透明な配達人   作:ながずぼん

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#16

 午前3時40分頃、晴香を乗せた男はJRバス新城《しんしろ》支社を出発し、国道151号のパイパスを南西方向へ進む。10分ほど走った交差点を右折しセブンイレブンに入る。

 広い駐車場、店舗の裏側の端へ車を停める。

 

「すみません、トイレに。もしよければあなたもどうぞ」

 

 男はルームミラー越しに晴香にそう声を掛けてエンジンを止める。

 彼女は男の気遣いに「そうさせてもらうわね」と嬉しそうに答えたが、男は気を使ったわけではなく、山道を走ってきて膀胱が危険水域に達していただけのことだった。

 それが証拠に彼は彼女の返事を待たずに車を降りていた。

 

 晴香がトイレを済ませて店を出ようとすると、レジの前にいた男が「あの、珈琲買いますけど、あなたも買いますか?」と尋ねてくる。

 「ありがとう。頂くわ」と晴香は男の好感度を上げながら店を出るのだが、男は《え?自分で払うつもりないの?》と、去って行く晴香の背中を見て図々しいおばさんだと思っていた。

 

 国道301号線を北上し、三河カントリークラブの看板の出ている三差路で左折し、県道21号線へ。ボックスカルバートを連結させたトンネルでゴルフ場を通過し、山裾の道へ。坂を下って緩いカーブの続く住宅地となった辺りで豊川《とよかわ》市に入る。

 東名高速の高架を潜り、その先の交差点でクランクするように左折して右折して、広い中央分離帯のある県道31号線、東三河《ひがしみかわ》環状線に入って西南方向へ。

 

 立体交差で国道1号線を跨いで直進し、ローソンのある交差点でその先のNシステムを迂回し、豊川為当《とよかわためとう》インターの信号で右折。側道から国道23号線名豊(めいほう)バイパスに入り、一つ目のトンネルを抜けると整備された山間の高速道路のような道になる。

 二つ目のトンネルを抜けたあたりで蒲郡《がまごおり》市に入り、西へ西へと進み、サービスエリア代わりの道の駅を通過したあたりで道は北西に向き、運転席の窓から東の空が白み始めるのが見えた。

 

 安城西尾《あんじょうにしお》インターでバイパスを降りて県道12号線で南進する。

 ここまでほとんど言葉を発しない後部座席の晴香。男は寝ているものだとばかり思っていたが、空が明るくなり始めたことでルームミラーで様子が見えるようになった。

 彼女は寝ておらず、物憂げな顔で窓の外の景色を眺めていた。

 ミラー越しの男の視線に気付いた晴香が「どうかしたの?」と問い掛けると「いや、別に。寝てるのかと思ってたので」と言った。

 

「ここで寝られるほどわたし強くない……。ねえ、あなた、記憶がないってどんな感じ?」

 

「どんなって、言われても……。えーと、思い出せないけど覚えてる感じです」

 

「んー、それってどういうこと?」

 

「たぶん、記憶を失くした状態であなたを殴ってきた人に会ったら、知らない人だけど殴ってくるのがわかって身体が強張る感じかな」

 

 男は病院で聞いたエピソード記憶と手続き記憶の話をしているつもりだった。

 しかし例えが悪く、晴香は会話を続けようとしたが「ああ、そうなんだ……」と言うだけで言葉が続かなかった。

 

 生活道路で北西方向に向かい、長田川《おさだがわ》を渡り収穫を待つ稲穂が揺れる田園地帯の先で左折して県道47号線へ。

 道なりに進んで大きくS字に曲がり、高架の脇を進んで大きな交差点で高架を潜るようにして右折し、境川《さかいがわ》の河口を渡り知多《ちた》半島へ。

 道なりに進み大学のキャンパスの先の信号を左折して県道261号線へ。

 

 南下して県道265号線との交差点で右折、阿久比川《あぐいがわ》を渡り半島を西北に向かい横断していく。右手の建物が途切れると上ったばかりの朝日が斜め後ろから車内に差し込んでくる。

 後部座席の晴香も正面を向き、まぶしそうに右手で目のあたりを隠している。

 左手に高速道路がある区間を走りながら男が助手席に置いた陽菜の地図を確認すると、晴香を降ろす場所が明確ではないことに気付く。

 大きい地図に描かれた赤線は名鉄空港線の常滑駅のあたりで止まっているが、それに対応するコマ図がない。

 

