透明な配達人   作:ながずぼん

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#13

 石川由加里は北海道札幌(さっぽろ)市出身。彼女が20代前半にアルバイトをしていたペンションへ友人数名とスキー旅行にやってきた2歳年上の光則と出会い、その後、遠距離恋愛がスタートする。

別れたり縒りを戻したりを繰り返し、30歳となった光則が家業を継ぐためタクシー会社へ入社した年に結婚する。このとき由加里は28歳だった。

 いつまで経っても子供ができないので病院で検査を受けると、光則にも由加里にも、お互いに身体的な原因があり「俺たちは二人でのんびり生きよう」と光則からの言葉で由加里は悲しみを乗り越えた。

 

 由加里は長女で下に弟が2人、末の妹は10歳年下であった。

 10歳も離れていると、実家暮らしの頃の由加里とは話も合わなかったが、由加里が結婚をして家を出るときに、ちょうど妹も家を出て東京の芸大へ通うようになり、その頃からようやく二人の交流が始まる。

 

 由加里の妹、荻原晴香《おぎわら はるか》は大学卒業後コンサルティング会社へ入社し、デパ地下のマーケターとしてキャリアを築き、店舗のディスプレイなどを手掛けたりしていた。

 彼女のアイディアの源泉には由加里の主婦目線が隠し味として機能していることは誰も知らなかったが、当の晴香は姉のセンスには敵わないと尊敬していた。

 一方の由加里からすれば、大袈裟に言えば我が子のようにかわいい妹であり、仕事に邁進し結果を残し続ける彼女を一人の女性として尊敬し誇らしく思っていた。

 そんな妹もまた、子供ができにくい体質であり、子供が産めないのならと長らく付き合っている恋人とは籍を入れず同棲もせず過ごしてきた。

 

 9月下旬の連休の繁忙期を乗り切り少し暇になった由加里は、久しぶりに妹に会いに行くため会社を休み上京する。

 事前のやり取りで妹の部屋に泊めてもらう相談をしたときに、妹の返信が少しおかしかった理由を、由加里は目黒《めぐろ》区の彼女のマンションの部屋を訪れた際に知る。

 別々に暮らしているはずの彼氏、横谷直樹《よこたに なおき》が妹の部屋に転がり込んできており、以前に由加里が泊めてもらった部屋は彼が占拠していた。

 

「せっかく来てもらったんですけど、お姉さんが寝る部屋はないからホテル取ってもらえませんかね」

 

 自分の部屋でもないのに、ふてぶてしい態度で追い払おうとする妹の彼氏に対して、由加里は「出ていくのはあなたでは?」と言いたかったが、俯く妹の姿を見て、なにかあると思い、彼の言うことに従い、戸越《とごし》のホテルのツインルームを確保する。

 予想外の展開だったが、妹と一緒にいるために上京したのだから彼女と一緒に泊まれる部屋を取り、彼にその旨を伝えると「どうぞご自由に」と由加里に言い、晴香には「報告しなくていい」と言った。

 

 着替えを入れたバッグを持った妹を連れ出し、山手線の五反田で乗り換え戸越へ。

 電車の中で由加里はマンションを出るときの引っ掛かりについて「報告ってなに?」と晴香に尋ねると「ちょっと束縛がね」と彼女は力なく笑った。

 聞けば、会社に出勤した、昼はどこに行った、何時に帰る、外出しているときは逐次報告をしないと帰宅時に責められるそうだ。

 少し異常ではないかと思ったが晴香はそれ以上教えてくれなかったので、落ち着いた場所で話を聞こうと由加里は逸る気持ちを抑えホテルを目指す。

 

 ちょうど15時を回ったところだったので、すぐにチェックインをして部屋に入る。

 由加里は備え付けの珈琲を二人分淹れて、少し落ち着いたところで晴香から事情を聞き出す。

 

「ねえ、晴香。なにがあったのかここなら話せる?それとも話したくない?」

 

 由加里がそう言うと晴香は黙ったまま涙を流し、嗚咽を漏らし始める。

 何も言わず手を握り、彼女が泣き止むのを待っていると、しばらくして晴香は「暴力をね、受けているの」とえづきながらどうにか声にした。

 由加里は血の気がすうっと引くのを感じた直後、マグマのような憤りが胸のあたりを焼き焦がすのを感じ、叫びたくなるのを必死で我慢して彼女の言葉を待った。

 

