翌日の夕方、由加里は晴香と共にマンションに戻る。
「今夜は晴香の部屋に泊まるから。それなら文句はないわよね?」
「好きにすればいいですよ。でも俺は気を使って出て行ったりしませんから」
マンションに戻る前に買い出してきた食材で二人分の夕食を作り、横谷には声を掛けず晴香と由加里で食べる。お前が食べる分などないという由加里の意思表示。
これで買い物にでも出ればと思ってのことだったが、横谷は買い置きのカップ麺を啜り部屋を出ることはなかった。
なんとしても彼の『目』を塞ぐ必要があり、由加里は次の一手に出る。
「あなた、さっきから臭うんだけど、毎日お風呂に入ってるの?家の近所で飼っている牛のほうがまだ臭わないんだけど。ねえ、どうにかしてよ」
「なっ……」
横谷は「母親気取りかよ」と舌打ちし、見ていたスマホを乱暴に放り投げて面倒臭そうに浴室へ。
すぐに捜索を開始したい気持ちだったが、この日の目的はそうではなかった。
横谷の入浴時間がどれくらいなのか把握することにあった。結果15分。
その夜から由加里は、晴香の寝室の狭い床に買ってきた寝袋を広げて眠ることに。
翌日の午前11時頃、寝室として占拠している部屋からリビングに出て来た彼氏が、そこに居座る由加里を見て驚愕する。「いつ帰るんですか」と尋ねられ「しばらくいるわ。わたしも勝手にするからあなたもお好きにどうぞ」と由加里は言い放つ。
リビングにいても慌てた様子がなかったことから、晴香の重要書類が保管されている場所は『あの部屋』の中であることを由加里は確信する。
昼すぎに由加里が部屋の掃除を始めたとき「俺の部屋は掃除しなくていいから」と横谷が言い「俺の部屋?それは家賃が払えなくて出て来た部屋のこと?」と由加里が一笑に付すと、彼はテレビのリモコンを由加里に投げつけ占拠している部屋のドアをバタムと乱暴に閉じて引き籠った。
幸いにしてリモコンは由加里に当たらなかったものの、爆発した暴力の前に彼女は初めて身の危険を感じ、晴香の態度がああなってしまうのを理解した。
結局その日、横谷は引き籠ったまま風呂にも入らず、何の収穫もなく終わる。
翌日も晴香の出勤を見送った後、何食わぬ顔でリビングにいた由加里は「まじで帰れって」と横谷に言われ「そんなこと言わないでちょうだい。週末には帰るから」と期限を切って納得させた。
昼食も夕食も作って食べさせ警戒心を解かせる。というより横谷の支配下に置かれているよう演じた。多少は警戒を解いたようで、翌日に由加里が買い出しから戻ってきた際には面倒くさそうにされるも締め出されることはなかった。
その晩、横谷の入浴時、由加里はそっと彼の占拠する部屋に入りベッド周りを捜索するも、それらしいものは見つからなかった。
15分の入浴時間であったが捜索したのは5分間だけ。晴香には見張り役として気配を殺して廊下にいてもらった。
その翌日はチェストの中、その翌日はクローゼットの中を捜索したが発見できなかった。由加里は、奪ったものを貸金庫やレンタル倉庫に預けている可能性もあるのかと焦燥した。
退出期限まで残り2日。この日の捜索はもう一度クローゼットの中とした。前日は左半分しか探せなかったので残りを調べるため右の扉を開ける。
奥にスーツケースがあった。手前の荷物の置かれ方を覚え、慎重に引っ張り出す。
それにはロックがかかっていた。由加里はこれだと思った。
持ち上げて揺すってみると中から、カサカサという音と、コトコトという小さくて固い物の音が聞こえ、ますます確信を強めた。
由加里は携帯のカメラでスーツケースを撮影し、急ぎながらも慎重に奥へ戻し、クローゼットの中を元の状態に戻す。
その夜、晴香の部屋で由加里は、声を落として今後について話す。
