新潟県
花火大会で有名なこの街にある家族経営の小さな電子部品製造業の会社。
創業者である佐藤弘嗣《さとうひろし》は高校卒業後、地元の精密工場に就職し10年勤めた後、実家の田畑を売って資金を作り『(有)佐藤電子工業』を起業する。
翌年、前の会社の事務員であった長い付き合いの彼女と結婚。
さらに翌年には長男、和弥《かずや》が生まれ、2年後に長女、佐和子《さわこ》が生まれ、その3年後に次男、純弥《じゅんや》が生まれる。
会社の業績は設立当初より安定していた。それは弘嗣が独立したときに一緒に会社を辞めてついてきてくれた同期たちのおかげであった。
月日が経ち、弘嗣は代表権を持たない会長に退き、長男の和弥が代表取締役として事業承継をし、会社を支えてきた弘嗣の同期たちも次々と勇退する。
次男の純弥は地元の高校を卒業後、東京の大学で物理学を学んだ後に兄を支えるべく家業に入るが、研究開発や製造マネジメントではなく営業職として働くこととなる。
弘嗣の妻は純弥が大学1年生のときに癌で他界し、数年後に和弥が結婚して弘嗣と実家で同居することとなったため、実家に戻った純弥は早くアパートを借りて出て行かないとと、少し焦るような気持ちもあった。
姉の佐和子は名古屋の美容専門学校を卒業後、そのまま名古屋の美容院で働いている。
そんなある日、自動車の運転支援に関わる部品の中で、既存のものより精密に計測できるジャイロセンサーを、純弥と歳が近い従業員が開発する。
さっそく売り込みをかけるべく純弥はあちこちのメーカーの関連工場へアポイントを取るものの、取り合ってもらえた企業はわずか一社のみだった。
それでも純弥は一縷の望みを賭けて、群馬県
当初、自分の車で運転して行くつもりだったが、直前になってその車種にリコールがあり、販売店に予約を入れた際に修理が殺到したため代車も貸し出せないと言われ、かといって不具合のある車で行くわけにもいかず、上越新幹線で高崎《たかさき》まで行き在来線で太田市まで行くこととなった。
弘嗣からは「日をずらしてもらえばいいじゃないか」と言われたが、何社にも電話を掛け断られ続け、ようやく拾ってくれた相手にそうも言えず、日程はそのままに。
社長である和弥は、純弥のことを会社の歯車の一つとしか見ておらず「良い結果を持ち帰ってくれ」とだけ言って彼を出張に送り出した。
純弥が太田市の精密部品製造業の会社で必死のプレゼンを行ったところ、熱意は伝わったものの採用には至らず、会社に良い成果を報告することは叶わなかった。
ところが、ちょうどその場に居合わせた別部署の課長さんから「うちでは使われなかったみたいだけど、よかったら興味のありそうな会社を紹介する」と言って貰えた。
セイコーエプソンの関連企業で、そこは岡谷《おかや》市にあるそうだった。
早速その会社へ連絡を入れ、課長さんの名前を出してアポイントを取ると「急だけど明日の午後なら時間がある」と担当者に言われ、すぐに岡谷市へ向かう。
高崎駅まで在来線で戻り、サンドイッチを2つ食べて会社に連絡を入れる。
きょうの会社は空振りだったが別の会社を紹介してもらったから岡谷市へ向かうと。
電話口で和弥は「わかった。頑張ってくれ」とだけ言っていた。
新幹線で長野《ながの》駅まで行き、特急に乗りひとまず塩尻《しおじり》駅へ向かう。
スマホの予約サイトで岡谷市内のホテルを探すとどこも満室だった。当日だからそんなこともあるのかと純弥は思ったが、それは市内で某バンドのライブがあり岡谷市内はおろか諏訪《すわ》、茅野《ちの》、塩尻までホテルは全て満室となっていた。
純弥がようやく確保できたのは松本《まつもと》市のビジネスホテルであり、画像を見るとかなり古そうだった。
とりあえず松本駅まで電車で移動し、そこからはタクシーでホテルへ。
