伯父さんの会社から家に帰ったらすぐに自分の部屋へ行ってベッドにダイブした。
ダイブしたと言っても本気でドンッと飛び込んだわけじゃなく、ボフッぐらいの勢いよく倒れる程度だったけれど。だってベッドが壊れちゃうかもしれないし。
そんなことはどうでもいいのだ。
伯父さんたちが北海道に行ってしまう。”彼”も付いて行くのかもしれない。
「わかんない」って他人事みたいに言ってたけど、住民票も身分証もないのだから一人で生きていけるわけがない。付いて行くしかないじゃないか。
わたしが”彼”を思うこの気持ちはなんなのだろう。
恋なのか、それとも母性本能なのか。或いは憐憫か?
とにかくあの、中身がスッカスカな”彼”のことが気になって仕方がない。
明日、平田さんと阿部さんに聞いてみよう。
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「恋よ」
阿部さんはさも当然のような顔でそう言った。言い切った。
「放っておけないって気持ちなのかしら。それって恋とは違うような」
「いいや、恋ですよ。これは恋です。小笠原ちゃんに訪れた恋の季節なんです」
平田さんの疑問に即答する阿部さん。どうしてそこまで言い切れるのだろうか。
そもそもわたしの気持ちの話なのに、なんで考察ではなく断言するのだろう。
「私には母性本能のように思えるけれど。前に陽菜ちゃん言ってたじゃない、なで肩じゃないところだけが取り柄だって」
―――いやまあ、そうは言ったけど。”彼”のいいところはそこだけじゃないっていうか。
「いいですか平田さん。そもそもですよ、出会って1年も経ってないのにいなくなることに動揺している時点で、これはもう恋なんですよ。それに小笠原ちゃんは、運転が上手いから気に入ったって言ってましたよ確か」
「確かに言ってたわね。ちゃんと運転できたから好きになったって」
「いやいや、好きになったとは言ってないと思いますよ?」
平田さんはこうしてよく話を捏造してくるので注意が必要だ。
「とにかく、運転が上手ってことは速いってことでしょ?女子は足の速い男子が好きなのよ。たぶんDNAに刻まれているぐらいに」
「いや、別に足が速いのと運転が上手いのは因果関係にないじゃないですか」
「あっちが早いのは考えものよね」
「ちょっ、平田さん!昼間っからなに言ってるんですか!」
ちょいちょいシモネタを混ぜ込んでくる平田さんの中にはおじさんが入っているのだと思っている。スナックで赤い顔をして飲んでいるようなおじさんが。
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会社の人たちに相談したのが間違いだった。よくよく考えてみればあの人たちのアドバイスが役に立ったことなど一度もない。
夕食の後、普段は自分の部屋で過ごすけれど、お母さんに相談したくてお父さんがお風呂に入るまでぼんやりテレビを観ながらリビングに残った。
そしてお父さんがお風呂に入るとお母さんの方から声を掛けてきた。
「陽菜、どうかしたの?なにか話でもあるの?」
お母さんは全てお見通しだった。伊達にわたしを産んで育ててない。
「伯父さんの会社のこと、なにか聞いてる?」
「ああ、兄さんの。このまま続けていても苦しくなるばかりだから、そろそろ整理しようと思うって言ってたわ。父さんが亡くなったときに相続放棄しているから、好きにすればいいって言ったけど。陽菜、もしかしてあの人にお金貸してるの?」
お母さんは全てを見通せているわけではなかった。
「伯父さんたちから北海道に引っ越すって話を聞いてさ。あそこに居候いるじゃん?記憶がない人。彼はどうするのかって聞いたら、わかんないって笑ってたの。それでわたし、なんだか落ち着かなくて」
「そう、そんなことがねえ」
お母さんのにやにやする顔が平田さんとダブる。女性は誰しも歳を取るとゴシップモンスターになってしまうのだろうか。もうこれはChatGPTあたりに相談するしかないのだろうか。どうせ「鋭い視点ですね」とか言われるだけだけど。