「あの、どこで降りるって決まってますか?」

 

「ああ、うん。駅のあたりで下ろしてくれれば。電車ももう動いているし、そろそろ沖縄《おきなわ》便も飛び始める頃だから」

 

 監視カメラやNシステムが駅付近にないことはわかったが、どこに車が停められるのかわからなかった男は駅の周囲をぐるっと走らせてみると予備校の駐車場が空いていたので、カメラで撮られるコインパーキングよりましだと思い車を入れる。

 

「一応、道路上の監視カメラとNシステムは回避してきましたけど、民間のカメラには映っているかもしれません。警察の捜索とかあると引っ掛かるかもですけど……」

 

「うん、大丈夫。警察には捜索願が出ても対応しないように頼んであるから。ありがとう、あなたしっかりしているのね」

 

「いや、社長が気にしていたので」

 

「社長?ああ、光則さんか。さすが姉さんの旦那さんね。お世話になりましたって伝えてもらえるかな?」

 

「はい。伝えておきます。じゃあ、荷物降ろしますね」

 

 男は車の外に出てトランクを開けてスーツケースと鞄を降ろす。

 後部座席から降りて来た晴香が荷物に手を掛ける前に「申し訳ないのだけど」と言って小さなプラスチックの板を男に渡す。

 薄い金属が貼り付けられたそれが『SIMカード』であり携帯電話に使われるものだと男は認識していて自分でも少し不思議に思った。

―――なんでこれのことがわかるんだろう……。これも手続き記憶なのか。

 

「それ、どこでもいいから捨ててくれるかな。結局わたし抜き取ることはできても捨てられなかったから」

 

 寂しそうにそう笑う晴香に男は「じゃあ」と言って車から離れ歩道まで歩いていき、駐車場との境に敷設された排水溝の蓋の隙間へ躊躇なくSIMカードを突っ込んだ。

 車まで戻ってきて「これでいいですか?ってもう拾えないけど」と真顔で言う男に「あははは。君、すごいね。気に入ったよ」と晴香は満面の笑みでそう言った。

 

「それじゃあ、行くね。送ってくれてありがとう、えーと、名前はないんだっけ?」

 

「はい、名前、思い出せないからないですね」

 

「そっか。じゃあ、またね」

 

 そう言って駅に向かって歩き出した晴香の背中を見送りながら男は、また会う?雲隠れするのに?と思いながら車に乗り込んだ。

 

 帰路は国道155号線で海沿いを北上する。

 名古屋高速の名古屋南インターまでに回避すべきNシステム設置箇所は2か所だったので、コマ図に従い内陸側へ迂回して躱す。

 名古屋高速3号線に乗って北上し、鶴舞南《つるまいみなみ》ジャンクションから環状線へ。

 時計回りに回って、明道町《めいどうちょう》、東片端《ひがしかたは》とジャンクションを経由して1号線で小牧《こまき》方面へ。楠《くすのき》ジャンクションを直進して名神高速の小牧インターから東京方面へ向かい、小牧ジャンクションから中央自動車道へ。

 

 坂を上った先の内津峠《うつつとおげ》パーキングで車を停め、空になった自分のカップと、ほとんど口が付けられておらず、しっかり珈琲の残った晴香のカップを持って車を降りる。

 ―――人に買わせておいて飲まないのかよ。

 飲み残しを排水溝に捨て、カップをゴミ箱に放り込んで建物に入る。

 小腹が空いていたのでカレーうどんを食べる。食券機でボタンを押す際、いやまてよ、これ帰ったらうどんが出てくるパターンか?と男は躊躇したが、由加里はバスで関西方面に行っているはずだから、昼食には間に合わないと踏んでカレーうどんにした。

 

 長野道に入る岡谷《おかや》ジャンクションの工事車線規制で少し渋滞したものの、そこ以外は順調で、午前10時頃に松本《まつもと》のタクシー会社へ到着した。

 

 石川へ事の顛末を説明し終えると「腹減ってないか?うどんでいいか?」と言われ「眠いから寝ます」と言って男は部屋に戻った。

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