乗り継ぎを繰り返してホテルに到着するのがすっかり遅くなり、寝るだけのためのチェックインをして荷物を部屋に置き、店を閉める飲食店も出始める頃に純弥は遅い夕食を摂りに街へ出る。
土蔵や古い建物を改修した店が並ぶ石畳の歩道のある通りに、食事もできそうな飲食店がまだ開いていたのでそこに入る。
山賊焼きの定食を食べ、ようやくひと心地ついて外に出ると、12月の冷たい風が火照った身体に気持ち良かった。
ホテルまで辻の向こうが雰囲気のあるように見え、女鳥羽川《めとばがわ》沿いに出る。
帰路が川の向こう側だったので四柱神社《よはしらじんじゃ》の前の橋を渡っていると、純弥は背中に強い衝撃を受ける。直後、背の低い欄干を越えて川に落ち、頭を強く打つ。
目撃者なし。自転車で彼に追突した当事者は、市内で風営法違反のマッサージ店を営む中国人女性だった。警察のガサ入れが入ると出所の不明な情報を聞いて、必死で店に向かい女性従業員たちの身柄を隠す途中だった。
何かに衝突し自身も転倒したが、その際の自転車が立てたガシャンという音で純弥が川に落ちるドボンという音がかき消されていた。
女鳥羽川には人間を下流へと流してしまう程の水量はなく、川に落ちた純弥は一瞬、昏倒するもすぐに気が付き、川から細い河川敷まで這い出ると、声も上げられないほど頭に激しい痛みを感じた。
少しの間、その場でじっと耐えるも、12月の寒空に川に落ちたことで急激に体温が下がり始め、寒い…寒い…と震えながら鉄製の階段をよじ登り歩道に手を掛けたところで意識を失う。
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長野県警岡谷警察署署長である田村睦《たむら むつみ》の元へ、新潟県警長岡署から行方不明者の捜索依頼があったのは、純弥が川に落ちた3日後だった。
行方不明者の父親から「岡谷市の企業へ出張に行った息子が帰らない、事件や事故に巻き込まれているかもしれない」という捜査協力の要請だった。
直ちに市内のホテルなど立ち寄りそうな先に捜索をかけるも、特徴に該当する人物は見つからなかった。無論、アポイント先の企業にも聞き込みを行ったが「来なかった」という事実しかなかった。
通話記録から男性の携帯電話へ発信してみるも電源が入っておらず、GPSでも位置が特定できなかった。
長岡署としても事件性の根拠が乏しい失踪であり、岡谷市以外の近隣市町村の警察署に一斉捜索の依頼をすることは、そもそも他県であるため見送られた。
田村が岡谷署の署長を務めている間は、捜査継続として扱ってきたが、捜査開始から16か月後の4月に松本署の副署長へ異動となる際には、捜査を打ち切りにした。
新年度に田村が松本署の副署長の任に就き、管内の身元不明者のリストに目を通したとき、とある男性の記述に奇妙な感覚を持った。
それは岡谷署の署長時代に見た記憶のある特徴だった。彼は第一発見者であるタクシー会社の社長が身元引受人となっているようだった。
田村は部下に命じ、そのタクシー会社の社長から話を聞くよう連絡させると、彼はすでに松本の会社や自宅を引き払い、北海道に転居しているそうだ。
もうすぐ定年を控えた田村であったが、ここまで叩きあげて来た自身の警察官としての勘が男の行方を追わずにはいられず、休日に当時の従業員がそのまま働いているというタクシー会社へ赴いた。
「ああ、名前のない”あいつ”ね。掴みどころがない奴だったけど、働き者だったよ」
「”彼”ね。自転車で社長の副業を手伝ってたよ。一時期人気になって大忙しだった」
「え?”あいつ”の行き先?社長たちには付いていかなかったみたいだけど。まあ、”あいつ”ならどこでも生きていけるだろ。そういう雰囲気あったから」
従業員たちの話を聞き、田村は”彼”を見つけることは不可能だと判断し、身元不明者リストから外していいと署長に報告した。
■■ 完 ■■