男が晴香の『配達』から戻った翌々日の午後2時すぎ、駅まで迎えに行った石川と共に由加里がタクシー会社に帰ってきた。
「ただいまー。晴香のことありがとうね」
「いえ。高速で楽だったし。由加里さんは結局
「ええ。この人に言ったら羽根を伸ばしてこいって言ってくれたから。それに二人とも降りるのはちょっとって運転手さん困ってたし。あ、これお土産ね」
由加里が手に持った紙袋を男に渡す。ずしりと重い。
男が紙袋を開けて中の赤い箱を見ると「豚饅」と書いてあった。
彼女が不在の間、石川と二人で食べる夕食は2日連続で近所の町中華であったため、男はこの夫婦が食い物を被せてくるのはもしかして嫌がらせなのかなってちょっと思いつつ「ありがとうございます」と由加里に礼を言った。
後日、石川夫妻との夕食時に、晴香はひとまず沖縄《おきなわ》で暮らすことになったと由加里から聞いた。
「北海道出身の晴香ちゃんが沖縄かあ。暖かいところに憧れがあるのかな?」
「上司に事情を説明して辞表を提出したら、在宅扱いってことにしてくれたみたいよ。あの男以外は人に恵まれているのかも」
男は沖縄について九州の南の島ぐらいしか知識がなく、よくわからないな、と思うだけだった。
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10月の半ば、戸田がタクシー会社にやってきた。石川に話があるという。
洗車中だった男は「事務所にいますよ」と言うと「”おまえ”記憶が戻る気配があるか?」と聞かれる。
男は「さあ?わからないですね」と答えると「そうか」と言って戸田は事務所の中へ入っていった。
洗車を終えて事務所に入ると由加里が心配そうな顔で乗務員の休憩室の方を眺めている。おそらくそこで石川と戸田がなにか話し合いをしているのだろう。
きっと石川夫婦にとってよくない話なのだろうと男は思うも、自身があの二人の助けになれることが想像できなかった。
やがて二人が部屋から出て来たとき「いいか、ゴーサインが出たら1週間以内に決行だからな」と戸田が強めに言い「だから、無理だって」と石川は狼狽していた。
「おまえ”こいつ”も食わしてやりてえんだろ?選択肢はねえと思うぞ」
戸田は捨て台詞のように石川にそう言って事務所を出て行った。
石川は焦燥しきっていて、由加里もかける言葉がないといった感じだった。
しばらく黙ってソファに座っていた石川が「そろそろ本気で準備したほうがいいかもな」と由加里に言うと「わかった。それとなく言っておくね」と宥めるように彼女は応えた。
男は見聞きした話を統合して、もしかしたら自分がどこか他所に預けられるのではないかと思った。―――そもそもこの人たち、知らん人だしな。
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11月の上旬。石川が受けた電話を切ったとき「でかい仕事が入った」と堅い表情で男と由加里に向かって言った。
仙台《せんだい》の老舗企業に大阪《おおさか》のM&A仲介会社の買収資料を届ける依頼だそうだ。
松本《まつもと》から金沢《かなざわ》に行くだけでも九十九折の峠道をいくつか越えなければならなかったことを考えると、男はとてつもなく気が重くなった。
いつもは依頼が入れば真っ先に陽菜へ連絡をするのだが、石川は「戸田と話してくる」と言って出掛けて行った。
以前に不穏なやりとりがあってから戸田の顔を見ていなかったので男は仲直りしたのかな?と思ったが、由加里の表情は暗かったので違うようだった。
―――あのとき嫌がっていたゴーサインが出たのだろうか。
数日後、六星ロジスティクスに関わるメンバーが集められ作戦会議となる。
さすがに大阪―仙台間を運転しっぱなしとするわけにもいかず、今回は数日間に分けた移動と数台の車両を使った大掛かりなものになるそうだ。
