッパーの2つのタブが小さな南京錠で施錠されていて、気持ちばかりのセキュリティロックが施してあった。

 

「これ、かわいらしいですね」

 

 男は小さな南京錠を褒めたつもりだったが、脆弱であると咎められたように思った女性は「生憎それしか穴を通らなくて」と代替方法がなかったことを暗喩する。

 彼女の噛み付くような視線を気にも留めず「ではお預かりしますね」と言って男が保冷バッグを担ぎ事務所を出ようとすると、女性は「よろしくお願いしますね」と心配そうな声を掛けてきた。

 男は不器用に笑顔を作って「はい」と返すと「本当に、お願いします」と女性は深々と頭を下げ、本当にこの男に任せて大丈夫なのだろうかと心配そうな眼差しで彼の背中を見送った。

 

 ここから岐阜市の特許事務所までが配達の本番となる。

 男は助手席に置いたコマ図に目を落とし、高崎市内の監視カメラやNシステムを迂回しながら西進する。

 碓氷《うすい》峠を越えて長野県に入り軽井沢《かるいざわ》を通過して佐久《さく》市内へ。都度、迂回を繰り返し国道142号線に入って峠を2つほど越えたところの長和町のコンビニで休憩をとる。

 

 ◆◆◆◆◆

 

 長和町のコンビニを出たら和田《わだ》峠方面には行かず、白樺湖《しらかばこ》方面へ。

 カメラとNシステムの位置からルートを割り出し、ナビのない車で曲がるべき交差点を指示したコマ図には、岡谷《おかや》へ抜ける和田峠方面に大きなバツ印が打たれている。

 白樺湖を抜け茅野《ちの》市からは152号線の杖突《つえつき》峠の九十九折の坂道を上り高遠《たかとう》方面へ。

 ―――あ、鹿がいる。でかい。いまの本当に鹿だったか?馬だった?

 

 ナビで案内させれば別のルートをサジェストされるのだろうが、監視カメラ(国道のライブカメラ)が回避できない箇所があるため、このルートでの指示。

 伊那《いな》市から153号線を南下して飯田《いいだ》市を通過し、阿智《あち》村の分岐で南木曽《なぎそ》方面へ。

 妻籠《つまご》宿の手前の交差点で左折して馬籠《まごめ》宿方面へ。曲がりくねった坂を下って国道19号線に出たら、すぐに木曽川方面へ大きく迂回し恵那《えな》市内へ。

 

 そろそろ膀胱が限界に近くなったので県道沿いのコンビニに入る。

 午前2時。静まり返った深夜のコンビニ駐車場の端へ車を停め、飲み切った紙カップを捨てトイレを済ませる。

 小腹が空いたので冷蔵棚を吟味し、サンドイッチを2つ手に取りレジへ。

 店員は男のことなどお構いなしで雑誌の棚を動かして掃除をしている。

 ―――こっち完全に無視してめちゃめちゃ掃除してる。

 

 男は店員の方へ顔を出し「お願いします」と声を掛けると、返事もなく店員はレジで精算をする。再び珈琲のラージサイズを注文し、会計を済ませたらコーヒーマシンを操作してドリップしている間、再び掃除を始めた店員を眺めて待った。

 車に戻り、煙草に火を点け紫煙をくゆらしながら、どうして2つも買ったのだろうか?と助手席のサンドイッチを見て男は不思議に思った。

 

 恵那市から関《せき》市まで使用する国道418号線は迂回の必要がない代わりに片側が急勾配の斜面でもう片方が川の崖になった、それなりのカーブが連続するセンターラインのない山の中の道だった。

 似たような区間が続き、前にも後にも対向車も通らず、ただただ真っ暗な山道を走っていると、ナビもないため男は次第に自身の存在が曖昧になってくるのを感じた。

 

 男には自身の記憶がなかったから、余計に存在を曖昧に感じていた。

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