「一度、家に連れて来なさいよ。陽菜が心を預けていい人間かどうか私が見定めてあげる。お父さんがいるとややこしくなるから、土曜日の昼間がいいわね」
「そうじゃなくて。わたしの気持ちがなんなのか知りたいの!」
「じゃあ、もしも彼が家に来て私が、こんないいところが一つもないヒョーロクダマとはもう縁を切りなさい!って言ったらどう思う?平気でいられる?」
「そんなことないよって言うと思う。ちょっと空っぽな人だけど、それはこれまでの人生が抜け落ちているだけで、これからいろいろ経験して穴を埋めていけばちゃんとした大人になれると思う、って言うと思う」
「それを一緒に埋めていきたいんじゃないの?もちろんあなたの記憶が山盛りで」
なんだか言いくるめられたような気もするけど、否定ができなかった。
わたしは赤ちゃんみたいな彼の脳みそに、わたしとの日々を焼き付けたいと思っていたのだとこのとき初めて知った。
「もう聞きたいことは聞けたけど、連れて来たほうがいい?」
「そうねえ、あなたがこの家を出ようとしているなら、親として一度は会っておくべきだと思うわよね」
やっぱりお母さんは頼りになる。
ただし、わたしの恋心を全力疾走させる前に確かめないといけないことがある。
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日曜日、伯父さんの会社へ行く。
タクシー会社に定休日はないが行楽シーズンでもない限りドライバーさんの出勤は少なくてなんだか静かだ。
事務所に顔を出して由加里伯母さんに”彼”はいるか尋ねると「部屋にいると思う」と言うので、アパートの”彼”の部屋を訪ねる。
阿部先生のアドバイスで少し暑いけれど、首周りをモコモコにしてきた。
先生曰く「男なんて首周りがモコモコしていればイチコロよ」とのことだった。
玄関のドアをノックすると中から「はい?」と返事があって「わたし、陽菜です」と声を掛けると「ちょっと待って」と言われ、待っていると少ししてドアが開いた。
濃紺のスウェット上下にぼさぼさの髪、何を待たされたのかわからなかったけれど「きょう時間ある?」と尋ねる。
「え?なにもないけど。地図の打ち合わせですか?」
「ううん。ちょっと頼みがあって」
わたしはいま自動車の免許証を持っていない。原動機付き自転車のものだけだ。
自動車の免許を取らなかったわけではなく、2年前に返納したのだった。
新卒でいまの会社に入り、車で通勤していたときに事故を起こした。
貰い事故というか、信号待ちをしているわたしの車にわき見運転の車が追突し、横断歩道を渡っていたおじいさんを撥ねた。
撥ねたといっても轢き殺すような接触ではなかったけれど、おじいさんはショック死してしまった。
それ以来、わたしはハンドルが握れなくなり、運転があまり上手ではない人の車に乗ると動悸が激しくなり、酷いときには過呼吸を起こすこともある。
わたしの地図好きは、このトラウマのせいで加速した。
自分では運転できないが地図はどこへでも連れて行ってくれる。ただ、自分の目でその場の景色を見て匂いを嗅いで、そこに流れる音を聞きたい欲はある。
ストビューでは物足りないのだ。
わたしが”彼”に惹かれているかもしれないのは、”彼”ならわたしを旅に連れ出してくれるかもしれないからだ。
一緒に事務所へ行って”彼”の助手席に乗ってみたいと光則伯父さんにお願いすると、伯父さんは「助手席に乗るって……大丈夫なのか?」と心配してくれた。
由加里伯母さんは聖母のような顔で「いってらっしゃい」と微笑んでくれた。
“彼”は意味がわからないという顔をしていた。
伯父さんのレヴォーグの助手席に乗り、”彼”の運転でそのへんをクルっと回ってもらい、コンビニで珈琲を買ってドライブしながら飲んだ。
わたしは決めた。
伯父さんたちがこの街を出るとき、わたしもこの街を出るのだと。