「まずは『荷物』の受け取りだが、これは大阪市内で先方から直接受け取る。指定された場所に特急と新幹線を乗り継いで”おまえ”が行って受け取って一泊。次の日の朝、市内の車屋で車に乗って『荷物』と一緒に松本まで帰ってくる」
「オレが業販って形で車屋から買うことになってる。後で売るからぶつけるなよ」
「それって全部下道ですか?」
「いいや、大阪から高速使っていい。新東名の新城《しんしろ》で降りてそこからは下道で松本まで戻ってきてもらう。陽菜ちゃん、新城から松本までは大丈夫なんだよね?」
「うん。まだ完璧に調べられていないけれど、迂回路のない場所はないよ。甲府《こうふ》まで行った道と、晴香さんを送った道を使う感じ。途中の153号線は山の中じゃないから迂回できるはず」
陽菜は、ふんす!という顔でサムアップを男に向けたが、男は全部高速じゃダメなのかと思い、ノーリアクションだった。
「で、仙台までは、下道だ。がんばってくれとしか言えない。頼む」
「ああでも、高崎《たかさき》までは行ったことがあるし、そっから先もグネグネの峠道はないよ。基本的に4号線を使う感じ。迂回はあるけど大回りはしなくていいと思う」
陽菜は再び、ふんす!の顔を作りサムアップを男に向けた。男は、いやいや距離を考えてくれよと思い、再びノーリアクションを貫いた。
「仙台までの車はオレが用意する。マッサージ付きのやつにしてやるから」
男は後部座席に按摩のおじさんが乗っている状況を想像して意味がわからなくなった。―――指圧ができるように背もたれが布一枚とかなのかな?それとも助手席?
「で、仙台まで乗った車は向こうの車屋に預けてオークションで海外へ持って行ってもらう。オレの読み通りなら大阪と仙台でトントンになるはずだ。こっちも売り物だから壊すなよ」
「仙台からは新幹線で東京《とうきょう》まで行って、特急でここまで帰ってくる。どうだ?だいたい掴めたか?」
「えーと、大阪まで電車で行って『荷物』を預かる。車屋に寄って高速で新城まで行って下道で戻ってくる。別の車に乗って仙台まで下道で行って車屋に車を預けて『荷物』を渡す。仙台からは電車で戻ってくる」
「大丈夫そうだな。じゃあ、陽菜ちゃんと戸田は目途がついたら先方と日程調整するから、二人は俺に連絡してくれ」
終始上機嫌だった戸田は「いつもこのくらいの予算規模だといいよな」と言い残して事務所から出て行った。
駐車場から戸田の車が走り去るのを確認すると石川が男と陽菜に向かって「たぶん、これが最後の配達になると思う」と真剣な表情で言った。
「え?なにかトラブルでもあったの?もしかして警察にマークされてるとか?」
「そんなことはないよ、陽菜ちゃん。ただまあ、この仕事を悪いことのために利用しようとしている連中がいてね。
男も陽菜も驚きはしなかった。どう見ても彼は善人ではなさそうだったから。
「ただ止めるって訳にもいかないんじゃないですか?社長ぶっ殺されたりします?」
「なんだ”おまえ”、俺の身を心配してくれてんのかよ?」
「いや、事件になって警察からいろいろ聞かれたら面倒だなって思って。だっていつも無免許運転ですよね?まあいいかって思ってやってるけど」
男の言い草に、石川も由加里も陽菜も絶句した。
石川に至っては、本当に危なくなったら”こいつ”を矢面に立たせればいいんじゃないかと一瞬邪な考えが過るぐらいに人でなしな言い草だった。
「それでね、全部整理して、しばらくはわたしの実家に行こうと思ってるの」
「え、由加里伯母さんの実家って札幌だよね?めっちゃ遠いじゃん!」
男はその話を他人事のように聞いていた。姉が北海道で妹は沖縄かーぐらいに。
「ていうか、”この人”どうするの?札幌《さっぽろ》に連れて行くの?」
「いま初めてこの話をしたから”彼”がどうするのかは、まだ相談していないの。ねえ、わたしたちがここからいなくなったら”あなた”はどうしたい?」
由加里にそう尋ねられた男は少し考えた後「そうですねえ、わかんないですね」と、まるで他人事のような顔で答えた。