「クローゼットの中のスーツケースに全部入っていると思う。だけど逃げ出してから居場所がバレないようにする必要があるでしょ。すぐにその準備をするけど明後日には出ていくって彼に言っちゃったから……。準備ができるまで耐えられそう?」
「そうなんだ、スーツケースに……。うん、大丈夫。お姉ちゃん、私のためにいろいろありがとう。迷惑かけてごめんね……」
さめざめと泣き出した晴香を抱きしめ、落ち着いたところで由加里は脱出の手配をするべく晴香の部屋を出る。
リビングの横谷へコンビニで必要なものはあるかと声を掛けると、「べつにいらねえよ」と返される。「帰ったら中に入れてね」とお願いしてマンションを出る。
コンビニへ歩きながら石川へ連絡を入れ、妹の事情の全てを説明する。
「晴香ちゃん、そんなことになってたのか!れ、例の八王子《はちおうじ》の弁護士さんに頼んでみようか?それとも戸田に頼んでやべえ奴らを送りこ……」
「なにを言ってるのよ。うふふ。心配してくれてありがとうね。あなたにお願いしたいのは”彼”の配達よ。晴香を安全な場所まで配達して欲しいの。わたしお金ないけど頼めるかしら」
石川は「身内から金取れるかよ」と笑い、追跡できない逃走とするための『荷物』の受け取り場所と送り先について由加里と話し合った。
「すぐに地図の納期を聞いて折り返すから」
石川との通話を終え、コンビニで適当な甘い物と飲み物を買って由加里が店を出ると石川から折り返しの着信があった。
地図の完成は48時間後、由加里の退出期限にはギリギリ間に合いそうだった。もう一度、行程について確認し合い通話を終えるとマンションに戻る。
締め出されずに無事に部屋に戻れた際に「ありがとうね」と由加里が大仰に礼を言うと横谷は「ここで寝れるの明日までだから」と鼻で笑い、不満分子の制圧と排除予定に満足しているようだった。
買ってきたプリンをリビングで食べ終わると、由加里は晴香と一緒に寝室に入り、明後日の夜にここを出るから2,3日分の下着以外の着替えを自分の鞄に詰めておき、下着と着替え以外で持ち出すものは由加里の荷物の中へ入れておくよう伝えた。
翌日、由加里は「荷物が増えたから大きめの鞄を買ってくる」と横谷に告げ外出。
駅の近くの店を回り、彼の白いスーツケースと同じものを探した。
結局、全く同じものは見つからなかったが色やサイズがかなり似ているものは見つけられたのでそれを購入し、それが納まる一回り大きな黒いスーツケースも購入。
黒いケースの中に白いケースを入れてマンションに戻った。
晴香の寝室に一旦持ち帰ったスーツケースを置き、ジッパーを開けておく。
そして意を決してリビングの彼氏に向かって声を掛ける。
「出ていく前に掃除と洗濯をするから着ているもの脱いでちょうだい。あなた昨夜お風呂入ってないんだから、ついでにシャワー浴びたらどう?晴香のためにもその匂いなんとかして」
「またかよ、うるせえな。ほっといてくれよ」
由加里は黙って嫌がる横谷のスウェットを無理やりに脱がせにかかる。抵抗されるもここで諦めたら全てが台無しになるとズボンへ手を伸ばすと「わかったよ!わかったから!」と彼は渋々シャワーを浴びるために浴室へ行った。
大急ぎで晴香の部屋から白いスーツケースを持ち出した由加里は、横谷が占領している部屋にそっと入り、クローゼットの中の彼のスーツケースと入れ替える。
それを持って晴香の部屋に戻り、黒いスーツケースの中に入れてロックを掛ける。
知らず知らずのうちに息を止めていた彼女はスーツケースの鍵がカチャリと音を立てた瞬間に息苦しさを覚え「ぷはぁ」と大きく息を吐き出した。
念のため晴香の部屋のクローゼットの中へ黒いスーツケースを押し込み、由加里はリビングから掃除を始める。心臓は爆発しそうだったがいつも通りを心がけて。