「彼がね、仕事で失敗して解雇(クビ)になったの。それで再就職もうまくいかなくて、家に来れば?って言って一緒に住み始めたら、そのままズルズル働かなくなって……」

 

 誰だって失敗はする。うまく行くときもいかないときもある。

 由加里の夫である光則だってしょっちゅう失敗をする。特にお金のことは。

 けれど一度だって失敗を由加里のせいにしたことはないし、八つ当たりのように責めたりもしてこなかった。

 なのになんなんだあの男は。自分の失敗の捌け口を晴香に求めて。クズめ……

由加里は激情に駆られ無意識のうちに晴香の手を強く握ってしまい「お姉ちゃん、痛いよ」と言われて、はっと我に返り「ごめんね」と謝り優しく握り直した。

 

 ただ、弱い立場であるはずの彼がどうして部屋に居座り妹が追い出せないのか、暴力だけが原因だとは思えず、なにか決定的な弱みでも握られているのではと由加里が理由を尋ねると「預金通帳とパスポート、保険証、それからマンションの権利書もどこかに隠されている」と晴香は言った。

生活に必要なお金は自分が稼いでいるにもかかわらず、彼に言って認められなければ貰えない状態らしい。以前に返してくれと食い下がったときは、顔が腫れ上がるほど殴られたと彼女は声を震わせて由加里に話した。

 

「警察や相談所には?」

 

「警察に相談したときに家に来たんだけど、彼が言いくるめて追い返しちゃって」

 

 その際も殺されるかもしれないと思うほど身体を痛めつけられたのだと言う。

 見えるところではなく、服で隠れるところを徹底的に。

 

「お姉ちゃん、あの男のこと絶対許さねえから。したけど、あんなクズに関わってたらわやになるべや。おまえを安全なとこに逃がしてやる。今の仕事は諦めねばなんないけど、それでもいいかい?」

 

 晴香は見た。幼い頃、北海道の実家で両親の他にいたもう一人の強い大人。自分が間違っていないと思ったらどこまでも戦う逞しい姉の姿を、いまここでもう一度。

 

「お姉ちゃん……、ありがとう」

 

 晴香は嬉しそうに泣きながら、由加里にぎゅっと抱きついた。

 由加里は晴香の髪を撫でながら「大丈夫。お姉ちゃんがなんとかしてやる」と囁いた。それは自身を奮起させるつもりの言葉でもあった。

 

 その後、二人は他人に会話を聞かれないようルームサービスで夕食を頼み、部屋で食べながら晴香の脱出作戦について話し合った。

 

まずは取り上げられた身分証や権利書などの重要書類の奪還がなければ転居もできないため、それらがどこに隠されているのか確認した。

 彼の住んでいた部屋は既に引き払っているため、間違いなく目黒のマンションの中にあるだろうと晴香は言う。彼の占拠する部屋が怪しいが入れて貰えないそうだ。

 由加里がしばらくマンションに居座り隙をみて捜索することにして、晴香は通常通りに出勤して捜索を悟られないようにすることに。

 

もしも逃亡が露呈し身の危険を感じたら、全部捨てて自分の元に来いとも言った。

 

「去年の冬にわけのわからない男の子を光則さんが拾ってきたんだから、わたしだってかわいい妹を拾って帰っても文句ないでしょ」

 

「え?男の子を拾ったってどういうこと?養子縁組をしたの?」

 

 由加里は”男”が自分たち夫婦の元へやってきた経緯を話し、その後、配達のことやいまの生活について話した。

 

「子育てってこんな感じなのかしらね。とにかく毎日なにかが起きて楽しいわ」

 

「へえ、そうなんだ。一度会ってみたいな、その子に」

 

 その後、由加里は石川に連絡をし、しばらく東京に滞在すると伝えた。

 今までそんなことは一度もなかった妻が、真剣な声色でそう言うのだからそうする必要があるのだと理解した石川は「身体に気を付けて」とだけ言って了承した。

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